少女は今日も、今日とてエンティティ様のご飯を探していた。前回閉校した学校で大きなものを食べさせてあげて以降、小さいものしか見つけられていない。
エンティティ様は気にも留めていないようではあるが、ご飯を中心に世界が回っている
思い立てば行動は早く、友達と遊んでくると親に告げて電車に乗った。エンティティ様に影の中から教えてもらい辿り着いたのは都内の空きビルであった。大通りより数本奥に入り込んだ道には人影さえない。
管理する者がいないのか壁には落書きをされ、窓硝子は割られている。少女の足元では硝子の欠片が光を細かく反射した。
ビルの中は空気が油のように重く淀み肌に粘着する。闇が濃く、自身の影と境目がなくなる。すると少女の数m先から潜水艦が水面に浮上するかの様に音も立てず現れた。現れた男は顔に骨でできた仮面をつけ不気味な笑みを浮かべているように見えた。身体には無数の傷跡があり、手にはいくつもトラバサミを持っていた。
「おはよう、トラッパー」
少女の言葉に返事もせず、男は奥に足を進めた。その様子に慣れているのか少女は側の壁に寄りかかると斜めがけにしたバッグから学校の図書室で借りた本を取り出して開いた。
高専では推定特級呪霊を使役しているという子どもについて情報を集めていた。幼いことや「呪詛師」という言葉を理解できていない様子から、周囲に呪術に明るい者がおらず、危険性を理解できていないのではという推測を高専側は出した。しかし実際に子どもを見た五条たちは子どもが呪霊に怯えることもなく寧ろ制御していたためそうではないと考えていた。
「子どもについた特級呪霊か…」
任務がない平日の休み時間、3人の机しか並べられていない教室で夏油は呟いた。隣の席に座る五条は自身の机の上で溶けていた。発育がよく、長い脚は机から随分はみ出てしまっている。
「…傑、あんまあのガキに同情するなよ」
「でも、誰かがあの子をどうにかしないと…」
「あの時傑も見ただろ、あのやべえやつのガキに対しての執着具合。呪詛師なら死刑、単なる被呪者だったとしてもあの呪霊を無理に祓えばガキは良くて発狂、最悪廃人だ」
「…」
「さっさと殺してやった方があのガキのためだ」
五条の言葉に夏油は口を閉ざした。
沈黙が満ちた教室に家入が入ってきた。手には珍しくジュース缶を持っている。
「硝子が甘いの飲むなんて珍しいね」
「歌姫先輩にもらった」
「硝子甘いの苦手だろ?くれ」
遠慮なく差し出された五条の手を家入は叩き落とした。
「ってか、歌姫任務じゃねぇのか?」
叩かれた手をぶらつかせながら五条は聞く。
「任務の合間にちょっと寄ったみたい。もう出発した」
「あーダリィな…夜蛾のグラサン割り選手権でもしねぇ?」
五条は上を向いてぼやいた。
「パス」
「悟だけでやれば?」
2人は即座に断った。
庵は足を引き摺りながら必死に駆けていた。もう1時間はずっと走りっぱなしだ。都内だし、呪霊もおそらく3級という窓からの報告で、祓った後は優雅にどこかでお茶でも…と思っていたのにこんなことになるとは想定外であった。
建物に入ったときから違和感を覚えていた。何かが建物の中を走り回っているような騒々しさが感じ取れたのだ。そこで引き返すべきだった。
庵は慎重だ。自身の級もそこまで高くないこと、後輩の五条たちのように優れた術式を持っているわけではない。だからこそ任務前には窓からの報告書は隅から隅までしっかりと読み、気になる点があれば確認をした。特に地方任務だと土着信仰の類いであることが多いため、事前に情報を集め、それに基づいた対策をする。
左足から電流のように走る痛みに顔が歪む。まさかあんなところにトラバサミが仕掛けられているとは思わなかった。止血は行ったが、時間の問題だろう。鋭い歯が食い込み抉れたところは熱を持っている。
窓からその罠を仕掛けたと思われる者を見た時、庵はその場に蹲り、叫んでしまわないように自身の口を両手で押さえた。涙か汗かわからないものが頬を伝う。向こうが呪霊を甚振るのに夢中で庵に気が付かなかったことだけが救いだ。
あんなバケモノどうすればいいのよ!
心の中で叫ぶ。
あれは3級呪霊なんかじゃない、1級、いやそれ以上かもしれない。
呪霊はあのバケモノに斬撃をいくつも飛ばしたが一振りで薙ぎ払われていた。呪霊の攻撃に一瞬動きを止める様子も見えたがその後はまるで何事もなかったかのように追い詰め呪霊の手足をすべて削ぎ落すと、どこかに引き摺って行った。
呪霊と床とが擦れる音が止んだかと思うと割れんばかりの叫び声が聞こえる。
逃げるしかない。
そう判断すると事前に調べておいた建物の図面を思い起した。今いるところは7階建ての5階部分。元オフィスのためメインで使われる階段の他に非常階段がある。非常階段の傍にエレベーターもあるが今は電気が通っていないため期待するだけ無駄だろう。メインの階段を下りた方がエントランスに近いがあのバケモノが呪霊を引き摺っていた方向にある。
庵は音をたてないように慎重に非常階段のドアを開けると怪我のことも忘れ、階段を駆け下りた。
1階の非常階段の扉は錆びついており、少し引くだけで軋みを上げた。中腰になりながら祈りに似た気持ちで扉を開く。
足だ。足がみえる。
抑え切れなかった悲鳴が漏れた。
過呼吸寸前になりながら持っている呪具を取り出す。この足では出口まで捕まらず走ることはできないだろう。一か八かやるしかない。
バケモノが庵を掴もうと手を伸ばしてくる。伸ばされている手は指先まで赤い。
「だめだよ。そのお姉さん、人間だから」
場に不釣り合いな幼い声が響いた。庵に伸ばされていた手が止まる。
バケモノは庵に興味を無くしたとばかりに方向転換し、闇が濃い方向に去って行った。
庵はへたり込む。
「ごめんねお姉さん。足大丈夫?」
その言葉と共にタオルが差し出された。左足は朱色の袴を纏っていても怪我をしていると一目でわかるほど自身の血で染まっている。
「ひさしぶりに外にでられたから、ハッスルしすぎたみたい」
「ハッスル…」
こんな最悪なハッスルがあってたまるか。
「お姉さん出口はあっち」
おかっぱの少女は明るい方を指差して言う。脳内の図面と照らし合わせても出口で相違なかった。
息を落ち着かせた庵はここから出たいという一心で出口に歩みを進めた。少女を残していくほど外道ではないため声を掛ける。それに少女には聞くことが山ほどある。
「一緒にいこう」
「んー、だめ」
「え?」
少女の返事を聞き返そうとした瞬間、背を押された。建物の外の道路に倒れ込む。
「まだ
そう言って少女は建物の中に戻る。
庵も入ろうとしたが、何かに阻まれて入ることはできない。
外で待機していた補助監督に止められる。中にまだ少女がいたことを告げると補助監督の顔色が青ざめ、電話を掛けだした。
庵は車に押し込められ、高専に運ばれた。保健室で反転術式の治療を受け、任務の報告をするべく職員室に入った。いくつもの目が庵を捉えた。思わず身じろぐ。
「庵、戻ったか」
そう声を掛けてきたのは
「早速ですまないが、今日の任務で見た少女のことを聞かせてくれ」
「?…報告書にすべて書きましたが…」
「身長や服装など些細なことでもいい」
そう言うならばと少女の服装やら話していたことを伝える。
庵の言葉を聞いていた職員たちは神妙な様子で考え込んでいる。
「…なにかあったんですか?」
「悟たちが以前遭遇した特級呪霊を使役する少女と同一人物かもしれない」
「……え?」
「わざわざ都内まで行ったかいがあった…東京ばなながうまい」
少女は貯めていた小遣いで東京ばななを買って食べていた。
「エンティティ様も食べる?」
そう聞くと影が揺れたため、包装を開けてひとつ影に落とした。
「やっぱり東京はおいしいものが多いね、次行くときは…ごまたまごを買おう」