”幽霊の正体見たり枯れ尾花”ということは多々あるが”火の無い所には煙は立たない”というのもまた事実ではあった。大概尾びれ背びれが付きまくり、原型を留めていないものすらあるがありなしの2択で、且つ呪術師視点で答えるなら”ある”ことも多い。
八尺様にてけてけ、メリーさんといったオカルト話を誰しも耳にしたことがあるだろう。怖い話というのはいくつもあるが、トンネルを通ったらフロントガラスに手形が付いていたとか海や川で何かに足を引っ張られたという、固有名詞を持たないものがほとんどだ。それでも日々、誰かによって掲示板やSNSに投稿されている。その中でもここ数年他とは性質が異なるものが出てくるようになった。
地獄から蘇った武者は
ネットでは”初代ゲームボーイからNintendo Switchまで揃ってるからうちに来てくれ” "景品のお菓子あげるからパチンコ勝たせて" ”パン屋してるから来てくれたらパン食べ放題にする”といった様々な欲に塗れた意見が寄せられており、嘘か真か不明だが目撃者が数名スレッドに現れたため一定の盛り上がりを見せていた。
高専ではこういったスレッドや噂話には常にアンテナを張っている。人が怖がる場所には必ずと言っていいほど呪霊は現れるからだ。
その座敷童の目撃者談は全国各地で目撃されており、現れる場所は廃墟などの人がいない場所で、寝っころがって爆睡していたというものやお菓子を食べていた、六甲おろしや香川銘菓のかまどの歌を歌っていたというものもある。夜蛾はいつもであれば眉唾ものだと聞き流すが、この件についてはしっかりと心当たりがあり、高専が誇る”火消し部隊”に早急の対処を指示した。
夜蛾は指示を出しつつ職員室を見回す。朝の職員会議後、いつものようにまだ寝ぼけている伏黒は二度寝とばかりにデスクに突っ伏し、五条がその背中にトランプタワーを作ろうとしているのが夜蛾の目に映り、若干の違和感を感じた。虎杖が任務で命を落としたことで同じ任務に当たっていた同級生の2名はまだ気落ちしている。しかし担任でもあった五条がいつもと同じ態度なのだ。まるで虎杖の死などなかったように、いやそれ以上に上機嫌だ。呪術師は任務で命を落とすものが多い。それに慣れる者もいるが、身近な者が亡くなったとあれば多少なりともショックを受ける。自暴自棄になる者や酒に溺れる者、呪術界を離れる者をこれまでに多く見てきたし、それを夜蛾は否定しない。あの態度は虎杖に特に期待を寄せていた五条なりの弔い方なのかもしれない。そう信じるしかなかった。
佐賀県太良町の海には鳥居が浮かんでいる。
水の中に浮かぶ鳥居は厳島神社など有名だが、海中鳥居は3つの鳥居が海に続いているのは更に珍しく、今でも30年ごとに鳥居が建て替えられている。
1693年頃に村人によって沖ノ島に置き去りにされた悪代官が、これまでの所業を反省したところ
青い海と赤い鳥居のコントラストはひどく美しい。時間や天候によって様々な表情に変わるためぼんやりと眺めているだけでも十分楽しめた。
「豊漁祈願だって…一応拝んでおこう」
漁というより狩りに近いが似たような物だからと少女とエンティティ様も拝んでおいた。
鳥居を見ながらどこか懐かしいパッケージのアイスを取り出す。ブラックモンブランと書かれたそれは製造会社がある佐賀県だけでなく九州中で愛されており、ソウルフードといっても過言ではないものだ。
モンブランと聞くと栗を連想する人もいるが、ブラックモンブランには栗要素は欠片もない。製造会社の前会長がフランスに出張した際にモンブランの山を見て「この真っ白い山にチョコレートをかけて食べたらおいしいだろう」という発想から開発された商品のため、ブラックモンブランという名前になったらしい。
包装を取り、一口齧る。一般的に売られているアイスにもクッキークランチが使用されているものはあるが、それと比にならないほど、しっかりとした食感をしていて少女は驚く。クッキークランチはふんだんにまぶされているためどこを食べてもサクサクを通り越してザクザクとしていて楽しい。少女とエンティティ様も楽しみながら食べた。
あっさりとしたバニラアイスとコーティングに使われているチョコレート、インパクト抜群のクッキークランチの相性は抜群で、とても食べごたえがある。この食べごたえと1つ150円もせず、リーズナブルなことが九州で50年以上愛されている理由なのだろう。
八百万の神を信仰しているといえば聞こえはいいが、旅行先で大きな神社を見つけると”なんかよくわからないけど一応拝んでおこう”と、財布にあった1円玉を賽銭箱に投げ入れるような者が大半だ。
それでも山や海に囲まれて何百年も生きてきた種族だからだろう。熱心に神を信仰していない者でも道祖神や将門の首塚にドロップキックをかますことをしないのはどこか”恐れ”を感じ取っているのかもしれない。だからこそ受験やら就職の前には神社に赴いて神頼みをし、腹に据えかねる恨みを持つ者は縁切り神社に駆けこみ、日夜藁人形と金槌を握りしめる。
女は仕事を無断欠勤しテーブルの上に放り出した人形に視線を遣った。こんなの馬鹿げていると普段なら笑ってゴミ箱に捨てただろうが、抑え切れない感情をどうにかできるのならば藁にでも縋りたかった。
女はある会社で事務員として働いていた。1人暮らしのアパートと会社の往復に飽き飽きしており、同級生から次々と届く結婚式の招待状に焦燥感があった。結婚相談所に登録も考えたが入会費に登録費、月額と計算していくと軽く30万円は飛んでいく。奨学金の返済も続いている女には手が出せない。そんな取り留めのない日々を送っていたある日、ネットニュースでYoutuberが放火容疑で逮捕された記事を読んでいた時、なんとなく下に出ていたバナーを押していた。所謂マッチングアプリの広告だ。そして言われるがまま地域や年齢などを入れ登録していた。
後はよくある話だ。メッセージを交換し、何度かデートを重ね、交際に発展した。相手が既婚者でさらには子どもがいると、その男の妻から内容証明が届いて発覚。慰謝料300万円の文字に眩暈がした。
身辺整理でもしようかと、不要な家具をフリーマーケットアプリで売ろうと開いたときそれを見つけた。家具なんて粗大ごみとして捨てればいいのにそうしなかったのは生来の几帳面さというか”みみっちさ”がそうさせた。夜に眠れなくなり、処方されたデパスを飲んで少し朦朧とした意識で眺めたその商品の説明欄には”恨みを晴らしたい人へ”と書かれていた。これが初めての取引なのか評価もつけられていない。そのボタンを押したのは、SNSで男が自身の子どもの誕生会の画像を投稿していたのを見つけてしまったからかもしれなかった。
届いた商品についていた説明書はチラシの裏面に鉛筆で殴り書きされたものだった。恨みがある相手の髪や写真を使うところは藁人形と同じだ。しかし場所は人が近くにいないところで行うようにと指定があったり、時間は黄昏時、つまりは夕方と書かれており丑の刻ではないのかと意外に思うが少しでも気分が晴れるなら何でもよかった。
人形に血を垂らす。海外のお土産屋で見るような麻紐が何重にも巻き付けられ、作られた人形は落とされた血の玉を一瞬にして吸い込んでいった。
そこはどこかの研修施設だった所だ。説明書には廃墟や肝試しスポットがおすすめとあったがネットに載っているような場所だと逆に人に見つかりそうな気がして、朝から車を走らせ地道に探し、木々に埋もれるように建っている施設を見つけた。周囲には家もなく、高速道路が近くに通っているが出入り口もないためひっそりとしていた。
人形に男の写真を重ね、家で使っていた果物ナイフで深く突き刺す。ナイフの柄をしっかりと握りしめ、罵倒の言葉を紡いだ。言い慣れていないため語彙力に乏しいが、これも説明書に書かれていた工程の1つだ。10分ほど言い続けて我に返る。あまりの惨めさに呆然とした。
ナイフから手を離すとだらりと腕が弛緩する。荷物をまとめ座り込んでいた床からゆっくりと立ち上がった。建物の窓からは赤々と燃えるような落陽が女を射す。もう帰ろうと辺りに転がっている蝋燭やライターを鞄に押し込んだ。
女の喉に何かが巻き付く。一瞬のことだ。その巻き付いているものは細い。それが何重にもなり女の白い首に食い込んだ。身を捩り、後ろにいるであろう者に抵抗する。持っていた鞄を振り回し、中の物が散らばる。肩を壁に強かにぶつけ、壁を背にしたことで相手を見ることができた。息を飲む。女だった。正しくは女の形をしている”何か”だ。顔の端から麻紐が解け、その紐で首を絞めている。息を吸い込もうと口を開けるが空気は入ってこない。女は首を引っ掻く。皮膚と紐の隙間を探す。爪はただ首の皮膚を削った。足が宙を掻く。口の端から涎と泡が流れる。血潮が血管を流れる轟々という音だけが届いた。顔が熱い。
霞む目の端で赤い物が見えた。
紐が切れ、足から床に落下する。剥き出しのコンクリートに身を打つ。必死に息をした。喘息にも似た荒い息だ。女の背中を何かが擦った。
「――お姉さん大丈夫?」
その声は大人というよりは幼い。訳も分からず頷いた。首に引っかかったまま垂れ下がるものに触れる麻紐を解く。しきりに耳に何かを切る音が届いていた。その音は部屋の端から聴こえていた。赤い服を纏った者がこちらに背を向けている。部屋には女の荒い息と、切り刻む音だけが響いた。
赤い服の者が振り返ると、女は息を飲む。豚の顔。それが黒々とした髪の間から覗いている。足音が響く。その音と共に豚の顔をしている者が近づいてきた。身体を強張らせる女を素通りし、その者は少女に何かを渡した。
「お姉さん、これ貰っていくね」
「それ…!」
少女が手に持つものは女が持ってきた人形だ。しかし、最後に見たときよりもあちらこちらから麻紐が飛び出しており、体は両断されていた。部屋の端に目を遣ると細切れになった麻紐が散らばっている。
「……この男の人に恨みでもあるの?」
床に落ちていた写真を見たらしい。写真の男の顔は女によって引き裂かれていた。少女のその言葉に思わず頷く。張り詰めていた緊張の糸が切れた。目の前の少女がどうしてこんなとこにいるのかも、さっきのは何かと聞くこともできず、濁流のように押し寄せる感情のままに言葉を吐きだしていた。まともな文章にすらなっていない。単語と嗚咽だけが一面に響く。
言葉が途切れる。腫れた目元が沁みた。少女はちょっと考えた後、困った様に言う。
「一発殴ってやりなよ。馬鹿にすんなってさ」
気が付いたときには指の付け根は切れて血が出ていた。男の歯に当たったようだ。持っていたバッグでも叩いたため衆人の注目を集めている。以前の女であればそれだけで身を硬くして小さくなっていただろう。
会社から出てきた男は土埃に塗れ幽鬼のように立ち竦んでいた女を見て固まった。周囲の人は、特に男と一緒に建物から出てきた人たちはどう思っただろう。男の妻でもなく、顔立ちも似ていない女が男を罵倒しているのを見て。
「あー、すっきりした」
引越しするぐらいの貯金はまだぎりぎり残ってる。身辺整理していたため家具も少ない。知り合いが一人もいない街で、誰も知らない新しい自分になるのもいい気がした。