ウンコティンティンと黒の剣士   作:ウンコティンティン

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第1話

 読み終えた本をパタンと閉じる。

 歴史の教科書よりも分厚いそれには、たった二年分の記録しか残されていない。

 背表紙を撫でて、そこに書かれている文字を改めて読む。

 

『SAO事件全記録』

 

 その読了感は、奇妙な重みを僕に齎した。

 茅場晶彦なる人物が起こしたゲーム史に残る大事件。結果的に四千人もの犠牲者を出したこの事件は、一人の英雄によって幕を閉じたらしい。

 

 英雄の名は、キリト。

 

『SAO事件全記録』には、彼の名が度々登場する。ソードアート・オンラインに閉じ込められた一万人のプレイヤーの中でも、最強のトッププレイヤーの一人であり、ゲーム内に潜んでいた茅場晶彦を見つけ出し、撃破した。

 

 その活躍は獅子奮迅という言葉の如くであり、

 曰く、ゲーム内最速の反応速度を持ち、

 曰く、レイドボスを一人で撃破し、

 曰く、どこぞのマリモ剣士よろしく三本の剣を扱い、

 曰く、数十人の女性プレイヤーを連れ回し、

 曰く、複数のユニークスキルを保持しており、

 曰く、茅場の正体にも早々に気が付いていたということだった。

 

 多少の脚色が加えられている気もするが、それだけの活躍をしたのだろう。

 それだけに、俄かには信じられない。

 

「思い、出せそうか……?」

 

 目の前に立つ、気弱そうな黒髪の少年がその『キリト』であるということが。

 

「いや、SAOとナーヴギアを買ったことまでは覚えてるんだけど、その後はさっぱり……」

「……そうか」

「……なんか、ごめん。その、僕たちって友達、だったんだよね?」

「あ、ああ。そうだ、俺たちは友達だ」

「……………………ごめん」

 

 眉尻を下げてあからさまに困った顔をするキリトを見ると、こちらが申し訳なくなってくる。

 

「じゃあ、そろそろだから。また来るよ、神山」

 

 キリトはそう言って真っ黒なコートを羽織り、僕のベッドから離れた。その後ろ姿に、脳の奥がチリチリと焼けるような感覚を覚える。

 神山光希(かみやまこうき)、僕の名前だ。

 病室のネームプレートにも、しっかりと記されている。

 

「うん、キリト。…………ねえ、キリト?」

 

 気掛かりがあり、思わず声をかけた。

 

「なんだ?」

「ゲーム内じゃ、僕はなんて名乗ってたの? まさか本名じゃないだろう?」

「あ、ああ。そうだな」

 

 二年もの間、僕は誰だったのだろう。

 手元の『SAO事件全記録』には、僕らしき人物の名前は見当たらなかった。

 

「それから、この本に時々出てくる『ウンコティンティン』ってプレイヤーは何なんだ? こんなふざけた名前をつけるなんて」

 

「え──っと、それは……」

「しかも、こいつも攻略組? ってやつだし、ふざけた名前して強かったんだね。キリトは知り合いだったの?」

「まあ、俺も攻略組だったしな。仲は、うん、良かったと思うよ」

 

 それきり暗い表情で黙ってしまったキリトを見て、僕は気が付いてしまった。

 

「死ん、だの……?」

「………………そうかも、しれないな」

 

 SAOプレイヤーたちは、顔や身体を現実の体そのままに戦ったという。しかし、プレイヤーネームは登録時のままであり、当時の戦友と言えど、SAOクリア後はどうなっているのか分からないのだろう。また、キリトの口ぶりから、クリア時の生死が確認されてないようだった。

 

「悪い。今日はもう帰るよ」

「うん。ありがとう、キリト」

「ああ、神山」

 

 キリトが出ていってから、自分のプレイヤーネームを聞きそびれたことに気がついた。

 まあいいか、と布団にくるまる。

 

 SAO事件は過去のことだ。その記憶を全て失った僕であるが、どうせ大したプレイヤーでもなく、中層辺りでひっそりと暮らしていたに違いない。もしかしたら、最初の街から出られず、恐怖で縮こまっていたかもしれない。

 

 もしかしたらプレイヤーネームを聞いただけで、SAOの記憶が戻るかもしれない。もし自分の記憶を取り戻した時に、そんな情けない自分の姿を見るくらいならば、記憶など戻らない方が良い。

 しかし、もし僕が凡庸なプレイヤーなのだったとしたら、疑問が一つ残る。

 

「キリトとはどんな風に出会ったのかなぁ」

 

 

 ────────

 

 

 

 キリトは病院の廊下をゆっくり歩いた。

 

 SAOを共に生き抜いた最愛の人、アスナを須郷伸之の卑劣な魔の手から救出してから一ヶ月が経った。

 妹の直葉とも以前のような仲を取り戻し、SAO時代の仲間たちとも仲良くやっている。

 

 だが、キリトはまだ一人の仲間を探していた。

 間違いなく最前線プレイヤーに並びうる実力を有しながらも、頑なに表立って最前線で攻略に参加しなかったプレイヤーだった。ボス攻略会議には参加せず、階層ボス攻略戦には稀に飛び入りで参加していた。それゆえに、彼の存在を知る者は、攻略組だとしても一部のプレイヤーに限られた。

 

 一度、聞いたことがある。

 なぜ正式に攻略組に加わらないのか、と。

 

『決まっているだろ。名前が恥ずかしいからだよ』

 

 その回答は大方予想通りだった。

 先ほど病室で神山が口にしたプレイヤーネーム『ウンコティンティン』が、まさしくかつてキリトの仲間として戦ったプレイヤーの名前だったのだ。

 

 そして、記憶を失った神山のSAO時代のプレイヤーネームがその『ウンコティンティン』だったのである。

 

 ALOの一件後、須郷の暗躍を暴いたことを盾に『ウンコティンティン』というプレイヤーネームのリアルを教えるように総務省の菊岡に迫り、紆余曲折の後、こうして『ウンコティンティン』に会うことができたが、再会した彼はSAO時代の記憶を全て失っていた。

 

 原因は分からない。

 

 担当医によると、ナーヴギアが何かしらの電気信号を脳に与え、そのショックで記憶障害が起こっているか、SAO時代に凄惨な体験をし、そのショックで記憶に蓋をしたかのどちらかだと言っていた。

 

 確かに脳を焼き切るほどの出力を持つナーヴギアであれば、記憶障害を起こさせることもできるだろうし、二年で四千人もの犠牲者が出たSAO内では、幾つもの悲惨な事件が起こっていたから、どちらも可能性としては考えられる。

 

 なんにせよ、神山光希という人物は『ウンコティンティン』として生きた二年間を完全に忘れている。恥じた名前とあの地獄のような日々を忘れたことは、良かったかもしれない。

 だが、キリトにとっては、共に二年間を戦い抜いた戦友だったのだ。

 

 それを喪ってしまったことは、ただただ悲しかった。キリトにとっての『ウンコティンティン』は死んでしまったと言っても過言ではないだろう。

 

「『ウンコティンティン』は、仲間だったんだけどな……」

 

 すれ違った看護師にギョッとされたような気がしたが、そんなことは気にも留めず、キリトは病院を出た。

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