エンティティ様といく!   作:あれなん

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【19】オニ

 

 

 

 

少女は大粒の涙を眦からほろほろと落とす。まんまるの雫は安っぽい蛍光灯の照明を受けて、真珠のように光った。口はへの字に曲がってしまい、戻るには時間が掛かりそうだ。しゃっくりの時のように横隔膜は痙攣し、頑張って止めようとするがまるで効果はない。

 

それは順調に成長している証拠だと言えた。何かを食べているときに不思議な違和感を感じたことが全ての始まりだった。歯磨きするときに鏡で口の中を見てみると歯が動く。それは日を増すごとに大きく動くようになってしまう。驚き慌てて母親に訊ねると乳歯が大人の歯に生え変わる途中なのだと言われ病気じゃないならよかったと少女は胸を撫で下ろした。

 

安心したのも束の間で、次第にそのぐらぐらは酷くなり、物を食べる時にも邪魔になってきた。気にするなと言われると余計に気になってしまうもので、鏡とにらめっこする時間が増えた。

 

そんなある日、父親に倉庫の前に来るよう言われる。倉庫と言っても、タイヤの空気入れや工具が雑に押し込められた単なる物置だ。少女がそこに行くと父親は倉庫の中を漁っており、目的のものを見つけるとそれを少女に見せた。ラジオペンチだ。

 

父親の説明によるとそれでぐらぐらしている少女の歯を抜くという。少女は当然断固拒否したが、そのままでいいのかと言われるとそれも困った。父親は乳歯がかろうじて歯茎とつながっているだけなら痛くないから大丈夫だと言うが、少女は首を縦には振らない。

その応酬は何度か繰り返され、終いには100円お小遣いあげるからと父親は言いだす。少女は500円まで価格を吊り上げることに成功すると渋々了承した。

 

少女は抜くときに勝利の500円玉をぎゅっと握りしめたが、それでも痛いものは痛い。父親の言う通り血はほとんど出なかったのは幸いだったが、口の中でぶちっという音が響くのはちょっと怖かった。だからこうして歯を抜いた後、自室でめそめそしているのだ。エンティティ様はあやすかのように脚で少女の背を撫でる。

 

まさに血と涙の結晶であるこの500円は大切に使わなくてはいけない。そう思い、本屋のるるぶを選ぶ。いつもよりずっと慎重だ。

手に取ったるるぶを開くと、桜特集があった。城壁に桜がよく映えた写真が目に留まる。日本さくら名所100選に選ばれた場所らしい。そこでは屋台も出る。これは行くしかない。いつもよりちょっと豪遊することを決めてエンティティ様に行きたい場所を伝えた。

 

やはり花見シーズンだからかレジャーシートを敷いて花見をしている人たちが多く、特設ステージでは民謡や太鼓演奏が行われていて、特に太鼓の音はお腹に響くほど迫力がある。

どうやらこの千秋公園は久保田城という城の跡地にあるらしい。そのため高台にあり、見晴らしがよく、秋田市内も一望できる。春を告げる柔らかな陽気と風が心地よい。敷地はとても広く公園を含め、城跡門や神社、史料館などもあり、散歩にもちょうどよかった。

 

日本さくら名所100選に選ばれるはずだ。ソメイヨシノやしだれ桜など約800本の桜が咲き誇っている。風に吹かれひらひらと桜の花びらが舞うたびに少女だけではなく周囲の人々からも感嘆の声が挙がった。

 

花見客も多くそれに比例して、屋台の数も多かった。屋台の前をうろうろするだけでもいい匂いが漂い、時折魅かれそうになる。

 

その中で少女はババヘラアイスというものに目を付けた。

その屋台は他の屋台と随分と雰囲気が違った。カラフルで大きなパラソルの下に農作業着姿の女性が1人立っているだけだ。

店の人がコーンに少しずつアイスを掬って、バラのように盛り付ける。アイスの色もピンクと黄色の綺麗なマーブルができており美しい。秋田名物なようで、何人も並んでいる。値段も200円程でちょうどいい。1つ買い求めると、見事な手さばきを近くで見ることができて職人技だと感動する。

 

渡されたアイスがなんだか芸術品のようでどこから口を付けようかと、形を崩してしまっていいのだろうかとどきどきする。

アイスクリームというよりも高知で食べたアイスクリンに近い食感だ。しかし、金属のヘラで花びらのように薄く重ねられているため口どけが柔らかい。味はいちごとバナナでさっぱりと甘さ控えめだ。周囲の地元の高校生が話している内容をこっそり聞くと売り子の年齢や性別によって「ババヘラ」、「アネヘラ」、「ジジヘラ」と呼ぶこともあるらしい。奥が深い。

 

他の屋台も見て回るが、横手やきそば、きりたんぽ、たこ焼きにお好み焼きと食べたいものはあれど、財布の残金ではちょっと足りない。だからこそスーパーを見に行こうと少女は思い立つ。少女にとってスーパーは見ているだけでも楽しいアトラクションだ。きっと残っているお金で買えるものがある。

 

スーパーに移動すると予想通り陳列しているものは初めて見るものばかりでわくわくする。

いぶりがっこは1本まるまる売られている。きりたんぽ、稲庭うどんにぎばさ。比内地鶏はラーメンのつゆにレトルトカレーと色々な物に使われていた。とんぶりという黒い粒々は、ホウキギという植物の実らしい。魚卵の一種かと思った。

銘菓コーナーに並んでいた金萬という御菓子やバター餅も気になるが個数が多く値も張るため手が伸ばせない。

他の商品を見て回ると、アベックトーストにバナナボートというものを発見する。アベックトーストは外見は焼かれていない食パンが入っているようにしか見えないが、イチゴジャムとマーガリンが挟まれているらしい。バナナボートは丸い生地を半分に折り曲げた形をしており、横から見ると白いクリームが見えた。他にも学生調理という名のフライやナポリタンを1つのコッペパンに挟んだものもある。

 

悩んだ末、少女はバナナボートを買った。今日は歯が抜けたお祝いの日なのだ。お祝いと言ったらホイップクリームだろう。袋から取り出してみてそのしっとりとしたスポンジ生地にびっくりする。思いっきり頬張るとふわふわなスポンジと程よいクリームの甘味が最高だ。中に挟まれているバナナは存在感がありその自然な甘みが全体とうまくマッチしている。

抜けた歯の分だけ隙間があいてまだ違和感はあるが、歯1本でこれが食べられるならいいかもと少女はちょっぴり思った。

 

 

 

 

 

そこは廃墟だ。廃墟と言ってもホテル跡地で秋田県でも有数の心霊スポットで季節を問わず、廃墟マニアや肝試し目的にわざわざ遠くから人が来るほど有名な場所だ。

伏黒恵は自身の術式の訓練として父である伏黒甚爾にここに連れてこられた。しかしパチンコしてくるから適当に祓っとけ、終わったら電話しろと言い残してどこかに行ってしまった。夜蛾に後で言いつけようと恵は心に決め自身の犬の式神を出す。

 

普段父親や夏油に稽古をつけてもらっているため自信はある。実際3級程度であれば難なく祓えていた。1階から順に祓っていき6階まである建物の3階部分まで進んだ。ちょうどあと半分だ。集中力を切らさないように気合を入れる。

 

それは突然だった。空気が変わる。ひどく重い。肩と背に鉛を背負わされたような気分で息をすることすら忘れそうだった。じんわりと手足の先が冷たくなる。温度を取り戻そうと指先を擦り合わせるが、むしろその冷たさを伝播させてしまう。恵を窺うように見上げる式神に一旦引こうと告げ、階段を下りるため足を向けた時、建物全体が震える。それは咆哮というにはあまりに怒気を含んでいた。怒号に近い。耳を覆い、咄嗟にその場にしゃがむ。

その声の後、別の音が朽ちかけた建物に伝わる。

重く速い足音。何かを叩きつける鈍い音。それは何度も、絶え間なく響いた。その音が段々と恵のいる3階に近づいてくる。急いで式神と客室の押し入れの中に身を隠す。大人では到底入ることはできない狭さだが、まだ体が小さな恵だからこそ可能だった。押入れの扉の隙間から外を覗く。

 

客室と言っても既に扉はどこかに失せ、壁も崩れているため恵がいるところから通路も見渡せる。三角座りの要領で足を折り曲げ抱えこむと小刻みに震えているのがわかった。

 

3級相当の呪霊が通路を駆ける。(ひしゃ)げた片腕は辛うじて皮一枚で繋がっており、溢れ出る血は通路に敷かれたカーペットに点々と跡を残す。再び咆哮が耳に届いた。先ほどよりもずっと距離が近い。

 

それは鬼にしか見えなかった。赤い炎を纏っている。返り血に鎧。赤い鬼の面に牙と角。それは怪我を負った呪霊に向かって走り寄り棍棒を振り下ろす。棍棒といっても金砕棒のような形だ。棍棒が振るわれる度、風を巻き込み重い音が届く。

右半身を潰された呪霊は起き上がろうと足掻くが、鬼は呪霊を刀に串刺しにし、床に縫いとめると呪霊の口に腕を突っ込み、舌を引き千切る。絶叫し、のたうち回る呪霊に鬼は再び棍棒を何度も振り下ろした。

硬いもの同士が当たる音が段々と粘度を含んだ音に変化する。

 

恵は逃げるどころか身動きすら叶わず呪霊が金棒によって肉塊と化すまで見続けるしかなかった。

 

 

甚爾がパチンコを打っているとポケットの携帯が震えた。渋々台を離れ、電話に出るが恵の様子がおかしい。

 

「おー、恵。随分遅かったな、なんかあったか?」

 

「………なまはげが、いた…」

涙声でそう告げる恵に甚爾は吹き出した。

 

 

 

 

 

 

 

術師は非術師を守るためにある。

 

夏油は高専に入りたてのころは、まだ術式を使いこなせず怪我を負うことも多かったが、そのノブレス・オブリージュ的思想で度重なる任務に自身を奮い立たせた。だからこそ、非術師に虐げられた術師の話を耳にし、心のどこかで言葉にできない靄が溜まった。

 

ところが呪霊の発生率が少なくなり、夏油たちが呪詛師狩りや呪術師家系が起こした事件に駆り出されるようになると、それを疑うようになる。

非術師を見下し虐げる術師。その話は呪霊のまずさを共有した伏黒から聞いた。あの男は元は御三家出身だったらしい。呪術師家系に生まれ落ちて呪力がない者。その待遇は想像に容易い。

 

安定しない考えを更に揺さぶったのは、先日起こった呪具保管庫、いや呪霊の研究所での一件だった。実験は失敗し呪霊が暴走。そう聞かされ夏油たちが現場に向かったが、着いたときには研究所は瓦礫の山と化していた。残穢から呪霊が暴れたのは確かだったが、研究所を爆破したのは呪霊の仕業ではない。人為的な工作の後が窺えた。

 

数日かけて瓦礫を掘り返すと、異臭が鼻を衝いた。どうやら研究員たちの遺体もそのままに爆破をしたらしい。よく燃えるようにガソリンなどが撒かれ、ほとんどの書類やデータは焼失していた。

しかし、奇跡的に燃え残った書類の破片や焼却炉の灰、研究所の周りを囲む雑木林の土を調べた結果、身元不明の人骨が大量に発見され、研究所で行われていた様々な実験が露見する。実験の被験者は非術師や、大した術式を持たない者だった。

 

人骨も今回の呪霊暴走事件の被害者ではない。もっと年月が経過したものからまだ新しいものまで幅広い。遺体を呪霊に喰わせた可能性も考えるなら更に被害者の数は膨れ上がるはずだ。研究所を瓦礫の山に変えたのはこれらの隠蔽工作のつもりだったのだろう。

 

しかし、これほど証拠がそろっているというのに犯人探しは早々に打ち切られる。ある呪術師一族が遺書を残して全員首を吊ったからだ。

 

遺書には研究所の創設から今回の実験までの経緯とそれらの責任の所在は全て自分たちにある旨記されていた。丁寧なことに呪術界の繁栄に役立てなかったことへの謝罪はあったが、火葬もされず瓦礫に埋められた研究員や被験者への言及は一言もない。研究所を設立する金も知識も賄えるはずない程、細々とやってきた一族だ。蜥蜴の尻尾切りであることは考えなくともわかる。

 

呪術界の、そして上層部の腐敗。

 

それは非術師家庭出身である夏油が見過ごしていた、いや、態と見ないふりをしていた部分であった。呪術界に入りたての頃、特有の常識や知識を頭に入れることは大変であったが、術式を使いこなし着々と等級を上げ、周囲に褒められ感謝されるのはひどく気分が良かった。自分自身が認められたことで誇りを持て、非術師しかいない環境で感じていた苦労や息苦しさが報われたとさえ感じた。だからこそその環境を疑い、足元が揺らいでしまうことがひどく怖ろしい。

 

 

今の呪術界は自分が本当に居たい、居るべきところなのか?

その問いは夏油の頭で何度も反芻され、夜に眠ることもままならない。

 

「うっわ、更年期の中年顔してるけどなんかあった?」

 

「……うるさい」

 

「どうちたんでちゅかすぐるたん、ぽんぽんぺいんでちゅかー?」

 

「表でろ」

 

 

結果として五条と夏油は高専の敷地にある山を3つ4つ吹き飛ばし夜蛾にしこたま叱られた。夏油がなにか悩んでいることを見抜いた夜蛾は、時々夏油と話をしている伏黒に聞き出すように頼む。

 

夏油と伏黒はベンチに腰掛けながら、缶コーヒーを啜っていた。

伏黒はやる気なく競馬雑誌を片手に適当に相槌をするため、夏油としては気が楽だった。しかし金に困った時は恵を禪院家に売り飛ばす予定だったとぽろりと伏黒が口にし、思わず夏油は拳を振りかぶっていた。夏油は伏黒の顔面に数発入れるが、案の定、数倍になって返され上段蹴りが掠めた額から血が滴る。

 

本日2度目の喧嘩に飛んできた夜蛾が喧嘩の原因を訊ねる。先ほどの伏黒の言葉をそのまま、むしろ伏黒の口調まで真似て夏油が夜蛾に伝えると、夜蛾の拳が伏黒の頭に落とされ連行されていった。非常勤とはいえ体育の教員を殴ったため夏油は停学も覚悟していたがどうやら見過ごされたようだ。

 

喧騒を聞きつけ夜蛾を呼んだのは津美紀と美々子、菜々子、恵の4人であった。4人は美々子と菜々子の検査の後、一緒に遊んでいたらしい。その4人に心配され保健室で手当てを受けた後、話をしていると今日は4人でお泊まり会をするらしい。夏油もそれに誘われ首を縦に振った。純粋無垢な4対の瞳に断り切れなかったのだ。

 

夜蛾に許可をもらい、寮の談話室に布団を並べ5人で寝る準備をしていた。しかし五条や灰原が目を輝かせ飛び入り参加すると寝るどころではなくなる。枕は飛び交い、折角綺麗に敷いた布団もぐちゃぐちゃだ。

時計の短針が12を指す頃、子どもたちはスイッチが切れたように眠りに落ちた。最近ひとりで眠れなくなったと聞いていた恵も布団に丸まって寝ている。夏油は子どもたちの寝る場所を確保した後、寝ている五条と灰原をその辺の床に転がした。

 

疲れていたためか夏油は久しぶりに熟睡できた。翌朝、まだ夜明けと言ってもいい時間帯に目が覚め、眠っている4人の子どもをぼうっと眺めているとある考えが浮かぶ。

 

今の上層部や家の思考矯正はもうできないだろう。

何十年の時間を要するかもしれない。しかしまだ幼いこの子たちにしっかりと教えれば、現在より遥かに良い呪術界に変わるのではないか。

その考えは夏油の頭の中でどんよりと停滞していた靄を春の嵐のように一気に吹き飛ばしていく。そうだ、高専の教師になろう。やりたいことが決まると不思議とやる気が湧いてきた。

 

後日、夏油は担任の夜蛾から渡された進路調査用紙に高専の教師と丁寧な字で書いていた。五条はそれを横から覗き込むと、実家に帰るのが嫌なのと面白そうだったので同じように高専の教師と雑に記した。

 

 






※ペンチのくだりは実話
(実際結構血が出るのでおすすめしません)

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