夏休みが一番楽しいのは夏休みの直前の1週間だけだ。あの妙な高揚感も1週間もたてば霧散し、特にすることもない怠惰な生活が続く。宿題はたんまりと出されているが、大方8月末に慌ててやり始めるのが恒例だ。
少女も例に漏れず、だらだらとご当地グルメの特集番組を見ていた。
その店はその県内にしか展開しておらず、連日行列ができている。演技がかったリポーターの前に置かれたものに少女の目は釘づけになった。
牛の形をした鉄板の上でハンバーグがじゅうじゅうと音を立てる。かけられたソースが鉄板の熱さで跳ね回る様は圧巻だ。ハンバーグの中はほんのりと赤いが、それがジューシーさを更に引き出しているという。
少女は財布の中身を慌てて確認したが、足りない。いくら振っても叩いても財布の中身は増えることはなく、がっくりと肩を落とすしかなかった。しかしここで諦める少女ではない。きっとハンバーグ以外にもおいしいものはあるはずだと本屋でるるぶを開く。
エンティティ様は最近絶景スポット巡りにハマっている。一緒にるるぶを見ていても、気になる場所があればたっぷり時間をかけて読む。エンティティ様は今回大室山に行きたいらしい。行きたいところが決まったところで本屋を出た。
大室山は徒歩での登山は禁止で、ロープウェイに乗る必要があり子どもは片道350円かかってしまう。少女の懐事情を知っているエンティティ様は山頂まで連れて行ってくれた。
大室山は約4000年前の噴火で、現在のお椀を伏せたような形になったらしい。噴火口跡を一周する「お鉢めぐり」は所々坂道もあるが、散策路も舗装されていて登山と言うより散歩をしている感覚に近い。30分もあれば一周でき、360度どこを見ても絶景だ。青々とした緑と遠くに見える富士山や相模湾が堪能できる。標高580mとそこまで高くはないが、遮る物がないからか風が気持ちよかった。
山頂の売店で売られている大室山三福だんごに吸い寄せられそうになるが、エンティティ様に止められる。後でるるぶで気になったお菓子を買いに行くのだ。金欠の少女にこの団子を買う余裕はない。しょんぼりとする少女をエンティティ様が急かした。
乙骨憂太は怯えていた。
11歳の時に将来を誓い合った里香が交通事故で亡くなってしまってから、化け物となり事故から数ヶ月経った今でも乙骨に取り憑いているのだ。乙骨に取り付いた里香の悋気は酷く、クラスの女の子にプリントを渡したり会話をするだけでその女の子に怪我を負わせてしまう。周囲の人間は里香の姿が見えず首を傾げるが、里香が階段の近くに立った女の子の背を押したり、足を引っ掻け転倒させる姿が乙骨にははっきりと見えていた。
自分は呪われている。そんな自分がいれば周囲の人を怪我させてしまう。
乙骨はそのことを悟ると、自然に周囲の人と距離を置くようになった。
両親は急に乙骨が里香の死後塞ぎ込み、小学校にも通わなくなったことに心配したが、時間が傷を癒すだろうと無理やり登校させることはなく、気が向いたときにでも行けばいいと言ってくれる。里香は乙骨の両親にはまだ寛容なようで会話をしても怒ることはない。それだけが乙骨にとって救いだった。
親は家に引きこもる乙骨に気分転換をさせようと休みのたびに旅行や外出に誘う。その日は静岡県の温泉地に来ていた。温泉にでも浸かってゆっくりしようという両親に旅館の中を探検してくると伝え、こっそりと旅館の外に出た。今まで里香が両親に怪我を負わせることはなかったとはいえ、いつどこで何が起こるかはわからない。その何かが起こる前に離れるべきだ。そう自分自身に言い聞かせた。
まだ陽は高く、夕暮れにはまだまだ時間がある。温泉地を歩き続けた。オフシーズンのため他の観光客も少なく、照りつける陽の光がアスファルトに反射し、乙骨の皮膚をじりじりと焼く。宿泊する旅館からサービスでもらったペットボトルの水を持ってきていて正解だった。冷蔵庫で冷やされていたはずのそれはもう生温くなっているがないよりはマシだ。
乙骨が腰を下ろしたのは温泉地の中にあった廃墟の中だった。バブルの頃に建てられたのだろう。内装にはわかりやすい贅沢さが漂う。人が住まない空き家は傷みが早いという言葉は本当らしく、ここも例外ではなかった。
乙骨は旅行前にこの場所のことを調べ見つけていた。
里香が暴れても被害が少なく、何かあってもばれにくい場所。そんな場所を事前に確認しておくことがいつしか乙骨の習慣になり、もしものことがあれば逃げ込もうと決めていた。
その日、昼食で乙骨の後ろの席に女の子が座っていたことに里香が苛立ちを露わにしていたため、いまにも爆発しそうな里香を連れ、この廃墟に乙骨は飛び込んだのだ。
溜め息ついでに深呼吸をしようとしたが、埃っぽさと黴臭さを感じ取り、すぐに止めた。埃と砂塵に塗れた床に座り込む勇気もなくその場に立ち尽くす。いつまでこんな生活が続くんだろうか。一生このままかもしれない。
重い物を引き摺っている音が遠くの方から聴こえてきた。その音は建物に反響する。人がいたのかと思い、どこか別の場所に移動しないとと落胆する。
「ッ!、里香ちゃん!!」
急に里香が乙骨を押しのけた。今まで里香が周囲を傷つけることはあれど、乙骨に害を与えたことはない。床に突いた手足の痛みより驚きの方が勝った。里香の方向を見ると、体に袈裟切りにされたような大きな傷ができていた。乙骨は里香に近づき、怪我の状態を見る。その怪我は音を立てて治りつつありほっと安堵した。
怪我を負った里香は乙骨に目もくれず、じっとある方向を睨みつけている。その方向に乙骨も視線を遣ると息を詰めた。
その体格から男であることはわかった。しかしその表情は窺うことはできない。頭から大きな角錐状の兜のようなものを被っていたからだ。しかしその手に持つ大きな刃が先ほどの攻撃を齎したのだと理解できた。その刃は何かで濡れ、廊下に斑点を残す。
里香が鋭い歯をむき出しにして、唸り声をあげた。その声は建物全体に伝わる。里香の力なのか、床は捲れあがり、放置されていた家具が壁に追いやられ、物と物がぶつかる音がいくつも空間に響いた。
里香が吼え、男に向かってレーザーのようなものを放つ。男はそれを刃の側面で往なした。逸らされた先に設置されていた家具はその後ろの壁ごと破壊され、一瞬にして破片が散乱する。
攻撃が効かないことに里香は更に怒り狂った。飛び掛かろうとする里香に、男が刃を構える。轟音に崩れる建物。地響きにも似たそれに乙骨は耳を覆う。
生まれた衝撃波で乙骨の薄い身体は吹き飛ばされ、柱にその身を強かに打ち付ける。埃と粉塵が立ち込める中、男の刃が里香に突き刺さっているのが乙骨の歪む視界に映った。
「――ねぇ、ねえ起きてよ」
「っ、え…」
「ちょっと聞きたいんだけど、あれってあなたの?」
瞬きを繰り返しピントを合わせる。指差す先には檻に入れられ、何重にも有刺鉄線のような物が巻かれた里香がいた。まだ里香は感情が昂っているようで、檻から出ようと身を捩る。その度に身が傷つくのか液体が滴った。
「――っ!里香ちゃん!!なんでこんなひどいこと…」
「ねぇ、三角様。そこのリカチャン?はやっぱりこの子のものみたい。だからダメ。…どんな関係?」
「えっ、僕と里香ちゃんは婚約者で…」
「婚約者ってことは…将来結婚?結婚式呼んでね!」
「……、うん」
拘束され暴れている里香にも女の子は結婚おめでとうと話しかける。その言葉に女の子が里香から乙骨を奪う存在ではないと認識したのか、どうなのか不明だが、ちょっと恥ずかしがるような仕草をした後、次第に大人しくなった。
静けさを取り戻した周囲を見渡す。先程とは景色が一変していることに気が付いた。乙骨がいたのは1階で、天井も上層階に行くための大階段もあったはずだ。
しかしそれは既に失せ、真上に視線を遣れば雲がかった空が見えた。絵画が飾られていた壁もなく、唯一残っているのは自分たちが腰を下ろしている床だけだ。それも自分と女の子がいる場所を除いて、崩れ落ちた柱の壁の残骸で埋まっている。
乙骨はちょっと居心地の悪さを感じた。なぜか里香は女の子と結婚式で着るドレスの色の話で盛り上がっているし、男同士とはいえあの兜をかぶり、未だ立ち尽くしている男と会話が続くとは到底思えない。
電子音が響く。その音は女の子の身に着けている時計から聴こえてきた。
「あー、わたしたちちょっと寄るとこあるからもう行くね」
里香を拘束していた檻と有刺鉄線が解ける。それを見届けた後、男と女の子は闇に溶けるように消えた。
「窓からの連絡で特級相当が暴れ回ってるって聞いたんだけど、原因は…君?随分派手に暴れたねー、あーあ、向こうの山まで削れてるし。夜蛾ガクチョー、激オコ案件じゃん」
「悟、ちゃんと挨拶ぐらいしな」
「あー、僕ら、こういうもんでーす」
女の子たちが消えてから、乙骨も宿泊している旅館に帰ろうとした。しかし、来たときとは違い、瓦礫が出口までの道を阻む。えっちらおっちらと、ちょっと前まで廃墟の一部だった物を乗り越えようやく公道に出た。帰る方向に足を向けた時、乙骨は男たちに声を掛けられた。
もしかして弁償しないといけないのかと挙動不審になっていると男の1人から名刺を渡される。その名刺は尻に長時間敷かれていたようでよれよれで仄かに温かい。難しい漢字は読めないが、学校の先生で五条というらしい。もう1人の男は夏油だと名乗る。乙骨も反射的に名前を言った。
「それで、憂太、一体君なにしたの?」
「その、ええっと…僕というよりも、里香ちゃんと男の人が喧嘩して」
「その里香ちゃんってこの呪霊のことかい?」
ジュレイがなにかはわからなかったが、夏油が指差す先には里香がおり、頷いた。2人はトッキュウソウトウだどうだと言いあっている。
「リカチャンと喧嘩した男は?死んじゃった?」
「…どこかに移動した、とおもう」
その言葉に男たちは考え込み黙った。決してその言葉が嘘ではないと、消えた時の様子を身振り手振りで説明する。
「―――もしかして男と一緒に女の子いたりした?」
ワンピースを纏った女の子を思い出し、首を大きく縦に振る。
目の前の男たちの雰囲気が少し変化した。
「…その子、こんな石持ってたかな?」
十字に縛られた何の変哲も無い石を目の前に出されるが、見ていない。正直に否定の言葉を返す。
「まぁいいや、他にも詳しく聞きたいことあるし、憂太、君、高専行き決定!」
五条が乙骨の額に指先を当てると、乙骨の意識は瞬く間に曇った。
少女はスーパーのイートインコーナーで静岡県のるるぶで見た「のっぽ」という名前のパンを食べていた。ふっくらとしたコッペパンの間にクリームが挟まっているこれはご当地パンらしい。キリンのイラストが描かれている通り、長さ34㎝と普通のパンよりも細長い。1978年から発売され、今現在も当初の原料と味を変えていない長く愛されてきた商品だ。少女は迷いに迷ったが元祖と言われるクリーム味を買った。
包装を開けて手に持つと長さがよくわかる。挟まれたクリームは地元の牛乳が使用されており濃厚だ。それにミルクの香りがふんわりと漂い、優しい甘さがパンに合っていた。パンの端までしっかりとクリームが入っているのがこれまたいい。エンティティ様と半分こしながら今日あったことを話す。
「今日は残念だったね。久しぶりに大きいご飯食べさせてあげられると思ったんだけど」
しょうがないという様に波紋が乱れる。
「そうだよね、人のものは盗っちゃダメだよね」
人のポケモンにモンスターボールを投げてはいけない。
少女の傍を近隣にすむ親子だろうか、今日の晩御飯をなににするか話しながら通り過ぎた。
「きょうはさくらごはんがたべたい!」
子どもの少し高めの声が耳に届く。
さくらごはんとは?桜の季節は疾うに過ぎたはずだ。会話に割り込むわけにもいかず、少女は2人の後ろ姿を見送った。
スーパーの中にさくらごはんが何なのかヒントがあるのではと思い、探したが駄菓子コーナーでさくら棒というピンク色をした麩菓子が見つかっただけで、それらしいものはない。
「今日、さくらごはんがいい…」
家に帰ってから物は試しで母親に言ってみる。
「さくらごはん?なにそれ?」
やはり知らないらしい。少女は必死にさっきテレビで紹介されていて、静岡で食べられているものらしいと説明する。母親がネットで調べたらしく、買い足す物もなかったのか了承された。
夕飯に出てきたのは具が何も入っていない茶色い色をしたご飯だった。
一口食べて2度目の衝撃を受ける。うまい。