―残暑―   作:土斑猫

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 不満があった。

 微かな。

 けれど、確かな不満があった。

 あたしだけじゃない。

 皆だって、そう。

 だって、おかしい。

 やっぱり、おかしい。

 頑張っていたのだ。皆。

 高校生活、一番の晴れ舞台。

 小さくて、ささやかな機会。

 でも。

 いや、だからこそ。

 輝きたかった。

 あの場所で。

 あの舞台で。

 一輪の華と輝きたかった。

 

 ◆

 

 戎崎裕一と別れた秋庭里香は、各部室が入っている別棟へと向かっていた。

 本来、今日は休日である。舞台のある体育館を気兼ねなく使える、数少ない機会。限られた時間を少しでも有効に使おうと、駆り出された演劇部員達は体育館に直行した。練習が終わった後は後で、そのまま直帰。少しでも休ませようと言う相場綾瀬の気遣いである事は明白ではあったのだが――。

 ――他の部員の連中も、ブツクサ言ってたぞ――?

 戎崎裕一の言葉が、脳裏を過ぎる。

 気づかなかった。

 全く、思い至る事が出来なかった。

 人の思考は、常に自分を基準に回る。

 自分が正しいと思う事は、皆正しいと思うだろう。

 自分が楽しいと感じる事は、皆も楽しいと感じるだろう。

 よくよく考えれば、そんな事在りはしないと理解出来るのに。

 深く考える事をしなければ、ごく自然にそう考える。

 決め付けてしまう。

 それは、どんなに聡明な人間でも。

 如何に理知的な人間であっても。

 人間である以上、至極当然な事で。

 そして、そんな都合の良い妄想に浸る間に事態は進み。

 気づいた時には。

 向き合った時には。

 大抵、どうしようもない事になっている。

 現実は不変。

 ちっぽけな人間の自惚れなんぞに、配慮なんてしてくれない。

 そして、悲しいかな。秋庭里香と言う過ぎた少女も。

 所詮はそのちっぽけな人間の一人でしかないのである。

 楽しかった。

 本当に、楽しかった。

 だから、皆もそうだと勝手に思って。

 相場綾瀬も、嫌いじゃなかった。

 むしろ、演劇に対する真っ直ぐさと真摯さに好感を抱いていた。

 だから、皆もそうだと思っていた。

 同じ、演劇部の仲間なのだからと。

 だけど――。

 相場綾瀬の居場所は知れていた。

 今日、誰も行かなかった演劇部の部室。彼女は皆を帰した後、一人だけ残って色々チェックをするのが日課だった。衣装のチェック。小道具のチェック。台本のチェック。全てはすでに完成していて、もう何かが変わる事はない。それでも、相場綾瀬はソレを続けていた。『どうして?』と訊いた時、『やらないと、眠れない』と返された。『手伝おうか?』と言ったら、『好きでやってる事だから、気にするな』と断られた。

 だから、彼女は部員の誰にも言わず。一人で黙々とソレを行っていた。毎日、日が落ちるまで。

 否、知っていた筈だ。少なくとも、部員の何人かは。

 けれど、手伝いを申し出る者はいなかった。

 秋庭里香と戎崎裕一が練習に加わる様になってから、一度も。

 誰一人。

 つまりは、そう言う事。

 秋庭里香は急ぐ。

 相場綾瀬がいる筈の、その場所へ。

 戎崎裕一の言葉が、胸の中で反響する。

 さしたる悪意があった訳ではない。理解している。彼は、そんな悪辣な人間ではない。でも、同時に子供なのだ。

 そして、子供の無垢は時に感じ取る。

 どうしようもない、人の汚泥。その、臭気を。

 胸騒ぎがする。

 どうしようもなく、ざわつく不安。

 部室のある別棟は、まだ遠い。

 走る事の出来ないこの身。酷く酷く、忌まわしく。

 もどかしかった。

 

 ◆

 

 だからと言って、何をしようと言う訳でもなかった。

 どんなに不満を持とうと。

 どんなに不平を象ろうと。

 黙らされてしまう。

 納得させられてしまう。

 仮初めの舞台に立つ、あの娘の演技に。

 その美しさに。

 可憐さに。

 部外者なのに。

 余所者の筈なのに。

 演技に対する想いなんて、薄っぺらい筈なのに。

 その煌めきは。

 その迫力は。

 あたし達の誰よりも、気高くに過ぎて。

 

 確かな事だ。

 間違いのない事なのだ。

 彼女が、あの娘がこの舞台を華と飾るのは。

 素晴らしい劇になる。

 例え様もない物語が綴られる。

 それは、素人なりでもこの世界を齧ったあたし達であれば容易に理解出来る事で。

 今回の劇は、今の部員であるあたし達だけのモノではない。

 去年の失敗で涙を流した先輩達の想いを叶える為の場でもある。その為に。だからこそ。部長は裏方へと引っ込んだのだ。

 あのひとにとっても、最後の舞台。

 それを、残された先輩達の想いを完成させる為に。

 痛みは、あのひと自身も背負っている。

 分かっている。

 皆、理解している。

 でも。それでも。

 湧き出る不満は。やるせなさはどうしようもなくて。

 ああ、嫌だ嫌だ嫌だ。

 纏いつく蟠りを誤魔化す様に、稽古を終えたあたしは足早に帰路についた。

 

 ◆

 

 ようやく部室の前についた秋庭里香は、恐る恐る扉のノブに手をかけた。

 軽く回るノブ。鍵がかかっていない。と言う事は、相場綾瀬はまだ中に居るのだ。

 そっと、扉を開ける。

 部屋の照明は点いていなくて、傾いた西日が射し込むだけの室内は気怠い薄闇に包まれていた。

 その中に、佇む人影が一つ。後ろ姿から、相場綾瀬だと容易に知れた。

「……相場さん、良いかな……?」

 声をかける。返事は、ない。

「相場さん……?」

 やはり、返事はない。様子がおかしい事を確信し、部屋に踏み入る。締め切られた空気が、重く湿っぽく、身に絡まる。

 ここの空気は、果たしてこんなにも重苦しいモノだったろうか?

「相場さん、どうしたの?」

 彼女の背後に立ち、もう一度声をかける。やはり、返事はなく。肩に手をかけようとした時、ソレが震えている事に気づいた。

 おかしい。

 そう確信した時、彼女の肩越しに部屋の光景が見えた。そして。

「――――っ!!!」

 世界が、凍った。

 

 ◆

 

 校門の近くに、『あの娘』が立っていた。

 近寄ると、笑いながら向こうからも寄って来た。

 とても。とても、可愛い笑顔。まるで、作った様で。きっと、舞台で映える。いや、間違いなく映えるのだ。

 それは、すでに証明されている事。

 ずっと。ずっと彼女が証明し続けて来た事。

 もう、過去の話ではあるけれど。

「用、済んだんですか?」

「うん、助かった。ありがとぉ」

 鼻にかかった様な、甘い声。その可愛さと相まって、酷く魅力的。同性のあたしがそう思う。男共なんて、ものの数秒で虜にされる。そうやって、玩具にされた純情は何人も。

「別にあたしに言わなくたって。部長に頼めば普通に……」

 そう言った瞬間、彼女の顔が変わった。笑みが消えた訳じゃない。ただ、酷く不快な感じがした。あたしが感じたモノか。彼女の内か。分からないけれど。

「ごめんねぇ。でもぉ、あんな事の後だからぁ。綾瀬とは、話し辛くってぇ」

 ほんのちょっとの間の後。笑顔はそのまま。甘ったるい声もそのまま。けれど、とても嫌な圧。

「そ、そうですか。そうですよね……」

 先輩だからと言うだけじゃない。深く突っ込めば、面倒な事になる。そんな確信が、あった。

「とにかく、返すねぇ」

 そんな言葉と共に、差し出されたモノを受け取る。その時、彼女がクイと顔を寄せた。漂う甘い呼気に、背筋が竦む。

「あとぉ、この事は内緒だからねぇ」

「ど、どうしてですか?」

「だってぇ、『真美』はぁ、もう部外者だしぃ……」

 『部外者』と言う言葉が、酷く強く耳につく。まるで、責める様に。

「部外者をぉ、勝手に部室に入れたらぁ、ダメでしょう?」

 心が、ゾクリと騒いだ。

「で、でもソレは先輩が……」

「断らなかったのはぁ、貴女だしぃ?」

 言葉が詰まった。ソレは、確かな事で。そして、その理由は……。

「綾瀬はぁ、立派な良い子だからぁ……」

 皮肉る様な、揶揄する様な声音。

「きっとぉ、怒るだろうなぁ……」

 甘さの中、確かに孕む悪意。

「真美にぃ、したみたいにぃ……」

 ビクリと震えたあたしを見て、また笑う。

「だからぁ、内緒ぉ」

 クスクスと囀って、踵を返す。ステップを踏む様に遠ざかっていく姿を、ただ見送る。

 握った手の中。部室の鍵が、冷たい汗でジットリと滑った。

 

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