香川県には「金刀比羅宮」という神社がある。全国に約600ある金刀比羅神社、琴平神社あるいは金比羅神社の総本宮であり、その由緒についてはいくつかの説があるという。それは兎も角、今現在においても周辺地域の人々からは「こんぴらさん」と呼ばれ親しまれている。
少女はそのこんぴらさんの石段を上りながら若干後悔していた。折角来たのだから一番奥にある奥社まで行こうとつい言ってしまったのだ。しかしそこに辿り着くまで1368段の石段を上りきる必要がある。昔作られた石段のため、バリアフリーなどの配慮など一切ない。
本宮までの785段を上る「こんぴら石段マラソン」という行事が毎年開かれ一気に駆け上がるには体力も気力も求められる。
本宮までは両脇に店が並んでいるため、気を紛らわせることができる。本宮から先の約600段については店もなく、目の前の石段を見つめ足を動かす動作をただひたすら繰り返すこととなる。
ゆっくり上っているが少女は既に肩で息をしていた。途中で引き返そうかとも思ったが、上りきることができればおいしいもの買ってあげると母親が言っていたので意地で進むしかない。
明日、父親の弟夫婦が香川で結婚式を挙げるため、ちょっと前乗りして香川を観光しているのだ。フラワーガールという大役を任されちょっと緊張していたが、少女の全ての関心はおいしいものに向けられていた。
香川名物のうどんはもちろん、香川では有名な骨付鳥も食べることができて少女は満足していた。弟夫婦に教えてもらった「山越うどん」という店のうどんは透明感があり、もちもちとした食感の中にコシも感じることができた。値段もリーズナブルで一番高くとも350円、安いものは250円だ。釜上げうどんに生卵を落とし、青ねぎをたっぷり入れた「釜玉うどん」は一番人気のメニューで、少女もそれを注文した。どうやらこの店が元祖らしい。麺の熱さで生卵が固まり、半熟のところを啜ると最高だった。外に設置された机と椅子で食べるというのも一風変わったおもしろさがある。
骨付鳥は鶏の骨付きのもも肉に下味をつけてオーブン釜などでじっくり時間をかけて焼いたものだ。特に少女が食べた「一鶴」という店の骨付鳥は胡椒とスパイスがしっかり効いた濃いめの味付けで皮はパリパリと芳ばしく、身はしっとりジューシーだ。肉は「おやどり」と「ひなどり」の2種類から選ぶことができ、少女は柔らかいひなどりが好みだったが、エンティティ様は噛みごたえがあるおやどりが良かったらしい。骨付鳥を注文するとなぜかどの店でも生のキャベツが付いてくる。そのキャベツを骨付鳥の皿に溜まった鳥から溢れ出た油とタレが絡んだものに浸して食べるといくらでも食べることができた。
それはさておき、石段を上る少女の頭の中は上る途中に売られていた食べ物でいっぱいだった。うどんにカステラ、ぶどう飴に灸まん、和三盆プリン。それらがいくつも浮かんでは消えていく。
最後の一段を上り切り、息絶え絶えに視線を上げる。街どころか周囲の山々まで見下ろせた。晴れているからか遠くには青い瀬戸内海まで見ることができる。
ちょっと休憩した後、えっちらおっちら上った石段を今度は慎重に下りる。階段を下りる動作の方が体力を消耗するらしいが、体感としては上る方がしんどいと思ってしまうのはなぜだろうか。
踏破できたご褒美として少女が強請ったのはソフトクリームだった。しかしただのソフトクリームではない。「おいり」という1㎝程の丸く桃色や白色のカラフルなあられがついており、かわいらしい見た目をしている。「おいり」は香川の伝統的な御菓子で、昔は嫁入りの際にお嫁さんが嫁ぎ先に持っていったものらしい。いまでも結婚式の引き出物で出されることもあるそうだ。
おいりは外はカリッとしているが中には何もなく、口にいれるとすぐに溶けてしまうほど軽い口当たりだった。
他になにか買いたいものがあるかと母親に訊ねられ「名物かまど」という銘菓を思わず手に取った。白いんげん豆と卵黄を使った黄身餡をやや厚めの生地で包んだ饅頭だ。1つだけでも食べごたえがある。
このお菓子を真っ先に手にしたことには理由があった。昨日宿泊したホテルでテレビをつけたところこの商品のCMが流れていた。そのCMで使われている歌が石段を上っている最中も頭の中でBGMのようにリフレインしていたのだ。
エンティティ様のご飯の時間にもその歌を口ずさんでしまうほどで、数度耳にしただけだというのに完全に中毒状態だった。
西宮桃は母親の実家がある香川に来ていた。
別に好きで来たわけではない。祖母が大腿骨を折り入院したため見舞いにきたのだ。ずっと病室にいるのも飽きてきたため母親たちに声を掛けて部屋を出た。病院は好きではない。
桃には昔から化け物が見えた。それは学校や病院に多くいるのだ。経験則から何も見えていないふりをしていればいいことはわかっている。知らんぷりをするのは得意だった。
知らないふりをするのは化け物に対してだけではない。すれ違う人たちの視線が桃に刺さる。父親がアメリカ人の桃は金糸のような髪を持つ。そのため人ごみに出ると人々の視線を集めやすかった。何の感情も入っていない、ただ目に付いたから眺めているような視線もあれば、好奇心や悪意を持った視線もある。必然的に桃は視線に敏感になった。
その視線から逃れようとして桃が辿り着いたのは病院の裏にある小さな丘だった。もう夕方に差し掛かるためだろうか周囲には人っ子一人もいない。焼け爛れたような赤い空だ。その光は桃も家々も飲み込んでいく。秋風が桃の身体を通り過ぎ、羽織るものでも持ってくればよかったと後悔していた。
丘から民家を見下ろす。家々から夕飯の魚を焼く匂いやカレーの匂いが漂った。テレビの音が漏れ聴こえる家には耳が遠い老人が住んでいるのかもしれない。自身が見られることにはほとほと嫌気がさしていたが、逆に人をひっそりと観察することは好きだった。
その歌は破れ屋としか思えない家から聴こえた。桃がこの丘に来る途中、嫌な雰囲気がして前を通らないようにわざわざ迂回した家だ。変声期も経ていない子どもの柔らかい声はその家には些か不釣り合いのように思えた。その家は竹垣で高く囲まれていたが桃のいる場所からは中を見ることができた。その家の中がよく見える位置に移動する。
覗き見て、思わず悲鳴をあげそうになる。震える手で咄嗟に口を覆った。唇が強張る。氷水に飛び込んだかのように全身の毛が逆立っている。
それは人の形をしている。しかし自分と同じ人間だとは到底思うことができなかった。黒く長い髪は逆立ち、重力に逆らう。その体は幾つにも分断され、断面が生々しく晒されていた。動きは操り人形のようにぎこちなく、時折詰まった様に体を止める。そして一瞬のうちに別の場所に移動するのだ。化け物だ。今まで見た中で最も恐ろしい姿をしている。
逃げないとと脳は体に信号を出すが、切っ先を当てられたように身動きさえできない。呼吸が浅くなる。
それは破れ屋の中庭にいる別の化け物を嬲っている。手に持つ刀で斬り付け串刺しにすると、倒れたそれがただの肉片と血の海になるまでその刀を振り下ろし続けた。池に溜まっていた雨水に肉片から流れ出した血が混じる。
見つめすぎた。化け物と目が合ってそのことに気がついた。青白い肌。その表情は怒りに満ちている。自身の顔が蒼白になるのがわかる。助けを呼ぼうにも声は出ず、膝は小刻みに震えた。
「――ねえもうかえっていい?」
繰り返し聴こえていた歌が止み、その声の主と思われる子どもが桃の視界に現れた。桃からは陰になって見えない竹垣の近くにいたようだ。その子どもは化け物に近づく。止まってや逃げてなどの声を出そうとするが恐怖で喉がカラカラに乾いていた。その間も化け物は桃から視線を外そうとしない。
化け物の視線を辿ったのか子どもも桃の方に視線を遣る。今度は子どもと目があう。子どもは首を傾げるが桃にはその仕草がひどく不気味に見えた。
やがて興味を無くしたのか子どもは桃に手をひらひらと軽く振ると傍にいた化け物と共に闇に飲まれていった。
桃は次の日、香川で一番有名だという金刀比羅宮で厄難消除のご祈祷を受けた。