「かなり重いけどなんとか入ってよかったです」
10月31日早朝。
少年はリュックを背負いバットケースを斜め掛けにした。リュックは普通の学生が通学に使う様なものではなく登山を彷彿させるような大きさだ。少年ほどの体格だと逆にリュックに背負われているように見えた。リュックの中にはかき集めた呪具が押し込められている。
少年は学校をサボタージュして朝から渋谷に来ていた。
渋谷の交差点が見えるスターバックスでアイスコーヒーと夏油に朝食を摂るよう口酸っぱく言われ、渋々購入したドーナツをちみりちみりと消費している。眉間に皺が寄る。買われたドーナツもここまで嫌そうに食べられるとは思わなかっただろう。
あのいけ好かない男もさっきまでいたがどこかに行ってしまった。できればそのまま逝ってほしいと心から願う。
『呪具とビールで取引したって聞いたんだけど本当にそれだけなのかい?』
あの男は生前は金を積めば容赦なく人を殺めた。たかがビールで釣り合うはずがない。生前ならまだしも、今の体では目の前に出されても飲むことはできない。仏壇や墓前に供えられたら何か感じとれるのだろうか。あの参る者のいなさそうな墓を思い出す。
「――夏油さん、僕に触れながらこれ飲んでください」
そう言って少年は自分が飲んでいたコーヒーをこちらに向けた。
もしかしてと一瞬逡巡したが、僅かな期待で沸き立つ胸を軽く押さえながら、にじり寄るかのように緑色のストローに口をつけた。
涙は出なかった。
しかし胸の底まで何かが深く刺しこまれたような気分だ。
スッキリとしている。もっとコクがあるものが自分好みだったはずだ。
甘さも感じた。少年が砂糖を少し入れたのだろう。
ほんの一口分をたっぷりの時間をかけて飲み下す。口内から液体がなくなると深く息を吸った。
瞼を閉じ、まだじんわりと舌に広がる僅かな苦味まで堪能する。
死んでから初めて味を感じた。
数ヶ月ぶりに機能した味蕾は、押し寄せるほどの情報の波を脳に伝播させる。
きっともう感じることはできないのだと思っていた。空腹も喉の渇きも感じず、食事も用意されることはない。声も届かないのだから食事の評価をオウムのように反復して言い合う行為さえできない。
だから自然と目を逸らし、悟たちが食事を摂る際には側から離れて時間を潰していた。
「ここのコーヒーおいしいですよね」
『…うん…おいしい』
「…夏油さんに嘘をつく気は無かったんです」
『あの男はこのことを知っていたんだね』
少年は頷く。
だからあの総計数千万越えの呪具とビールで取引ができたのだ。在処を知っていても使うことさえできず朽ちるしかない呪具と味を感じることができる嗜好品ならどちらに傾くかは明白だ。
『他に私に黙ってることはない?』
「……ありますよ、たくさん」
少年はそういうと、話は終わったとばかりに少年は信号待ちの群衆を眺めだした。
その言葉に少しショックを受けていた。少年に失望したということではない。自身の思い出やらを手紙に綴るためとはいえ少年に話しているにも関わらず、少年のことについてはほとんど知らないことに気が付いたのだ。
『――屁理屈を捏ねて誤魔化すことと寝汚いこと、食べることが得意じゃないことは知ってるよ』
伊達に数か月少年と一緒にいるわけではない。苦し紛れに出した言葉に少年は口角を僅かに上げた。
いくら金を払っているとは言え、数時間もカフェに滞在するのは忍びないという少年の妙な拘りから場所を移動することになった。墓荒しはセーフでもこれはアウトらしい。少年の判断基準はよくわからない。
少年と共に群衆を見る。午前中の渋谷はサラリーマンだけでなくどこにいくのかわからない格好の人が多い。
少年は度々場所を変えた。百貨店や駅のベンチに広場。少年は座れる場所を見つけることと人ごみに紛れることが無駄にうまい。人ごみの中では少年から目を離すと探すのに一苦労だった。まるで透明人間だ。子どもの迷子防止用ハーネスの導入を検討する必要があるかもしれない。
そんなことをしているうちに日が暮れてきた。少年はスマホと共に生きてきた年頃の子どもらしからず、スマホも見ずに人の流れをただ見ている。
段々と人ごみの中に目立つ格好をしている人が増えてきた。秋の訪れを感じる風が吹くこの季節に気合の入った半袖の看護師や警察官の仮装。死んで幽霊になっていてもこの看護師には絶対に注射されたくない。
ドンキホーテで購入したのか安物の生地はテラテラと光を反射する。ゾンビのつもりなのか顔の赤いペイントが目立った。大量の血やら人体の断面を普段見ることがない一般人には新鮮に感じるらしい。死んでから自分の断面を暫く見ざるを得なかった身としては微妙な気分だ。
「夏油さん、ミニスカナースお好きなんですか?」
『は?』
「熱心に見ているので…」
『』
この後必死に弁明した。