エンティティ様といく!   作:あれなん

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【18】デモゴルゴン

 

針状の牙がびっしりと生えた花弁のような口。曲がりくねった鋭い爪と強靭な脚。その姿は網膜に焼きつくほど強烈だ。

 

その姿は呪霊といわれるよりも恐竜と言われた方が納得できた。その鳴き声が建物中に響くたび息を詰める。噛み千切られた呪具を見遣り、額から流れた汗を肩で拭う。

この呪具を自身と化け物の間に咄嗟に差し入れなければ、きっと噛み千切られていたのは自分の頭だった。自身の呪具を犠牲に命からがら逃げ、周囲を警戒しながら入った会議室の壁に凭れて息を整えていた。あの化け物が口を開いた時の血腥い臭いがまだ鼻の奥にこびりついている。

 

「いつの間にジュラシックパークになったんだ、ここは…」

 

映画に出てきた恐竜の中にさっきの化け物に似た姿のものがいたか思い出そうとするが、子どもがアメリカンな緑色のゼリーを食べているシーンしか記憶に残っていなかった。

 

 

 

 

そこは御三家には遠く及ばないが、比較的歴史ある呪術師のいくつかの家が出資し造った研究施設だった。呪術界には表向きは呪具の保管のための施設と説明しているため人が出入りしても不自然ではなく、そこで死傷者が出たとしても呪具が原因であると説明がしやすい。

実際のところ、その研究施設では呪術師が持つ術式の研究や呪霊の研究が行われ、公にできない後ろ暗いものも多かった。呪霊の成長速度の観測や、家々の落ちこぼれを使って、相伝の術式がどれほどの確率で遺伝するのか研究と実験が行われている。研究で失敗しても死体処理は得意な業界だ。何ら問題はない。

 

呪具や呪霊の分析や改造も同様に行われており、髪が勝手に伸びるだけの市松人形もあれば、コトリバコのような紛れもなく呪われているものまで、幅広く集められていた。

 

その日、突然男に連絡を寄越したのは同じ警備担当仲間だった。呪霊が暴れていると叫び、その向こう側では警報音やガラスが割れる音がBGMとして響いている。詳細を聞き出そうとするが、電話は蛙が(ひしゃ)げた時のような叫び声を最後に切れた。

 

男は警備担当ではあったがその日は非番だった。いつも特にすることもなく、ただのんびりと映画を観て時間を潰す。警備担当といっても研究所は山深くにあり、警備といっても名ばかりの暇な仕事だ。呪術界とはずぶずぶの関係で、監査として誰かが来るときには事前に連絡がある。

そのため真面目に警備をする奴はおらず、時間中であっても麻雀をし、負けた奴を残して街に女を買いに行ったり、パチンコに行ったりする猛者もいた。男はそこまではしたことはなく精々DVDやテレビを見て時間を潰すくらいだった。

 

緊急連絡があったとき、男はレンタルビデオ店で警備時間に見るDVDを物色している最中だった。上下灰色のスウェットにダウンジャケットを羽織り、財布と携帯しか持っていない。

 

その場で研究所を運営する家々に緊急事態だと連絡する。どの家も突然のことに慌てふためき、準備に3時間はかかると、もっとひどい家からは上の者に確認するため時間が欲しいと返答があり、男は悪態を吐いた。

 

借りているアパートに急いで戻り装備を整えた。そして研究所に着いたときには電話を受けてから1時間も経過していた。バイクを研究所の前に停め、ヘルメットを取った男は息を呑む。

 

白衣を纏った研究員の男が前日の雨で柔らかくなった轍に顔面を突っ込み割れた頭蓋からピンク色のものを陽に晒している。既に物と化した研究員の右腕は遠く離れたところに転がっており、腰から下は無い。別の者は呪霊に押し潰されたのか研究所の外壁に熟したトマトを壁に投げつけたときのようにべしゃんこになっている。研究員の傷口や周囲の木々に付けられた跡からきっと暴走した呪霊の仕業かと想像することは容易い。

 

地面に続く赤色と何かを引き摺った痕跡から察するに、呪霊が研究員を嬲った後、再び研究所の中に戻ったようだ。

 

男は息を細く、長く吐き、足を踏み入れる。

手に馴染んだはずの呪具の重みを感じた。

 

血が濃く香る。

白を基調とした無機質な空間は既に消え失せている。着ているものから研究員かそうでないかが判別できるならまだ幸いで、判別不可能なほどのひき肉や、ただの血溜まりになっているものがほとんどだった。殺しかたが外で研究員をやったものと違う。どうやら暴走した呪霊は複数いるようだ。

天井のパイプに誰かの腸が引っかかり、空調の風が当たる度に揺れた。廊下は混ざりあった血でぬるつき、足を動かすたびに音が鳴る。換気機能が追い付いておらず噎せ返るような臭いが漂った。

 

愛用の呪具を構えながら進む。こんな時に研究所内の見取り図を思い出せない自分に腹を立てていた。

 

1階から最上階である3階まで見て回ったが、大半の部屋では研究員だったものが散乱していた。途中でまだ生きている呪霊を数体見つけ祓ったが、体が欠損し弱っている呪霊が多く、首を傾げる。この程度の呪霊ならば今日の警備担当でも十分に対処できたはずだ。

 

最上階にあった研究長の部屋にあった書類をみて、こんなことになった原因が何となく理解できた。何匹もの呪霊に催眠をかけ、戦わせ続ける。つまりは呪霊の蠱毒をしようとした。そしてその実験はまあまあいいところまで来たらしい。

 

「―――で、失敗したってことか」

 

強い呪霊を作ってどうしたかったのか目的は不明だが、生き残った呪霊同士を戦わせようとしたところで、何らかのアクシデントがあったようだ。

この実験について警備担当には何も知らされていなかった。研究長か研究員の独断なのか、あるいは家々から指示があったのか。どちらにせよ、後ろ暗い研究所の更に秘密裏に進められた実験だ。まともではないことはわかる。

 

 

 

書類に目を通し終えると、一息つく。

この研究施設には地下階層がある。書類から読み解くにその実験は地下で行われていた。

男が見回らなかった、むしろ態と避けていた階だ。感覚的に地下に呪霊が集まっていることはわかっていた。その理由がわかったとはいえ、自分1人で複数の呪霊と戦うには荷が重すぎる。各家から派遣されるであろう応援を待つ方がいいだろう。見回ったが生存者は1人もいなかった。地上階でもそうなのだ地下は更に酷い状態であることは容易に想像ができた。

 

そんなことを考えていると、建物全体に響き渡るほどの鳴き声が轟く。人の喉からは到底出せない(しわが)れた声だ。呪霊がまた暴れ出したのか。呪霊の位置を測るため耳を(そばだ)てると足音や鳴き声が1種類ではないとわかった。

それらは地下から自分がいる3階に様々な物を巻き込み、時には壁を破壊しながら上がってくる。いくつも並ぶオフィスデスクの1つの下に身を潜める。首がない死体と隣り合うこととなったが、それを押しのける時間さえなかった。

 

ガラス製の扉を破って飛び込んでくる。

男はデスクの隙間から覗き見た。

 

鋭い鎌をいくつも構えた呪霊。熊のような図体に幾つも目玉がついている呪霊。どちらも言葉を発している。その外見と附着した血からきっと外の研究者をやったのはこいつらだとわかる。

 

問題はそれらと対峙している呪霊だった。呪霊というのは人間の恨み辛みが形を成したものであり、その場所、見た目や能力から発生要素が感じられるものが多い。それは人の恨みが作ったものというより、2億3000万年前に地球を支配していた生物の姿に近かった。

 

状況としては鎌と熊の方が劣勢らしい。鎌は斬撃を浴びせ、熊はその体を活かして体当たりをするが、痛くも痒くもないといった風で、ただ周囲のオフィスデスクが切り刻まれ、派手に音を立てて巻き込まれていく。男はそれらを避けるため、這ってデスクの下を移動した。

もう呪霊同士の戦いも終盤だ。熊は攻撃が効かないとわかるや否やその場から逃げだした。残された鎌の呪霊が飛び掛かるが、爪で反撃を受け、その鎌を易々と引き千切られている。

 

恐竜もどきが一気に距離を詰め飛び掛かる。頭のように見えていた部分は巨大な口だったらしい。それが開くと鋭い歯が隙間なくぎっちりと生えているのが見えた。その口は呪霊の頭に食らいつき振り回す。抵抗していた呪霊の反応が次第に小さくなり、死んだことがわかると呪霊は勝鬨をあげる。そしてほぼ胴体しか残っていないそれを爪で切り裂くと貪り始めた。

部屋には骨を噛み砕き、肉を引き千切る音だけが満ちる。

男が身を隠しているデスクのすぐ傍でそれは行われていた。

 

その部屋の中で生きている者はその呪霊と男だけだ。額から汗が流れ、床に落ちる。その音が届いてしまったのか、呪霊が首をもたげる。男は腹を括り、扉の方目掛けて走った。男の存在に気付いた呪霊が突進する。しかし男が扉を出て角を曲がる方が僅かに早い。

 

廊下を駆け抜ける。背後から呪霊が男を追いかける足音が嫌というほど聞こえた。先ほどの突進を食らわないようになるべく直進を避ける。距離が開き、呪霊の足音が聴こえなくなると、男は走る速度を緩めた。呼んだ応援はまだ来ていない。むしろ来るのかも怪しい。だからこそ体力は温存する必要があった。

 

切れた息を整えつつ、角を曲がる。その先には呪霊が男に背を向けて立っていた。思わず身が硬直し、喉が鳴った。先回りできるような道はなかったはずだ。男と呪霊の間には5mもない。先ほど逃げた熊の呪霊を蹲り食う音が耳に届いた。

男の姿を捉え、呪霊が飛び掛かる。それに合わせ男は身構えた。

 

 

 

 

 

 

 

壊れた呪具を見てため息が出る。他に使えそうなものはないか見るが、使えそうなものは1つもなかった。箒の柄はあったが呪具を噛みきるほどの咬合力を前にしては何の役にも立たないだろう。

 

武器の物色に時間をかけすぎたのか足音が遠くから響いてくる。

部屋を出るとその音とは反対方向に男は走った。階段を慎重に下りる。先ほど急に目の前に呪霊が現れた時の衝撃がまだ拭えていない。建物の内部構造が複雑なこともその警戒心に拍車をかけた。だからこそ角を曲がる度に自然と気を張ってしまう。体力と気力の限界は近い。

 

背後から叫び声が轟く。足音は聞こえなかったが、進行方向ばかり気にして後ろへの警戒が散漫になっていたのかもしれない。

 

 

覚悟を決める。勝手に荒くなる息をそのままに、歯を食いしばる。その呪霊を睨み付け、壊れた呪具を構えた。

 

 

 

 

「ねー!もうかえろうよー!」

子どもの声。遠くから発せられたそれはエコーのように響く。

場に不釣り合いなのんびりとした声だ。

 

呪霊にもその声が届いたのか先ほどまでの勢いがなくなる。そして床に手を着くと、そのままその巨体は床に飲み込まれていった。

 

 

「――は、」

 

1人取り残された男はその場に立ち竦んだ。

 

 

 

 

 

 

少女はこの季節になると散歩に掛ける時間がぐっと増える。桜の季節にはまだ早いが梅やスイートピーなどが咲き始め、寒さで縮こまっていた草木も、地面から萌え出す。日を追うごとに色づく世界の変化に少女は楽しさを見出していた。

その日は太宰府天満宮の梅についてニュースで流れており、見ごろなら行くしかないとエンティティ様にお願いして連れてきてもらっていた。

 

梅を見に沢山の人たちが来ている。

特にご神木で樹齢1000年以上の「飛梅」を写真に収めようと多くの人がカメラを構えていて、境内の中は梅の芳しい香りに包まれている。境内に植えられている6000本近くの梅は一重や八重など様々な種類があり、それぞれの違いを探すだけでも楽しめる。

 

とりあえず先に御本殿でお参りを済ませた後、置かれている牛の像を撫でてみたりと散策する。どうやら学問の神様が祀られているようで絵馬には希望している大学や高校に受かるようにとかかれているものが多く、お参りする人の中にも学生の姿が多くあった。

 

参道に立ち並ぶ店で売られているものは梅にまつわるお土産が多い。梅干しから始まり、梅のソフトクリームや梅の刻印が入った鉄板で焼く梅ヶ枝(うめがえ)餅などがある。

 

特に梅ヶ枝餅はいくつものお店が販売しており、どの店の前も賑わっている。並んでいるのは観光客ばかりではなく、地元の人も自身のお気に入りの店の梅ヶ枝餅を買い求めている。

1つずつ店員が手焼きをしているところもあれば、機械式の店もあった。どうやらどの店も1個130円らしい。

 

石畳の参道を何度も往復し、太宰府バーガーや焼き立てのせんべいにちょっと心を引かれつつ、遂にかさの家というところの梅ヶ枝餅を買うことに決めた。

 

焼きたての梅ヶ枝餅を店員が紙に挟んで手渡してくれる。

もち米とうるち米を混ぜた生地は薄皮で、パリッと音を立てるほど表面は香ばしいが、焼き加減が絶妙でもちもちとした食感も残されていてたまらない。中からはとろりとした粒あんがたっぷり入っている。小豆と砂糖と塩だけの余計な物を入れていないあんこは熱々で、歩き回って疲れた体にすっと馴染み、癒してくれた。

 

 

エンティティ様のご飯の後におねだりして、近くのスーパーにも連れて行ってもらった。放送していた番組では太宰府の梅の他にも、名産品を紹介しており、少女が気になったものがあったのだ。

 

冷蔵ケースに並ぶ明太子の数がすごい。ちゃんぽん麺や甘口醤油など少女の近くのスーパーでは見たことがないものばかりだ。御菓子コーナーにはくろがね堅パンやポテトチップスの九州しょうゆ味が並ぶ。ムースというアイスも試してみたいが、時間が押していることを思い出し急いでパンコーナーに向かった。

 

目当てのものが見つかるが動きを止める。

マンハッタンと銀チョコをそれぞれの手に持ってどちらにしようか悩む。両方とも紹介されていたが、2つも食べることは難しい。

エンティティ様にどっちがいいと訊ね、指した方を買った。

 

スーパーのベンチに腰掛け、マンハッタンの袋を開く。簡単に言うならばドーナツにチョコレートをかけた菓子パンだ。

レトロな雰囲気のパッケージがかわいい。取り出してみると硬さを感じる。番組ではドーナツと紹介されていたが、しっかりと揚げられていてチョコレートがかかっていない部分から濃い狐色が覗いた。普通のまんまるのドーナツと違って生地は捻じられており、楕円形だ。

ミスタードーナッツのオールドファッションよりもずっと硬く、食べるとそのしっかりとした生地に目を見張る。噛むたびにザクザクという音が口の中から聴こえた。中は詰まっており、柔らかさはないが、この食感が癖になる。かかっているチョコレートの甘さもいい。エンティティ様も気に入ったようだ。

 

太宰府にあったパンフレットを見ていると名物の梅ヶ枝餅について説明がある。梅ヶ枝餅を食べると、病魔を防ぐという特効があるらしい。お金が貯まったら他の店の梅ヶ枝餅も食べ比べしに来ようねとエンティティ様と約束した。


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