―残暑―   作:土斑猫

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 狭い部屋の向こうから、幾人かの生徒達の声が聞こえる。

 普通の日常では聞く事のない口調。単語。響き。それは、限られた空間に造られた、異世界の音色。若い情熱が紡ぐそれが、拙く。けれど艶やかに。

 確かな世界を紡ぎ上げる。

 染まる。染まる。

 情熱の彩。

 

 ◆

 

「……何でこんな事になってんだよ……」

「裕一、またブツブツ言ってる」

 僕のぼやき声に気づいた里香が、呆れた声で咎める。

「ここまで来ちゃったんだから。もう、諦めれば良いのに」

「いやいや、駄目だぞ! これは権力の横暴だ! 明確な人権の、自由の権利の侵害だ! 俺は、断固として抵抗する!」

「何それ? 自分で言ってる事の意味分かってるの?」

「いや……実はあんまり……」

「バカ」

 そう言って、クスリと笑う里香。

 そんな彼女は、動き易い運動着に着替えた姿。里香の運動着姿なんて、物凄くレアだ。しかも、ちょっとだけ練習して、身体が火照ったのだろう。上着を脱いで、半袖姿になっている。白い衣から伸びた華奢な腕。磁器の様な肌が熱にほんのり朱く染まっている。しっとりと汗ばんだ質感が、とても艶めかしくて。思わずゴクリと……。

 ポコン!

「うべ!?」

 顔面に炸裂する、里香のグーパンチ。力はないけど、見事に人中に入って滅茶苦茶痛い。

「えっち!」

 のたうち回る僕をジロリと睨みながら、断罪を告げる里香。目が、コワイ。

 でも、流石に腕を眺めただけでえっちとか言われたら、真面目に目のやり場がない。反論する。無謀な試みと分かっていても、漢にはやらねばならぬ時もある。

「バカ言うなよ! 俺は腕を見てただけだぞ!?」

「やっぱり見てたんじゃない! えっち!」

「何言ってんだ! 腕だぞ、腕! 普通にしてたって目に入るだろ!? 腕なんか見ない様にしてたら、外も歩けないぞ!?」

「じゃあ、何でえっちな顔になるのよ!?」

「そ、それは……」

 そんなの、理由は一つだ。けれど、それを口にするのは流石に恥ずかしい。けど、ここまで突っかかったのだ。今更、引く訳にはいかない。大体、ここで負けたら常時に里香を眺める事が金輪際出来なくなってしまう。そんな生き地獄は、御免だ。

 だから、意を決して。僕は言う。

「それは、里香(お前)だからだぞ!」

「え?」

 根性やら勇気やら。ありったけの精神力を消費して放った言葉。それが、里香のハートをダイレクトアタックした。

「な、何言ってるの!?」

 思わず上ずった声を出す里香。効いてる! 効いてるぞ!

「何も糞もないぞ! お前だから、里香だから、腕の肌まで綺麗に見えるんだ!」

「え、ええ!?」

 見る見る真っ赤になる顔。そう言えば、こんな風に直でぶつけた事なかったな。『あの時』は特別だから、別として。

「だから、俺は戦うぞ! 断固として戦うぞ! どんな事があったって、里香を見る事をやめないぞ!!」

「やだ、やめてよ!」

 何となく、最初の趣旨から内容がズレて来てる様な気がする。でも、構うものか。僕が、押しているのだ。あの里香を、この戎崎裕一が! 決して意図したモノではないけれど、千載一遇の大チャンス! 出会ってこの方、ずっと組み伏せられてばっかりだったヒエラルキー。これを機会に、受けも攻めもひっくり返してやるのだ!

「いいや、止めないぞ!」

「恥ずかしいでしょ!?」

「俺は、恥ずかしくない!」

「あたしが恥ずかしいの!」

「主張は権利だ! 発言は自由だ!」

「バカ!」

「今更だ!」

 そもそも、里香は攻撃型だ。攻めに全振りなのだ。ならば、反面守りが弱いのは自明の理。攻撃特化型が紙装甲なのは、ロボットアニメの常識なのだ。

 何故今までその真理に気づかなかったのか。

 行ける。行けるぞ。今こそ、僕が主導権を握るのだ。らしくもなく真っ赤になって狼狽えてる里香に加虐的快感と愉悦を覚えながら、最後の一押しをしようとした瞬間。

「やかましいわ! バカモノ!!!」

 ゾキャアアア!

「ぎゃあああああ!!?」

 強烈な風切り音と共に顔面を抉られて、僕は断末魔と共に床に転がった。

 ガッツリと丸められた分厚い台本による、容赦ない急所への刺突。真剣に痛い。泣くほど痛い。殺意が、凄い。

「神聖な台詞合わせの場に居て、何をヘラヘラ乳繰り合ってる!? 真面目にやらないと粉々にバラして紙吹雪代わりに舞台に撒くぞ!」

 怒涛の様に叩きつけられる罵詈雑言。

 ついでの様に、回りの小道具連中が『そんなキモイの弄りたくない』とかクレームをブーブー飛ばす。何だ、この状況。

「痛いな! 何すんだよ!?」

「痛い? 当たり前だ! そのつもりでやったのだ!」

 悪びれもしなけりゃ、取り繕いもしない。凛と胸を張り、腰を抜かした僕を高みから睥睨する。

 相場綾瀬(あいば あやせ)。現演劇部部長。当部の全ての権限と権力を掌握する者。

「いや、そのつもりって何だよ!? マジで痛かったんだぞ!? 死ぬかと思ったんだぞ!?」

「生きてるじゃないか」

「当たり前だ!」

「残念だったな。死んでいれば、世界史上初めて台本が原因で死んだ阿呆として歴史に存在の欠片だけでも残れたモノを」

「そんな馬鹿みたいな理由で歴史に残ってたまるか!!!」

「馬鹿じゃない。阿呆と言っただろ」

「何が違うんだよ!?」

「知らん」

「お・ま・え・なぁ~!!!!」

 頭が痛くなる。

 ここ二日ばかり付き合わされて、良く理解した。

 ヤバイ奴である。

 危険な女である。

 里香とは全く別なベクトルで。

 やたらめったら、強い。

 怖い。

 手に負えない。

「ゴメンね、相場さん。迷惑だった」

「否、秋庭里香。貴女は悪くない。全ての咎は、この場も弁えず発情する雄猿にある」

 里香の謝罪に、澄ました顔で答える相場綾瀬。シレッと呼び捨て。

「おい、だから呼び捨てするなって!」

「何か問題があるか?」

「大アリだ!!」

 そも、里香と同級生とは言え、それは里香の事情を踏まえての話。実際の所、里香は僕と同い年である。そう、年上なのだ。先輩なのだ。なのに、コイツは……。

「馴れ馴れしいぞ! 図々しいぞ! 生意気だぞ! 僕も里香も年上だ! 先輩だぞ! 敬語使え! 呼び捨てすんな!!」

「敬語と言うのは、自身が認めた者に使うモノだ。わたしがいつお前を認めた? 年上? だから何だ? たかだか一年二年早く生まれたとて、それが人としての価値にどんな影響がある? 歳が多かろうと、敬うに値する者など幾らもいないぞ? 老害と言うべき輩は、掃いて捨てる程いるがな?」

 ……いや、そう言う事じゃなくて……。何かこう、あるだろ? 社交辞令とか、年上を立てる日本人の礼儀とか……。

「そんなくだらない様式美、知った事か」

 バッサリ。

「人の価値とは何を成したか、何を残したか、だろう? 年齢など、黙ってても増えてく代物に価値なぞ求めるから、堕落するのだ」

「……正論って、振りかざすと嫌われるんだぞ……」

「人の価値観はそれぞれだからな。同意出来なくても別に構わん。だからと言って、わたしが『そっち』に合わせる理由も道理も、またあるまい?」

 言いながら近づいて来ると、丸めた台本(幾つ持ってるんだ?)で僕の頭をポカポカ叩く。

「分かったなら、早く台詞覚えに戻れ。大体、台本渡して二日経つのに最初の一言目から分からんとはどう言う了見だ? 秋庭里香の方は、とっくに全て覚えて演技の練習に入っているのだぞ?」

 いや、おつむの方で里香と比べられても僕には荷が重過ぎるとしか……。

 でも、それを言うと自分が馬鹿なり阿呆である事を認めてしまう感じがして凄く癪に障る。だから、返す言葉は別の鬱憤。

「知るかよ! そもそも、何で俺が『演劇』なんて面倒な事やらなきゃいけないんだよ!? 俺も里香も、演劇部じゃないし! お前の舎弟でもないぞ!? 言う事聞く義理なんかないんだぞ!?」

「……ほう?」

 瞬間、ギラリと光る綾瀬の双眼。

「そうだな、お前達に『義理』はなかろう。だが……」

 突き付けられたのは、スマートフォンの画面。

「わたし『達』には、正当な『権利』がある」

 映っていたのは、動画。ライトアップされる舞台の中、お姫様の衣装を纏った里香と……王子様の恰好をした、僕。去年の、山上祭での演劇部の劇の様子だ。

 正味、僕としては苦い思い出で……。

「忘れたとは言わせないぞ? この時の、お前達の所業を。その結果を」

 グイと突き付ける画面の中で、里香にビンタを食らう僕。ドッと湧き上がる笑いが、舞台を包む。

「で、でも、評判は良かったんだろ!?」

「それは、わたし達の劇に対する賞賛じゃない。唐突奇遇に起きた、喜劇への嘲笑だ」

 何とか言い訳しようとする僕の言葉を、綾瀬の声が圧し潰す。

 一片の言い分も、許さないと言う様に。

「わたし達の劇は。努力の結晶は。お前が壊した。台無しにした。お前達の、色ボケた所業が」

 言葉が、出なかった。

 それは、確かな事実で。あの笑い声の中に紛らせて、曖昧にしようとした僕達の『罪』だった。

「やり損ではなかった筈だ。お前にとって」

 画面越しに、綾瀬が顔を寄せる。凛々しく、整った顔。強い意志の宿った視線が、僕を絞め上げる。

「知っているぞ? 存分に愛でた筈だ。大切な想い人の、良き姿を」

 そう、僕は楽しんだ。あの里香の、綺麗な姿を。ずっとずっと、忘れない様に。刻み込んで、仕舞い込んだ。

「その機会を与えたのは、わたし達だ。ならば、その対価を渡してもらう。あの残暑の中で失ったわたし達の時間、お前達の時間を持って返して貰う」

 わざとらしい。あまりにもわざとらしい、芝居がかった口調。暗記し、練り尽くした台詞の様に理論だったソレが、感情的で上っ面だけの僕の反論を封じていく。

 腹立たしい。

 苛立たしい。

 けど、それもきっとコイツの腹の内。

 悦に入った様な眼差しが、如実にそれを物語る。

「でも……でも、里香は……無理は……」

「承知している。心配するな」

 最後の『切り札』も、アッサリと切り伏せる。

「あの娘に演じてもらう『ヴィクトリカ・ド・ブロワ』は安楽椅子探偵だ。激しい動作を求められる演技はない」

「う……」

「もっとも、『相方』役のお前はバリッバリの肉体労働専門だ。馬車馬の様に動いてもらう。その時に耳から零れない様に、台詞はしっかり脳ミソに染み込ませておけ。どうせ白紙同然だ。余白はタップリあるだろう?」

 そう告げてまた僕の頭をポンポンと叩くと、クルリと踵を返す。舞う様に弧を描くツインテール。鼻をくすぐる香りまでが、忌々しい。

 遠ざかる後ろ姿を歯噛みしながら睨んでいると、ふとその足が止まった。

「ああ。後、これだけは言っておこう」

 振り返りもせずに、告げる。

「進退窮まったとは言え、恋人の事情を盾にするんじゃない」

「!」

 跳ね上がる心臓を嘲る様に、クスリと嘲る気配が伝わる。

「程度が知れるぞ。『久城 一弥(くじょう かずや)』」

 それは、僕に与えられた役の名。

 クスクスと聞こえる忍び笑いを、綾瀬の『ほら、稽古に戻れ』と言う激が諫める。

 敗北感に項垂れる僕を、里香が酷く不満そうな顔で見つめていた。

 

 ◆

 

「なっさけないなぁ。あんな簡単に言い負かされちゃって」

「そう言うけどなぁ……ちょっと、アレは……」

 錆びた声を上げながら、夕焼けの中を自転車が走る。

 荷台に乗った里香のぼやき。あからさまに不機嫌な気配に、僕は戦々恐々。

「鍛え方が足りなかったかな? これからはもっと、厳しくしてあげるから」

「勘弁してくれよ……」

 思いっきり本気が篭る、不穏発言。色んな意味で疲れた体に響いて、正直泣きたくなる。

 どうも、自分以外の女が僕を弄ったのが面白くないらしい。焼きもちと言えば焼きもちななんだろうけど、もう少し穏やかな理由で焼いて欲しい。

 狼と山猫に取り合いされるウサギの気分だ。

「……にしてもさ……」

「何?」

「お前は、平気なのか? あんな難癖みたいな理由で、演劇なんかに巻き込まれて」

 それは、ずっと思ってた事。そも、あそこまで詰られたら里香の性格上、大人しくしてたのも腑に落ちない。

「間違ってないもの。相場さんの怒ってる理由」

 返って来た答えは、酷く冷静で。そしてアッサリしていた。

「演劇部の皆が一生懸命だったのは本当だし、それをあたし達が滅茶苦茶にしちゃったのも本当。反論なんか、出来ないよ」

「……そりゃそうだけど……」

 まあ、分かっちゃいるのだ。理屈では。でも、勝手な事情で里香を巻き込んだのは演劇部(あいつら)の方だし。僕にしたって、夏目にそそのかされたと言う所がある訳で……。

 とにかく、全部の責任を負わされるのは納得いかないのだ。

「裕一は、嫌なの?」

 いつまでもグチグチ言っている僕に、里香が訊く。

「……里香は、良いのか?」

 まんま嫌だと答えるのも、カッコ悪い気がしたから。誤魔化す様に質問を質問で返した。

「あたしは嫌じゃないかな。去年だって、楽しかったし」

「あ、そう……」

 予想通りの答えに、溜息をつく。

「それに……」

「ん?」

「今年は、裕一も一緒だし」

「!」

 突然の攻撃に、バランスが崩れる。慌てて立て直す体勢。錆びたチェーンが、酷く不満そうな呻きを上げる。

「危ないな。気をつけて」

「わ、わりぃ……」

 青息を吐く僕に、ちょっとだけ文句を言って。けれどすぐに、軌道を戻す。

「あたしはね、嬉しい。あの時間を、あの楽しい時間を、裕一と一緒に。今度は、一瞬じゃない。ずっと、いっぱい」

「里香……」

 背中に、温かい感触。彼女が、身を寄せていると分かる。

「頑張ろうね。『下僕』さん」

「……おう」

 生温い、残暑の風が吹く。その中に、背中の温もりが溶けてしまう前に。

 僕は大きく息を吸って、ペダルを踏む足に思いっきりの力を込めた。

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