エンティティ様といく!   作:あれなん

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〖17〗天地始粛

 

 

 

TwitterやFacebookといったソーシャルメディアが発展し、新聞やテレビなどの産業メディアは随分とその身を削がれてきた。Twitterは1時間に何度も見るが、新聞はここ数年読んだ記憶もない。あるいは買った皿を包む時になら使ったという者は結構多い。コンパクトさが求められるこのご時世に紙媒体且つ月に5,000円費やすくらいなら、爆死覚悟でガチャを回したいと思うのも仕方がない。

 

新聞との大きな違いとしては、SNSなら皆がすぐに情報を発信でき、良くも悪くも自身と同じ考えの人を探し出すことが容易になったことだろう。実際地震速報よりも誰かのツイートの方が早かったりする。

更に動画投稿サイトでは親切なことにこれまで見た動画の再生履歴をもとにおすすめ動画を自動的に表示してくれる。自身の主張に反する者を散々煽った後、返信が来る前にタッチ1つで目の前から消すことだって可能だ。

 

SNSやインターネットが普及する前は新聞は重要な情報源だった。新聞の事件欄の隅に小さく載った”白昼堂々下半身露出のマスク男”という記事を見て、世界の広さを痛感しつつも実際行動に起こすと臭い飯を食うことになるという教訓を得、家の中で全裸を楽しんでいただろう。

しかし現代では目の前の小さな画面を通して世界の同胞に会える。あらゆる体験を聞き、勇気づけられ”案外刑務所の飯うまかったよ”という言葉に、もしかしたらいけるかもという淡い期待を抱くかもしれない。

 

男もその1人だ。仕事仲間で繋がっているアカウントからもう1つのアカウントに移る。もう何百回としてきた動作だ。今では画面を見ていなくてもできる。社員旅行で撮った風景のアイコンから初期のアイコンに変わる。タイムラインを遡ると何人もの同志がいた。

男は先日アップした画像に来ているリプライに返信していく。”次はいつ?”という言葉に返信している手が止まった。アップしている画像は身元バレを懸念し首から上を隠し、自身の部屋か屋外なら出張先で撮っていた。今後の仕事の予定を思い出す。今度は大分だったはずだ。

 

目的地に到着すると三角屋根の建物が目に留まった。比較的高所に位置しているためか9月特有の地獄の釜で煮られているような暑さは少し和らいでいる。夏の厳しさが残る日差しで温くなったペットボトルの水を1口飲み車のドアを閉めた。

 

閉鎖して久しいのか施設内は閑散としており、事務所のドアは抉じ開けられ備品は床に散乱している。風やなにかで自然と転がったのではなく、誰かが意図的に暴れ回ったような散らかり具合だ。ここは開園当時大きなレーシングカート場や巨大迷路が有名だった。昔両親に連れてきてもらった時よりも随分と色褪せている。一部のアトラクションは壊されていたが、多くはそのままひっそりと佇んでいた。

 

園内に人がいないのを確認した後汗で張り付いた服を脱ぐ。吹き抜ける風が素肌を撫で、清々しさと解放感にほっと一息ついた。いつもは撮影のときだけ脱ぎ、撮影後急いで服を着ている。人に見つかるかもしれないという皮膚がひりつくような緊張感と高揚感は何とも形容しがたいが、今回は解放感の方が勝っていた。ここまで堂々とできるのは初めてかもしれない。

 

放置されて緑に埋もれるゴーカートや建物を背景に自撮りする。初めは何かが揺れる度身を小さくしていたが、いくら確認しても木々が風に靡いているばかりだ。堂々と散策するようになるまで時間は掛からなかった。

ふとお化け屋敷が目に留まる。昔来た時には妹と一緒に父親を盾にして、聞こえてくる音にも怖がってたっけと懐かしむ。

 

中は大分埃が溜まり、閉園してからの年月を感じさせた。空気はどこか湿っぽい。全体的に暗いがまだ太陽が沈むほどの時間でもない。スマホのライトを頼りに進んでいるが、記憶の片隅に残る風景とは随分と違う。自身の視線の高さが変わったことも原因だろうが設置されていた人形などは全て撤去されている。そのまま残されていれば一緒に写真を撮るつもりだったため少し残念に感じ、もう引き返すかそのまま出口まで行くか迷っていた。

 

靴で小石を弾く。小石は硬質な音を立て跳ねる。小さな音の後金属質な音が1度空間に響いた。その音の大きさと冷たさに思わず身が竦み、小石が飛んだ先を窺う。

 

その音の正体を見て全身から血の気が引く。日常生活では見ることはない狩猟用の罠だ。刃は鮫の歯のように尖り、照らした光を反射する。それが通路に仕掛けられていた。悪ふざけにも程があると憤慨するどころか臆してしまったのは罠を仕掛けた者の悪意を感じてしまったからだ。注意深く見なければ危うく踏んでいただろう。その刃が少し肉付いた自身のふくらはぎに食い込むのを想像しただけで気が遠くなった。

こんなものを設置するような人がいるなら早く帰った方がいい。道を引き返す。首の後ろにかいた汗を掌で拭う。直前に振りかけた虫よけスプレーが強く香った。

 

「――あっ、すみませ…」

 

気を取られて、誰かにぶつかる。思わず出てしまった謝罪の言葉は途切れた。緊張で張り付いた喉からしわがれた声が出る。その場から飛び退き出口を求めて駆ける。腹から酸がせり上がってくるのを必死に堪えた。

出会ったのが普通の人なら濡れた服を乾かしているなど適当に誤魔化して退散していただろう。

幾つものフックが突き刺さった腕、不気味な笑みを浮かべる仮面、その仮面の奥では弓なりに細められた眼。それを見た時にはもう走り出していた。

 

スマホのライトで足元を照らし走る。心もとないがないよりはマシだ。先ほどあったような罠が仕掛けられているかもしれない。背後からはまだ足音が聞こえている。隠れようとも大人1人が潜める場所などどこにもない。時折暗幕や目についたもので行く手を阻むが効果は乏しい。

罠に引っ掛かりそうになり足を滑らせる。足を止めるわけにはいかず、這うように先を急いだ。

 

出口が見えた。外からの日の光が隙間から差し込んでいる。この扉の先はきっと外だ。出口の扉を引くが動かない。何かが引っかかっている。扉を叩くが周囲に人などいない。むしろそう言う場所を選んだのだ。それを今になって悔やんでいた。扉を蹴破る程の力は男にはない。

扉を背にし、それが近付いてくるのを息を飲んで見るしかない。じわりじわりと獲物を追いつめる狩人のようにゆっくりと1歩1歩距離を詰める。無骨な形をした刃が見えた。

 

小さな金属音がし背後の空気が揺れる。首だけで振り返った。少女だ。開いた扉の向こうに1人佇んでいる。少女の目が男を下から上まで見た後、口がぎこちなく動く。

 

「お邪魔しました」

 

ピシャリと大きく音を立て扉は閉まり、二度と開くことはなかった。

 

 

 

 

 

 

長いようで短い夏休みが終わり、無事宿題も提出できた少女はほっと一息ついていた。エンティティ様お手製の問題集については好意を無下にすることもできず夏休みが明けている今も少しずつ進めている。高校から出された宿題と違い提出期限が無いことだけが救いだ。

 

少女は昨日見たテレビで海外の人には羊羹など餡子系の土産はあまり好まれていないということを知り衝撃を受けていた。豆はしょっぱいものというイメージが強く、豆を砂糖で煮るなんてと思うようだ。むしろお土産としてはヨックモックの洋菓子が1番喜ばれるらしい。

食わず嫌いはもったいないなとひとりごちた少女だがふと自身にもその見た目から食べていないものがあることに気が付く。今度こそ食べてみようと立ち上がった。

 

 

エンティティ様のチョイスで着いたのは由布岳という場所だった。 大分県由布市湯布院町と別府市との境にある山だ。湯布院には人気の温泉郷もあり、温泉湧出量は全国2位の量で、源泉の数は852もある。

 

”由”布岳と”湯”布院、音は同じなのに字が違うため疑問を覚える人も多い。元々、北由布村と南由布村、湯平村の村があった。1936年に北由布村と南由布村が1つになり由布院村に、その後1955年に湯平村とも合併し湯平村の”湯”を使い、湯布院町が誕生する。この時点では大分県湯布院町だった。

しかし平成の大合併によって周囲の庄内町、挾間町と合併し由布市が生まれる。そうして現在の大分県由布市湯布院町となった。

 

地元の人は湯平町だった地域を湯布院、湯平町ではなかった地域を由布院と分けているらしいが、特段表記に決まりはない。青梅駅と青海駅のように間違えると地獄を見るわけではないので特に気にせずに旅行を楽しんで大丈夫だ。

 

由布岳は湯布院の北東に位置しており、綺麗な円錐形で豊後富士とも言われ実は万葉集にも登場している。昔から神の山と崇められ 登りやすく絶景が楽しめることもあって今でも登山者に人気がある。特徴的なのは東峰、西峰という2つの頂上を持っているところだろう。

9月に入ったとはいえ、山々は青々としている。牧草地や木々が生い茂る道、草木の無い岩場、ジグザグの登山道を進み、標高1580mの東峰に到着すれば、360度パノラマの景色を見ることができる。別府湾や国東半島、湯布院盆地を見下ろす。湯布院の中には露天風呂に入りながら由布岳を眺められるよう工夫している宿も多くあるらしい。

 

場所を見つけて腰を下ろしリュックから買ったものをいそいそと取り出す。道の駅で買ったものは現在でも県内の学校給食で出されたり、御盆に供えられたりと、地域に根差した”やせうま”という名のお菓子だ。売り場では透明のパックに入って並べられていた。

やせうまは小麦粉で作った生地を平たい麺のように伸ばし茹でた後、きな粉に砂糖を加えたものをまぶした大分の郷土菓子で、生地を伸ばす時、包丁で切らず、指で引き千切るように作るのが特徴らしい。

音だけ聞くと痩せた馬のことかと思ってしまうが、平安時代に乳母の八瀬(やせ)に作らせたおやつを気に入った貴族の若君が、「八瀬(やせ)、うま」と強請り、そのおやつに”やせうま”という名がついたという逸話がある。

 

因みにやせうまと同じ麺を味噌を溶いた汁に野菜と一緒に入れたものが大分の郷土料理として有名なだんご汁だ。メインだんご汁、デザートにやせうまというように一緒に食べることも多いらしい。

 

ところてんも酢醤油派な少女としては麺なのに甘いという違和感に今まで手が伸びなかった。しかし実際食べてみると麺はもちもちとしており素朴でおいしい。団子ともうどんともどこか違う。弾力のある食感は食べごたえ充分だ。腹もちもいいため子どもたちのおやつにはぴったりだろう。

 

やせうまを食べ終え、一緒に買った”ざびえる”と描かれたお菓子に手を伸ばす。大分と言ったらこのざびえるを連想する人も多いらしい。ざびえるという名は、日本に初めてキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルに因んで付けられた。バターが効いたビスケット生地の皮の中には餡が入っていると売場の説明書きに書かれていた。正に和洋折衷だ。1つずつは小ぶりだが餡がしっかりと入っているのか重さがある。

 

ざびえるは大分で50年以上親しまれているお菓子だが決して平坦な道ではなかった。1962年から長久堂が製造していたが2000年に自己破産し一時ざびえるは幻のお菓子となった。しかし旅行者だけでなく地元住民にも愛されていたざびえるの復活を求める声は多く、長久堂の元従業員が会社を立ち上げ2001年4月に製造が復活を遂げる。実はその年の11月までに黒字にならなければ廃業する覚悟だったらしいが8月には無事黒字化し、今現在も様々な人に愛されている。

 

ざびえるには金のざびえると銀のざびえるがある。金はラムレーズン入りの餡が、銀は白餡が詰まっている。エンティティ様と半分個しようと金と銀、1つずつ買った。外のビスケット生地はしっとりとしつつもサクッと、中の餡はもっちりとしていて食感の違いが楽しい。金はラムレーズンがほんのりと香る。ラムレーズンと言っても刻まれているため強すぎないところがいい。エンティティ様は金の方が好みらしいが少女は銀派だ。銀は白餡のまろやかさとバターの風味が絶妙にマッチしている。因みにオーブンで少し焼くと更に美味しいらしい。

 

頑張って登ったこともあり、一段とお菓子がおいしい。今も少女たちがいる由布岳を誰かが眺めているのかと思うとどこか少しくすぐったい気持ちになった。

 

 

 

 

 

 




これで九州7県おわったぞー! 

ここでBGM代わりにしていたJR九州のCMをひとつ。
10年前のCMですが元気をもらえるのでとてもおすすめ。
https://youtu.be/UNbJzCFgjnU
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