あくまで「if」ですので特に読まなくても本編には影響ないです
20年後-東京駅
左手首に着けたロレックスにふと目をやる。乗ったという新幹線が到着した頃だが、なかなか改札から出てこない。改札前ではサラリーマンや観光客が多く行き来して、洋菓子販売には手荷物を持った人たちが蟻のように列をなしている。
ズボンのポケットからバイブレーションが鳴る。電話を手に取り耳元に添えた
『光輝、着いたけど今どこにいる?』
「階段降りたところの売店の前にいる。手挙げるよ」
光輝が手を挙げると気がついたのか、背広を着た男が電話を片手に近づいてくる。
「久しぶりだな保科」
「ああ。10年ぶりだな。光輝は相変わらず若いな」
知恵伊豆こと保科は会わないうちに頭が薄くなり、スーツも少し疲れたように崩れていた。短く切り揃えられた茶髪に新調したスーツを着こんだ光輝と並ぶと同窓生とは思う人は少ないだろう。
二人は話もそこそこにタクシーに乗り、紀尾井町(※1)のニューオータニへと向かった。
「デン坊とはあれから連絡とか取ったか?」
「いや、ラインも消えちゃったし俺も博士課程途中でやめたからな。保科は?」
「俺もデン坊とはあれっきり会ってないよ。今はなにしてるんだろうな」
俺達は大学院に進み、生物科学専攻の博士課程に行ったが無事に博士号を取れたのは知恵伊豆だけだった。デン坊はついていくことができず中退し、俺も"ある都合"で自主退学することになった。
知恵伊豆はそれから国立大学で准教授として入り、今は教授として研究室を持っている身である。
研究者として成功している姿に少し憧れを抱いてしまう。今回東京に来たのも学会に参加するためで僅かの時間だが、こうして再開することが出来た。
円状の建築物が特徴的なガラス張りの建物が目にはいる。タクシーは軽い勾配を上りフロントに横付けして停まる。俺はマネークリップからクレジットカードを出し領収書を受け取って、ホテルに入る。
ラウンジで知恵伊豆と軽く軽食をとることにした。知恵伊豆は少し落ち着かない様子だった。クラブサンドイッチが机に置かれ、俺は一つつまみ頬張る。トマトの酸味とベーコンの塩気が口に広がる。
「いいよな光輝は。金持ちの生徒と付き合って、婿養子になって道楽で大学の講師やってるんだからな。」
知恵伊豆は嘲るようにぼそりと嫌みを言った。俺は少しムッとしたが、聞き流した。
「俺なんか地方の大学で教授している間に妻は浮気していて離婚して、仕事でも研究費は下げられるわ、給料も下げられるわで大変だってのに。」
知恵伊豆は東大時代に付き合っていた地味女とそのまま結婚したが、知恵伊豆だけが地方に行き東京に残っていた間に浮気をしていたそうだ。あまりにも不憫過ぎてかける言葉が見つからなかった。俺に当たるのも仕方がないのかもしれない。
「俺は...保科が羨ましいよ。生物学の研究ができるんだし、こうして学会でも名が知られているんだから」
俺は本心で伝えたつもりだったが、保科は舌打ちをした。俺が珈琲を啜ると、すでに冷めていた。
帰り際、会計を払おうとすると「自分の分くらい払うよ」と保科が伝票をもぎ取り、使い込まれた折り畳みの革財布を開き、もたもたと万札を取り出した。
10年越しの再開は沈黙のなか幕を閉じた
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俺は大学の頃にアルバイトで家庭教師をしていた生徒内藤由佳と交際の末、結婚した。由佳は慶応を中退し、実家の資金力と大学でのコネクションを生かして起業をした。会社は順風満帆に行き、アパレルから美容院、カフェバーなど多角的に展開をしている。今は白金の実家から芝浦のマンションに3人で暮らしている。
3人とは俺と由佳と愛娘である由稀(ゆき)で、由稀は今年で高校3年生になる。今は反抗期なのかほとんど口もきいてはくれないがそれでも可愛い娘だ。
俺はというと、私立の大学で生物学の講師をしている。文系の大学なのでコマ数も少なくサラリーマンの平均ほどもない年収だが、由佳に養われているようなものなので何の不自由もなく生活はできている...実際端から見れば絵に描いたような幸せな生活に見えるだろう....
しかし、元々なりたくて大学講師になりたかった訳ではなかった。俺にも知恵伊豆のように地方の大学で准教授として採用してくれる大学はあったのだが、由佳がそれに反対した。
「ダメよ。研究なら好きなだけさせてあげるし、大学の先生なら都内でもできるでしょ?私のそばから離れるなんて許さないから...」
講師と教授の大きな違いは研究者かどうかだ。教授は研究室を持ち学生と共に研究をするその一線にいる研究者だが、講師は研究者になれなかったものかなろうとするものが学生に学問を教える教師のようなものだ。私は研究者になれなかった前者だ。なれなかった身として保科にかけた言葉は嘘偽りのない本音だった。
保科からすれば港区に住み子供をもうけて妻の収入で生活している男のワガママにしか聞こえなかったのだろうが。
-芝浦の自宅
保科を駅まで送り、自宅へと戻る。リビングで買ってきた珈琲を啜っていると、由佳が「もう帰ってきたの」と声をかけてきた。
「ああ。でも、もう会うことはないかもな」
由佳は興味がなさそうに鼻で相づちをうった。しばらくして、テーブルを見つめて「何よこれ!」と声をあげた。
「これ一体何よ」
由佳はコーヒーを持ち、急に怒りだした。
「...?コーヒーだけど」
「そうじゃなくて!何よこれ!」
由佳は紙カップに書かれたメッセージを向けた。
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それはスターバックスコーヒーの受け取り口で「先生」と声をかけられた。顔をあげるとそれは大学でいつも最前列で受講している子だった。名前は覚えていないが...
「ああ...ええっと」
「永井です。永井恵利です」
「永井さん、こんにちは。スタバでバイトしてるんだね」
「はい!先生は今日も大学ですか?」
「いや、古い友人と久しぶりに会ってきたよ。今から帰るところだよ」
「久しぶりの再開はどうでしたか?」
私は少し言葉につまり、声がでなかったが永井さんは察してくれたのか「それじゃホットコーヒーのトールですね」と話を変えてくれた。
コーヒーを受け取り、車のドリンクホルダーに置こうとしたとき何かカップにかかれていることに気づいた。見るとそこには『今日が先生にとっていい日になりますように』と書かれてあった。
********
俺は由佳に説明すると、紙カップをキッチンに向けて投擲した。蓋とカップが分離し、コーヒーが床にぶちまけられる。
「もう二度と行かないで。私がやっているカフェがあるから、コーヒーが飲みたいならそっちに行きなさい。もしいくのが面倒ならうちの若い男の子に運ばせるから」
「......分かった」
由佳は家政婦に「早く片付けなさい」と怒鳴り散らしていた。
妻である前に様々な業種を経営する経営者だから職場で色々なストレスを抱えているのだろう。だから由佳がカリカリしてしまうのも受け止めている。
「ねえあなた、明日なんだけどさ。由稀の三者面談でてくれない?急に仕事が入っちゃって」
「何時から?」「15時から」
15時なら講義が終わった後か...
「分かった。なかなか父親らしいこともできてないしな」
「本当はあの子に近づかせたくないんだけど...(ボソッ」
由佳はなにかぶつぶつ呟いていたが、仕事のことだろう。
それにしても由稀の学校行事に出るなんて何年ぶりだろうか。高校の入学式以来だろうか。授業参観なども仕事柄参考に見てみたいが、由稀が嫌がるので学校行事に参加することから縁遠くなっている。まぁ確かに俺が高校の頃、姉が体育祭で応援に来たのは恥ずかしかった気がする。同級生からは「俺、光輝のお姉さんのお陰で頑張れたよ...」「男子校で女子に応援されるなんて夢にも思わなかった」と感謝されたが。
玄関からドアが開く音がする。由稀が帰ってきたようだ
由稀はリビングのソファーにスクールバッグを置いて背伸びをする。
おかえり、と声をかけるがこちらに目線を向けてまた反らす。何も言わず自分の部屋に戻ろうとする由稀に由佳が「明日パパが三者面談行くことになったから」と伝える。
由稀はため息をつく。
「ママじゃないの」「明日仕事入ったの。別にママじゃなくてもいいでしょ」
由稀は間を置いて「まぁ、そうだけど」と呟いて部屋に入っていった。
「やっぱり嫌われてるのかな..」
「反抗期の娘なんてあんなものでしょ、私もそうだったし。」
「そうなのかな、うちはさよちゃ..「ねえ、名前出さないでよあんな女の」
さよちゃんの名前を出すと言葉を遮られた。
「あの女が私になんて言ったか忘れてないわよね?"この淫売女が。お兄ちゃんを脅して奪った泥棒猫”って。愛する彼女にそんな酷いこという女の名前なんて出さないで...妹でも」
二人に結婚することを伝えたときことは今でも忘れない。
泣きながら由佳に罵声を浴びせながら暴れる妹と能面のような顔で話をただ聞く姉。姉は最後にこう言った
『お姉ちゃん、この人と結婚するの許さないから。でも、弟くんがするっていうならもうお姉ちゃんは弟くんのお姉ちゃんじゃないから。もう二度と私の前に現れないでね』
「もうミツの家族は私と由稀だけなんだよ?」
由佳は俺のスマホを右耳に添えて音を聞かせた。ディスプレイには姉との通話画面が映っていた。しかし、数秒で通話終了の音が鳴る。
もう俺の居場所はここしかないと教え込むように
閲覧ありがとうございました。
少し長くなりそうなので前後編にしました(本当は1話完結のつもりでしたが)
書き始めたのが前回の投稿の翌日だったのに気がつけば3月になってました...後編はすぐ書き上げたい(また伸びたらすみません)
※1 千代田区にある地名。紀州徳川家、尾張徳川家、井伊家の大名屋敷があったことが由来。上智大学の四谷キャンパスなどがある。