エンティティ様といく!   作:あれなん

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【15】リージョン

 

 

 

 

少女は黒い湯に浸かっていた。その湯からは石油のような、油性ペンを使ったときのような独特の臭いがする。その湯はモール泉というものらしい。そんな湯に脚先を浸ける時エンティティ様は慎重にそろそろと入れていた。効能なのかわからないが普通の湯に浸かっている時よりもじんわりと体の芯から温められている気がする。エンティティ様のご飯のため夜風で冷えた体もすぐにぽかぽかになる。

 

父親が温泉にハマった。温泉に行くぞと言われて着いたのは宮城県の鳴子温泉郷にある温泉地の1つだった。

鳴子温泉郷というのは鳴子温泉、東鳴子温泉、川渡温泉、中山平温泉、鬼首(おにこうべ)温泉の5か所の温泉地の総称だ。その温泉郷の中心部にあり、一際有名なのは鳴子温泉だろう。しかし鳴子温泉にあるホテルの予約が取れなかったのか、その湯質に惹かれたのかは不明ではあるが、鳴子温泉から1駅程離れた東鳴子温泉に来ていた。

 

雪が降る季節にはまだ早く、スキーなどのウィンタースポーツを楽しむことはできないが、その分冬季には閉鎖してしまう観光名所や紅葉を楽しむには最適だった。

 

ホテルのフロントでおすすめされた鳴子名物「餅処深瀬」の栗だんごはお餅で栗を丸ごと1つ包み込んで丸めたものだった。店内でイートインするならとろっとしたみたらし餡をたっぷりとだんごにかけてくれる。柔らかなお餅とほくりとした栗、出来立てであまじょっぱい餡がマッチして堪らない。

ホテルのご飯で出された爪楊枝に3つ連なった緑の塊に首をひねったがどうやらこの土地の郷土料理であるしそ巻きというものらしい。くるみ味噌をしそで巻いて揚げたものだが素朴でおいしい。炊き立ての白御飯と一緒に食べるとどんどんと進む。酒の肴にもいいと父親が自分用に宮城の地酒である浦霞を片手に買い求めていた。

 

旅行で少女がしきりにその土地のスーパーに寄るように強請るので、両親は次第に少女が言いださずともスーパーに立ち寄ってくれるようになった。むしろ今回においては母親が行きたいスーパーがあるようだ。

車で辿り着いたスーパーは温泉から1時間半程離れている場所にあった。そこは鳴子とは別の温泉街にある「主婦の店さいち」という小さな店だった。しかし、驚くほど人が多い。同じようにその店で売られているものを目当てにして人々が押し寄せているようだった。どの人も手に「秋保おはぎ」と書かれたパックがある。餡子、黄粉、胡麻、納豆の4種類あるが一番人気は餡子のようだ。

ボリュームがあるが、作りたてでもち米はふっくらと柔らかい。餡子はたっぷりだが、あっさりと甘さ控えめでぱくぱくと食べることができる。飛びぬけて高い食材を使っているとか、有名なシェフが監修したというような肩肘を張った味ではない。むしろその逆で、どこかほっと一息つける温かな味だ。保存料などは一切使用していないため賞味期限は当日中だ。エンティティ様にも好評だった。

 

エンティティ様とのいつもの2人旅であれば自身の財布と相談し、買う物を吟味するのだが、家族旅行についてはそれを気にする必要がないため気になったものを強請って買ってもらった。

ずんだシェイクは飲んだ瞬間、優しいバニラが口いっぱいに広がるが、その後を枝豆のすっきりとした風味と甘さが追ってくる逸品だ。枝豆独特の青臭さはなく、うまい具合にバニラのミルキーさが全体をまとめている。枝豆をつぶしているものがシェイクの中に入っておりそれがいいアクセントになっていた。

 

ひょうたん揚げというものは地元の人たちから愛されており、女子高生も体育会系の大学生もおいしそうに頬張っている。串に揚げられて狐色になった大きな塊が2つついている。そのシルエットはその名の通り瓢箪の様だ。1本買うと店員がそれにケチャップをかけて渡してくれる。寄ってくる鳩に取られないように注意しながら食べると若い人に人気な理由がわかる。生地は厚くほのかに甘い。中に入っているのは蒸した蒲鉾で、和風のアメリカンドッグと言ったところだろう。それぞれが反発せずにうまくマッチしている。塊1つが大きくボリュームはあるが揚げたてのさくさくと香ばしい外側と中のふんわりとした食感の違いでぺろりと食べることができた。エンティティ様と半分こしたがどちらにも満足したようだ。

 

 

 

 

 

 

天内理子は肝試しのために廃墟に来ていた。

ホテルが廃業し、その後は取り壊しもされずその姿のまま現在まで残っている。3階建ての2つの建物を繋げており、敷地も広い。管理もされていないため草木は生い茂り、壁には蔦が蜘蛛の巣のように張り巡らされている。その外装を見て思わず息を飲んでいた。

 

不死の術式を持ち、呪術師の結界や能力の底上げをすることができる天元という呪術師がいる。少なくとも奈良時代から生きており、呪術界の要といっても過言ではない。しかし天元は500年に1度人間と同化して肉体の情報を書き換える必要があった。天元と同化ができる者は限られており、「星漿体」と呼ばれ天元が危うくなるたびにその肉体を奉げてきた。理子はその希少な「星漿体」であり、そしてこの世に生まれ落ちた時から、天元様がどれほど素晴らしいのか「星漿体」として同化することがいかに光栄なことなのかを教え込まれた。前回同化した時期と周期から換算するに理子が同化することはほぼ確実だ。学校で友人とふざけ合っていても、そのことは頭の中から消し去ることはできない。きっと自分は普通に死ぬことはできない。暇があればぼんやりとそんなことを考えていた。

 

一言で言えばベンサムの量的功利主義。もっとわかりやすい例えを挙げるならば倫理学のトロッコの問題。5人死ぬか1人死ぬか。分岐器の切り替えスイッチを触る必要がない大勢の人は、客観的に見て、5人助かるなら1人ぐらいと思うだろう。義務論から眉を顰める人もいるだろうが正確な数字でいうなら、5対1どころか、約1億3000万対1だ。全員が下す判断は決まりきっている。

 

天内はトロッコに唯一轢かれる1人だった。その分岐器のスイッチも生まれた時から既に自分の方に向かって切られており、更にはアロンアルファでがちがちに固められ動かしようもない。

「星漿体」であるため制限されていることは山ほどあった。移動は全て車で自転車にも乗ったことがない。修学旅行どころか学校行事の遠足も不参加だ。

 

しかし直前になって、五条と夏油に本当に天元と同化してもいいのか問われ言葉に詰まった。学校と家だけを往復する小さな世界のままなら当たり前のように同化することを選んでいただろう。思わぬアクシデントではあったが、初めて見た違う世界は広大で、目が眩んでしまうほど鮮やかで、少しだけ惜しいと感じてしまった。そして思いがけず、まだ生きていたいという言葉がぽろりと零れ落ちた。

その理子の意思は五条によって速やかに高専に伝えられた。

 

その場にいた全員が、呪術界から責められる覚悟をしていた。五条や夏油は最悪交戦することも想定していたかもしれない。

しかし結果はあっけなかった。電話一本で、理子は理子のままで存在し続けることを認められた。

 

時間が経ってどうして高専が理子の意思を認めたのか少しずつ理解ができた。

星漿体は理子の他にも何人かいたのだ。むしろ理子だけであるはずがない。仮に星漿体が1人しかいない状況なら外に出すことは決してしない。余計な知識をつけないように学校さえ通わせないだろう。中途半端な自由を与えられた理子は他の「星漿体」を隠すための囮でもあったのだ。

 

また、大前提として「星漿体」は自ら進んで同化を望む従順な者である必要がある。下手に同化を強制すれば、自害の可能性がある。「星漿体」だけが死ぬならまだいい。遅行性の毒を使えば、同化後に「星漿体」どころか天元もろとも共倒れするかもしれない。その可能性を高専はおそれた。

勝手な理子の予測ではあるが、現在も天元に異変がないことがその証拠でもあった。

 

そうして「星漿体」の役目を降ろされた理子は人生の春を謳歌していた。「星漿体」から降ろされたことで呪術界から支援と称して渡されていた金は途絶えたが、交通事故で死んだ両親の遺産はある。豪遊はできず節制は必要だが、大学までの進学費用にはきっと足りるだろう。

 

生活も目まぐるしく変わった。友人と学校帰りに買い食いをし、休日にはウィンドウショッピングも楽しんだ。

 

その日、仲のいい1人の友人の親が所有する別荘に休みを利用して、数人で遊びに来ていた。箸が転んでもおかしい年頃の者同士、ふざけたり、恋バナしたりと話題には事欠かない。しかしここで理子の想定しない方向に話は転がる。友人のひとりが肝試ししようと言い出したのだ。理子は嫌がったが、多数決となるとその意見は紙のように軽く吹き飛ばされる。

 

いるのかいないのか興味すらない神に祈る。

何も起こりませんように。

 

理子を置いて友人たちはどんどんと中に進んでいく。五条と夏油の電話番号を登録している携帯を強く握りしめた。そのとき先を歩いていた友人たちが一斉に叫ぶ。その声が建物に幾重にも反響した。理子が何が起こったのか聞く暇もなく、半泣きの表情を浮かべた友人に背を強く押され先ほどまで慎重に歩いていた道を走り戻った。

 

無事に廃墟から出ると、全員がその場にへたり込む。叫んでいた友人らが口々に誰かいたやら、走っていたと声を震えさせて言う。腰を下ろしたアスファルトから冷気がじわじわと伝わってきて自然と身震いをしてしまう。理子がもう帰ろうと言い出すと、全員がその言葉に同調した。

 

一息つくと友人たちは先程の恐怖を振り切るかのように態とらしい明るく大きな声で話し出す。本当に幽霊だったのかな。いや、きっと自分たちのように肝試しをしにきた人たちかも。不良だったらどうしよう。ヤクザが死体捨てに来てたりして。それかサバゲーでもしてたんじゃないの。BB弾が飛んでこなくてよかった。

そう言いあう友人の中で1人、先ほどよりも真っ白な顔をしている者がいる。

 

「…別荘の鍵…がない…」

そう小さな声で言った。

 

その場に沈黙が満ちる。それぞれの視線があちこちに散らばった。

鍵がないと今日泊まる別荘に入れない。鍵を落とした友人を責めることもできない。かと言ってあの廃墟の中に探しに行くという勇気も持てない。そんなところだろう。

 

 

「じゃあ、私、探しに行ってくる!」

理子がそう言いだすのも仕方なかった。まだ雪は降っていないが外で野宿するには寒い。それに理子には命を狙われたジェイソン・ステイサムさながらの経験もある。廃墟がなんだというのだ。最終的に怖いのは人間だと理子は知っている。

 

鍵を持っていた友人にキーホルダーの形状などを確認する。暗い所で光るキーホルダーだ。まだ見つけやすい。一緒に行くと言う友人たちを理子は押しとどめる。30分経っても戻らなかったら警察に連絡してと伝え、懐中電灯を握りしめた。1人廃墟に再び足を踏み入れる。女は度胸。そう頭の中で反芻させた。

 

エントランスはひっそりと静まりかえっている。空気は淀み、埃っぽい。先ほどは友人の背中と足元ばかりを見ていたため中がこんなに荒れていることに気が付かなかった。

ガラス類は割られ壁には落書きがいくつもある。忍び込んだ誰かが壊したのか猫足の椅子は背もたれは割られ、横たわっていた。この広い空間のどこかに鍵は落ちているはずだ。

 

床を懐中電灯で照らす。見落としがないように慎重に見るが見つからない。段々と焦れてくる。背にじっとりとした汗が伝った。

自分の背後から音が聴こえる。水の落ちる音。慌てて振り返るが誰も居ない。きっと老朽化でどこかのパイプから水漏れがしているのかもしれない。そう自身を納得させる。

 

再び鍵を探すため正面を照らしたとき、思わず叫びかけた。

人がいる。叫びかけた声を飲み込む。お化けじゃなくて人だ。足がある。そのことにほっとし、話しかけようとしたが躊躇した。体格などから女性でまだ若いとわかる。しかしフードを深くかぶりその奥には仮面が覗いた。子どもが無茶苦茶に書き殴ったような仮面だ。手にナイフを持ち、刃から何かが滴っている。

 

思わず体が後ろへ退いた。

 

目の端で別の何かがゆらりと動く。男だ。目の前の女と同様にフードを被り表情は窺えない。その手はナイフをくるりと回して弄ぶ。

 

背後から叫び声が響く。金切り声だ。人があげたものではない。もっと動物的だ。思わず耳を塞ぐが声はすぐに止んだ。

その声の方向から先ほどとは別の男が現れる。何か重い物を引き摺っていた。その引き摺られているものの四肢が僅かに痙攣している。きっと声の主はこれ(・・)だ。

 

横に逃げようとするが、まだ仲間がいたのか阻まれる。遂に囲まれてしまった。

 

静寂が耳に痛い。

じわじわと追いつめられる。四方を囲まれ身動きもできず、ただ身体を小さくする。男たちのフードの中を覗きこむ勇気はない。ただナイフの鈍い光を見るしかない。そのことに理子は叫び出してしまいたかった。

 

「あれ?さっきのお姉さんだよね。もどってきたの?」

 

この場に不釣り合いな子どもの声が響く。ライトを向けると少し眩しそうに目を細めた。

 

「――か、ぎ…鍵、なくしたの」

理子は引き攣った声で紡いだ。

 

「鍵?…あぁ、これ?」

少女の手にはぼんやりと暗闇で光る人形が見えた。それには見覚えがあった。別荘の鍵だ。小刻みに首を何度も振る。

その理子の返事を見て、少女は理子を取り囲む女の横をすり抜けて近づいてきた。

 

「はいどうぞ」

公園で転がってきたボールを渡すような軽さで少女は理子にその鍵を渡した。手の平に落とされた鍵は震えあがるほどに冷たい。

 

 

「こんどはなくさないようにね」

 

そう言って理子に少女は手を振る。目を合わすこともできず、小さく震える声で礼を言うと少女の口角が上がるのが見えた。理子を囲んでいた1人が1歩横にずれる。その先には出口がある。その不気味さを振り払うように、そこ目掛けて駆け出した。振り返る余裕もない。

 

外に出ると何かにぶつかる。一緒にその場に転げ慌てて立ち上がった。暗くて一瞬わからなかったが理子が待つように言い含めた友人たちだ。理子が心配でここまで来たらしい。急いで友人たちの手を取り廃墟から離れる。

 

「無事でよかった…」

友人たちが口ぐちにそう言う。時計を見たが1人廃墟に入ってから15分も経っていない。しかしあれは実際にあったことなのだと握りしめた鍵の冷たさが語った。

 

 

 

 

 

 

夏油は自販機の前のベンチで缶ジュースを飲みながら優雅に携帯をいじっていた。寮の部屋に戻るにはまだ早いかとほくそ笑む。

 

事の発端は高専で自身の今までの男女関係を洗いざらい吐かせられた会議だった。最悪なことに五条もその会議に出ていた。会議後、教師たちは何も聞かなかったように振る舞ってくれ、夏油は救われたが、五条は今でも事あるごとにそれを揶揄してくる。だからちょっと痛い目をみてもらおうかと、五条のパソコンにブラクラを仕込んでおいた。

 

ブラクラといってもかわいいイタズラに分類されるようなものだ。蒼井そらのファイルをクリックすると、棺桶に片足突っ込んだような年齢の女が出演しているAVが大音量で流れる。30分は何をしても止まらない。ただそれだけだ。コンピュータウイルスなどの悪意があるものでないだけ感謝してほしい。

 

五条と夏油は部屋が隣だ。精神的ブラクラを踏んだ五条に部屋に乗り込まれるのを想定して夏油は避難していた。

 

「あー、ちょうどいい。なぁ、呪具を大量に保管できる呪霊いたらくれ。小さくできる奴がいい」

暇そうな夏油を見てそう話しかけてきたのは伏黒だ。同僚の夜蛾に生活態度やらを注意されているようだが改善している様子はない。

 

「そんな呪霊はまだ持ってないな。けど高専内で未登録の呪霊を出すとアラート鳴るよ」

出会い方が出会い方なので夏油は伏黒に敬語を使っていない。

 

「問題ねえ。小さくして飲み込んどく」

 

「!?」

 

「なんだ、その顔は」

 

「…飲み込んで大丈夫なのかと思って」

普通の人間には猛毒と同じだ。

 

「クッソまずい。が、呪具持つ方がダリィ」

 

「……わかる、不味いよね……」

 

呪霊の不味さをこんなところで共有できるとは思わず、しみじみと夏油はそう溢す。そんな呪霊がいかに不味いかという愚痴に近い会話をしていると五条の叫び声と聞くに堪えない声が寮中に響きだした。

 

 

 

 


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