幽霊見える系男子と夏油さん(幽霊)   作:あれなん

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【6】夏油は憂える

 

テレビから流れる雑音だけが 部屋を満たす。

息を止めてしまうほどの張り詰めた空気が2人の間に流れた。

エアコンの吐き出す柔らかい風がカーテンを僅かに揺らす。

そんな細やかな変化でも合図としては十分だった。

それは一気に破裂し、夏油も伏黒も目の前の元敵に対し反射的に拳を振るっていた。

 

 

伏黒の上段蹴りが夏油の頭を捉えた。

夏油は体を僅かに(よじ)(かわ)す。

蹴りの姿勢で隙ができた伏黒の顔面に拳を放った。

手ごたえがない。

伏黒は片手を床につき、後方転回をしながら夏油の顔を蹴った。

 

攻守が目まぐるしく変わる。

殴打音もせず、流れるようなその動きは演武の様だ。

 

伏黒相手に術式なしで戦うのは夏油としては避けたい。しかし術式を使えない現在、そんなことを言っている余裕などなく、夏油は伏黒から距離を取る。 どのように次の手を打つか考えながら使えそうなものを探す。

 

『幽霊同士戦っても意味ねえだろ。殴ってもダメージすら入らねぇ…そろそろ満足したか?』

嗤いながら伏黒は言う。

 

『――ふざけたことを()かすな』

夏油は口調を乱した。

 

どちらも矛を収める気はなく、再び姿勢を立て直し、構える。

 

 

 

不意にパタンという物音が聞こえ、両者が視線をその方向に遣った。

 

少年がキッチンの冷蔵庫から水の入ったペットボトルを出し飲んでいる。片手には本日1回目の食事となるウィダーのパックが握られていた。

 

『…何のんびり見てんだクソガキ』

『乱闘してたら普通止めない?』

 

2人は口々に文句を言う。どちらもいい大人だが、半分八つ当たりに近かった。

 

「声は2階にいても聴こえてたんですが、物が壊れる音はしなかったのでまぁいいかと思いまして。今日の依頼人には別の日に来ていただくようにお願いしてお帰り頂いたので見に来たんです。続けていただいて大丈夫ですよ。僕2階に上がっておくので」

 

『…やる気が削がれた』

そういってため息を吐くと伏黒は再びソファーに寝ころんだ。

 

「夏油さんはどうされたんですか?」

少年は話を戻した。

 

『――そう!私の体が誰かに使われていたんだ!』

 

「双子のご兄弟がいた可能性は…?」

 

『自分の体のことは自分がよく知っている。見間違うはずがない』

 

「…わかりました。五条さんに連絡します」

 

 

少年が五条に電話を掛けるとすぐに繋がった。案外暇なのかもしれない。夏油にも聞こえるように少年はスピーカーにしてスマホをテーブルの上に置く。

 

「もっしもーし、青?どしたの?」

 

「…あの、夏油さんが…」

 

「傑がどーしたの?生理中で不機嫌とか?」

 

 

少年の目の前の夏油の額に青筋が浮かんだ。その様子を間近で見てしまった少年は口早に言う。

 

「夏油さんのご遺体が誰かに使われていると言ってます」

 

「――は?」

 

『美々子たちを見に行ったら私がいたんだ。私のように振る舞っていた』

「美々子さんたちを見にいったら夏油さんの体で夏油さんのように振る舞っている者がいたらしいです」

 

「…すぐそっち行くから待ってて」

五条の声は一瞬にして何かを押し殺したようなものに変わった。

 

「わかりました」

 

『俺ちょっと出掛ける』

伏黒がそう言ってそそくさと出て行こうとした。

 

『逃げるなら、私の勝ちということでいいのかな?』

 

『ぶっ殺すぞ』

 

「もう、夏油さん煽らないでください。五条さん来るんですから」

 

『ごめんね青』

夏油は少年にだけ謝ると同時に家のインターフォンが鳴った。五条が言葉の通り飛んで来たようだ。

 

 

伏黒はタイミングを完全に逃してそのままソファーに不貞寝した。

 

 

 

 

「で、どういうこと?傑の体を使っている人がいるの?」

 

「そのようです。双子では絶対にないと断言されてました」

 

『私の死体は硝子に解剖してもらったんじゃないのかい?』

 

「ご遺体を硝子さん?に解剖してもらったんじゃないのかと夏油さんが訊いてます」

 

「――それはしてない」

 

『普通呪術師の死体は解剖される。高専で死んだのになんで硝子がそれをしなかったんだ』

 

「呪術師は亡くなると解剖されるのが通例なんですか?」

 

「そうだよ…で、どこでそれを見たの?」

 

「ここの302号室らしいです」

 

夏油に事前に場所を教えてもらいGoogleMapで表示した画面を五条に見せた。それは普通のアパートだった。

 

少年はその情報を五条のスマホに送ると、五条は小さく礼を言ってその場から煙のように消える。

驚いている少年に夏油は悟の術式だから大丈夫といい落ち着かせた。

 

10分と経たず五条は戻ってきた。残穢はあったが既に誰もいなかったらしい。念の為に監視対象に入れておくと五条は言った。戻ってきた五条の様子はおかしかった。口数が少なく、おちゃらけた雰囲気すらない。椅子に腰掛け何かを深く考え込んでいるようだ。

 

しばらくすると五条のスマホが鳴った。五条はそれを操作し、画面を見て一瞬押し黙ったが、少年の方に画面を向け言った。

 

 

「傑が見たのって、こいつで合ってる?」

 

そこには今の夏油と同じように袈裟を纏った男が映っていた。画像はアパートの近くにある防犯カメラのもののようで安物なのか少しぼやけた姿が映っていた。横にいる夏油との違いは額の縫い目だけだろう。

頷く夏油の様子を見て、合っているそうですと少年は五条に返した。

 

少年は見せてもらった画像を見て眉を寄せた。

 

 

「なんか変ですね…」

 

「変ってどこが?腹立つことこの上ないけど」

少年が漏らした言葉を五条が拾った。

 

「体と中身が違う、そんな感じの違和感があります」

 

「そんなことわかるの?」

 

「誰かに恨まれている人で自身と傍にいる幽霊が癒合というか癒着している人は時々見ますが、ここまで入っているのは見たことないです」

 

「癒着?」

 

「簡単に言うとずっと引っ付いているせいで溶けて混ざった状態です。大体そんな人は精神的に不安定になるか、怪我をするか…まぁ大体ろくな目にあわないです」

 

夏油もそれは見たことがあった。もう元の形を保っていない小花柄のワンピースの残骸からかろうじて女ということが判る幽霊が、顔立ちが整った大学生風の男の首にしがみつきながら恨みの言葉を呪詛のように呟いていた。

 

『ってことは、誰かがお前の死体弄ってなんかしようとしてるってことだろ?人気者は大変だな』

 

五条が来てから一言も話していなかった伏黒がソファーから起き上がり、欠伸混じりにそう言った。

 

「夏油さんの体を使って何か益があるんでしょうか?」

 

「傑は特級呪術師で術式もレア度5だったから十分あると思うよ」

 

五条が疲れたように椅子の背もたれに体を預け、だらりと身体を弛緩させている。

 

 

「レア度とかあるんですね…」

少年はちょっとずれている。

 

 

 

 

 

五条はもうちょっと調べてみると言い、風のように去って行った。

残ったのは夏油と伏黒の間に流れる微妙な空気だけであった。

 

『俺は出掛ける』

そう言い残し伏黒も出て行った。きっと競馬場か競輪場だろう。この様子だとまたしばらくは帰ってこないかもしれない。

 

『青、あの男はいつからいるんだい?』

 

「数年前からいますよ」

 

『…ちょっと待って、私がここに来たときもいたってこと?』

 

「いたにはいたんですが、夏油さんの姿が見えた瞬間にどこかに外出されてました」

 

夏油は大きなため息をついた。

 

『あの男に何か(たか)られたときは私に言ってくれ』

 

「?…大丈夫だと思いますけど」

 

『君の大丈夫はあてにならないな。悟からの連絡が来るまでここにいてもいいかい?』

 

夏油は少年と一緒にいて大体考えるのが面倒な時は「大丈夫」で済ませていることに疾うの昔に気が付いていた。

 

「もちろん」

少年は口角を僅かに上げた。

 

 

 

 

 

 

悟からはすぐには連絡はなかった。こんなに心がざわついているにも関わらず、少年が過ごす日常は佇む幽霊を除けば平穏だった。少年から前に聞いたメンインブラックの宝石の話をどこか思い出していた。

 

落ち着かない心に従って、一日中美々子たちが行きそうな場所を歩き回ったり、前に使っていた場所を虱潰しに調べて行ったが何も手がかりはなく空振りに終わる。美々子たちが見つからない焦りと自身の身体(もの)を勝手に使われているという嫌悪感が満ちていた。

 

 

「今夏油さんの体を使っている人って何が目的なんでしょうか」

 

少年は周囲の人とどこか違う。普通であれば気を使って避けようとする話題を本人に向かって火の玉ストレートで投げてくる。

 

『さあね、私の術式を使いたい人は多いだろうけど』

 

「人の体を操るような技を持つ人っていないんですか」

 

『わからないな、術式についてはまだ未解明なことの方が多いんだよ。親から子に受け継がれることもあるけど確実でもないし、突然変異や先祖返りだってあるんだ。だから術式を持つ子どもが生まれる確率を増やそうと必死になってる者もいる』

 

「そうなんですか。蠱毒かスペインハプスブルク家みたいですね」

 

『ハプスブルク家?』

 

「650年近くヨーロッパに君臨した王族ですよ。自分たちの「高貴な青い血」を守るために近親婚を繰り返していました。それが原因でハプスブルク家は5代で断絶します。最後の国王のカルロス2世に至っては遺体を解剖した医師の検死結果では「彼の脳は1滴の血液も含んでおらず、彼の心臓はコショウの大きさで、彼の肺は腐食していた。彼の腸は腐って壊疽していた。」とあるほどです」

 

『…近親婚までは流石にしてないと思うけど』

 

「けれど能力がある者だけで「産めよ増やせよ」をすれば段々と煮詰まってきそうなものですけどね」

 

夏油は呪術界の未来が不安になった。

 

 

 

 


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