―残暑―   作:土斑猫

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 暑くとも短かった夏が去り、穏やかな秋の空気が世界を満たし出した頃。とある一つの高校にも、普段とは違った気配と活気が満ち始めていた。

 文化祭の時期であった。

 普段日陰者扱いである文科系の猛者達が、唯一にして最も輝ける学校行事。常日頃の理不尽極まりない陰キャ扱いも、この日ばかりは吹っ飛ばせる。

 ある者は、日陰者として積もり積もった鬱憤の一掃を図り。

 ある者は磨き鍛え上げた知識技術を駆使し、普段やたらマウント取ってくるイキリ運動部員への意趣返しを企て。

 またある者はそんな憎念策謀など一切意に介さず、ただ一筋に想い人との後夜祭におけるアバンチュールに想いを馳せる。

 若人の欲望願望の坩堝。荒ぶる青春のブラックホール。若さ故の過ちが、生まれ居ずりまくる煉獄。

 真名、『山上祭』。

 其のサバトの時が、今年も迫っていたのである。

 

 ◆

 

 そんな混沌の足音が近づく中、演劇部部長・相場綾瀬は人気のない部室で一人、思案にふけっていた。

 彼女が思う事はただ一つ。演劇部最大の晴れ舞台。体育館借り切っての公開演劇の詳細である。

 何せ、去年の舞台はとある『糞馬鹿野郎』のお陰で滅茶苦茶になってしまった。別な方向で好評ではあったものの、そんな評価、不本意の限りでしかない。

 感動を誘いたいのに、お笑いをいただいてどうするのか。狙った訳でもないのに。

 その一件で悔し涙を飲んで卒業していった前部長・柿崎奈々の無念も必ずや晴らしたい。演劇の題目は決定している。部員達の配役・役職も概ね決まった。ただし、二つ。もっとも重要な役処二つが、空いている……否、『空けて』いる。

 要素があるのだ。

 去年の雪辱を果たす為に、絶対不変にして不可欠な要素が。

 そして、考慮すべき事はもう一点。

 不安要素。そう。絶対に、対処を怠ってはならない不安要素があるのだ。それを軽んずれば、去年の二の轍を踏む愚を犯しかねない。

 絶対に、封じ込める。

 失敗は出来ない。

 しない。

 あの先輩の、涙の為にも。

 絶対に。

 静まり返る部室の中。相場綾瀬の手が、決意と共に台本を握り締めた。

 

 ◆

 

「かったりぃ……」

 昼休み。学校の屋上でグダグダしながら僕はそんな言葉を漏らした。

 夏の地獄の様な熱が去って、秋の風が通る様になった屋上。とても、心地が良い。

 にも関わらず、僕の心は晴れない。と言うか、重い。なんて言うと、深刻な悩みでも抱えてるのかと思われるかもしれない。でも、全然そんな訳でもなく。言ってみれば、まあ。かったるいのだ。メンドクサイのだ。すぐそこまで近づいている、山上祭が。

 文化系の連中には年に一度の晴れ舞台で気合も入ろうが、実質帰宅部の僕にとってはただの空虚でしかない。特に得する事もないのに、色々と要請される。せめても当日は参加するしないの自由くらい欲しいモノだが、それすらも義務である。

 本当に、メンドクサイ。

 ……まあ、去年の場合はちょっといいモノも見れたけど。

「そんなに嫌なの? 山上祭」

 かけられた声に視線を向けると、腰を下ろして本を読んでいた里香が不思議そうな顔でこっちを見ていた。

「あー、そうだな」

「変なの。あんなに、楽しいのに」

 読んでいた本を置いて、こっちに向き直る。動いた瞬間、スカートが揺れて奥が見えそうな気がした。思わず生唾を飲むと、飛んできたミカンのお化けが顔面を強打した。

「ぶべ!?」

「えっち!」

 顔を押さえて悶絶する僕に向かって、冷ややかに言う里香。心に痛いけど、今は顔面がもっと痛い。

「ちょ、何だよ!? コレ!」

「何って、晩白柚(ばんぺいゆ)じゃない?」

 ばんぺいゆ? ばんぺいゆって何だ?

「ミカンと同じ、柑橘類の果物。見て分からないの?」

 物凄い馬鹿にかける様な声音で言われたけど、今回ばかりは納得がいかない。

「いやいやいや、知らないだろ! 知らないぞ!? こんな小玉スイカみたいなミカンなんて!?」

「れっきとした熊本県の名物だよ? そんな言い方して、怒られても知らないから」

「誰に!?」

「熊本県の晩白柚農家の人達」

 ……いや、会わない。絶対、一生顔を合わせない自信がある。

「ホントに、裕一は無知だなぁ」

 そう言って、ケタケタ笑う里香。非常に癪に障るが、楽しそうに笑うその顔はとても可愛くて。見ているだけで、全ての憤りも不満も溶けてしまう。

 ああ、全く。敵わないったら。まあ、敵わなくて良いんだけどさ。

 何て事を考えながら見とれていると、里香が『ん』と言って手を差し伸べてきた。

「ん? 何だよ?」

「取って、晩白柚。剥いてあげる」

「剥くって……食べるのか?」

「当たり前じゃない。何の為に持ってきたと思ってるの?」

 ……僕にぶつける為じゃなかったのか……。

「……怒られないか? こんなの持ってきて……」

「別に、お弁当に柑橘類持ってきちゃ駄目なんて校則ないよ?」

「……いや、そりゃそうだけど……」

 拾ったばんぺいゆ? とやらを渡しながらそんな事を尋ねると、物凄く涼しい声でそう答える。

 多分、想定の範囲外だぞ。ソレ。

 そんな僕の思いは他所に、何処からか果物包丁を取り出す里香。おい、ソレもどうかと思うぞ!? 何か、学校生活に慣れるにつれてドンドン大胆になって来てる様な気がする。まさか、回りの連中に毒されている訳じゃないだろうな……? いや、元々か? これが本性だっけ?

 悩む僕の横で、里香はサクサクと晩白柚を剥いていく。手際が良い。何と言うか、熟知している。こんな見慣れない果物なのに。

「上手いな」

「うん。動画サイトでやり方見て、練習したから」

「……何でそこまですんの?」

「食べて見たかったから」

 手の中で解けていく果実を見つめながら、答える。まあ、目を離しちゃ危ないしな。

「色んな事、試してみたい。経験したい。出来る事、出来るまで」

 そう言って笑うと、果汁に濡れる指をペロリと舐める。その様が、物凄く生き生きしてて。けど、とても艶めかしくて。

 心臓が、ドキドキした。

「今は、いいね」

 里香は、言う。楽しく、満ち足りる声で。

「あたしは何処にも行けないけれど」

 すっかり剥かれた晩白柚。厚い薄皮に包まれた房を、細い指が掴む。

「それでも、遠くの事が知れる。届かない筈のモノを、掴む事も出来る」

 そう。

 パソコンやネットの発展は、ソレを可能にした。同時に生まれた闇もあるし、露わになった危うさもある。それらを、危惧する声もある。でも救われる人も、確かにいる訳で。

 それはきっと、どんなモノにも言える事で。

 色んな可能性を持つ、色んな翼。奪ってしまえば、羽ばたく事は出来なくて。落ちる心配はないけれど、残されるのはただ荒々と続く地べただけ。

 それはきっと、とてつもなく空虚な事。

 そんな体の良い責任放棄、僕は里香に対してしたくない。

 広い空を、ただただ自由に羽ばたいて欲しい。降り落ちる雨は、必ず僕が傘となるから。

 代価は、里香のこの笑顔。

 こっそりこっそり、心に誓う。

「はい、どうぞ」

 差し出されたのは、透明感のある真珠色の果肉。『サンキュ』と言って受け取ると、柑橘類特有のプリプリした感触。

 ……にしても、デカイな。

「コレ、このまま食べるのか?」

「そうだよ。ミカンと同じ。ガブって」

 言われるままに、かぶり付く。サクッと果肉が弾けて、甘酸っぱい果汁と爽やかな香気が口を満たす。

「美味いな」

「ね」

 笑い合って、サクサクと食べる僕と里香。

 ああ、何かいいな。隣り合って座って。里香が果物を剥いて。それを、二人で。

 何て言うかその……夫婦みたいだし?

 そんな妄想が、いつか実れば。

 その幸せが、ずっとずっと続けば。

 晩白柚の味よりも甘い世界が脳内を満たして、僕はしばし忘我の極み。と。

「どうしたの? 馬鹿みたいな顔して」

 飛んできた言葉にハッと我に返ると、怪訝そうな……と言うか気味悪そうな顔で里香が見ていた。

「人の顔見てボーっとして。怖いんだけど?」

「あ、いや、コレは……」

 一人で変な妄想に浸りまくってたとか、流石に自分でも気持ち悪いので公言出来ない。何て言って良いモノかワヤワヤしていると、何か里香が思い当たった様にハッとした。

 ちょっと顔を背けて、モジモジ。

 何だ? どうしたんだ?

 少し躊躇して、そして持っていた晩白柚をそっと僕に差し出す。

「……はい」

「……へ?」

「た、食べさせて欲しかったんでしょ?」

「え……?」

 挙動不審な僕の様を見て、何やら勘違いしたらしい。里香としては、非常に珍しい事だ。とは言え……。

 少しだけ目を逸らす顔が、ほんのりと染まっている。チラチラと視線を向ける様が、堪らなく可愛らしい。

 これは、まさに棚から牡丹餅と言うヤツに違いない。

「い、いいのか……?」

「べ、別に大した事じゃないもの。ほら、早く」

「お、おう! いただきます!」

 口を開けて、顔を寄せる。

 別にやましい事とか、大胆な事をする訳じゃないのに。何か、酷くドキドキする。

 目端に映る、里香の指。果汁に濡れて、妖しく艶めかしい。いっそ、間違えた振りして咥えてしまおうか? などと、変態じみた思考が生じる。まあ、怒られはするだろうけど。一応、それなりに進んだ仲と自負してるし? それくらい、許容範囲なのではなかろうか?

 加熱した本能は猛り立ち、もうどうにも収まる気配がない。里香は真っ赤になって顔を背けてるし。ああ、その顔も可愛いぞ。

 正味、辛抱堪らない。怒られたって、せいぜいビンタされるくらいだ。

 よし! 行ってやれ!!! 戎崎裕一!!!!

 僕が野獣の衝動に身を任せようとした、その時。

 

「見つけたぞ!!」

 

 唐突に響き渡った雄叫びに、僕達は揃って飛び上がった。

 拍子に里香の指から滑り抜けた晩白柚が、フェンスの向こうへ落ちていく。

 ああ……折角、里香の味を堪能出来るチャンスが……。

 誰だ!? こんな酷い真似をしたのは!? 馬の代わりに僕が直々に蹴り殺してやる!

 明確な殺意を抱いて振り返った先で、淡い色のツインテールが揺れる。

「見つけたぞ。秋庭里香。そして、その顔忘れるモノか! 戎崎裕一!!!!!!」

 凄まじい覇気の籠った声が、僕の憤りを一気になぎ倒す。

 傾いた西日を背に、凛と立つはダイナ立ち。ギラリと光る眼光で僕らを射抜き、相場綾瀬は断罪の如く言を放った。

「演劇部現部長の権限において、お前達二人を連行する。拒否権その他の権利、一切全ての行使は許さん!」

 獅子の咆哮にも似た宣告。のんびり昼寝していたドバトが、恐怖と共に飛び去った。

 

 かくて、嵐と焔の苦き青春が幕を開けた。

 

                                    続く

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