少女は本屋でるるぶを選んでいる。まだ内容を見ているわけではない。お行儀よく棚に並んでいる背表紙をただ眺めているだけだ。
次の食べ歩きをする先を決めるべく真剣な表情で少女は選んでいる。
その地に行かないと食べられないおいしいものがあるということに少女は気がついていた。
京都のかき氷はそれはそれは美味しかった。水がいいのか氷の削り方がいいのか、あるいはその両方かもしれなかったが少女はぺろりと1人前平らげた。かき氷だけでなく、大阪で食べた豚まんも、長野で食べた牛乳パンなどの食べ物も最高だったのだ。
しばらく迷って少女が手に取ったのは広島のるるぶだった。雑誌を開いてみるとどうやらお好み焼きが有名らしい。他にもサイクリングが好きな人にはしまなみ海道を自転車で渡ることもおすすめと記載がある。
後は宮島、ラーメン、カヤック体験など多種多様だ。しかし、少女にはそんな体力も時間もお金もない。移動手段がエンティティ様だとしても、食べ歩きをしていると2時間や3時間はあっという間に過ぎてしまう。親に心配をかけるわけにはいかない。
ページを捲り続けるとラグビーボールのような不思議な形をしたものが少女の目に止まった。1つ200円もしない。自分とエンティティ様の分の2つ買っても400円だ。こつこつ貯めているお小遣いでも十分買える。
「エンティティ様、広島いってメロンパンたべよう!」
影から返ってきた返事に微笑んだ。
いつものようにリュックと水筒を背負い、慣れたように公園のコンクリート製の遊具の中を進む。明るい方向に進むとパンが焼けるときの匂いがふわりと漂ってきた。
匂いをたどった先には商品と同じ名前の店舗があった。店内を少しきょろきょろ眺めるが目当ての物はすぐに見つかる。
るるぶに載っていた通りのラグビーボールの形だ。少し迷って1つだけ取る。手にずっしりとした重みを感じた。
すぐに店員にお会計をしてもらい、併せて近くの公園の場所を聞く。店に入る前に周囲の道路を歩いていたがベンチさえなかった。店の傍にある歩道橋の階段に腰掛けて食べるわけにはいかない。
少し歩いたところに公園があると店員は親切にも簡単な地図まで描いて教えてくれた。たどり着くと公園では何人かの人が自由に過ごしている。遊んでいる子どももいれば、散歩の途中なのかベンチに座るお年寄りもいた。
空いているベンチに座り、買ったばかりのメロンパンを取り出して2つに割った。少し大きい方をエンティティ様にあげる。
パンはスーパーに売られている丸い形のものとは違い堅くなくふんわりと柔らかい。中にはカスタードクリームのようなものが詰まっている。一口食べて少し目を見開く。クリームは白餡のようにしっとりとして、普通のカスタードクリームとは一線を画している。
半分でも随分と少女のお腹にたまった。エンティティ様の分と自身の分、それぞれ1つずつ買わなくて正解だったと少女は思った。
食べ終わった後、ベンチでお茶を飲んでいると、近所に住む人なのかおばあさんに声を掛けられる。
「ここじゃぁ見たことない子じゃの」
広島に遊びにきておいしいものを探してると簡単に伝える。
さっきまで食べていたメロンパンのおいしさを話すと、おばあさんは少女に手荷物からタッパーを取り出し少女に勧めてくる。天気がいいので外で食べようと持ってきたらしい。
タッパーの中にはシンプルなスポンジ生地が2つ並べられている。上には何も飾りはなくただつるりとした焼き面があるだけだ。勧められているのに断るのはどうかと思いひとつ手に取る。どうやら茶色いのは上面だけで、横から見ると黄色でやはりなにも挟まれていない。カステラをホールケーキの型で焼いて、包丁で何等分かにしたような見た目だ。
バターの香りが口いっぱいに広がる。
カステラやケーキのスポンジとはちょっと違う。柔らかく滑らかだ。どこを齧っても味は同じだが飽きることなく、甘すぎずクドさも感じなかった。全てが絶妙なバランスだ。
「長崎堂」と「
食べ終え御礼を伝えると、おばあさんはフライケーキはもう食べたかと聞いてきた。初めて聞いた言葉に首を傾げる。どうやらメロンパンと並んで有名らしい。ここから15分も歩けば出来立てが食べられる福住というフライケーキ専門店があるとおすすめされた。
腹ごなしのためにてくてく歩く。
説明通りに進むとアーケードがあり、その一角にレトロな茶色の看板がかかっている。外にいても油となにかを揚げている匂いが届いた。
値段は1個80円で良心的だ。これならメロンパンを1つ分の浮いたお金で買える。2個注文しあつあつのフライケーキを抱えて店の外に出た。
座れるところを探して歩いているといつものように空気が変わる。もうこの現象に少女は慣れっこだ。
どうやら古い家の中にいるらしい。屋敷と言っても過言ではないほど広そうだ。とりあえず倒れている椅子を起こして、座るとフライケーキを1つエンティティ様に渡した後、少女も食べる。油で揚げられサクッとした生地の中に、優しい甘さできめ細かいこし餡が入っている。
やはり地元民のおすすめにはずれはない。
少女がフライケーキを堪能している間に少女の影から何かが音も立てず出てきた。その見た目は皮膚は灰色で骨と皮だけに痩せこけ、ミイラのように思えた。右手は歪な形をしており、小柄な体格にはアンバランスだ。
「ハグも食べる?」
それは少女が半分個に割って渡したフライケーキを咀嚼もせずに丸呑みする。そしてそのままなにも言わずに部屋を出て行った。
冥冥は単独任務で屋敷にきていた。
門の外から見ても雑草が茂り荒れ放題で管理されていないことがわかる。依頼人はどうやらこの屋敷を売りたいようだ。そのためにも中に棲み着く呪霊をどうにかしたいと依頼書には書かれていた。
鴉と視覚を共有する自身の術式で外から内部の状態を調べる。やはり外からは得られる情報が少ない。屋敷の玄関の扉を開け、屋敷の中に鴉を飛ばす。
感覚的にどこら辺りに呪霊がいるかは分かっているが情報はあればあるほど優位に立つことができる。
どうやら3階の主寝室に目的の呪霊はいるようだ。飛ばした鴉が呪霊に殺されたため術式を解いた。
目的地へと一直線に向かいつつ、道すがらそこかしこにいる低級の呪霊を自身の武器である大斧で祓った。
屋敷は増築を繰り返したのか複雑な構造をしている。あちらこちらに階段があり、1階と2階の間にも部屋があったりと地図を見ながら進んでも迷ってしまうだろう。
主寝室にいた呪霊は2級相当で、冥冥と相性も良かったのか怪我なく祓うことができた。
他の低級呪霊を祓うべく3階の廊下を歩いているとき空気が一変する。すぐさま術式を展開する。
先程まで何体もいた低級呪霊がいない。いないというのは言葉が足りないだろう。何者かに殺され床に転がっている。その方法も冥冥のように武器を使っているようではない。歯の跡がいくつもついている。どうやら文字通り食われたようだ。
また、曲がり角の床などに何かの
呪霊を殺す呪霊というのはあまり耳にしたことがない。
突然現れた呪霊が冥冥以上に強いことは感覚的にわかった。冥冥の目的はこの屋敷に棲み着く呪霊を祓うことであり、突如屋敷に現れた者との一銭にもならない戦闘は避けたい。幸運なことに冥冥にはこの術式がある。目的を果たした今、さっさと退散するべきだろう。
位置を確認するため再び鴉と共有した視覚にそれは映った。
「――なんだ、あれは」
思わず口から言葉がこぼれた。
それは一見干からびた死体のように思えた。鼻は削ぎ落とされ、歯茎は剥き出しで鋭い歯が覗き片腕は変形している。それが呪霊に飛び掛かり喉を食いちぎると腕で呪霊の体を裂き、そこから零れた臓腑を貪っているのだ。
肌が粟立つ。
すぐ様屋敷から出るべきだと本能が警鐘を鳴らす。
しかし全ての窓には頑丈な鉄格子が嵌められている。壁を壊して屋敷から脱出することも考えたが、その音で
廊下を慎重に歩く。鴉の視界を通して
あれがいる場所と離れていることで少し油断していた。鴉の視界からあれが一瞬にして消える。鴉が殺されたわけではない。
他の鴉の視界とも繋いで注意深く探す。
背後から音がきこえた。
ただ走る。
屋敷の中を縦横無尽に駆けた。
あれは冥冥の後を追ってくる。
試しに大斧で切り付けたが簡単に防がれてしまう。
あれは足が遅い。しかし一度態勢を立て直すため距離を取ろうと試みてもいつのまにか冥冥の進んでいる方向に現れるのだ。
その度に進路変更を余儀なくされる。自然と舌打ちが出た。距離が開くなら最悪どこかの壁を壊して脱出できるが、こうも追われていてはそれも叶わない。
暫く観察してわかったが、あれは印がついているところに移動ができるようだ。しかしそれがわかったところでその印は屋敷中にいくつもある。やはりどうにかして外に出るしかない。屋敷の外に印がないことに一縷の望みをかけた。
丁度近くには1階に続く階段がある。何段も段差を飛ばして駆け下りた。しかしあれは冥冥の目的に感づいたようで、先回りし玄関付近を徘徊している。仕方なく音を立てず近くにあった小部屋に入った。
「――お姉さん、だあれ?」
心臓が凍りつく。
不意に耳に届いた声はひどく柔らかった。
「…お嬢さんこそ、こんなところで、なにしてるのかな」
自身を落ち着かせるようにゆっくりと、しかし警戒しながら言葉を紡ぐ。
一見普通の子どものように見えた。しかしこんなところで普通でいられるのは明らかにおかしい。あからさまに少女に武器を向けることはしなかったがいつでも対応できるように大斧の柄を握り直す。
「わたし?ちょっとおなかいっぱいだからやすんでる」
確かに少女の手には水筒のコップが握られている。
「いや、そうではなくて……っ!」
続きを聞こうとしていると扉が開いた。あれが入ってくる。咄嗟に扉から距離を取り、構えた。
「ハグ、その人は悪い人じゃないとおもうよ。もうおわったなら帰ろう?」
少女がそういうとそれは構えていた腕をだらりと下ろし、少女の方に歩いて行く。少女もそれが当たり前だというかのように怖がりもしない。
冥冥は少女の影に潜むモノの気配を感じ取った。その得体の知れなさに総毛だつ。吐き気さえ感じていた。先程自身を追っていた
しかしそれは冥冥など興味が無いとばかりに目の前の化け物を取り込む。
少女はコップの中身を飲み干すと椅子から立ちあがり荷物を背負った。そして冥冥に小さな手をひらひらと振りながら、あれと同様に影に溶けていく。
冥冥はその光景をただ息を止めて見ているしかなかった。緊張の糸が切れ、力が抜ける。少女が座っていた椅子に腰かけ背もたれに身を預けると、手で顔を覆い天井を仰ぎ見る。
零れた溜め息が、自身があれに殺されなかった安堵からくるものか、あれを使役する子どもを殺せなかった後悔からくるものなのか、いつまで経ってもわからなかった。