※マライア・キャリーの名曲「恋人たちのクリスマス」に影響を受けましたお話です。
まだお付き合いしてないサラトガさんと提督。
というわけで、今年のクリスマスは、実は今までちゃんと書いたことのなかったサラトガさんのお話を書きました。
「提督は……クリスマスは、どうされるんですか」
気づけば、そんなことを問いかけていました。
夜の冷気に支配されつつある基地の庁舎。冬の気配に容赦なく冷やされている作戦指揮室。朝一で壊れたエアコンの替わりは、引っ張り出した石油ストーブが務めています。その、赤々とした炎に手をかざす私は、バルコニーの人影を振り返りました。
「なんだ、急にどうした、サラトガ」
庁舎内では唯一喫煙の許されている場所で、紫煙を燻らせる男性が一人。雪をちらつかせる宵闇を見上げていた提督は、官給品の煙草を灰皿で叩き、こちらを振り返ります。水晶玉のように透き通って美しい瞳と、目が合いました。
逆に問われて、私は答えに窮します。別段特別な理由はなく、気づけば口から零れていた問いかけで、正直私自身が驚いている程なんです。ですから、提督の言葉に、答える術がありません。
ただ――ここ数日、そのことばかりを、考えていただけです。
「いえ、あの……クリスマスというのは、ご家族や――恋人、と過ごすものだと、聞きましたので」
数秒言い淀んで、結局、包み隠さず答える他ありませんでした。こちらを真っ直ぐに捉える碧い双眸から、思わず目を外します。頬の熱さを、どうにかストーブのせいにできないかと、そんなことばかりを気にしていました。
ああ……そんなことを気にするのなら、尋ねることなどしなければよかったのに。
バルコニーの提督が、再び雪空へ目を向ける気配がしました。小さな踵の音が、夜に溶ける。私は恐る恐る視線を戻し、大きな彼の背中を見遣りました。
「そういう予定はないな。せいぜいが、同期と飯でも食うぐらいだ」
提督はそう言って、また盛大に煙を吐き出します。湿度が高いのか、紫煙は彼へまとわりつくように、しばらくバルコニーに漂っていました。
「ご家族や……恋人、とは、過ごされないのですか」
ここまで聞いてしまったのならと、さらにもう一歩、踏み込んだ質問を続けます。心臓がバクバクとして、うるさいくらいです。雪が舞うような、静かな夜の中にあっては、もしかして提督に聞こえてしまうのではと、そう思うほどに激しい動悸がしています。
提督は、今度は振り返ることなく、まるで独り言のように、星空へ囁くように、私の質問に答えました。
「お袋と妹はネブラスカだ。ここからじゃ遠い。クリスマスを祝ってくれるような恋人もいない」
恋人はいない。紫煙を吐いて告げる後ろ姿に、胸の高鳴りを覚えます。ストーブにかざした手を、二度三度と、握って開きました。続きがありそうな雰囲気の提督の言葉を、私は息を潜めて、そして可能な限り心臓の音を抑えて、待っています。
そんな私の様子に気づいたのか、提督がチラリと、横目でこちらを振り返ります。ドキリ。跳ねた心臓を、やはり何とかして隠そうと、息を飲む。
短くなった煙草をもみ消した提督が、三本目を取り出しながら、自嘲気味な笑みを浮かべました。
「俺は提督だ。それも遊撃艦隊の指揮官。生粋の海の男、ってやつだな。陸には寄り付かないし、こうやって艦隊が休んでる間も基地にいる。一つところには留まらず、転戦転戦、また転戦だ。――港で女を作っても、恋仲にはならない。いつ帰るともしれない、あるいは帰ってこないかもしれない奴を、『待っててくれ』なんて、ひどい話じゃないか?」
重たい煙が、バルコニーに漂っていました。その微かな残り香が、夜風に乗せられて私の鼻腔をくすぐります。嗅ぎなれた硝煙の、ツーンと鼻を刺激する香りとは、また違った雰囲気。諦観と哀愁。どこか寂し気な匂いに、目を細めました。
「提督――」
「あー、やめだ、やめ。すまん、下らん話をしたな」
くるりと体を回し、バルコニーの手すりへ寄り掛かった提督。煙草を咥えながら、私を見つめる瞳には、いつものちょっと調子のいい、明るく豪快な色が宿ります。けれどその表情を見ても、心に晴れない靄が残っていました。
「サラトガこそ、どうするんだ。確か、アリゾナ辺りが、パーティーを企画してたよな。そっちに参加するのか」
同じく彼指揮下の遊撃艦隊に所属する戦艦娘の名前が上がります。提督の言う通り、アリゾナさんからはクリスマスパーティーのお誘いがありました。「サラもぜひ来てね」と手渡された招待状には、彼女が自分で描いたらしい、可愛らしいサンタのイラスト。
……お誘いは、嬉しく、ありがたく、受け取りました。けれどお返事はまだしていません。
暖めた両の手を握ります。提督を見つめ続けるのがなんだか気恥しくて、私はまた、ストーブに目を向けました。真っ赤な顔でこの部屋を暖めるストーブの前に、私は身を屈めます。
「……サラは、」
サラは、提督と一緒がいいです。
その一言を口にするには、勇気も経験も足りなくて、結局私は口を噤みます。真紅の光が、頬を熱くしました。
「……初めてのクリスマスだ。楽しめよ、サラトガ」
黙ったままの私に、提督が言いました。バルコニーからの声を、背中で聞いています。軽い調子の言葉が、いつもより柔らかく暖かく感じたのは、ストーブのせいだったのでしょうか。
それを私が確かめるより前に、提督はまた、漆黒の夜に紫煙を吐きました。
艦娘となって初めてのクリスマスの夜を、結局私は、海の上で迎えることになりました。
艦上を駆けるのは、雪も混じらぬさむしい風。私の可愛い艦載機たちも、今夜ばかりはその全機が格納庫へ収まって、暖を取っています。艦橋より見える広大な飛行甲板には何もなく、それが一層、〔サラトガ〕という艦を冷やしているような気がしました。
暖房のない艦橋に、白い息を吐きます。漂う靄は、まるで提督の好きな煙草のよう。私の周りへ、まとわりつくように漂って、けれどやがては冷え込んだ空気に溶けていきます。それが、どことなく面白くて、私は同じことを、何度か繰り返しました。
「冷えるな」
通信室より戻ってきた提督が、そんな私へ話しかけます。彼もまた、私と同じように、真っ白な息をその身に従わせていました。寒さゆえか、少し赤くなった鼻先が可愛らしくて、つい頬を綻ばせてしまって、それを慌てて隠しました。夜航海中で、灯火を落としている艦橋の中でなら、きっと私の表情は見られていないはずです。
私の隣に立った提督が、大きな息を吐くと共に、肩を竦めて言いました。
「とんだクリスマスになったな」
提督がそんな風に言うのも、無理はありません。
折角のクリスマスを、提督と私が海上で過ごすことになったのは、早朝に商用航路付近で確認された深海棲艦のせいでした。いわゆる「はぐれ」と呼ばれる、駆逐艦数隻だけの艦隊です。こうした艦隊は統率が取れた様子がなく、時たまフラッと、迷子にでもなったみたいに、私たちの勢力下に現れたりします。
〔サラトガ〕に対して緊急出撃命令が下り、提督と私は艦上の人となりました。
結果から言えば、「はぐれ」が商船を襲撃するような事態は起こりませんでした。〔サラトガ〕から発艦した索敵機が接触した時点で、「はぐれ」は反転し、慌てた様子で逃げていきました。それに対して、私たちも攻撃を加えることをしませんでした。
――「……ま、クリスマスだしな」
とは、攻撃隊を出さないと決定した時の、提督の言葉です。
とはいえ、すぐに警戒を解くわけにもいかず。「はぐれ」が哨戒圏外まで離脱するまで、そして他の深海棲艦がいないことを確認するまで、周辺警戒に当たることになりました。結果、最後の〔ドーントレス〕を収容したのが、日没の二十分ほど前。今もこうして夜の海を進み、基地を目指しています。到着は十時手前になる予定でした。
……基地へ到着する頃には、アリゾナさん主催のパーティーもお開きになっていることでしょう。それらしいことは何もできないまま、クリスマスの夜は更けていきます。提督が「とんだクリスマス」と評するのも、頷けるというものです。
――それでも。
隣の提督を窺います。暗闇の中、手持無沙汰な様子の彼は、ごそごそとポケットを漁って、煙草とライターを取り出しました。一本を箱から摘まもうとしたところで、提督は「しまった」という表情を私へと向けます。バツが悪そうに頬を掻き、煙草を仕舞おうとする提督。
「吸わないのですか?」
「艦橋で吸うのは、まずいだろ。君もいることだし」
「……サラは気にしませんよ?」
煙草の匂いは、嫌いではありません。提督が吸っているのなら、尚更。可笑しな話ですけれど、その匂いを嗅いでいると、提督と一緒にいるのだということを実感します。煙たい空気も、漂う香りも、共有できることが無性に嬉しいと感じるのです。
煙草を吸わない私の、そんな不可思議な感傷は、煙草を吸う提督には、なかなか理解してもらえません。
私の言葉に悩む素振りを見せ、けれど結局、提督はかぶりを振ります。
「いや、やめておく。――自分の艦から煙草の匂いがするのは、嫌だからな」
自分の艦。この艦を――〔サラトガ〕という私の半身を、そう評する提督。ただそれだけの言葉に、また頬が緩みそうになります。目一杯顔の筋肉に力を入れて、俯きながら、緩んだ表情を隠す。
――それでも。「とんだクリスマス」でも。それでもやっぱり、クリスマスの夜を、提督と過ごせていることが、嬉しくてたまらないんです。
提督にはバレないように、深呼吸を一つ。放っておけば勝手に高鳴り、はしゃいで浮かれている心を、冷たい空気で冷やします。頬の綻びを直しながら、私はまた、提督の顔を見ました。
難しい顔で海原を見つめる提督へ、少しの勇気をもって、切り出す。
「あの、提督。……少し、クリスマスらしいこととか、してみませんか」
「……なんだ、サラトガ。七面鳥でも用意してるのか?それかツリー?まさかサンタを捕まえたなんて言わないよな」
「どれも違います。――でも、歌でしたら、歌えますよ。クリスマスパーティーで歌おうって、駆逐艦の子たちが教えてくれたんです」
ほう、と感心したように呟いて、提督は二、三と瞬きをします。にやりと興味本位の笑みを見せて、提督は頷きました。
「歌ってくれるか」
「はい。――頑張ります」
ニコリと笑って首肯し、私はポケットからミュージックプレイヤーを取り出します。作成したクリスマスソングのプレイリストから、一曲を選択しました。プレイボタンを押すと、しばらくしてイントロが流れます。
目を、閉じて。息を、吸います。想いを、込めて。――祈りを、歌います。
「I……don’t want a lot for Christmas」
クリスマスの夜には、サンタのおじさんがやって来ます。世界中の子供たちの、その幸せを願って、プレゼントを配り歩きます。トナカイにそりを引かれ、皆の願いで一杯になった袋を担ぎ、クリスマスの夜を陽気な笑顔と共に駆けていく。そんなサンタに、たくさんのお願い事を、子供たちはするそうです。
でも――私は多くを望みません。山のようなプレゼントも。豪勢なディナーも。真っ白な雪も。
たった一つ、私が欲しいものは――
「All I want for Christmas is……」
ゆっくりと荘厳な曲調に合わせ、たっぷりと余韻をもって歌えば、次の瞬間から曲はアップテンポで明るい雰囲気へと様変わりします。ステップを踏み、指を鳴らし、口笛を吹きそうな勢いで、その変化に合わせていく。「とんだクリスマス」が、あなたにとって少しでも、楽しいものになるように。
……ねえ、サンタさん。サンタのおじさん。お願いです。
サラ、いい子にしてましたよ。だから私のお願い、叶えてください。
欲しいものなんて、たった一つなんです。全て全て――そのただ一つが、全てなんです。
プレゼントの山を望んだりしません。高価なものも、豪勢なものも、私には等しく無価値なんです。サラは、いい子だから。だから本当に、たった一つだけ、それだけが欲しいんです。
「Make my wish come true」
私の歌を、提督は静かに聞いています。時折、耳を澄ますように目を閉じて。時に笑いながらリズムを取って。知っているフレーズを口ずさんで。いつもと雰囲気の違う笑顔を浮かべる提督に、自然と私の頬も緩みます。
……ねえ、提督。気づいていますか。
サラ、待っていたり、しませんよ。提督が、苦し気に、「待っていて」なんて、無責任な事言わなくてもいいんですよ。だってサラは、提督の艦ですから。
あなたが海を彷徨うなら、私も海を彷徨います。あなたが基地で休めば、私も基地で休みます。あなたが新たな戦場に向かうなら、そこにはサラも向かいます。そして、きっと、きっと……あなたが永遠に帰ってこないなら、その時は私もきっと、あなたと一緒に、永遠に帰りませんよ。
サラ、待っていたり、しませんよ。ずっと、提督のお側に、いますよ。
「――you」
最後の一音まで歌いきります。始めた時と同じように、ゆっくりと、一度呼吸を挟みました。気づくと、心臓がバクバクと、激しく打っています。全身を血液が巡っていく、ゴウという音が聞こえるのではと、そんな風に思える程です。
けれど、そんな心臓を落ち着けている余裕は、私にはありませんでした。
静かな瞳に見つめられています。曇りなき空のような。月光映す海のような。穏やかそのものの提督の瞳と目が合って、そのまま、動けなくなります。
……ほんの少し、嘘を吐きました。クリスマスパーティーで歌うはずだった歌は、別の歌です。今私が歌ったのは、アリゾナさんが教えてくれたクリスマスソングの中で、私が一番気に入った曲です。何度も何度も、飽きることなく繰り返し聴いて、憶えてしまった曲です。
クリスマスの日に、恋人を待ちわびる、歌です。
今更ながらに、頬が熱くなります。見つめられている今、例え暗闇の中でだって、真っ赤になっているだろう私の頬を、ごまかすことはできません。きっと林檎より赤くなった顔を見られている、そう思うとますます火照ってしまいます。熱はもう、冬の寒さでは、冷ましきれません。
ふっと、息が抜けたように、提督が眦を下げます。いつになく優しい表情。暗闇の中では微かにわかる程度の笑み。それに、ドキリと、胸の辺りが鳴りました。
「……驚いた。歌が上手いんだな、サラトガ」
パチパチと、称賛の拍手をくれる提督に、もうどんな顔をしていいのやらわからず、私はただ、溶けた雪みたいな表情を自覚して、頷く他ありませんでした。
「なんかいいな。クリスマスっぽかった。――他にも歌えるのか?」
「は、はい。まだ何曲か」
「折角だ。聴かせてくれないか」
「……提督も、サラと、歌ってくれるのでしたら」
「下手でよければ付き合うぞ」
――クリスマスの夜。静寂の波濤。冷気の支配する艦橋に、白い吐息が広がります。
響く二人分の歌声。調子はバラバラで――でも時折綺麗に揃ってハーモニーを奏でる。
それが、私の欲しかったものです。そんな時間が、空間が、私の欲しいものなのです。
All I want for Christmas is……
ちなみに数年後はラブラブです。