明日、高額な懸賞金が掛けられた女が沖縄に来る。また護衛は五条悟と夏油傑である。その2点を馴染みの情報屋から聞き、男たちは集まっていた。
どの者もあわよくば他の奴らを出し抜いて懸賞金を独り占めしようと考えていた。しかし女の警護としてあの五条と夏油がいることを聞くと単騎では無謀だと誰しもが思う。だからこそそれぞれの長所を活かし、共闘するべきだという意見に全員が賛同したのだ。
個々の術式だけではあの2人に優位に立てるとは到底言えない。むしろ男たちは呪詛師としても半端者の集まりだった。立派な呪詛師であれば単騎でも人を殺すことは容易いだろうが、そこまでの術式も頭も根性さえもない。明日の暮らしどころか今日食べる物にも困窮している者もいる。どの者も背に腹はかえられなかった。
負傷した者のダメージを半分自身に移すことができる者。
近くにいる低級呪霊を呼びよせることができる者。
右の掌で触れたものを5秒その場に留めておける者。
自身と自身に触れている者の気配と音を15秒間だけ消すことができる者。
たまたま連絡が付き集まった4人ではあるが、社会に鬱憤を抱き、他の
弱いからと言って手加減をするような連中ではないことは既にわかっている。気付薬としてアルコールを手に取るのは自然な流れであった。
愚痴ならいくらでもある。明日死ぬかもしれないのだ。アルコールで緩んだ口からは今まで堪えてきた、自身でも忘れ去るほど奥底に押し込めたものが記憶の濁流とともに噴き出した。
アルバイト先の店長から言われた嫌味。
横柄な客。
接客が雑な風俗嬢。
担任と自分しかいない三者面談。
もう顔さえ思い出せない親と兄弟。
冷えて不味い飯。
普段であれば言っても周囲に引かれるし、プライドがあるため絶対に言うことはない。しかし思いがけず出た愚痴に他の3人も似た体験を語った。あとはなし崩しに愚痴の言い合いになる。
よく呑みよく笑った。
呑み始めて時間がたった。もう夕方が近い。明日に備えて早々に寝てしまいたかったがまだ4人にはすることがあった。あの五条たちを出し抜く方法は酒を酌み交わしながらああでもないこうでもないと意見を出した。そこでまとまった計画のための前準備が残っている。
少女はたまたまテレビで沖縄を特集した番組を見ていた。沖縄というところは比較的暖かいらしい。テレビの中ではハブとマングースの戦いや星の砂などを紹介している。ちんすこうにサーターアンダギー、ジーマーミ豆腐に海ぶどう。何となく見はじめたつもりであったのにいつの間にか番組が終わるまでしっかり見てしまった。
気になるならしかたない、行くしかない。
「エンティティ様、沖縄いこう!」
色々な場所に行ったが沖縄はなんだか他とは雰囲気が違った。建物の形や所々に配色された赤茶色がこの雰囲気を醸し出しているのかもしれない。
しっかりとるるぶでなにが食べたいと思ってきたわけでもないため近くのスーパーに入る。少女からすると地元密着型のスーパーは宝箱にも等しい。
少女の読みは正しかった。ゴーヤーチップスや島豆腐、うず巻パンにゼブラパンなど普段見かけないものばかりだ。その中でも少女の目を引いたのは生菓子のコーナーに置かれているムーチーというものであった。何かの葉につつまれており茶色の中身が覗いている。これの小さいパックのものなら今の少女のお小遣いでも買えそうだ。
スーパーの中にあるイートインコーナーの椅子に腰かけ、パックを開く。開けた瞬間に爽やかな香りが届いた。陳列棚のポップにはその葉は月桃という植物の葉だと説明がある。
触った感触はもちもちとしてお餅のようだ。素朴な甘さで黒糖独特のコクがある。葉の香りが移っているのか食べると口に清涼感が残った。半分にちぎりエンティティ様にもあげる。これもお気に召したようだ。
葉とお餅がしっかりとくっついた部分に悪戦苦闘している少女によく日焼けした女の子が話しかけてくる。
「ぬーそーんぬ?」
方言はわからないが何度も繰り返し言われるとニュアンスは伝わった。どうやらなにしているのか聞かれているようだ。少女は沖縄に遊びに来ておいしいものを探していると告げる。
それならばいいもの食べさせてやろうと言われ、少女はそれに従った。女の子は近所に住んでおり、知らない顔の少女をみて思わず声を掛けたらしい。
女の子の家は平屋の一軒家だった。門の両脇には小さいシーサーがいる。
家の中には女の子の弟がいた。よく日焼けした小麦色の肌だ。女の子の弟は少女にどこから来たのか、本土の子かとしきりに問うてくる。
少女が方言の意味を聞き、ひとつひとつ質問に答えていると目の前に皿を置かれた。チョコレートケーキの様だが上部は白いものでコーティングされている。
かわりにあげられるものがないと告げるが、父親の連日に
上に載っている白いものは生クリームではなかった。口に広がる風味に頭に疑問符をつけていると、上の白いのはココナッツフィリングだと言われる。これはジミーのジャーマンケーキというものらしい。沖縄ではとても人気があるそうだ。
確かに上のココナッツフィリングは甘くしゃりしゃりとした食感だ。少し甘さ控えめなチョコレートのスポンジ生地と一緒に口に含めば、バランスがよかった。ケーキと言われて連想する生地も生クリームもふわふわで間に果物が挟まっているものとは全く違うが、これも一味違っておいしい。
食べ終えると女の子たちは更に本土にはなかなか無い物を食べさせてやるといい、少女を裏庭に連れて行った。
「…竹?」
かぐや姫の絵本で見た竹の形とよく似ている。しかしかぐや姫が入るにはいささか細すぎる。
その少女の言葉に女の子は太陽のような明るさで笑い、さとうきびだと言った。女の子の
これを絞って、出た汁を固めると黒糖になるという。案外おいしかったのでエンティティ様に皮を剥く前のものをこっそりあげたが、いつもより反応が鈍かった。
日が暮れだしたので御礼を言って女の子の家を慌てて出る。周囲に人がいないのを確認して、いつものようにエンティティ様にお願いした。
目を開けると知らない場所だ。
近くに倒れている車椅子や壁に張られているポスターから病院だとわかるが、埃が積もり窓は割られているどころか窓枠しか残っていない。もう使われなくなって長いのだろう。
いつものやつだと少女はひとりごちた。
少女の影からゆっくりと浮上するものがある。それは白衣を纏っている。しかし開口器と開瞼器をつけている姿は異質で手には鉄製の棍棒を持ち、常に電撃が発せられている。
「あのね、ドクター。はやくかえらないと心配されちゃう。いそいでできる?」
その言葉を聞き届けたからかどうかはわからないが男は大股でその場から離れて行った。
男たちが計画したことはそこまで難しいことではない。
まず呪霊を呼び寄せる。なけなしの金を集めて買った低級呪霊を封印できる呪具をいくつも使い捕獲。明日、封印した呪霊を五条たちに向かって放ち、それを奴らが対応している隙に女を拐えばいい。それがいい手だと思っていた。
そのため4人は車を運転し街灯さえない道を進んで呪霊が居そうな廃病院に来た。
怯えもあるがアルコールで気が大きくなっている男たちは近くに転がっている石やら瓦礫を蹴り上げる。
それは明かりすらない廊下を転がっていく。石が跳ねる音だけが反響した。
途中までは順調だった。全員武器を持ち、ちょっとよさそうな呪霊を見つけると封印していった。明日のことはどうであれ、全員が文化祭前夜のような気分で楽しんでいた。いい具合に酔っているのも一因かもしれない。
それは急に訪れる。
電流が全身を駆け抜けた。
叫ぶ者や床に蹲る者など様々だったが、似た反応に全員に等しく起こったことなのだと知る。先ほどまでの楽しさは一瞬にして霧散した。
全員が一塊になり暗闇を見つめて武器を構えたが、それが見えた瞬間、脱兎のごとく全員で廊下を駆ける。
逃げる最中にも電撃の攻撃を受ける。恐怖で崩れ落ちそうになる足を無理矢理動かした。
必死に走るとなんとか振り切れたようだった。
しかし院内図も確認せずに走り出したため現在地すらわからない。荒くなった息を整える。全員が早くここから出ようと口々に言った。それぞれが背中合わせになり周囲を確認しつつ進む。
鉛のような空気の重さに一番若い者が啜り泣く。鼻水を啜る音だけがその場を満たした。唯一懐中電灯を持つ者が泣いている男の背を擦る。自身を鼓舞するかのように無理矢理明るい声を出し互いを励まし合った。
慎重に進んで歩みが遅くなったせいだろうか、白衣の男に見つかる。先ほどと同様に電撃を浴びせられるが、男たちの中の1人が意を決し白衣の男に近づいて手を伸ばす。
しかしそれは簡単に棍棒で叩き落される。太い木の枝が折れたときのような鈍く低い音が他の男たちの耳に届いた。
腕を抱えて叫ぶ男を3人がかりで引き摺り逃げる。なりふり構わず、放置されているワゴンや車椅子を男にぶつけた。距離が開く。
廊下を何度か曲がり見つけた物陰に4人は身を潜めた。1人が術式を使い気配と音を消す。
4人を追う男の足音がすぐ横を通る。固く目を閉じた。汗が吹き出す。
早くどこかにいってくれ。神に祈る。
その願いが届いたのか足早に男は去って行った。
腕を折られた男の様子を確かめる。息が荒い。真っ白な顔だ。
他人の怪我を半分自身に移す術式を持つ者がその力を使う。
折られた腕は元の位置に戻った。ダメージが軽減したのか顔色が戻る。これならまだ走れるだろう。術式を使った者も腕を押さえるが声を出さないように唇をかんで耐えている。
怪我をしていない2人が怪我を負った2人を挟む形で進む。もうすぐ病院の正面口だ。
先頭を歩いていた男が足を止める。
全員が目配せし合い何かあったのか確認すると、顎である方向を指す。
子どもがいる。
まだ幼い少女だ。
いつもなら気にも留めないが、こんな時間にこんな場所にいるのはおかしい。異常だ。
ましてやここにはあの白衣を纏った化物もいる。そんな空間で逃げも泣きもせずにただ待合室のベンチに大人しく座っている。
「おにいさんたち、だあれ?」
小さな口は紡ぐ。
先頭を歩いていた一番若い者が、鞄から低級呪霊を封印した呪具を全て少女の方に転がした。歯ががちがちと音を立てる。
「それっ…、あげるから、たすけてっ、ゆるして…」
その場で埃まみれの床に手足と頭を擦りつける。消え入るような声で言った。頭を伏せる際、勢いをつけすぎて額から血が流れた。それを拭う余裕もない。
藁にも縋る思いだった。この際、縋れるなら藁どころか天使でも悪魔でも化物でもなんでもよかった。
「――それ、くれるの?」
色々な汁でぐちゃぐゃになった顔を僅かに上げ、何度も首を振る。近づいてきた少女はそれらを拾うと自身の影に置いた。呪具がゆっくりと影に吸い込まれていく。
「エンティティ様、おにいさんたち、でたいんだって。その代わりにそれくれたよ。悪いひとでもなさそうだからだしてあげてもいい?」
少女がそう言った後、暫く経って水面に石を落としたときのように影に小さく波紋が生まれた。
「いいみたい」
どうやら許されたようだ。
4人は這うように廃病院の玄関を出る。振り返ることも出来なかった。玄関の傍に停めていた車に飛び乗り、シートベルトもせずアクセルを踏んだ。
車内では誰も一言も話さなかった。
何時間も車を走らせる。停めろという者はいない。あそこから少しでも離れられるならそれでよかった。
ガス欠寸前になり立ち寄ったガソリンスタンドで一息つく。並べられている色褪せたベンチに座り缶コーヒーを啜った。
「ごめん、…呪具、あの子にあげちゃった」
その弱々しい言葉に他の3人はきょとんとした後、笑い出す。
なけなしの金で買った呪具だったのだ。殴られても仕方ないと考えていた男は目を丸くした。1人が背中を叩きながら言う。
「おめーがあのガキにあの呪具やらなかったら、俺らあのバケモンにやられてたかもしれねえんだぞ?むしろあのガキに取引持ちかけたおめーの男気に感動したわ」
他の者もそれに同調する。
その言葉にまた涙が零れた。
埃と汗まみれの男たちは沖縄の白い砂浜に直接座り込み、底が透けるほど美しい海をただ眺める。
ガソリンスタンドに長居しすぎて店員に追い出され、仕方なく近くの浜に辿り着いた。つい数時間前に起こったことがまだ信じられなかった。
「あー、呪詛師やめるわ、俺。やっぱ向いてねぇ」
「は?そしたらなにすんだよ」
「――逃がし屋」
「は?」
「あのバケモン相手に生き延びれたんだぜ、この俺らが。…逃げたいと思ってる奴から金をもらって目的地まで手助けする。あの化け物から逃れたならどんな奴からでも逃げれんだろ」
その男の言葉に全員が噴き出した。他の3人がおもしろそうだからその話に乗ると言うのに時間はかからなかった。
死線を共に乗り越えた仲だ。話はどんどんと進む。
「そしたら、まずグループ名きめねえとな…なんにする?」
「グループ名ってジャニーズかよ」
「……
「お前それルーキーズのパクリじゃねえか。その前に俺ら病院連れてけよ」
腕を折られた男が簡単に添え木で固定された腕を掲げながら言う。
「どうせヒビだろ?そのままで問題なし!それともなんだ、電気流して治してもらうか?」
その言葉に全員が口を開けて笑った。