悟が持って行った少年の報告書は非術師のいたずらか戯言だと処理されたか、後回しになったらしく少年の入院生活は平穏そのものだった。
『………オイ、のりたま』
「はいはい」
男の舌は病院食特有の味気無さを受け付けなかったらしい。少年にふりかけを催促する。
空になった食器類を眺めていると病室のドアがノックされた。思わず少年と目を見合わせる。お見舞いと称してやってくる者のうち行儀よくドアをノックするようなやつは誰一人としていないからだ。
一瞬の間をおいて少年は返事をする。ドアがゆっくりと引かれると同時に男が部屋の隅で小さくなった。
「五条先生からここに入院してるって聞いた、んですが」
「別に敬語じゃなくていいですよ。僕の方が年下なので」
「…助かる。少し聞きたいことがある。渋谷で苗字が俺と同じやつといただろ」
「いましたね」
「そいつについて何か情報がほしい」
「何かといわれても。具体的には?」
「例えば……今なにしているか、とか」
少年は男に視線をやった。蚊の鳴くような声で男が言う。
『………………プロノヒモ…』
『声、ちっさ』
「プロのヒモらしいです」
「プロのヒモ…」
恵が思っていた答えとは大きく違ったようで困惑しているらしかった。
「あんたとあいつはどういう繋がりなんだ」
「仲介人ってところですかね」
「」
間違ってはいないがそれでは少年が女衒かポン引きのように見えてしまう。
恵は消化しきれなかったのか「……また来る、ちょっと時間をくれ」と言ってふらふら病室を去っていった。
来客も時たま悟が顔を出すくらいで他には誰も来ない。
暇を持て余した人間(幽霊も含む)は何をするかわからない。
発端は禪院直哉が落としていったスマホにパスワードがかかっていなかったことだった。
病室の床に倒れた時に落としたのかベッドの下に入り込んでいたのを空き缶を片付けていた少年が発見した。酒を飲んでばかりの男がいつものように「なんか面白いことねェか」と言い出し、少年は禪院直哉のスマホを手に取るとあっという間に裏垢や趣味垢を探し出し、本垢や他のSNSさらにはネット掲示板などで晒してみせた。
その炎上具合を全員でたっぷり楽しんだ後、少年は男に頼んでスマホを病室がある5階から投げ捨てさせた。自分も十分に楽しませてもらった立場だが、渋谷での惨劇を思い出し襟を正して少年に苦言を呈す。
『世の中にやっていいことと悪いことがあるのは、―――流石にわかるよね?』
「はい」
確認というよりも「頼むからわかっていてくれ」という願いを込めた夏油の問いかけに少年は易々と答えた。
『Twitterの裏垢を本人の了解なく晒すのっていいと思う?』
「微妙なところですね」
『ダメに決まってるだろ』
「そんなに知られたくないことを吐き出したいなら紙に書いた後、燃やせばいいんですよ」
『聞き方を間違えた。きみが思う「いいこと」って何?』
少ない方から聞いた方が早いだろうと思い聞き直す。
「幽霊の皆さんから聞いた情報を「大島てる」に投稿するとか」
『……それ、いいことって言える?』
「虚偽情報は一切載せていないのでいいことでしょう」
確かに他の者には真似できないことではあった。
その後も少年は植物のようにベッドから動かないし、男はふらふらと散歩にでかけてる。夏油はタブレット端末で海外ドラマのNCISシリーズを流し見していた。人差し指の爪の先に何か入り込んでいる気がしていじる。じっと見ているとパチリという小さな音がした。
『―――っ!!青!ねぇ!!見てこれ!』
寝ている少年をたたき起こし、指先を少年の目の前に出す。ぼんやりとした少年の視線がそこに向くと先ほどと同じように力を入れた。小さな火花とともにパチッと音が鳴る。
「……ポルターガイストですかね」
『レベルアップしたってことかも!もっと威力を大きくしたいんだけど練習でどうにかなるかな』
「威力を増すより回数を増やした方がよくないですか」
『――というと?』
「その人がスマホやパソコン、電子機器に触ろうとするたびに故障する。周囲の人はどう思うでしょうか?」
『近寄ってほしくない』
「それに加え、この情報化社会です。新聞があるとはいえ、スマホもパソコンもテレビも見れない人間はどうやっても情報を得る機会が減る。昔から時は金なりというじゃないですか。連絡も取れない、近くに来ると勝手に色んな物が壊れていく。そんな人がどうなるとおもいますか?」
『自然と孤立する…―――いいね!最高!ちょっと行ってくる!』
その日から夏油は上層部を含め気に入らなかった奴の電子機器はもちろん車やらクレジットカード、部屋の照明も全部パチパチしまくった。
エレベーターに乗ればはもちろんパチッたし、あからさまに何かを封印しているであろう箱に貼られた呪符もミイラみたいな爺が引きずっていた酸素吸入器も、寝たきりになっている奴の人工呼吸器もパチッておいた。上層部の1人が乗った車がガソリンスタンドで給油中にパチッたら車が爆発したが特に無問題だ。
全員がまじめな顔で加持祈祷をしだしたとき爆笑したし、乗ったエレベーターや控室、儀式をしている部屋の照明もパチッたら悲鳴を上げていて愉快痛快だった。
ひとしきり満足するまでパチり終えた後、少年の病室に帰った。
「傑いるーーー?ちょっと調べてほしいことがあるんだけど」
「夏油さんは今ちょうどパチりに行ってまして」
「傑がパチンコ?いつの間にそんな趣味できたの?」
「パチンコではないです」
「?」
『あれ、悟が来てる』
「おかえりなさい夏油さん」
『ただいま』
「え、傑が帰ってきたの?」
「はい。夏油さん、今日の収穫はありましたか?」
『ボヤで済ますつもりだったのにちょっとミスって上層部にいた奴の家の書庫にあった本、全部燃やしちゃった』
「それは残念でしたね。精密なコントロールは練習あるのみです」
『そうだね。もっと精進しないと』
「ちょっと待って、今何の話してる?」
「夏油さんがパワーアップしてボルタ―ガイストができるようになったのでその練習をされています」
「ポルターガイスト!マジヤバ!!人外じゃん!」
「まさしく幽霊ですけど。そういえ五条さんは夏油さんに何の用事だったんですか?」
「あー、ちょっと調べてほしいんだけど上層部が今すごいことになっててさ。何っていうの、祟りとかそういう系だから傑が見てくれたらすぐわかるかと思って」
『それなら私が犯人だね』
「夏油さんが犯人だそうです」
「マジで?ならいいか」
「いいんですか?」
「いいでしょ。傑なら生徒たちに危害は加えないだろうし」
『今なら祟りたい奴受け付けてるよ』
「困らせたい人を教えてくれたら代わりに夏油さんがやってくれるそうです」
「えー!いいの?」
少年は1週間程の入院を終え自宅に戻った。ギブスが外れるまで大人しくしているかと思ったら少年はどこかに出かけるようで夏油は何となくついて行った。
「夏油さん、なんでついてきてるんですか」
『君が休みの日に遠出するなんて珍しいと思ってね。恋人とかいたっけ?』
「まさか。…別についてきてもいいですが、面白いことなんて1つもないですよ」
電車を乗り継ぎ、ある駅に着くとしばらく歩く。高級住宅地として有名な土地だ。道路の両端に立ち並ぶ店もどこか小洒落た商品ばかり取り扱っている。
到着したのは少し広い公園だった。その日は天気が良く、真新しい遊具や砂場に多くの子供や家族連れがおり楽しそうに過ごしている。
少年は目の前の公園の中にも入らず、車道を挟んで向かいにあるバス停のベンチに腰かけた。バスの行先は先ほど利用した駅だ。わざわざ歩いてきた道をなぜバスで戻るのだろう。少年の行動が読めない。
フェンスを隔てた公園の中では幼稚園ぐらいの子どもとその両親が、笑みを交し合い楽しそうに過ごしている。少年はその様子をぼんやりと眺めていた。視線を感じたのか父親らしき男が振り向く。男は少年を視界に入れると先ほどの柔和な表情を消した。化け物でも見たかのように男は妻と子を連れて急いで公園を出て行く。
『さっきの人は知り合い?』
「父親です。戸籍と遺伝子的には」
その言葉に前に少年が言っていたことを思い出した。両親はそれぞれ愛人と暮らしていると、少年が住んでいる一軒家に少年以外の人間がいないことに疑問を感じ訊ねた際にそう言っていた。
『でも、自分の子どもにあんな態度…』
「大丈夫です。いつものことなので」
そう言うと到着したバスに乗り込み、駅に戻った。家に帰った後も少年は口を開かない。それに焦れた夏油が訊く。
『青、今日のことだけど…』
「そんな反応されるのが嫌なのでついてこないように言ったんです」
少年は軽く息を吐くと話し出した。淡々とした口調だ。もしかすると話し慣れているのかもしれない。
「よくある話ですよ。見えないものが見える子どもに嫌気がさした。元々夫婦仲が良かったわけでもないのでこうなるのも時間の問題でした。僕が未成年の内に離婚してしまうとどちらかが養育権を持つ羽目になるので、僕が成人するまでは離婚しないようです」
『君はそれでいいのか』
「大丈夫ですよ。月に30万、口座に入金があります。ほとんど使っていないので貯まるばかりです」
『…君の”大丈夫”は呪いだね』
少年がその言葉を口癖のように度々言う。今ならわかる。それは少年が自分自身にかける呪いだ。
「大丈夫と言っていればいつか本当に大丈夫になる。両親はこの家から急に出て行ったわけじゃない。「出張」が1日になり、3日になり、1週間になって段々と日にちは延びていった。
便利な世の中ですね。百貨店に行けばいつでもどこかの土産が手に入る。
「出張」の度に渡される御菓子や名産品に飽きていた。だから「もう大丈夫だ」って伝えたんです。はじめは洗濯や掃除も覚束なかった。けれどそれもいつしか慣れて”大丈夫”になった」
少年は滔々と話し続ける。
「例え血の繋がりがあろうとも所詮は他人です。他人に期待するから落胆する。逆に言えば落胆したくないなら期待しなければいい。
”他人を信じなくなったら、他人に信じられなくなって、いつの間にか僕は透明人間になった”。以前見た映画の台詞ですけど言い得て妙ですよね。僕は望んで透明人間になった」
「彼らも災難だったと思います。どちらかに懐くわけでも可愛げがあるわけでもなく、時折独り言を発している子どもを持つなんて。子が親を選べないように親も子を選べない」
まあ、親の方にはいくつか選択肢はありますが、少年はそう付け加えた。
『だから
あの時の少年の行動には少しばかり疑問があった。偽物に確認したいこともあっただろうが、それでもわざとらしく偽物の前に姿を晒し危険を冒すような行動はいささか少年らしくはなかった。
「あの時、渋谷で色んな人が亡くなっているのを見て、”丁度いいか”と思ったんです。そうすれば毎月30万円も出費する必要もなく、両親は大手を振って離婚でき、好きな人たちと戸籍上でも本当の家族になれる」
「きっとあそこで死んだら事故死として扱ってくれるんじゃないかと思いました。まぁ、夏油さんたちが強かったのでそんなことにはなりませんでしたが。それに別に理由なく偽物さんと話したかったわけじゃないんです。個人的な質問もあったので」
『あぁ、幽霊が見える人の話?』
「きっと偽者さんは呪術師かそうでないか、また呪術師に益があるかですべてを判断していたんだと思います。例え僕のように幽霊が見えていても、呪霊は見えず倒す能力さえない。その時点で偽者さんにとっては道端に転がっている石同然でそれ以上知る必要はない。夏油さんも生きてた時そうだったでしょう」
『……そうだね』
「僕が知らないだけで幽霊を祓い生計を立てている人もどこかにいるかもしれません。しかし呪術師のような大きな組織体系にはなっていない。もしそんな組織があるのであれば知っている人がいるはずです。人がいるということは金の流れが生まれる。金には良くも悪くも人も集める力がある」
『幽霊が見えるだけでも便利な力だと思うけど?金の流れって言ったって、君の相談室だって幽霊相手で儲けなんてないだろ』
「相談室は金もうけというより自分の為に始めたんです。もし僕が地獄に行くとして死ぬまでのことが考慮されて刑期が短くならないかなと」
『なんで地獄行き前提なんだ』
「「最善を願いつつも最悪に備える」というのは全てにおいての基本かと思いますので」
「人間は同じ人間を裁くために法律を作りました。しかし神様や閻魔様は同等ではない人間をどういう判断で裁くのでしょうか。生きている中でどれだけ悪いことをしたかでしょうか。それともどれだけ生き物を殺したかでしょうか。その分良いことをしていたら?誰かの指示で殺した場合や生きるために他の人を殺した者は?戦場で100人殺せば英雄で、市中で1人殺せば罪人?」
「僕が殺されるつもりで渋谷に行き想定通り殺されていたなら、自殺と見なされる可能性もあるでしょう。
キリスト教において自殺は罪と受け取られ、ある時代では自殺者は教会の墓地への埋葬が許されないことも、遺族が処罰されることもありました。ユダヤ教やイスラム教でも同様です。仏教ではそこまで厳しくないようですが、それでも遺族が周囲から批判を受けることはある」
「宗教によって死後どうなるかは様々で、天国、地獄と明確に線引きしているものもあれば、亡くなった人は全員浄土に行くと説いているものもある。僕は幽霊は見えますが幽霊より先のことについてはわからない。
落とし穴って見えていないから怖いんですよ。実際の穴の深さは3㎝程度であっても見えていないと飛び込む前に躊躇してしまう。これが見えていれば1mだろうと2mだろうと踏ん切りがつきやすい」
『確かに日本人は空気を読むことや察することは得意だし美徳とされていることもある。けど、それに胡坐かいているような奴のために君が希死念慮抱える必要も、ましてや死んでやる必要もない。そんなもの、熨斗つけて返してやれ。
青、君はもっと自分を大切にしてあげてもいいんじゃないかな』
少年は自身を守る壁を屁理屈と皮肉と知識で作り上げた。自分の壁はきっとプライドだった。呪術師であるという誇示は高く厚い壁になり、いつしか中にいる自分が窒息してしまうほどになった。悩みぬいて出した結果に後悔はしていない。しかし壁の素材が違っていれば、あるいは薄ければ道は違ったのだろうかと考える。
夏油の言葉に少年はそれからしばらく考え込んでいるようだった。
大した回答は期待していないが家に戻ってきた男にも話を振ってみる。
『お前も青がいなくなったら困るだろ?』
『―――ア゛ァ!?俺の酒はどうなる!?』
カスの権化のような男の言葉に呆気にとられる。少年は一瞬の間をおいて笑い出した。
少年はその日、初めてデリバリーを利用しケンタッキーのファミリーパックを注文した。店が少し離れた場所にあるようで、届いたフライドチキンは蒸気で衣がふやけていたが食べれないこともない。少年は3口程食べてギブアップした。胃もたれして苦しんでいる少年に今後どうするか尋ねる。
『君はこの家から出た方がいいよ』
「やはりそうでしょうか。しかしまだ未成年なので勝手に行方不明になると捜索されるんです」
『一発殴って家出宣言したらどう?』
「やはりわかりやすい意思表示としてはそれが一番早いですかね」
『武器は何にする?』
「なんで夏油さんが僕より乗り気なんですか。武器…刃物は駄目ですね」
『行く途中で包丁でも万引きでもすれば?買ったり家から持っていくと裁判になったとき犯行の計画性ありって見做されるから、道中で万引きしたほうがいいよ。咄嗟の犯行って説明できて刑期は短くなるし』
「家出じゃなくて完全に傷害か殺人事件じゃないですか」
『?、殺さなくていいのかい。殺した後捕まらずに逃げる方法を教えるけど』
「殺すとまた面倒じゃないですか。それに自発的な行方不明の場合、証人は1人でも多い方がいい」
『刃物は駄目なら、バットはどう?バッティングセンター、あの駅の近くにあるよね。リハビリがてらバッティングセンターに行こうとしてましたって理由にもなるし』
「それいいですね。見逃される理由もあるので」
『理由?少年法の適用?』
「ここは王道に反抗期とかどうでしょうか」
『それ最高』
念入りに準備を重ね、少年のギブスが外れた後、高級住宅地の一角のとある家で飾られていたマイセンの花瓶とティーカップは金属バットによって数えきれないほどの破片になった。食べかけの朝食とコーヒーが床で彩りを加えている。
父親と異母弟、その母親は早々に家の外に追い出している。
父親の書斎らしき部屋に鎮座していた高そうなデスクやら革張りの椅子、リビングの家具などを壊すのは少年には難しいため手伝ったのは少年と夏油だけの秘密だ。暖色系で纏められたリビングに消火器の中身を撒き散らしたところで満足したらしかった。
通報を受けた警察官に少年は取り押さえられたが、抵抗をする様子もなく、興奮して暴れることもなく説明をし出す少年に警察官も戸惑っていた。
「不倫をして僕を捨てた父親を偶然見つけてしまいまして。あまりの怒りで頭が真っ白になって、気が付いたときには押しかけてしまった後でした。
バットを持ってた理由…?あぁ、ほら、この通り怪我をしたんです。傷は塞がったんですが、まだ細やかな動きをすることが難しくて病院で相談したところリハビリをするように勧められまして。体力もつけるように言われたので最近バッティングセンターに通い始めたんです。
――えぇ、きっと父は僕がこの怪我で苦しんでいることさえ知らないでしょう。だからこそ呑気に笑い合っている父が許せなかった…
あ、親子関係である証拠ですか?戸籍を調べていただいても結構です」
流石、口から生まれたと言ってもいい少年だ。演技指導を事前にしていた成果なのか警察が口を挟む暇も与えず絶妙な語り口で同情を買い、憐みを得ることに成功した。少年の声が聞こえていた近隣のご婦人たちは眉を寄せて聞き入り、同じ年頃の子どもがいるのだろう警官は少年の話を聞いて鼻を啜る。きっと少年の父親たちはもうこの家に住めないだろう。
別室で話を聴かれていた父親の方を覗いてみたが、世間体を考えたのか被害届は出さないことにしたようだ。
「やっほー!青が警察沙汰起こしたって聞いておもしろ…何事かと思ってきちゃった!」
「…五条さん、どこから聞きつけてきたんですか」
「まぁいーじゃない、で、なにやったの?」
興味津々とばかりに訊ねてくる悟のケツをまた蹴るべきかと悩んでいると少年はさっぱりとした表情で答えた。
「俗にいう反抗期です」