エンティティ様といく!   作:あれなん

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〖5〗竹笋生

 

 

 

「あ゛あ゛ぁー!エンティティ様!ヘルプ!」

 

中間テストが近いにも関わらず一向に家で教科書すら開こうとしない少女に遂にエンティティ様が強硬手段を取った。こんな天気がいい休日、普段であれば朝からどこかに出掛けているというのに、もう我慢ならないとばかりに、エンティティ様に勉強机と椅子の間にサンドされ、少女は観念して机に溜まった埃を払い、数学の教科書を開いた。しかし順調に進むわけがなく、躓いては助けを求め、となかなか進まない。

 

「……もうそろそろ…休憩に入ってもいいんではないでしょうか……」

 

二次関数の練習問題を何度か解き直し、正解率が少しずつ上がってきた頃、少女はエンティティ様の顔色を伺うように言う。応用問題まで進めていないためちょっと迷うが、もう3時を過ぎていることに気が付くと、しぶしぶ少女の言葉を肯定する。その反応を見て、少女はやった!と大きく背伸びし、机に突っ伏した。

 

「なんか甘い物食べたい…」

 

普段ほどんど機能させていない数学の思考をフル回転させていたのだ。普段よりも随分と疲れていた。

 

少女たちが着いたのは駅だった。案内板には岡山駅と書かれている。

駅前の桃太郎のオブジェにきび団子を連想したが、今回ばかりは食べたいものがあった。

 

「あんこあんこあんこあんこ…」

 

餡子が使われている食べ物を求めて売店の中を探し回る。むらすずめというクレープのように薄い皮で包んだ御菓子にしようかそれとも高瀬舟羊羹にしようかと悩んでいたがある物が目に入る。

 

「大手まんぢゅう…」

 

ころりとした饅頭だがその皮は薄く、中の餡子が透けて見えている。饅頭というよりも餡子の塊か金つばの親戚のようだ。1個から販売しており、巾着を模した紙箱に包まれているのがかわいい。

説明を読むと、生地は甘酒に小麦粉を混合し発酵させたものを使用しており、部類的には酒饅頭に入るらしい。日本三大饅頭の1つに数えられるほど有名らしいが、値段はとてもリーズナブルで1個100円を切る。今回はこれにしようと4個入のものを手に取った。

 

鷲が羽を広げている様子に似ていることから鷲羽山(わしゅうざん)と名付けられたその山の頂に立つ。寄せては返す波はゆったりと穏やかで、瀬戸内海に浮かぶ大小50もの島々と瀬戸大橋が織りなす雄大な景色は「日本の夕陽百選」に選ばれている。日が沈む前のほんの数十分間だけ現れる、仄かに夜の香りが漂いすべてが黄金に包まれる世界は思わずため息が出そうになるほど美しい。

それを眺めつつ、いそいそとリュックから大手まんぢゅうを取り出す。

包みを開けると皮からどこか甘酒の優しい香りがふんわりと広がった。しかし一口齧ると皮は主張しすぎず、その名脇役っぷりがいい。皮の中には餡子がたっぷりと押し込められており、なめらかなこし餡は口の中で程よく溶ける。餡子はすっきりとした切れのいい甘さであんなに餡子が入っているというのに重くなく、ぺろりと2個目もあっという間に食べてしまった。

 

岡山の人はこれにお湯をかけてお汁粉のように食べることや夏場には凍らせてアイスのように食べることもあるらしい。冠婚葬祭で配られる紅白饅頭や葬式饅頭として使われることもあるほど親しまれている。

 

「あー、餡子が染み渡る…」

 

エンティティ様もその言葉に同意した。

 

 

 

 

 

男は行く当てもなくただ原付を転がしていた。腹立ちまぎれに家を飛び出してきたはいいが、暑がりのためサンダル、短パンという軽装で持っているものといえば財布と原付のキーだけだ。スマホを置いてきたのは失敗だったかと思ったが今更おめおめと家に取りに戻る気になれなかった。

 

高校も自分の成績で行けるところに行った。将来の夢もないためきっと大学にも行かず、高校卒業後はどこかの会社に就職することになるだろう。これと言ってコミュニケーション能力があるわけでも成績が良い訳でもない。主体的に動くこともなく、中学校の体育祭の打上げでも隅の方で友人と雑談しているタイプだ。口も然程上手くないためきっと営業職には向いていないだろう。

平穏すぎる日常に飽き飽きして試しに悪ぶって煙草や酒を飲んだり、深夜徘徊もしたことはあるがしっくりとこず数回で止めてしまった。適度に親に反抗し、弟を扱き使うといった毎日だ。

 

アニメや漫画で見るような虫の知らせや予兆などは何もなかった。放課後に自販機で紙パックのジュースを買おうとしていた時に、野球部の4番バッター渾身のファウルボールを頭に受けた。そのボールは頭蓋骨陥没ほど強く当たったわけではなかったが男の意識を刈り取り、頭の螺子を数本飛ばすのには十分だった。頭部外傷のため病院に緊急搬送されたまでは良かったが、病室で目が覚めてから、時たま視界に黒い靄が映りこむ。そのことを医師に訴え検査をしたが異常はなく、退院した後、家族にも訊ねたがまだ高校を休む気なのかと学校をさぼるための言い訳としか見なされなかった。

 

一変した世界に男は戸惑う。きっと数日で治るだろうと自分に言い聞かせたがその黒い靄は何日たっても視界にちらちらと横切り、遂には家の中に現れた。男は慌てふためいたが、家族からはまた始まったかと、遅れてきた中二病かと言われ湧きだす怒りと動揺を落ち着かせるため、家を飛び出し原付にエンジンを掛けた。学校には黙って取得した原付免許だ。ばれるとまずいがそれよりも頭を冷やすことが最優先だった。

 

「………うわっ、…」

 

どこに行くかも考えず適当に流していると、トンネルの所まで来てしまったことに気が付く。トンネルに入る直前に急ブレーキをかけ停まることができたのは不幸中の幸いだ。そこはここら辺の若者であれば誰でも知っている肝試しスポットで、車で通ればフロントガラスに手の跡がついていたという話や窓の外からノックされたという噂はいくつもある。

 

「……気味悪ィ…」

 

今の自身の状態でここを通る勇気はなかった。明るい時間ならまだしももう陽は落ちかけ薄暗い。どこかひんやりとした空気が男の足元から這い上がり、ぶるりと身を震わせた。以前友人たちとふざけてここまで来たことはあったがその時よりも随分と雰囲気が違う。陰気くさいのは相変わらずだが空気が圧し掛かってくるように重く感じる。

 

原付を押し、向きを変えようとしようとした瞬間、ハザードランプかひとりでに点滅し、思わず原付から飛び退いた。主を失った原付がアスファルトに音を立てて横たわり、かちりかちりという規則的な音だけが張り詰めた空気に響く。

 

そのまま放置して帰ってしまいたかったが、家まで徒歩だと何時間かかるのかさえわからない。古びた電話ボックスがトンネルの傍にあることに気が付き、地獄に仏かと駆け寄る。財布に唯一有った小銭を枚数も数えず公衆電話に捻じ込み、家の電話番号を押す。呼び出し音が鳴るだけでなかなか出ない家族に苛立ちを覚えていたが、電話の向こうから受話器を取った音がし、男は意識して出した気丈な声で話す。

 

「今、トンネルのとこで…」

 

ふっと受話器を当てている耳に湿り気を帯びた息が吹きかけられる。思わず耳を押さえ飛び退いた。全身の毛が逆立つ。放り投げた黄緑色の受話器がゆらりゆらりと揺れるのをじっと息を潜めて凝視する。背中にびっしりと掻いた汗でシャツが張り付く。

 

身体全体で息をする。ぜいぜいという音が自分の喉から聴こえた。逃げようと原付を起こすが、何かに足を取られ強かにアスファルトに身を打ちつけた。身を起こそうとして違和感を感じ、視線を遣る。何かが足に巻き付いている。それはトンネルの中から伸ばされていた。外そうと手を伸ばした瞬間、引き摺り込まれる。慌ててアスファルトに爪を立てるが、意味は為さない。荒い地面に膝や腕が擦れ、爪は割れた。痛みに呻く余裕さえない。

傍にある原付を必死に掴み抵抗するが、男を引き摺る力はそれ以上に強かった。滲む視界でトンネルの中を見るが濃い闇が広がっている。

 

不意に鋭い破砕音がトンネルの中に木霊した。その音は何度か連続し、その度に男の足を掴むものの力が段々と緩んでくるのがわかる。最後の音が男の耳に届く頃には黒いものと男の足の間に隙間ができており、無理やり剥がす。原付を起こすとアクセルを回した。

 

原付のエンジンを切るのも忘れ、家の中に飛び込む。玄関の壁にぶつかるがその音を聞いて母親が駆け寄ってきた。そんなに慌ててどうしたのかと訊ねられる。答えようとするが声が掠れ、喉が干上がっていることに気が付いた。水を持ってきてもらい一息で飲みきる。飲みなれた水道水が甘露のように思えた。腰が抜け、立つことも出来なくなった男を中に運ぶため母親が家の中にいた弟を呼ぶ。

 

「うるせェ、おらばんでも聞こえちょる。……兄貴、どしたんそれ…」

 

弟にそう言われ視線を落とす。膝やら脛に擦り傷ができ血が流れているが、弟が指差しているのは男の足首だった。そこは何かが巻き付いていた場所だ。赤黒い痣ができ、その痣は細い5つの線が放射状に伸びている。それは手の跡だった。痴呆気味の祖母がすごい早さで神棚に向かい、供えていた塩を男に振りかける。祖父が急いでどこかに電話をしているのを呆然と見ているしかなかった。

 

 

 

 

 

 

「…まさか、逃がしちゃったってこと?」

 

「そのまさかだ」

 

「だからさっさと殺しておこうって言ってたのに」

 

「しかしあの少女の言葉だけを鵜呑みにする訳にはいかないだろう」

 

「疑わしきは罰せず、だよ。悟の眼で見てもわからなかったんだから。それに逃げた一因は、悟、君にもあるよね」

 

「僕?なんで?」

 

「お前が集団食中毒事件など起こさなければ、逃げられることも…」

 

「あっ!僕、任務あるんだった!アー!ニンムダイスキー!」

 

そう言って五条は部屋を出て行った。昨年のクリスマス、少女の影から出された上層部の男は捕縛され、高専の牢に入れられていた。それを知っているものは夜蛾、五条、夏油の3名と牢に続く扉を守る門番のみ、のはずだった。

しかし誰かさんが引き起こした食中毒事件によって急遽人員を変更せざるを得ず、どこかに仲間がいたのかその隙を突かれてしまったのだ。

 

「どうします?」

 

「相手の出方次第だが…今現在の所、高専や我々を糾弾する声明も出していない。家の方に探りを入れたが、返答に変わりがない。おそらく家には戻っていないのだろう。問題は…」

 

「何が目的なのか、ですよね」

 

「…そうだ。しかし何を為したいのかわからない以上、捜索は難しい」

 

夜蛾と夏油、どちらともなく溜め息を吐いた。

 

 

次の授業の準備に向かった夏油を見送ると、夜蛾はコーヒーを淹れ高専の郵便受けに届いたものを確認する。夜蛾宛の手紙や書類に目を通し終えると、少女から届いた写真を手に取った。

 

1枚目は岡山駅と桃太郎のオブジェが納められており、2枚目はピエロの格好をした恰幅の良い男が何かを掲げている。大物を釣り上げた漁師のようなポーズをしているためきっと捕まえた呪霊を見せようと撮ったのかもしれない。しかし残念なことに呪霊は写真に写らない。男しか写っていない写真に何とも感想が言い難かった。朝の職員会議では背景の場所がどこなのか特定することが精一杯でその他のことに気を回す余裕さえなかった。

 

夜蛾は呪術高専の学長であるが、呪術界一の問題児と名高い五条の担任をした経験がある。正確には“押し付けられた”のだが、その経験は確かに夜蛾の糧になった。

 

中学生、高校生というのはひどく多感な年頃だ。細い糸の上で必死にバランスを取り綱渡りしているようなもので、本人の意思を尊重して放任しすぎるのは駄目で、構いすぎるのも駄目という周囲からすると何とも扱い難い時期でもある。その時期に差し掛かると大抵、“悪い”ことを格好いいと思い、周囲に、特に親に頼ることを恥ずかしいことだと虚勢を張る。まともに吸えもしない煙草や酒を飲んで悪ぶる姿は数年、数十年も経てば“あの時は若かった”などと笑い話になるだろうがそれでもその当時の自分たちにとっては必死だ。

しかしそのまま、大人と言われる年齢になっても薬物や麻薬やらに手を出し刑務所に出たり入ったりを繰り返す者がいることも確かではある。

 

非術師であっても繊細な時期なのだ、人には見えないものが見え、人が持ち得ない力を持ち、それに振り回される術師であれば更に大変だ。高専の門を叩く者は悪ぶれるほどの余裕があればまだマシで、大抵がひねくれたり、殻に閉じこもっている。

 

だからこそ高専でどうやって生きるのかを、その術を学び、殻を割る必要があるのだ。そうはいっても簡単にできるものではない。時には高専に保管されている膨大な数の文献を読み漁り、あるいは似た術式を持つ者に助言を請い、やっとのことで糸口を見つける。それだけで見つかれば幸運で、他の生徒と喧嘩して襤褸雑巾のようになってやっと閃くことも、途方に暮れ気分転換の為に入った喫茶店の隣テーブルに座る非術師の老夫婦の会話の一端にヒントを得ることもある。

迷っても悩んでも遠回りしても良い。そうすることでしか自分の殻を割り、視野を広げることはできない。最終的に身に付けた力で呪術師になっても、それ以外になってもいい。ここで得た“何か”はきっと役に立つ。それは夜蛾の持論だ。

 

だからこそ夜蛾は少女の心配をしていた。あの様子だと呪霊など敵にもならないだろう。しかし敵は呪霊だけではない。加茂家と禪院家は行方不明者が発見されてから更に血眼になって少女を探しており、呪詛師のネットワークでは(受けるかどうかは別として)まだ懸賞金が懸けられたままだ。

言動から察するに少女の周囲には非術師しかいない。非術師と術師では直面する問題も違う。それをどうやって少女は克服していくのだろうか。それを支え見守る者はいるのか。そう案じてしまうのは夜蛾が根っからの教師だからだろう。

 

夜蛾は写真から視線を外し、椅子の背もたれに身を預け一息ついた。

 

 


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