少女は暑さにやられていた。所謂夏バテというやつだ。ついこの間までもりもり食べていたご飯もあんまり食べる気にならない。涼を求めてプールに行こうとも思ったが少女の足では遠い。エンティティ様のご飯以外の時はクーラーの効いた部屋に籠っていた。家の外では蝉が暑さをかきたてるように懸命に鳴いている。
エンティティ様がしきりに少女を呼ぶため、もうご飯の時間かと重い腰をあげる。念の為財布はポケットに入れた。親にはちょっと外に遊んでくると伝え、サンダルをつっかけた。
玄関から一歩踏み出すとそこは森だった。雨のように降る蝉の声に包まれる。周囲を見回し高知県の安居渓谷と書かれた看板を見つけた。絶えず聞こえる水の音にダレていた少女のテンションは鰻上りだ。
看板の地図では水晶淵というところがおすすめされている。折角なので少女はそこまで行ってみることに決めた。さきほどと打って変わり、足取りは軽い。木々が繁り日光は遮られている。アスファルトの舗装もない山道を5分ほど歩いた。
まるでガラスだ。
少女は思わず感嘆の声をあげた。神秘的な青さに吸い込まれそうだった。水の流れは時が止まったかのように穏やかで波もない。川底の石まではっきりとみることができる青い水。その中では魚が悠々と泳いでいる。陽の光が差し込むと水面に反射し眩い光を放った。
水に手をそっと差し込む。冷たい。思わず履いていたサンダルを脱ぐ。水際に座り、エンティティ様と一緒に足を水に浸す。時折足をバタつかせ、水を跳ねさせた。それだけなのにひどく楽しい。水のかけ合いをして遊んだ。
暫く水遊びをしていると、元気よくお腹が鳴る。サンダルを履き、エンティティ様にどこかいい場所がないか聞くと再び視界が変わる。少し離れたところにアイスクリンと書かれた看板があった。
アイス!アイスなら食べれそうだ。この茹だるような暑さにはぴったりだろう。高知アイスという名の店らしい。ここでは様々な種類のアイスを売っているようだった。ゆずやスモモ、芋けんぴにミレービスケットとご当地名物とコラボしているのか、豊富な種類のアイスがある。その中でも一際売れていたのはアイスクリンという商品だ。カップのものとコーンのものどちらか選ぶことができたが、少女はコーンの方にした。そっちの方がなぜかお得感がある気がする。
一口食べるとアイスクリームとの違いがよくわかった。一般的なアイスクリームやソフトクリームと違ってべたついた甘さはない。かといってかき氷と比べるとしっとりとしている。独特のさくさく、しゃりしゃりとした食感がいい。素朴で懐かしいすっきりとした淡い甘さは水遊びで疲れた体を癒した。アイスクリンは高知の夏の定番らしい。少女だけでなく、大人も子供もアイスクリンをおいしそうに口に運ぶ。店のすぐ下を流れる仁淀川のせせらぎが耳に涼を届けた。
水筒も持ってきておらず喉の渇きを覚えジュースも買う。見たことがないパッケージのリープルと迷ったが「ごっくん馬路村」と書かれた飾らないラベルにどこか惹かれ手に取った。柚子と蜂蜜だけで作られたジュースは爽やかで夏にぴったりだ。炭酸飲料のように口の中で弾ける爽やかさはない、しかし香料などを使っていない本物の柚子の香りと味が驚くほどの清涼感をもたらした。エンティティ様はどちらにも喜んでいたがごっくん馬路村の方が好きらしい。
エンティティ様のご飯を求めて、瞬きすると市場の中にいた。いつも埃っぽい場所に着くので少女はちょっと面食らう。
近くの観光案内ブースにあったパンフレットを手に取った。日曜で行われる高知名物の朝市。確かに地元民も観光客も多くおり、賑わっている。高知城の追手門前から東に約1㎞の道路は歩行者天国になりその道を挟むようにしてずらりと店が並ぶ。300年以上もこの朝市は続いており、時には400店程のブースが並ぶらしい。
少女も人の流れに合わせてぶらぶらと観光する。先ほどアイスとジュースを食べたばかりのため財布の紐は堅いが、見るだけならタダだ。
パンフレット内で人気とおすすめされていた「いも天」を出す大平商店は夏の間は休業しており少し残念だった。しかし他にも人気店は沢山ある。山菜、野菜などの具を柚子の香りがする酢飯にのせた「田舎寿司」というものは高知名物らしい。寿司のネタがすべて山のものでできているお寿司は確かに見たことがない。少女の握りこぶし2つ分以上ある文旦という柑橘や野菜、ひやしあめに手作りのお菓子、切り花や盆栽、ハンドメイドの洋服や骨董品もある。
高知の人は案外羊羹が好きらしい。大皿に料理を山ほど盛った高知名物の皿鉢料理やスーパーに陳列された弁当に蛍光色の羊羹が入っていたり、羊羹パンというご当地パンもあった。
様々な店を冷やかしつつエンティティ様の示す方向に歩くと段々と人通りがぐっと減る。更に5分10分歩いていると誰ともすれ違わなくなった。
オガミ婆は死者に変身する降霊術を使う呪詛師だ。オガミ婆には「孫」が何人もいる。血縁関係があるわけではない。子どもを攫って「孫」にするのだ。その日は新たに「孫」を1人迎え入れる予定だった。「孫」は既に何人もいるが、新たに「孫」を補充して年齢層をばらけさせておいた方が仕事上便利だからだ。
病院で赤子を攫うという手もあるが、突然赤子が消えたとあっては確実に事件性があると見做されるだろう。それよりもずっといい、子どもに泣き叫ばれずに、大掛かりな捜査もされない方法があった。
それは小学校付近で子どもの様子を観察していれば自然とわかる。呪霊が見えた時やそれとすれ違った時の態度。それが明確に物語るのだ。
非術師家庭から生まれた呪霊が見える子どもは不遇な環境に置かれていることが多い。自身にしか見えないもののせいで統合失調症と診断され薬を服用するならまだマシで、大体が虚言癖や嘘吐きとみなされ、自分にしか見えない呪霊の影に日々怯える。
そんな子どもでも急に他人に話しかけられると警戒心というものを抱く。だからこそ、捕まえていた低級呪霊に子どもを襲わせ、そして目の前で祓って見せた。
そうすると勝手に子どもの方から話しかけてくる。そして何気ない風を装って、君にも「見えるんだね」とやさしく言ってやるのだ。
子どもからすると自身と同じものを見ることができ、自身を否定することはない良き理解者が突然現れる。それは子どもにとって希望の光に等しいだろう。そして、君は同士だと、家族になろうと、優しい顔をして毎日少しずつ甘い
今日はその努力の成果が実る日であった。後1時間程すればここに来る子どもを攫うだけ。「攫う」という言葉を使っているが、オガミ婆からすると「保護」してやっているという気持ちに近い。入念な仕込みのおかげで、子どもに反抗されることも喚かれることもないだろう。例え抵抗されても洗脳する方法はいくらでも持っている。
周囲にはただの家出だと思われる。家族が警察に届け出を出しても子どもの普段の様子を聞けば、刑事ドラマでみるような大掛かりな捜査などしない。年間8万人程行方不明者として届け出は出されている。そのうち1200人は9歳以下の子どもだ。警察も家出の可能性が高い者よりも事件性が高い者を優先するだろう。
今からここにくる子どもを攫ったとしても行方不明者リストに新たに1行足されるだけなのだ。
しかし、念には念を入れる。街の防犯カメラに
軽い瓶が割れる音にオガミ婆は作業をしていた手を止め顔を上げた。誰かビルに入ってきたのだろうか。ここにはそうそう人はやってこないはずだが、もし来ても問題ないだろう。呆けた老人の真似事をすればいい。割れる音はその後も何度か耳に届いた。段々と色のついた煙が充満し、慌ててその煙から逃げる。他の
それは煙の中から現れる。
大柄な男だ。腹は大きく出ており、大道芸のようにピエロのような化粧をし服を纏っている。しかしその化粧は剥がれかけ表情に柔和さはない。むしろ邪悪ともいえた。手にはナイフと先ほどの音の正体だろうか瓶を持っている。
一目見て危険だとわかった。それは長年呪詛師をしてきたオガミ婆の勘が告げる。ここから逃げるにしても身体能力が低い老婆の姿では難しい。自身が念仏を唱え姿を変える間の盾代わりにはなるだろうと、護衛としてつれてきた「孫」にそれを攻撃するよう指示を出した。
護衛につれていた2人の「孫」は何人もいる「孫」たちの中でも1、2を争うほど素早く、仕事でも標的の喉を一瞬にして掻き切ることができた。その「孫」の様子がおかしい。持たせている飛び道具すらその巨体に当てることができていない。足元もおぼつかない様子だ。逃げようとする「孫」の1人の肩にナイフが振り下ろされる。呻き声と男の粘着質な嗤い声が響いた。
長い念仏を唱え終わり、自身の体に降霊させる。随分と身体が軽くなった。倒れている「孫」1人と男と戦っているもう1人を見捨て、階段を駆け下りる。
瓶が頭上をかすめた。それはオガミ婆を通り過ぎ、近くの壁にぶつかる。思わず煙を吸い込んでしまう。
視界が揺らぐ。酩酊状態と言ってもいいだろう。平衡感覚を失い、段差を踏み外した。体のあちこちをぶつけ、最後には踊場の壁に頭を強く打ちつける。
男の嗤い声がだんだんと近づいてくる。
ぼやける視界は男の姿を幾重にも映した。
逃げようとするが身体が言うことを聞かない。 男に腕を掴まれる。にやにやと異様に嗤う男の影にオガミ婆は飲まれた。
廃ビルを出ようとする少女に子どもが駆け寄り、訊ねる。
「…この中におばあさんたちいなかった?」
「いたけど、もういないよ」
その少女の言葉に子どもは急に泣きだした。嗚咽交じりに、自分がうじうじして迷っていたから置いて行かれたのだと、見捨てられたのだと口にする。少女は困って子どもの話を聞くことにした。
化け物が見える世界でこれからどうすればいいのかと子どもは嘆いた。
迷子になったから泣いているのかとぼんやり思って、少女は朝市の観光ブースまでの道のりを思い出そうとしていたが、その言葉で考えを捨てた。
思わず少女は自分も「見える」と言った。そして、案外「見える」人は多い、と続ける。
子どもは涙で濡れた顔を上げる。少女はこれまでに会った人たちについて話す。各地でいろんな人に出会ったこと。その中には「見える」人もいて様々な年齢や格好だったこと。
「だからね、おんなじように「見える」人を自分で探しにいけばいいんじゃないかな」
待っていても来ないなら自分から行くしかないだろう。バターサンド目当てに北海道まで行った少女の持論だ。その言葉に子どもは納得したが、化け物にまた追われたらどうしようと不安がった。
「これあげる」
それは先ほどエンティティ様がもぐもぐした人が落としていった短刀だ。エンティティ様に渡そうと考えていたそれを子どもに押し付ける。やられる前にやれ。少女はエンティティ様からずっと前にそう教えてもらったのだ。
「 報告書
作成日:9月20日 作成者:日下部
詳細:
9月19日、窓より高知市内において術師の適正を持つと思われる児童を発見との連絡を受け、近隣の県で任務に当たっていた日下部篤也が確認、接触を行った。児童については本人の希望もあり高専職員と定期的な面談を行う予定。
当該児童は呪具を所持しており形状等調査したところ、呪詛師オガミ婆一派の者が保有していた呪具と合致。児童は8月23日に見知らぬ女児に渡されたと発言しており、渡された場所を調査したところ、長野県朝倉村における事件と同様の残穢を発見。現場残留物等については添付資料参照。」
「「見知らぬ女児」ってぜってーあのガキだろ。どこでもドアでも持ってんのかよ」
「目撃情報があったのは、北海道、東京、長野、京都、広島、石川、群馬、山形。で、今回の高知。何の繋がりがあるんだろうね」
例の女児について目撃情報も含め何か進展があれば高専内で共有することとなっている。休み時間にそのことを耳にした五条と夏油は駄弁っていた。
「傑もあのガキのせいで一時期大変だったじゃねえか。ジジイどもにぎゃーぎゃー騒がれて」
「あぁ、…あれは本当に、大変だった…」
その時のことを思い出し夏油は机に突っ伏した。
その発端は加茂家の嫡男からもたらされた、女児と使役呪霊が黒く丸い物を食べていたという目撃情報だ。
何の縁か、夏油の術式は呪霊を黒い玉にして飲み込むことで使役できるというものであった。その術式は類を見ない。だからこそ夏油はその女児と血縁者ではないのかと疑いの目が掛けられたのだ。
特に、家の者が何人も行方不明となった加茂家や禪院家からの追及は厳しかった。夏油は自身のこれまでの男女関係を洗いざらい話すことになり、更には曽祖父母の除籍謄本の請求はもちろん、菩提寺の過去帳まで調べ上げられた。結果としてはシロであったが、知りたくもない、自身の曾祖父に愛人がいたということを知る羽目になった。
「日本全国となると冥さんの術式で探してもらえねぇし」
その目撃情報は全国各地転々としている。鴉と視覚共有できる冥冥であってもそこまでの広範囲となると難しい。
不意に教室の扉が開く。
「――お前たち、なぜ教室にいる。今は体術の授業時間だが」
「俺ら、生理中で見学でーす」
やる気なく返した五条の頭に夜蛾の拳が落ちた。