エンティティ様といく!   作:あれなん

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〖3〗霜止出苗

 

 

 

「えーっ、別にいいじゃん。経費で落としてよ」

 

そう言って五条は任務先で食べたケーキと土産物のレシートと、数か月前から貯め込んでいた交通費の領収書を高専の事務担当者に押し付けた。まだ勤続歴の浅い職員は半泣きになりながらコンビニのナイロン袋に入れられた紙の山をただ見つめるしかなく、周囲の職員たちから慰められている。

 

五条はそんなこと気にも留めず、廊下を進む。五条は破天荒ではあるが一応組織人だ。

高専に所属している呪術師は通常、任務が遠方の場合事前に稟議を提出する必要がある。目的地まで移動方法はこれを使い、交通費は何円で、はたまた1泊するならどのホテルに泊まり何円で、というような具体的な計画を事前にまとめ、承認をもらう。それは普通の企業と何ら変わらない。しかし、呪術師は呪霊が発生すれば東へ西へと移動するためその稟議制度は形骸化してしまっているのだが。

 

特に上級呪術師になると、全国各地を飛び回ることも多く、任務後に提出する報告書に領収書を添付する形となってもある程度経理部は黙認してくれる。それは偏に上級にまで上り詰めた者が経費を誤魔化すなんてことはしないだろうという一種の信頼に近い。

 

高専の経理部から一等信頼を得ているのは、企業に勤め社会の波に揉まれた経験を持つ七海だった。生来の几帳面な性格もあるのだろうが、任務後、早ければその次の日には報告書を提出し、領収書にはその用途を書き添えるといった細やかな心遣いに経理部の荒んだ心が癒された。

 

その七海と180度回転したところに位置しているのが五条だった。3ヶ月分の領収書をまとめて渡してくることはザラで、その領収書もただの御菓子や交通費など額のかわいいものならまだいい。何千万の呪具を購入したときの領収書が出てくることさえあった。その度に夜蛾に経理部から苦情を伝えているが、効果が表れたことは一度もない。

 

五条は報告書は書けど、領収書など気にも留めたことはなく、経費で落とせるものは落とし、ダメなものは実家に回せという実家が太いからこそできる唯我独尊っぷりを見せつけていた。それは学生の時も、高専の教員になった後も変わらない。

 

そのため年度末のみならず、頻繁に五条家の税理士と高専の経理部で連絡を取り合っている。経理部の内々で開催される忘年会と新年会に五条家の税理士チームもしれっと参加し、日々の労をねぎらい励まし合っていることなど五条は興味すらないだろう。

 

五条の傍若無人ぶりはさておき以前と変わらず御菓子やらを買い込み、節制の”せ”の字もない行動をとっているのは理由があった。”本当はいない”上層部から回ってきた経費削減の通達の本当の目的を知っているからだ。

 

企業でよくある話だ。下から意見をあげていくのは一苦労だが、上から下へ出された意見は面白いほどすぐ通る。尤もな理由もついていれば尚良しだ。

高専の職員からすれば、上層部が定期的に行っていた会議や会食を取りやめ、下に指針を示し経費削減の重要性を唱えているのだから下もそれに倣わなくては、というところだろう。あぁ、悲しきかな右に倣えの意識が骨の髄まで染み込んでいる日本人。

 

本当は上層部の不在を悟られないよう会議などを無くすため、手ごろな理由をとってつけただけだ。誰が目的と手段が逆であることに気が付くだろうか。

だからこそ五条は経費削減という言葉を鼻で笑い、今日もどっさりと買い込んだ土産を経費で落としてやるのだ。

 

確かに昔よりも呪霊の発生数は減っている。近年の激減は乱獲者(少女たち)のせいでもあるが、実は数十年単位で右肩下がりをしている。もちろん少子高齢化もその原因だがそれ以外の要因としては、科学の発展により人々の感情に変化が起きたためでもあった。

 

平安の世であれば街灯も電気もなく、夜道では手に持っているぼんやりとした火と月明かりだけを頼りに怖々と歩みを進めるしかなかった。現代であれば、夜道を歩いていると気配を感じれば不審者かと誰もが思い、やられる前にやってやろうとポケットに手を入れ、よりダメージを与えるために秘かに小銭数枚を握りしめる者もいるだろう。科学もない平安時代では背後に迫る影が人間のものか、妖怪か、はたまたそれ以外のナニカであるのかさえわからない。人間の負の感情が呪霊を作る。常に人々が恐怖を身近に感じていた昔は呪術師の仕事に波はなく、常に繁忙期という状態だった。

 

現代人が恐怖を感じることが少なくなったとはいえ、嫌悪や悲しみを感じる能力は相変わらず人間に備わっている。春は花粉、黄砂、PM2.5にうんざりし、5月にはよくわからないもやもや感に悩まされる。地球温暖化のせいで夏は亜熱帯のように暑いくせに、冬はしっかりと寒い。息をしているだけでも税金は払わなければならないし、何もしていなくても腹は減る。人間生きている限り何かしらに不満を持つ生物だ。人間が集まって社会生活を送っていると、ストレス値が高まる時期が決まる。そうして、人間の不快指数の波に沿って呪霊は生まれ、自然と繁忙期と閑散期ができた。

 

つまり人間がいる限り、呪霊は波はあるが湯水のように湧く。近年の呪霊の乱獲で、元々の報酬額が少ない下級呪術師や、背伸びして購入した呪具のローンを払い終えていない者は貧しい暮らしを送っているが、何百年も呪霊を祓うことを生業としてきた五条家であれば、ロスチャイルド家にはさすがに負けるだろうが、長者番付に載る程度の資産は貯えている。大っぴらにできない職業のためいくら稼いでも載ることはないだろうが。また呪術師の頂点と言われる特級呪術師でもある五条だ。そこら辺のサラリーマンの何十倍も稼いでいる。

 

金に頓着していない五条でもそうなのだ、金にがめつい上層部の奴らはそれはそれはたんまり貯えていたはずだ。きっと口座にそのまま金を入れるほど単純な奴らではない、タンス預金か資産価値がある金銀財宝や美術品に姿を変えているだろう。上層部の家の近くで任務があるときには呪霊を祓うついでにその家ごと消し飛ばしてやろうという話はもう夏油と何千回もしていた。

 

 

「おっつかれー!……あれ、あんま人いないけどなんかあった?」

 

ポケットから手を出すことも億劫で、ほんの僅かな隙間に足先を捻じ込み職員室の扉を開けた五条は、人がまばらにしかいないことに首を傾げる。

 

「…オイ、昨日、寮の食堂にあった鳥刺しってテメェが置いたやつか」

 

デスクに足を載せ競馬雑誌を見ている伏黒が五条に視線さえ向けずそう訊ねてきた。

 

「鳥刺し…?あぁ、あれ。見た目最っ高にうまそうにできたんだけど作るだけで飽きちゃって、甘い物が食べたい気分になったからそのまま置いて任務に行っちゃったんだよねー」

 

「…っつーことらしいぞ、夜蛾」

 

「悟、お前が作ったものを夕飯と間違えて食べた者が食中毒を起こした。症状がひどい数名は病院で入院中だ」

 

「あっはっはっは………マジで?」

 

夜蛾の雷が落ちた。

 

 

 

 

金曜日の夜、少女が夕飯を食べていると、父親がいない。母親によるとぎっくり腰が再発し寝込んでいるらしい。ぎっくり腰が癖になっているようでこの光景は珍しくない。しかし体勢を変えようとして呻き声を発しているのを見ると心配になるが、どうすることもできないのでとりあえずアイスノンとロキソニンを渡しておいた。

 

夕飯の後、テレビを見ているとニュースで岩手の桜を取り上げている。桜前線と表現されるように桜は南から北へ、高度の低い所から高い所へ順に咲いていく。少女の家の方ではもう先日降った雨ですっかり葉桜になってしまったが、岩手では丁度見頃らしい。花より団子を体現している少女としてはおいしいものはいつ食べてもおいしいが、景色がいいとよりおいしく感じる気がするのでできるなら景色がいい場所で食べるのが吉だ。

 

北上展勝地さくらまつりは人気らしい。到着したはいいが休日であるため人が多い。道の両側に植えられている桜は満開でその道の真ん中を観光馬車が進んでいく様はちょっとノスタルジックだ。すぐ傍にある北上川では大きな鯉のぼりが風に合わせてゆったりと空を泳ぎ、その下を遊覧船や渡し舟が潜る。

 

郷土芸能の鬼剣舞も披露されており、威嚇的な鬼の面をつけ、勇壮に時に軽快に踊っていた。鬼剣舞の起源は1300年前に遡る。そして今現在、北上市には12の鬼剣舞団体がありその内の2つは国指定重要無形民俗文化財に指定されていることから長く愛されてきたものであることがわかる。

 

ふと人が集まっている場所があることに気が付く。どうやら食べ物を販売しているようで活気がいい。きたかみコロッケに郷土料理のひっつみ。地元の川で獲れた鮎の塩焼きにきたかみ牛のホットサンド。ここの名物は展勝地もちというお餅のようで、皆が列をなしている。王道のあんこにごま、くるみにずんだと黄粉と様々な種類がある。少女は考え抜いた結果、4種類のお餅がセットになっているミックスというものを手に取った。

どのお餅にもたっぷりの餡が掛かっている。臼と杵でつかれたばかりの柔らかいお餅によく餡やタレが絡む。それぞれ甘みの中に塩加減もあり飽きずにぺろりと食べることができた。エンティティ様はくるみのタレのものが気に入ったらしい。

周辺にはみちのく民俗村という昔の住居を見学できる場所もある。園内はしっかりと手入れされており、ぽかぽかとした陽気の中、武家屋敷や民家を覘いていると語り部のテープが流されていた。遠野物語の一部を読んでいる様だ。

 

「遠野物語……遠野って岩手県か!」

 

何かの資料集に載っていたことを思い出すとこれも何かの縁だからと遠野まで足を延ばすことにした。遠野駅に着くとあることに気が付く。マンホールに駅前の広場、様々なところに河童がいる。どうやら遠野物語に河童についての話があり、またカッパ淵という場所もあるらしい。

 

「カッパ淵…河童かぁ。……河童ってなんか良さげな薬持ってなかったっけ」

 

その案内板をぼんやり見ていたがふと少女は思いつく。

 

「エンティティ様、生け捕りってできる?」

 

 

 

 

 

五条特製の鳥刺しを食べても無事な消化器官を持っていた真希はいい加減に鬱陶しくなって貧乏ゆすりをしていた。他の者たちが食中毒でダウンしているため、無事な者たちで任務を回すこととなったのはまだいい。しかしなぜ五条が引率でついてくるのかが理解できなかった。まだ伏黒ならマシだ。競馬新聞と競馬雑誌を与えておけば静かだし、競馬場に置いておけばそこで何時間も大人しく遊んでいる。同じ天与呪縛同士、学べるところも多くあった。

しかし五条はあっちへふらふらこっちへふらふらと気になるものに引き寄せられている。自分で最強というだけあってもしもの時は頼りになるだろうが、普段の言動と勘案するとプラマイゼロ、いや、ちょっとマイナス寄りだろう。

 

真希が寝起きしている女子寮では美々子と菜々子がトイレに籠りながら五条に呪詛紛いの言葉を吐き、津美紀は病院送りになっている。女子寮でもそんな状態なのだ、人数が多い男子寮はもっとひどいことになっているだろう。

その元凶である五条は全く責任を感じている様子はなく、これから行く場所は何が名物かを楽しそうに調べている。しかし目的地に近づくなり先ほどまでの雰囲気を一変させ、真希に少し下がっているように告げる。寺を通り過ぎどこかを目指して歩く。足を止めたのはカッパ淵という小さな川だった。川ではあるが岸辺には草木が茂り趣がある。水の流れはほとんどなく水面に動きすら感じられない。その川に竹竿の先を垂らし座り込んでいる少女に五条は気安く声を掛けた。

 

「やっほー!久しぶり、なにしてんの」

 

「…河童釣ってる」

 

五条の言葉に振り向いた真希は少女の顔にどきりとする。見覚えがあった。ずっと昔、あの首塚で見た顔だ。

 

「は?」

 

「一発捕まえて薬もらおっかなと思って」

 

”もらう”と言っているが、強奪とほぼ同義だ。

普通の人なら笑い飛ばすだろうが、普通の人には見えないものが見え、それを祓うことによって生計を立てている呪術師としては、いないと断言できないところが苦しい。口裂け女がいるのだ河童もいるかもしれない。

 

「なに、どこか怪我してんの?君が?」

 

「私じゃない。…皆で探した方が早いんだけど、書いてあるから私だけズルできないし」

 

少女から渡された小さな紙の裏面には”カッパ捕獲7か条”と書かれてる。

 

1 カッパは生捕りにし、傷をつけないで捕まえること

2 頭の皿を傷つけず、皿の中の水をこぼさないで捕まえること

3 捕獲場所はカッパ淵に限ること

4 捕まえるカッパは、真っ赤な顔と大きな口であること

5 金具を使った道具でカッパを捕まえないこと

6 餌は新鮮な野菜を使って捕まえること

7 捕まえた時には、観光協会の承認を得ること

 

「金具使った道具がダメっていうのと傷つけちゃダメってなると皆にも頼めないんだよね」

 

その7か条は遠野市観光協会で定められたものらしく、220円を払って許可証を発行すると、カッパ淵で竹竿を使うことができ、更にカッパを捕獲できると賞金が1000万円もらえるという。そもそも河童の呪霊が観光協会の人に見えるわけがないが、その7か条によって確かに河童の命は救われていた。

 

「さすがにその方法じゃ、難しいんじゃない?」

 

「やっぱり皆で山狩りしたほうがいいかな…――おっ!きた!!」

 

竹竿が音を立て撓る。折れそうな竹竿に少女は慌て影に向かって叫んだ。

 

「誰か水の中にいるやつ釣り上げるの手伝って!」

 

少女がそう言うと影から出てきた男は銃を携えていた。銃の先には銛がついていた。それが発する威圧感に真希はたじろぐが、男が構えるとすぐさま破裂音が耳を劈いた。その銛は標的に刺さる。標的は水の中を暴れ回り、川の水が濁る。水面は荒れ、先ほどの静寂が嘘のようだ。抵抗しているようだがギリギリと鎖を巻き取る男の力には勝てなかった。次第に水面にその姿が現れる。

 

「……河童じゃない」

 

地上に揚げられたそれは、河童というよりタガメに近い見た目をしている呪霊だった。相手と自らの力量の差を理解できていないことから低級であることがわかる。腹を射抜かれており、懸命に貫通した銛を外そうとしているが、カエシがついた銛を外すのは容易ではない。

 

「デススリンガー、手伝ってくれて有難う。河童じゃないから持って行っていいよ」

 

少女がそう言うと、男は襲い掛かろうとしてきた呪霊を切り付けた。袈裟切りにされ地面に伏した呪霊の頭に銃口を突き付け、引き金を引いた。

男は地面に転がった残骸を少女の影に引き摺り姿を消す。少女はそれを見送ると、また竹竿から伸ばした糸の先を川に垂らした。再びチャレンジするようだ。

 

「…なぁ、私のこと覚えてるか…?」

 

「?」

 

記憶にないらしく、真希は少女にヒントを出す。

 

「京都の、首塚で団子一緒に食べただろ」

 

「………あー、あの時の子!全く違うからわからなかった!あのとき教えてもらったかき氷屋さん、めちゃくちゃ美味しかったよ」

 

「お前は…あんま変わってねぇな…」

 

真希はあの時よりも髪も伸び身長も170㎝になったのに対し、少女は背は伸びたようだが真希より大分視線が低く、相変わらずのおかっぱ具合だ。

 

「DNAに敗北した」

 

「…それはしょうがねぇな」

 

「あれ、2人って知り合いだったの?」

 

傍観していた五条が訊ねる。

 

「あー、昔ちょっとな」

 

「えー、僕すっごく気になるー」

 

「おっさんがかわい子ぶるなよ、キメェな。ってか、今日の任務ってここだろ、もしかして祓う予定の呪霊ってさっきの奴か?」

 

「多分そうだね。まぁいーんじゃない、いなくなったことに違いないし」

 

「さっきの虫っぽいやつ、欲しいなら返すよ。エンティティ様の食べかけでもいい?半分になってるかもだけど…」

 

「出すな」「いらないよ」

 

めずらしく五条と真希の意見があった。

 

 


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