エンティティ様といく!   作:あれなん

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※前半はエンティティ様視点のため敬称略


〖16〗綿柎開

 

 

 

 

8月ももう終わりに近づいたある日、エンティティは困惑した。

少女があれほど嫌がっていた数学の問題集を突然積極的に解き始め、4日で全て終わらせたのはつい先日のことだ。その様子を見て、やっと数学に興味を持ってくれたのだと、受験勉強で数学を担当したエンティティは手放しで喜んだ。そして折角興味を持ってくれたのだからと、おすすめの問題やちょっと応用が利いた問題を集め、お手製の問題集をうきうき作りプレゼントしたのだ。その問題集を見て少女は小さく礼を口にしたが、次第にしょぼくれた黄色い電気鼠のような表情になり、遂にはゲームのコントローラーを放り出し布団に突っ伏してしまった。

 

蓑虫のようになっていた少女だがしばらくするとしおしおの顔のまま布団から這い出、今日のおやつを買いに行こうという。エンティティはどうしたのかと気にしつつも移動した。

 

1980年前後に販売が始まったフジバーグは、豚と鶏のミンチ肉にタマネギなどを合わせて形成し、細かいパン粉を纏わせ油で揚げた後、特製ソースを絡めた総菜だ。そう聞くとメンチカツを想像するだろうが、メンチカツともハンバーグとも違う食感でよく売れているのだ。敦賀のほとんどのスーパーの総菜売り場でこのフジバーグが並び、敦賀のソウルフードと言っても過言ではないらしい。

一口齧ると、たっぷりの肉汁と特製の甘辛タレがじゅわりと広がった。タレが染み込みつつも端のほうはカリカリとしている。鶏のミンチが入っているためあっさりと軽く、いくらでも食べられそうだ。現在でも手作業で行っているため形は不揃いだがどこかそれが温かみを感じさせた。

 

少女がフジバーグをおいしそうに頬張っている様子をエンティティはちらりと見ていた。ここに来るまでしおしおの顔をしていたが食べ物を目の前にすると晴れやかな顔になるのは流石と言ってもいいだろう。何か嫌なことでもあったのかと暫し考えたが特に思い当たることもなく、エンティティはフジバーグと一緒に買ったお菓子を脚で引き寄せた。

 

銘菓コーナーで手に取った羽二重餅はやや平たい形をしている。羽二重は元々しなやかで手触りの良い上質な絹布のことを指していた。福井では明治初期頃に羽二重の生産が本格化し、20世紀はじめには全国輸出額の60%を占めるようになった。その質感を和菓子で表現しようと創業者が編み出したのが、この羽二重餅だった。米、砂糖、水飴という3つの材料で作る菓子で、同じ材料で作ってもその日の温度や湿度で大きく出来が変わるため職人の経験と勘が必要だ。

包みを開くと平たく白い餅が姿を現す。絹のようになめらかでどこか触るのを躊躇してしまう。ふんわりと柔らかく、口にいれると瞬く間にとろけていく。餡子も何も挟まれていないからこそ、この口どけの良さが際立つのだ。

 

 

少女のリクエストで東尋坊に着くと、観光客で賑わっていた。

東尋坊はよくサスペンスドラマで犯人が探偵役に追いつめられるシーンによく登場する場所だ。最も高い場所で約25mの垂直の崖があり、テレビ越しに見るよりも実物はもっと迫力があった。

東尋坊という名前は恨みを買い突き落とされた平泉寺の僧の名からきている。

約1,200万年前に起こった火山活動で冷え固まってできた火山岩が、日本海の波による侵食を受けてこのようになったらしい。その6角形の柱状の岩は柱状節理と呼ばれ、これほどまでの規模のものは世界的にもめずらしく、東尋坊、朝鮮半島の金剛山、スカンジナビアのノルウェー西海岸と世界に3か所しかない。

 

風が強く波は高い。崖を下りることもできるが、台風が過ぎた直後のためうねる荒波が岩にぶつかり飛沫を上げている。安全柵などは一切ない。皆怖々と崖に近づいているのが見えた。朝の一件もあり、エンティティは少女の影からいつでも引っ張れるようスタンバイしていたが少女も絶壁を見下ろそうと頑張ってはいるがへっぴり腰なので心配なさそうだ。

 

断崖絶壁の上から日本海を見渡す。夕日が射す頃になると空も海も目に映るものすべてが橙色に染まる。水平線に太陽がとっぷりと沈みゆくのをエンティティも少女も周囲の観光客さえもただひたすら眺めつづけた。

 

 

 

 

 

 

誰しもふとした時に懐かしくなる味や香りがある。

お袋の味というまでは馴染みがなく、二郎系ラーメンほどの中毒性もない。別に高価なものでなくてもいい。雨が降る前や降った後のアスファルトの香りや、泥団子を作った後の指先の匂い。何年も主を変えた高専の机はベニヤとニスの香りがする。溺れかけた時飲んだ川の水の味。ヨーグルト風味の駄菓子を掬う木のスプーンの舌触り。2Bの鉛筆の芯の冷たさ。ふと思い出す香りや味は記憶の断片を引き摺り出してくる。

 

美々子と菜々子にとってそれは牛乳パンだった。食べる度ナフタレンと埃の臭いも微かに漂ってくるが、それ以上に視界がパッと開けたような、まるで世界がぐるりと180度回転してしまったような感覚は何年経っても鮮烈だ。

どちらからともなく牛乳パンを毎月のように取り寄せ、痩せたいと言いつつ高カロリーなパンは食べる2人を周囲は呆れているがこればかりはしょうがない。

 

牛乳パンを食べつついかに痩せるかということよりも2人を目下悩ませている問題があった。真希や乙骨、更にはあの憎き五条は”あの子”にもう何度も会い話しているという。去年のクリスマスイブは新宿で斧や瓶が飛び交っているのを眺めているといつの間にかすべてが終わっていたし、その後も地方任務を積極的に受けているがいつも空振りでその度に肩を落とした。

 

今回の任務地は廃村となった集落だった。数十年前にダム建設計画が持ち上がり、その村はダムの底に沈む予定だった。全世帯が転居し集落は無人になったところで、計画が白紙となりそのまま廃村となった。

廃村には苔や草木が生し、半壊した家屋が数軒残されている。ある家にはダムの建設を反対する看板が掛けられたまま時を止めていた。手入れもされなくなった神社は傾き、狛犬には苔が生し、緑に浸食されつつある。

 

物音が聞こえ、2人はその方向に足を向けた。

 

よたよたとした足取りでそれは歩いている。時々崩落した民家の瓦礫や壁に身を打ちつける。どこかの骨が折れているのか動きは酷くぎこちない。歩く度に振り子のように頭を大きく揺らし、時折ビクリと痙攣した。皮膚は所々裂け、肉の赤さを晒す。肌は青みがかり、呪霊とも人間とも判断ができなかった。

 

それの傍に建つ民家が崩れる。内から何かが突き破ってきたような壊れ方だ。瓦礫が逃げようともしないそれを飲み込み、視界を粉塵が濁らせた。

 

はじめに見えたのは頭だ。その頭はずっと高い位置にあった。皮膚は不自然に盛り上がり、引き攣っている。

濁った空気が晴れた。歩く度踏まれた木の破片が悲鳴を上げる。手には呪霊が掴まれているのが見えた。呪霊は逃れようと足掻き、爪や牙を突き立てる。その抵抗が煩わしいようで、呪霊の頭を掴むと地面に叩きつけた。それでも逃げようとする呪霊の頭を踏み潰す。熟したトマトのように簡単に体液が弾けた。頭が直前に発した電気信号の影響かまだ呪霊の身体がビクリと動いている。

 

あれは危険だと本能が告げた。まだ幸い見つかっていない。2人は1度だけ視線を交わすと駆け出す。

 

廃村の入口に続く道の途中、誰かが座り込みこちらに背を向けている。細い煙が立ち上り、よく知っている匂いに人心地が付く。蚊取り線香は虫天国の高専では必需品だ。蚊取り線香を使う呪霊は流石にいないだろう。しかし呪詛師である可能性も捨てきれなかった。念の為呪具を構えるが、座り込んでいる者が菜々子たちに気づき振り向くと思わずそれも取り落してしまう。

 

 

 

 

「――わ、私、菜々子…そっちは、美々子…」

 

「うん?」

 

突然始まった自己紹介に少女は首をかしげる。

 

「えっと……名前、教えてほしいんだけど…」

 

「……あー、シモヘイヘ」

 

少女が英語の時間に電子辞書に入っていた青空文庫も読みつくし、暇を持て余して考え付いた名だったが案外役立っている。その場のノリで言ってしまった名だ。今更僅かに羞恥心が刺激されてきたためもうそろそろ変えてもいいのではないかとも思いはじめていた。

 

「……連絡先も…もし、よかったら…」

 

「えーっと、その制服ってことは高専の人だよね。今、夜蛾さんと絵しりとりしてるんだけど一緒にやる?」

 

その言葉に2人は目を瞬かせた。

 

 

 

郵便受けに投函されていたノートは少し膨らんでしまっている。貼られているチェキのせいだ。そのチェキの横には小さな絵が描かれていた。

いつ撮ったのかわかりやすくするためノートを用い、夜蛾はいつもの癖でチェキの感想を一言二言書いていた。少女も時間がある時は落書きをし、それから何とはなしに絵しりとりが始まったのだ。1日1度のやり取りだが、案外飽きずにもう数か月と続いている。時折、美味しかったものの絵や感想が添えられることもあった。

 

前回は確か”栗”だったなと思い、今日のページを開く。いつも黒一色で描かれているが今日は少し様子が違う。字とペンの色から察するに少女と他に2人が描いたのだろう。チェキに目を遣ればその2人が誰なのか一瞬で判った。

 

画角いっぱいに並んだ顔が3つ、ぺったりと頬をくっつけている。撮る直前におもしろい話でもしていたのか、口を大きく開け太陽のように健やかな笑顔だ。

 

「栗…リス……巣箱……こ、…なんだこれは」

 

絵しりとりの続きを考えようとするが、絵が随分と独創的だ。字の癖から察するにこれを描いたのは菜々子だろう。”こ”から始まる言葉を頭に浮かべるがどれも絵のような形をしていない。ヒントをもらうというのは流石に大人げないか。そう思っていると職員室の扉が開き、これを描いた2人が夜蛾のデスクに向かって駆けよってきた。

 

「おはよ夜蛾センセ!もう描けた?」

 

「あぁおはよう。さっき見たばかりだ。それにこれは…苔か?」

 

「苔じゃない!えーなんでわかんないの!」

 

「…だから言ったのに……」

 

そう口にした美々子に菜々子が憤慨する。非難轟々され夜蛾は見方が悪かったのかもしれないと暫し考え、別の答えを出した。

 

「…コーヒーか?」

 

「違ーう!五条(ごじょ)センなんだけど!めっちゃ似てんじゃん!」

 

円を半分に割るように引かれた横線と3本の縦線だけの絵でそう判別できる者は少ないだろう。答えを教えてもらった後、ノートを近づけたり離したりしつつ目を細めて眺めるがアハ体験はできず、納得がいくようないかないような微妙な気分だ。

 

「温泉の地図記号にしか見えないが」

 

「もー!私の絵の話はいい!おしまい!で、次描けたら美々子か私に渡して。絵しりとり私たちも参加することにしたから!」

 

夜蛾が答える前に、昼までに描いてよ!といいながら職員室を台風のように去って行く。次の時間に遅れそうなのかもしれない。それを見送った後、夜蛾はチェキの横に赤ペンで花丸を付けた。

 

 

 

 

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