エンティティ様といく!   作:あれなん

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〖4〗蛙始鳴

 

 

入学から1ヶ月も過ぎ、5月に突入する頃には張り詰めていた緊張の糸も(たわ)む。中学校より通学に掛かる時間が短くなり、優雅に朝の身支度ができるはずだったのだが、実際のところ、どったんばったんと騒々しく準備しては日々最短通学時間を更新している。

クラスに馴染めていないということはないが、部活にも入っていないため、少女は暇を持て余していた。3、4月は桜前線と共に北上し、各地でお花見をしたが、もう桜の季節は過ぎてしまい、エンティティ様にせっつかれてはいるが5月末にある中間テストに備えて勉強する気にもなれない。

 

ふと高校の校門の傍に咲いている赤と白の花が目に留まる。ツツジだ。

 

ツツジは漢字では”躑躅”と書く。

”躑躅”はツツジという読み方をすれば花のことを、”てきちょく”と音読みすれば足踏みをしたり立ち止まったりと躊躇しながら進む様子を意味する熟語になる。ツツジを見る人がその花の美しさに足を止めることからその名が付けられたらしい。

実はもう一つ別の説もある。ツツジの仲間であるレンゲツツジという品種は漢字で”羊躑躅”と書き、致死性になる毒を持つ。中国で羊がその葉を食べ”躑躅”して死んだことから”羊躑躅”という名がつけられ、それからツツジのことも”躑躅”と書くようになったという。

 

少女は何となく英語の時間にツツジについて電子辞書で調べその由来を知る。全てのツツジに毒があるわけではないが花を摘んで根本の蜜を吸うのをやめようと思った。

 

食べるのはどうであれ花自体は綺麗だ。見るなら校門の花壇ではなく名所で見るべきだろう。どうやら今の時期であれば長崎が満開らしい。

 

「おおーー!すごい!」

 

山一面の赤色に目を奪われる。場所によって咲いている種類が違うのか白やピンクもあるが、あの鮮やかな赤が競うように咲き誇っている景色は迫力があった。そこは長崎県鹿町町にある西海国立公園 長串山公園という場所だ。10万本のツツジが植えられ毎年時期になるとつつじまつりというものも開催している。

公園は標高234mの長串山にあるため、登っていくと北九十九島と平戸島を見渡すことができ、少し暖かな風が心地よい。空と海の青に山の緑だけでも十分美しいが、それにツツジの彩りが加わると何時間でも眺めたくなる。

広場もあるためピクニックもでき、キャンプ場もあるため楽しそうにテントを張っている家族もいた。

 

公園に来る前に立ち寄ったスーパーで購入したものをいそいそと取り出す。

 

長崎のスーパーは面白い物が沢山並んでいた。やはりちゃんぽんと皿うどんはよく食べられているようでちゃんぽんのスープは何種類もあり、具のみも売られている。長崎というとちゃんぽんのイメージが強いが、五色うどんや長崎そうめんと名のついた商品のスペースもある。かまぼこが並ぶ冷蔵ケースには”すぼ”という商品名のものもあった。どうやらストローで巻かれた長崎のかまぼこのことをそう言うらしい。

周囲の海ではあご、つまりトビウオがよく獲れる。そのため長崎ではあご出汁が好まれてお雑煮やうどんにもあご出汁が使われることが多い。また”あごせん”というせんべいも販売され親しまれているようだ。

 

長崎の魅力といえば、その独特な文化だろう。1639年から1854年の日本が鎖国していた期間、長崎だけはオランダや中国との交易が許されていた。そのため今現在においてもそれぞれの国の文化が混ざっている。カステラがポルトガルから伝来してきた話は有名だ。また10月7日から3日間開催される長崎の代表的な祭り「長崎くんち」には、龍踊り、唐人船、龍船などといった中国に所縁のある出し物がいくつも出される。

 

カステラはもちろん少女も食べたことがある。底面にザラメが沢山残りじゃりじゃりしているカステラならすごく得した気分になる。

カステラを更に加工した商品も多い。”カスドース”はカステラを卵黄にくぐらせ、熱した糖蜜に浮かべた後、仕上げに砂糖をまぶしたものだ。ポップの説明を読んでいるだけで血糖値が急上昇しそうだが、どこかフレンチトーストを想像させる食感らしい。他にも”かす巻き”というカステラ生地で餡子を巻いた御菓子も並んでいる。

 

少女が悩みに悩んで最終的に手に取ったのは「よりより」という揚げ菓子だ。中国発祥の御菓子で小麦粉をこね、油で揚げて作る。いくつかの会社が作っているようで 麻花兒や唐人巻といった見た目は同じだが、商品名が違うものがあった。しかし赤を基調としたパッケージは共通しており、それがどこか異国らしさを醸し出している。

 

包装を開けて手に取ってみると、しっかりと硬い。狐色の見た目からドーナツっぽさも感じられるが、あの柔らかさはどこにもない。意を決して口に含んでみると止まらなくなる。噛めば噛むほど口の中にほのかな甘さがじんわりと広がるのだ。決して派手な甘さではないが、シンプルでどこか懐かしい。時折撫でていく優しい風を感じつつ、景色も楽しみながら食べているといつしかそのしっかりとした歯ごたえが癖になっていた。

 

 

 

 

 

男は握りしめ皺が寄った離婚届を役所に提出した後、気が付いた時には空港に向かっていた。ここから逃げ出してしまいたいという現実逃避が行動に表れたのかもしれない。行先はどこでもいいと思っていたがCAに挙げられた行先に懐かしい名前を見つけ無意識にそこを選んでいた。航空チケットの予約もしていなかったが運よく席が空いており、空港のロビーで何時間も待つ羽目にならなかったのは不幸中の幸いだ。

 

男は順調ともいえる人生を歩んできた。決して都会とは言えない場所で生まれ、物心ついた時には都会に出たいと思っていた。勉強も学校で1番でき、近所からは神童だと持て囃された。都内の有名大学に入学し、何とか大手の企業にも就職できた。紹介された女性と結婚し、子供も生まれた。

それが大きく狂いだしたのは勤めていた企業が大手から元大手といわれだした時だ。経営が苦しいようで社内の雰囲気も変わってきた。会社を経営するにあたって一番のコストは何か。社員の人件費だ。窓際でExcelを開いたり閉じたりしている者であっても、数十年も勤めている者であれば新入社員の給料の倍以上は貰っている。だからこそ、企業がリストラを始めると真っ先にその対象として定年が近い者から首を切り始めた。

 

男も早期退職を打診された1人だ。男は間接業務であったため、外部と繋がりもなく、他の会社でやっていけるほどのスキルもない。妻に早期退職について話したが、大手企業に勤める夫を支える妻という地位が一種のプライドになっていたようで、拒絶された。妻が怒るのも無理はないのかもしれない、専業主婦になってほしいと結婚するときに男から頼んだのだ。

 

会社に早期退職する意思はないことを告げるとあっという間に転げ落ちた。部署異動となり、窓がある部屋から壁で囲まれた部屋に変わる。コスト管理部だか何だかわからない横文字の部署は俗にいう追い出し部屋で、部下もいないにも拘わらずマネージャーだかなんだかの役職を付けられた。男のように早期退職を断った者や、辞めさせたい社員を集め、毎日他の部署を回らせ、コストカットへの協力をお願いをする。ある意味晒し者だ。

コストカットにご協力ください。空調は28度でお願いします。印刷は白黒で。この言葉を何度繰り返しただろうか。男が部署に異動になってもう3人は辞め、1人は鬱になり休職し、1人は抗不安薬を飲んでいる。

 

男も毎日家を出るたびに気分が落ち込んだ。満員電車で胃の痛みに耐える。ハローワークやらいくつもの転職サイトに登録したが、年齢も高く特にスキルがない者はあまり需要がないらしく、面接にこぎつけても面接官の渋い顔や苦笑いを見るだけだった。家でも転職サイトを見ていたのが悪かったのか、転職しようとしていることを妻に知られ、ある日家に帰ってみるとテーブルの上にポツンと記入済みの離婚届が置かれていた。

 

慌てて妻に連絡するが既読にはならず、妻の実家に電話をすると、話すことはないと一方的に切られ途方に暮れる。もう家を出ている子供に離婚することになったと連絡を取るもしばらくしてファンシーなキャラが”OK”と書いた札を掲げているスタンプだけが返ってきた。もう疲れていたのかもしれない。次の日には会社に辞めると告げ、その足で役所に殴り書きした離婚届を出した。

 

飛行機が雲の上をゆったりと泳いでいるとき、後悔がじわじわと自身の首を絞めていることに気が付く。次の就職先が決まってもいないのにどうするんだ。どうやって生きていこう。男は仕事が趣味だった。若いときには体力もあり休日出勤も当たり前で、それを苦とは思わないほど仕事にのめり込んでいた。それは周囲の人間も同様でむしろそれが当たり前の世の中だった。

 

きっともう自分は必要とされていない。空港に着いたときにはその言葉だけが頭の中でエコーがかかったように響いていた。適当なリムジンバスに乗り込み、空いている座席につく。落ち込み、うなだれている姿を誰かに見られているかもしれないことに羞恥心を覚え、取敢えずひとりになろうと誰も降りそうにない場所でバスを下車した。そこは山の中と言っていい場所だった。風雨に晒されたバス停は錆び、誰かに蹴飛ばされたのか少し歪んでいる。バス停の傍にある色褪せたベンチにいると人目に付くかもしれないため座れず、どこに続くのかわかりもしない脇道に入る。

 

フェンス越しに木造の建物が見えた。まあまあな広さだが、何年も都内で生活していたためそう思えるのかもしれない。建物を覆い隠すように木々は生え、蔦が這う。山の中にあるためなのかひんやりとした空気が流れる。何となく中に足を踏み入れた。そこは元病院だったようだ。廊下は狭いがいくつもの病室と診療室がある。病室にはなぜか藁が散乱し、誰か探索に来た者がいたのか引出しが開けられ注射器などが出されていた。男の体重が支えられるような梁でもあればと思ったが望みは薄そうだ。

 

陽が落ちかけているようだ。空気はじっとりとしたものに変わる。

エンジンが唸る音が建物中に響き、男は顔を上げた。山の中だ、すぐ傍で山林の伐採でもしているのだろうか。耐震どころか防音の概念すらなく、雨風が凌げれば十分といった場所だ。その音はよく届いた。

 

割れる音。叩く音になにかを引っ掻く音。昼間の静けさが嘘のようだ。その音は男がいる病室から少し離れたところから聴こえている。廊下をそろりと盗み見、息を飲んだ。

男がひとり立っている。決して普通の男ではない。それぞれの手にハンマーとチェーンソーを持っている。

大柄の男は唸りを上げるチェーンソーを出鱈目に振り回し、割れた窓ガラスはその轟音に震えている。何かを薙ぎ払うかのように縦横無尽に振られるそれは周囲に放置されたままの車椅子や開きっぱなしの病室の扉でさえも易々と切り捨てた。チェーンソーを掲げ咆哮を上げるその男に見つけられないよう、病室の奥で身を潜めていた。しかし廊下を歩きながら暴れていたその男が、突然静かになる。遠くの方で何かを叩いている音が建物を通して伝わってきた。病室を1つ1つ調べ出したのだと気が付いたときにはガラスで傷がつくことも恐れず窓から這い出ていた。

大柄の男に見つかる可能性も考え、来た時に通った道は使わず、藪を掻き分け進む。あんな建物が放置されている場所だ。整備されていない木々は行く手を阻み、それを掻き分ける男の手に切り傷を付け、スーツを解れさせる。まだあの男がいるのではないかと後ろを振り返る勇気もなく、必死に走る。やっとのことで大きな通りに出、車道の頭上にある案内標示に見慣れた単語を見つけると、その矢印の方向に向かって駆け出した。

もう何時間走っただろうか、もう辺りは明るくなってきた。這う這うの体で逃げ出し自分では何も考えずに走ったつもりだが、帰巣本能なのだろうか顔を上げたときには懐かしい生家が目の前にあった。切れていた息を落ち着かせつつ、震える指でチャイムを押す。

 

父は突然、連絡もなしに来た男に驚いていた。玄関で無言のまま少し見つめ合ったが父は男に手洗いうがいしろと言い残し、家の奥に入っていく。泥だらけの革靴を脱ぎ、玄関を見回す。母の七回忌以来、十何年もこの家には帰ってきていなかったというのに、昔と全く変わっておらず、何もかもが時を止めたようにそのままだ。母が生前に作ったどこか気の抜けた表情をした人形が鎮座している。懐かしいような、出来立てのかさぶたを思わず引っ掻いてしまったときのような気分だ。

 

玄関に佇んだままを不審に思ったのか、父が台所から顔を出し声をかけた。朝飯はまだかと問われ、男は空腹を思い出した。そう言えば昨日、いや一昨日の晩から何も食べていない。

出されたのはわかめと豆腐の味噌汁に白米、焼鮭に漬物だ。1つの鮭を半分に割り、身が大きい方を男に差し出した。父はお前が来ることがわかっていたならなにか買っていたんだがと口篭もる。手に持った茶碗が妙に手に馴染むことに気が付き、見ると男がこの家を出る前にずっと使っていた茶碗だった。押し寄せてくるなにかを振り切り、味噌汁に口をつけると一気に肩の力が抜ける。麦味噌の風味と甘さを感じ、そうだったこの味だ、と思い出していた。

 

食べているときはどちらも一言も発さなかった。食べ終わったあとも会話の糸口が見つからず、じっと父を見るのもおかしい気がして、窓の外の景色に視線を遣る。レースカーテンさえしていない。おかげで家庭菜園で育てている何かの葉が日光を存分に浴びている様子がよく見える。

 

男の視線の先にあるものに気が付いた父が植えているものの名前をぽつりと言う。続けて男の子供、つまり父にとっては孫、が元気かと問う。その返答に詰まる。もう子供と何日も、もしかしたら何週間も話していない。LINEで連絡をしてみるもいつもファンシーなスタンプが1つ返ってくるだけだ。

父は更に男に、お前は元気かと問うてきた。一呼吸置いた後、わからない、と一言こぼす。その言葉は数十年前に終わったはずの反抗期でも、親に知られるという気恥ずかしさや情けなさから出た言葉ではない。本当にわからなかった。毎日何十分も満員電車に揺られ、会社でも各部署に頭を下げにいく。他の部署の社員に嫌がられ、顔を見せるたびに眉を顰められ無視をされる日々だ。そうしている自分は果たして元気なのか。

 

たっぷりと時間を置いた後、父が言う。俺は最近機械いじりをしすぎて肩が凝って仕方がない。五十肩がこの年になってきてしまったと、と冗談めかして言う。めずらしく父が笑ったことに驚く。笑うといっても口の端をわずかに上げた程度であったが。

肩、揉もうか、男はついぽろりと言葉を出してしまった。

その言葉を受けて父が背を男の方に向けてくる。男は場所を移動し父の両肩に手を置いた。

 

父の背中はこんなに小さく薄かっただろうか。男が小学生の頃、釣りに行くため、2人乗りした自転車の荷台から見た父の背中は夏の晴れ渡った青空の様にただただ広く、力強いものだった。しかし今、目の前にあるものは男よりも一回り程小さく、筋肉は痩せ、ごつごつとした骨の感触が手のひらに伝わってくる。

父は昔から仕事以外では多くを語らない。あれほど客の前では饒舌なのに家では物静かだった。きっとそれに憧れていたのかもしれない。

 

ちょっと聞いてほしいことがあると、絞り出すことができたのは部屋にまだ漂っている味噌汁の香りのせいかも知れなかった。

 

 

 

 

 

 

男は禪院家の縁者だった。そうは言っても分家のそのまた分家の…、というようなほとんど他人であったが、呪術界では御三家に縁があるのとないのとでは大きな違いだ。分家の中でも男の術式は使い勝手がよく、警護として宗家の屋敷に出入りすることが許されていた。

屋敷には結界が張られ、10名以上の2級以上の術師が待機しており、襲撃を受けても対応できるように備えられている。結界や術師の待機については他の屋敷でも行われているだろうが、ここまでの人数を屋敷に張り付かせているのはさすが御三家と言えた。

 

古参の者に話を聞くと、屋敷にここまでの数の術師を待機させ始めたのは10年程前に家人が数名忽然と姿を消したことが発端らしい。その家人たちは屋敷へ出入りを許されてた者たちで実力はあった。当時は上を下への大騒ぎで、何者かに襲撃を受けた可能性も考え、屋敷の警備人数を増やした。その習慣が今現在でも残され、男のように本来であれば縁遠い者であっても能力があれば警備として屋敷に出入りできた。

 

警戒と言いつつも、待機部屋にいる術師たちは特にやることもなく、誰かが持ち込んだ麻雀に耽っている。少しでも当主たちに気に入られようと忙しなく動いている者もいるようだが、それに興味がない者たちはこうして集まっていた。警護を怠けだらしないと思うだろうが、貴重な情報交換の場だ。

 

「――そや、聞いとるか。”戻った”奴らの話」

 

「あぁ、高専から連絡きてわかったやつやろ。どうせあの五条の御当主サマが祓った呪霊にでも捕まっとったんと違うか。まぁ、見つかって良かったやん」

 

「せやけどなんや様子おかしいみたいやで」

 

「…まさか阪神から巨人に乗り換えよったんか?」

 

「そらアカン、見かけたら血祭りや」

 

「アホいうなや、…なんかな、呪霊と(ちご)て”神隠し”におおたんやないかって言うとる奴もおる」

 

「神隠し!はー!神様、仏様、禪院様!おるなら仏壇に供えとる宝くじ当ててくれや、1000万で許したる!」

 

「ホンマやて!茶化すなや!…10年ぐらい経っとんのに見た目そのまんまらしいで」

 

「若返るならうちのおかん大喜びで飛んで行くで」

 

「近所のおばはん連中も引き連れて行くんとちゃうか、おぉ、怖!へたな呪霊より怖ろしいわ!」

 

「神さんうわって顔してすぐに返品しはるやろ」

 

「あいにく返品交換不可や。すまんな、神さん。こっちもいらん」

 

牌同士が当たる音とともに軽口が飛ぶ。

 

「…そういや、中村のとこの(ぼん)知っとるか」

 

「あほ坊のことやろ…俺が最後に見たんは呪物勝手に売っぱらったんがバレて、親父さんにどつかれとった時やな」

 

「俺、この前病院で会ったで」

 

「あのアホ淋病でももろたんか」

 

「いや、あの根性治すんに遂に親父さんに頭かち割られたんやろ」

 

「案外そうかもしれんで、頭に包帯しとったし、目合ったし挨拶しといたんやけど会釈してきよってん!」

 

「そらすごい!中村の親父さんにしばき方聞いといたほうがええな」

 

「雰囲気も前と(ちご)たで」

 

「そんなんよう見つけたな。俺やったら気づかんわ。そやけど、病院って、なんか怪我でもしたんか?」

 

「俺か?…水虫」

 

「……ちょっと離れてくれや」

 

全員がその男から少し距離を取った。

 


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