―残暑―   作:土斑猫

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「馬鹿者!」

「うべぇ!?」

 響く怒声。脳天唐竹割の如く振り下ろされた台本に脳天を強打され、僕は断末魔にもなり得そうな呻きを上げて悶絶する。

「何すんだよ!?」

「また台詞を間違えたな!? これで三度目だ! いい加減にしろ! それと、今の身振りも違う! もっと真剣にやれ! 学習しろ!」

 僕の抗議の声になんて耳もかさず、相場綾瀬が叱りつける。年上に対する遠慮も配慮もありゃしない。もっとも、そんな事はとっくに分かってる事で。今更言ったって、情けないし惨めったらしいだけだし。自尊心の問題はあれど、どうにもそこで論戦してもコイツには勝てる気がしない。だから、別の方向で抗議する。

「いい加減、バシバシ叩くのやめろよ! って言うか、紙の台本なのに何でこんなに痛いんだよ!? 何か仕込んでるのか!?」

「そんな訳あるまい」

 そう言って、ペラリとぶら下げる台本。当然の様に、何が仕込んである筈もない。

「じゃあ、何でそんな威力あるんだよ!?」

「わたしの家は古流剣術の系譜でな。幼少から、それこそお爺様に仕込まれているのだ。太刀筋と打ち込みを律すれば、紙束であろうと相応の威力は引き出せる」

 くだらない事におかしな高等技術使うな! コイツも馬鹿だろ!?

「グダグダ言うんじゃない。時間がないぞ。覚える事は山ほどだ。いつまで足踏みしてるつもりだ? 久城一弥(くじょう かずや)」

 かけられる名前。僕の役の名。僕でない、僕の名。この、閉じられた世界での、僕の名前。「だから、ソレで呼ぶなよ! 俺は一弥じゃない! 戎崎裕一だ!」

「違う」

 せめてもの抵抗も、アッサリと切り捨てられる。

「お前は、『久城一弥』だ。『ここ』にいる限りは」

 僕の目を真っ直ぐに見つめ、綾瀬は言い切る。

「此処に。舞台(この世界)に、戎崎裕一はいない。いるのは、混沌の欠片の繰り手、『ヴィクトリカ・ド・ブロワ』の下僕、『久城一弥』たるお前だけだ」

「お、お前、ちょっとオカシイぞ……」

「オカシクならなければ、世界なぞ綴れん!」

 あまりにも異様な執着に、流石に引き始めた僕の言葉。否定も取り繕いもせずに、真正面から受け止める。

「それがこの演劇部の理、摂理だ! 抗う事も、異を唱える事も許さない!」

 無茶苦茶だ。

「い、いやいや! 俺と里香、部員じゃないだろ!? 関係ないだろ!?」

「往生際が悪い!」

 ポコン!

 また叩きやがった!

「去年あの時! わたし達の全てを台無しにした時、お前達の運命の主導権は我が手の中に堕ちた! 諦めろ! 受け入れろ! 山上祭までの二週間、その生命(いのち)の全てを我が演劇部の糧と捧げるのだ!」

 もう、この口調が演じてるのか素なのかも分からない。って言うか、真面目に素の様な気がして来た。こいつ、ホントに現世の高校生女子なのか? ひょっとして、どっか別次元でトラックに跳ねられて転生してきた異世界人とかないだろうな!?

 ……いや、マズイ。発想が汚染されてきてる……。

 このまま呑まれる前に、何か一矢報いなければ。必死に考える僕の脳裏に、天啓が降りる。「そ、そうだ! 大体、あの件の発端はアレだろ!? あの藤堂とか言う女のせいだろ!? 先ずはソイツに責任取らせろよ! むしろ被害者だぞ、こっちは!」

 そう、そもそも里香が巻き込まれた原因は本来の主役だった『藤堂真美』がバックレたせいだ。責任を取らせるなら、むしろアイツの筈だ。流れに押されて、危うく忘れるトコだった。

「真美か?」「そう!」

 藤堂は、あの時二年だった。まだ、この学校にいる筈なのだ。

 これなら、流石に道理は通る筈だ。上手く行けば全てを藤堂に押し付けて、僕と里香は解放される。完璧だ。僕は心でガッツポーズをした。

「…………」

 しばしの沈黙。そして、綾瀬がゆっくりと口を開く。

「アレは、屠った」

「だろ!? 屠るべきはアイツ……って、えええ!!?」

 サラリと出てきた言葉に、真剣にビビった。

 屠った!?

 屠ったって何だ!?

 言葉の意味がそのままなら……。

 そう言えば、ここに来る様になって数日。藤堂の姿を一切見ていない。アイツは、演劇部における随一の実力者で中心人物の一人。この年に一回の修羅場に、いない筈がないのに。

 何故?

 簡単な事だ。

 正しく、藤堂真美は去年の劇をぶち壊した諸悪の根源だ。そして、相場綾瀬のかの事件に対する未練は物凄い。きっと、原因たる藤堂への憎悪は半端なモノではないだろう。そして、今この演劇部を支配するのはこの過激派な訳で……。

(ま、まさか……)

 脳裏を過ぎる、悍ましい結論。

 ゴクリ、と生温い唾を飲み下す。流れ滑る汗が、気持ち悪い。けれど、背筋は酷く冷えていて。

 慄きながら、助けを求める様に周囲を見回す。取り囲む、他の部員達。表情がない。能面の様な顔。色の無い沢山の眼差しが、僕を映す。

 この部は、ヤツの。相場綾瀬の支配する国。現世(うつしよ)から切り離された、隔離世。その住民たる部員(こいつら)も、またこの女帝の僕(しもべ)。逆らう事なく、ただかしずくのみ。

 そう言う事なのだ。

 閉じられた世界。

 統べられた思考。

 その中で、女帝の機嫌を損ねた愚者の辿る道なんてたった一つ。

 全ての思考が一つなら、隔離の中の執行も隠蔽も容易い筈で。

「どうした?」

 女帝が問う。まるで全てを見透かして。そして全てを肯定する様に。

「何をそんなに怯えている?」

 コツリ。

 踏み出す。僕に、向かって。

「怖いのか?」

 コツリ。

 一歩。

「わたしの様な小娘が」

 また、一歩。

「怖いのか?」

 見下ろす視線。

 囲む、視線。

 揺れる視界の向こうに、里香が見えた。

 忘我した様に佇んで、僕を見つめる彼女の姿が。

 らしくないその様を見た時、僕の中の何かが飛んだ。

 『マズイ』と思った。

 『ヤバイ』と思った。

 飲まれている。里香までが。この『世界』の、空気に。

「何を見ている? 『一弥』?」

 囁く声は、嗤いを含む。

「見ているのか? 『ヴィクトリカ』を。お前の、『姫』を」

 嗤う顔。端正なその顔が、近づく。

「なら、どうする?」

 囁く声。耳元で。甘い、吐息。

「あの娘はもう、『此処』の民だ。美しきカオスの欠片の繰り手、『ヴィクトリカ・ド・ブロワ』だ。近くに在れる者は、彼女がそうと望む者だけだ」

 『どうする?』と、問う。

「捨て行くか? 『戎崎裕一』。それとも、添いて守るか? 『久城一弥』」

 『どちらでも、望みの道を』。告げる声は、何処までも深淵。

「けれど」

 最後の呟き。酷く優しく。

「あの娘はもう、わたしの『モノ』だ」

「――――っ!!!」

 弾けた。

 目の前に立つ綾瀬を、押し退ける。

 綾瀬は踏ん張る気配もなく、半ば流す様に身を避ける。薄い笑みが目端に映ったけれど、気にするつもりもない。そのまま棒立ちしてる里香に駆け寄ると、その手を取る。

 逃げなきゃいけないと思った。

 このままだと、奪われると思った。

 冗談じゃなかった。

 そんなの、絶対に。

 嫌だった。

 逃げなければ。

 里香を連れて。

 この、閉じた世界から。

 舞台から降りる道を、部員達が遮る。里香の手を引きながら、僕は叫んだ。

「退け!」

 せせら笑う、彼女達。そして。

「痛いぞ。久城」

 背後から響いた声。知った彼女の、彼女でない言葉。背筋が、凍る。

 振り向いた先で、里香が見ていた。里香ではない、彼女が見ていた。

「何を怯えている? 何を、恐れている? 君らしくもない。中途半端な秀才である君が恐れるモノなぞ、此処には何もない。全く。何一つ、実在しない」

 淡々と。けれど、揶揄い嘲る言葉。それは、正しく里香のソレではなくて。

「思考の放棄は、人格の放棄だ。感情に流されるのは、獣の特権だ。いつかの賢人は言っただろう? 考えぬ人は、河原の葦に等しい」

 立ち竦む僕を面白そうに眺めながら、里香の姿をした『彼女』は笑う。

「さあ、考えたまえ。浅慮な君が人として在る為に。その思考の中に散らばる混沌(カオス)の欠片を。集め、構築し、理解して」

 伸びてきた指。あやす様に、僕の頬を。

「確たる真理の言語化を」

「――――っ!!!」

 僕が恐怖と困惑に顔を引き攣らせたその時。

 ドッ!

 溢れる笑い声と共に、魔法が解けた。

 ケラケラと腹を抱えて笑う部員達。呆然とする僕を、笑う里香の向こうの綾瀬が見つめる。その顔に、ニヤリと不敵な笑みを浮かべて。

「出来るじゃないか」

「……は?」

「それだ。その心情。大事なモノを守ろうとする、真摯なる決意。覚悟。それこそが、わたしが混沌の繰り手の僕(しもべ)『久城一弥』の根底に求めるモノだ」

 コツコツと歩いてきて、すれ違いざまに僕の肩をポンと叩く。

「その調子で、頑張ってくれ」

 サラリと流れる髪と共に、抜けていく激励。

「さあ、皆。もうじき時間だ。もうひと頑張りしよう」

 かける声に、『はーい』と言う返事が返る。そこに在るのはもう、普通の高校の、普通の部活の光景。

 すっかり取り残された僕を見て、里香はただただ笑い転げていた。

 

 ◆

 

「ん? 結局、藤堂真美はどうしたのかって? 言っただろう、不穏分子はいらん」

「じゃあ、やっぱりお前……」

「何か、妙な勘違いをしていないか? 奴は部長権限で強制退部にしただけだ」

「……へ?」

「散々不義理をしておいて、いざ処されるとなったら泣き喚いて抗議してきた。五月蠅いから、バッサリ切って蹴り出した」

「お、お前、モノホンの独裁者か……?」

「独裁結構。今回の舞台は、我が部の命運をかけた集大成。ノイズ足るモノは、徹底的に排除・粛清する」

(……ひでぇ)

「と言うかお前、ひょっとして文字通り私が奴を殺害したとでも思ったか?」

「へ? あ、いや……」

「部員達を操って隠蔽工作をし、全てを闇に葬ったと?」

「そ、そんな事……」

「良いな」

「はい?」

「今劇の題材である『Gosick』はミステリー物だ。主人公たるお前の思考が、『そう言う方向』に向いてきたのは、実に喜ばしい。ここ数日の指導も、満更無駄ではなかった様だな」

「あ、あのな……」

「さっきも言ったが、その調子で頑張ってくれよ」

 それだけ言うと、綾瀬はさっさと行ってしまった。

 何とも言えない感情に翻弄される僕の耳に、愉しそうな笑い声の余韻だけを残して。

 

 ◆

 

「ホントに馬鹿だよね。裕一は」

 そう言って、荷台に乗った里香がケタケタと笑う。何か今日は、笑われてばっかりだ。不本意極まりない。

「だって、酷くないか? 皆して俺をハメるなんてさ」

「皆、悪気はないよ?」

「ない訳ないだろ!?」

 流石に里香相手でも語調が荒くなる。本当は振り向いて睨みつけてやりたい所だけど、自転車運転中につき余所見は厳禁だ。

「大体、里香も里香だぞ! 本気で焦ったんだからな、俺は!」

「本気になる方が、馬鹿」

「う……」

 ぐうの音も出ない。

 渋い顔をする僕をほっといて、里香は話を続ける。

「でも、気持ちは分かるかな。さっきの雰囲気作り、凄かった。つい、のっちゃった」

 実験台にされた身にもなって欲しい。何か、感心してるけど。

「去年とは、レベルが段違い。皆も頑張ってるし、相場さんの指導力も凄い」

「恐怖政治だからな」

 少なからずの怨嗟を込めて放った言葉に、里香がウ~ンと小首を傾げる。

「確かに厳しいけど、そんな理不尽じゃないよ。上手く出来た事はちゃんと認めてくれるし、都合があれば無理強いはしない。帰宅時間だって、こうやって守ってくれてる」

 それは確かに。一部は僕達に限って適用されてないけどな。

「一生懸命なんだよ。相場さんも、皆も。今度こそ、成功させたいんだと思う」

 犠牲が大き過ぎる。

「納得いかない?」

「いかない!」

 ぶっきらぼうに返す僕の鼻息に、里香が『ふむ』と思案する。いや、どんな理屈や論理を出してこようが、僕は譲らないぞ! この怒りは、僕の最後の誇り(プライド)だ。個としての存在証明だ!

 ……やっぱり何と言うか、思考が汚染されてきている様な気はしないでもないけれど。

「はい」

「ひぃ!?」

 悩んでいた所に、急に頬を襲う冷感。ビックリして、運転が乱れる。

「気をつけて」

「わ、わりぃ……。って言うか、何だソレ?」

 体勢を立て直して改めて見ると、里香が持っていたのはパックのジュースだった。購買で売ってるヤツだ。

「言葉では分かり合えないみたいだから、実益で釣りましょう」

「……買収?」

「イエス」

「ふ、そんなモノで俺が……」

「いらないの?」

「貰う」

 アッサリそう言って、パックを受け取る。文句あるか? 安いプライドに固執した所で、生産性なぞ何も生じないのだ。真理なのだ。

 受け取ったパックには、もうストローが刺してあった。口を付けて、啜る。甘い、ミックスフルーツの味。色々喚きまくって干からびた喉に、慈雨の如く染みていく。

「美味い!」

「良かった」

 自分の分を飲みながら、笑う里香。

「後でお金、払うからな」

「いらない。買ったの、あたしじゃないし」

「へ? じゃあ、誰だよ?」

「相場さん」

「!」

 またビックリして、少しむせた。

「大丈夫?」

「お、おぅ……。で、でも、何でアイツが……」

「帰り際にくれたの。『無理を言ってすまない』って……」

 あんまり意外で、黙ってしまう僕。見透かした様に、里香は言う。

「相場さん、裕一が思ってる程悪い娘じゃないよ。ただ、一生懸命過ぎるだけ。舞台が終われば。成功すれば。きっと、良い友達になれる」

「…………」

「だからね、頑張ろう」

 優しい声が心地良い。けれど、やっぱり一線は譲れないのだ。

「いや! やっぱりアイツは嫌いだ!」

「強情だなぁ」

「何とでも」

「ジュース、飲んだのに」

「買収には、屈しません!」

 また『う~ん』と唸る里香。いくら篭絡を図っても無理だぞ。いくらお前でも、コレは信念なのだ。

「じゃあ……」

「何言っても、駄目だぞ!」

「あたしの為に、頑張って」

「!」

 思わず、心臓が跳ねた。

「相場さんじゃなくて、あたしがやりたい。成功させたい。あの、舞台を」

 腰に回されていた腕が、首に絡まる。

「失敗しちゃったけど、去年の舞台、楽しかった。知らない世界。物語の中。全部全部、素敵だった」

 背中に寄せられる、頬の感触。自転車を制御するのが、精一杯。

「嬉しかった。裕一が来てくれた時。裕一と、同じ物語の中にいれた事」

 甘く、甘える声。こんな里香は、初めてで。

「あの時はすぐに終わっちゃった。でも、今度はずっと長い時間」

 こんなにも。こんな形で。求められるのは……。

「だから……」

 囁き願う声は、耳の傍。

「お願い」

 拒絶と言う選択肢なんて、当然の様にある筈なくて。『ありがとう』と舌を出す気配に、只々敗北を噛み締める。

 何と言うか、里香も成長しているらしい。良い意味でも。悪い意味でも。

 

 残暑の夕暮れ。

 置いて行かれたヒグラシの声。

 遠く。遠く。流れて、消える。

 

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