真剣で私に恋しなさい!S ~無冠の弓聖~   作:霜焼雪

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黒紅

 

 

 

「じー……」

 

「うーん……」

 

 

 

 とある廃ビルの一室で開かれている学生たちの集会にて、二組の(まなこ)が一人の男子を射抜いていた。

 

 その視線の先にいる男子は、舗装したての道路のような黒紅(くろべに)のタンクトップがはち切れそうな筋肉を誇り、何かにつけてはボディビルダーのようなポージングで肉体美を強調している。そんな奇特な男子、島津岳人は女子の視線にはきわめて敏感であった。

 

 

 

「お、どうしたお前ら、俺様の筋肉がそんなに美しいか」

 

「いや、そういうわけではないんだが……」

 

「ガクトがモテるとしたらどういう部分がモテるかなーって」

 

 

 

 視線の主であったクリスと一子に疑問に対し、岳人はせせら笑いながら自分の胸を叩いて見せる。

 

 

 

「そりゃお前、この鍛え抜かれた肉体に決まってんだろ!」

 

 

 

 ぶりっ、と奇妙な張りを帯びた大胸筋がここぞとばかりにはしゃいでいる。

 

 

 

「マイナーとは言わないが、大衆受けとも言えないだろう? 私みたいに美少女として受け取られないとな」

 

「何言ってんだよモモ先輩、このハンサムに向かって!」

 

 

 

 自他ともに美少女として認識されている武神、川神百代の言葉に反論する岳人。がっちりと固められた頭髪を優しくなぞり、己の美貌に酔いしれているようだった。

 

 

 

「顔面とかじゃなくて、内面の問題なんじゃないかな? 顔だけであっさり釣れるならそんなに苦労しないでしょ?」

 

 

 

 決して岳人のイケメン発言に賛同することはないまま、論点的なズレを指摘するのは師岡卓也。岳人と一番長い付き合いである彼は、内面を矯正しなければ岳人の現状を打破できないと分かっているのだろう。

 

 

 

「まあ、姉さんも内面まで美少女かと言われたら過言な部分が」

 

 

 

 ぽろっと漏れた軽口が引き金となり、百代の体が瞬間的にその軽口の発信源たる男子の体を逆さまになるように持ち上げた。持ち上げられた当事者はと言えば、ほんの一瞬の出来事にも拘らず自分がこれからどのようにされるのかを理解してしまっていた。

 

 有罪を押し付けられた軍師、直江大和は地面に垂直にさせられつつ、勘のいい自分を呪って処刑を待つこととなる。

 

 

 

「姉ーンバスター!!」

 

「ちょっと待ってそれここじゃ危なぐはぁ!!」

 

 

 

 人が二人分寝られるかどうか、畳一畳分かどうかいった具合の隙間からはみ出すことなく、大和は背面から勢いよく叩き付けられた。吐き出された苦痛の言葉と掠れた息がその技の威力を物語っている。なまじ暴力に耐性が付いているせいで、彼は気絶することも許されないでいた。

 

 弟分である大和に折檻を終えて、百代は満足げに両腕を上げて高らかに雄たけびを上げる。

 

 

 

「ありがとうウッシャーマン!!」

 

「ウッシャーマンって誰だよ?」

 

「ウッシャーマンのおかげでブレーンバスターを見直したんだ。まさかブレーンバスターで柔道の一本が取れるとはな……盲点だった」

 

「スゲーなそれ!!」

 

 

 

 百代の語るブレーンバスターを極めたような人物の存在に目を輝かせるのは、この集会に集まるメンバーのリーダーである風間翔一。もっとも子供らしさを忘れずにいる無邪気さには、今のプロレス技はまさしく必殺技のように映ったのだろう。

 

 

 

「ちょっとワン子、クリス」

 

「ん? どうしたみや痛いっ!?」

 

「ふぎゃあ!?」

 

 

 

 百代のブレーンバスターに意識が集中しているこの時、クリスと一子の耳が京によって力強く引き寄せられた。何をするんだと視線で訴えようとした二人だったが、京の鋭すぎる眼光に反抗精神はあっさりと消失してしまった。

 

 

 

「あのね、この場であの話をしなかったのはガクトに悟られない為でもあるんだよ? そんなバレバレな態度でどーするの」

 

 

 

 京は二つの耳をつまんだまま二人を叱責する。その二人はというと、軟骨のある位置をぎゅっと押さえられていることもあってか僅かに涙目であった。

 

 

 

「い、いやしかし……」

 

「あくまで自然に、いい?」

 

「わ、わかったわ……」

 

 

 

 僅かに怒気を孕んだ、粗相をした飼い犬に対してしつけを施すブリーダーのような京の苦言に、クリスも一子も少し体が小さくなったように落ち込んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

「そういやガクト、告白されたんだって?」

 

 

 

 

 

 

 

「ぶふっ」

 

「げほっ」

 

「んぐっ」

 

「おいそこの三人、コントみてぇなことしてんじゃねーよ」

 

 

 

 忠告するや否や、渦中の人物に起きた衝撃的な出来事に平然とすることはできなかったようだ。京でさえ、胃の中のものが暴れだしたかと思うくらいに動揺を隠しきれずにいた。

 

 

 

「おいガクト、私に黙って告白を受けるとはどういう了見だ」

 

「えっ、俺様その権利すらないのか?」

 

「あー、そういや言ってたな。不良から助けたんだろ? 小学生」

 

「いやー、まさか小学生にも一目惚れされるとは思ってなかったぜ。罪な肉体だ」

 

 

 

 依頼者の動きではない、ということに京は安心したような焦りを覚えたような、何とも形容しがたい感情の渦にさらされていた。

 

 

 

「で? 受け入れたのか?」

 

「モモ先輩、携帯片手に聞くのやめてくんね?」

 

「ま、年上主義であることを除いても引き受けるわけないわな。なんたってガクトだから……。それにしても、腰……いてぇ……」

 

『大和坊はあれだな。フライパンで殴られたり殺虫剤で目潰しされても平気そうだよな』

 

「こら松風! まるで新東プロの新人みたいな扱いなんて失礼でしょう?」

 

「……まさかまゆっち、ウッシャーマン知ってるんじゃないんだろうな……」

 

 

 

 体の痛みを訴えながらも、何とか話の輪に戻ってきた大和に対し、馬のストラップを片手に心配しながら貶している少女、黛由紀江。どうやら百代のブレーンバスターの意識改革に努めた人物についても見識があるようだ。

 

 

 

「ね、ねえガクト。参考までに、どれくらいからなら告白オーケーするの?」

 

 

 

 すると、先ほど叱られたばかりの一子がここぞとばかりに切り口を増やした。

 

 

 

 ――――意外。そんな聞き方もできるんだねワン子。

 

 

 

 京の目が若干大きく開かれたが、それは軽率な行動をとったことに対する怒りのものではなく、自然な流れをつかめたことに対する感嘆の意味合いが近い。

 

 

 

「あん? 何だ突然」

 

「ワン子もガクトが犯罪に走らないか心配してるんじゃない? 僕もいろんな意味で心配してるんだから……」

 

「余計なお世話だ!」

 

「まあ、この際はっきりさせておいた方が俺たちが協力しやすくなるだろ? ここいらできっちりしとこうぜ! 同級生でも委員長はなしなんだろ?」

 

 

 

 ――――キャップ、グッジョブ。いい流れ。

 

 

 

「委員長はなしって言うかよ、委員長に欲情したら倫理的にアウトだろ」

 

「存在が倫理的にアウトなのに何を今更」

 

「欲望全開だしな」

 

「何? 今日は俺様フルボッコデーかなんかなの?」

 

『物理じゃないだけまだマシだと思うのさ』

 

「一個下はダメで、同い年からって区切りもなんかきっちりしすぎだよな。なんかあんの?」

 

「別に意識はしてないけどよ。先輩って呼ばれることに大して興奮しねーんだ」

 

「激しく罵られるくらいが丁度いいのか。じゃあ今度から私もそうするか」

 

「怖ぇーよ!! 極端に飛躍しすぎだろ!! あと俺様を突然どMにすんじゃねーよ!!」

 

 

 

 ――――話が進んでいるのか、どうなのかな……これ……。

 

 

 

「……じゃあ試しに、クラスだとどのあたりがラインなんだ? 例えば羽黒とか」

 

 

 

 いつも通りのファミリーのペースではあるものの、ばれないように慎重に探るこの状況では埒が明かない。

 

 どうやらそう感じ取っていたのは京だけではなかったようで、クリスが一歩踏み込んだ質問に切り替えた。

 

 

 

「お前それ分かって聞いてるだろ? 分かってなかったらあれだぞ?」

 

「羽黒も一応女だからな……。ちかりんは恋愛対象なんだろう?」

 

「守備範囲内だけどよ、何かこう、今一つこう……」

 

「…………よく選り好みできる余裕があるな、お前。私と違って環境から何まですべて違うというのに……」

 

「だから、一人くらい回してくれって!!」

 

 

 

 ことあるごとに恋愛を失敗している岳人に危機感がないことを指摘し、女子には全く困っていない百代が煽るように鼻で笑っていた。

 

 

 

『タラシ川神百代、高みの見物』

 

「まゆっち、ウッシャーマンしってる感じだったな。どうだ腕取り逆回って体落とし風投げ食らってみるか?」

 

「ふえぇ!? 何でですか!?」

 

「いい根性してるというか、もうここまで来ると嫌味な後輩だねぇ」

 

 

 

 由紀江のふてぶてしさに卓也が呆れたように苦笑する。

 

 

 

「なあ頼むよモモ先輩!」

 

「嫌だね。自分で掴みとってこその優越だろう」

 

「ぐっ、姉さんの言葉が正論過ぎてガクトが言い返せない……!」

 

「せめてそれは俺様に言わせろ!」

 

 

 

 二年F組の女子をいくつか例を挙げて候補をつぶしていくようにしているが、彼女たちの知りたいことは変わらず一つだけ。

 

 

 

 

 

「じゃあさ、鶴は?」

 

 

 

 

 

「あん? お鶴?」

 

 

 

 ――――さて、脈はあるとは思うけど、どんな印象か……。はだけた姿、見られたらしいし……。

 

 

 

「そ、それは自分も気になるな!」

 

「お鶴……? ああ、京の初めての友達か」

 

 

 

 ピクリ、と京の肩が震えた。

 

 

 

「あん時は嬉しかったよなぁ。ファミリー以外とまともな友好関係結んだの初めてだったろ? 大和があんだけ言ってようやくできて、今や名前呼びだもんなぁ」

 

「う、うん」

 

 

 

 ――――いつ話そうかな、そのあたりの本当のこと。

 

 

 

「で、どうなの?」

 

「うーん…………」

 

 

 

 両腕を組み、眉間にギュッと皺を寄せて唸る岳人。

 

 

 

「意外と考え込むな」

 

「ガクトさんにしては珍しいですね」

 

『直感と筋肉の塊だからなぁ』

 

「そろそろまゆっち怒られるよ?」

 

 

 

 

 

「ちょっと違うな。あれは」

 

 

 

 

 

「ど、どうして!?」

 

「お鶴可愛いだろ!?」

 

「…………ふーん」

 

 

 

 全くの予想外、脈がほとんどないと切り捨てられてしまったような状況に、納得のいかない三人は各々抑えきれない感情をあらわにする。一子は理解できないといったように恐れ、クリスは不意を突かれたように驚き、京はただただ静かに怒りの炎を燃やしていた。

 

 

 

「どうしてったってなぁ……。アイツはそういうんじゃねーって言うか」

 

「タイプじゃないんじゃないのか?」

 

「そうかもなー」

 

 

 

 あまりに軽すぎる受け答え。織鶴の心内を知っている三人はもはや黙ることしかできなかった。

 

 

 

「まあ、一番の理由は……あいつに色気を感じないってことだな! 昔っから!」

 

 

 

 ◇

 

 

 

 学園から帰宅した織鶴は激しい気怠さに襲われていた。携帯電話が三〇分後に鳴るようにしてほんの少し昼寝をすると、無意識にアラームを止めて二時間も熟睡していたことに気付き、家事全般に対する意欲を綺麗さっぱり失ってしまった。

 

 炊事や掃除は完璧に放棄。夕食は緊急時用に備蓄したはずの簡易栄養食品と、箱買いした缶紅茶を退屈そうに貪るだけ。もう気力も何もない、京からの電話がかかって着たのはそんな時だった。

 

 対面するわけでもないのに居住まいを直し、機械的に食べていた栄養食をしっかり咀嚼することなく強引に紅茶二缶で流し込み、着信相手を確認してから三秒とかからずに電話においての万全な状態を作り上げる。

 

 その通話を震える声で応答するも、京自身の声は普段より低く落ち込んだ様子であった。不思議に感じた織鶴がその理由を尋ねるも逆に質問されてしまい、必要もないのについ復唱してしまう。

 

 

 

「はあ、岳人くんが自分の事を女としてみてない理由、すか?」

 

 

 

 ――――そんなことでわざわざ電話してこなくても……。

 

 

 

『年下じゃなきゃ所構わず発情するあの野蛮なガクトが鶴ちゃんに反応しないのはおかしい』

 

「ひでー言われ様っすね……」

 

 

 

 ――――これが向こうからの初電話、ってのも悲しいもんっすね……。

 

 

 

 心の中でため息を吐きつつ、会話を続ける。

 

 思えば、こんなことを電話で話すのなんて初めてだ、と織鶴は自分が如何に色のない人生を送っていたかを痛感してしまった。

 

 

 

『それくらい獣だよ、あの人生発情期は』

 

「人生……」

 

『色気がないって言われてるのはどうかと思うよ。あのモロにさえ色気みたいなものを見出してるっていうのに』

 

「えっ、なんすかその聞きたくなかった事実……」

 

 

 

 好意を向けている異性が同性に興奮している事実など聞きたくもなかっただろう。電話越しに「あっ……」と失言を匂わせる声が漏れていた。

 

 

 

「ま、まあそれは何とか置いておいて…………その、色気云々に心当たりがないと言ったら嘘になるんすけど」

 

『一応、何かあった訳だね』

 

「まあ、それがきっかけっすからね。岳人くんに惚れたのは」

 

『私も隠さない方だけど、鶴ちゃんおくびれもなく言うよね』

 

「もう隠すつもりはねーっすからね。外堀から埋めていくまであるっす」

 

『それで? 何があったの?』

 

「うーんと、話は学園入学前まで遡るんすけど……」

 

 

 

 ◇

 

 

 

「迷った……」

 

 

 

 多馬川を沿って盛り上がっている土手の斜面に、分厚い眼鏡の少女が両膝を抱えてぽつんと座っていた。口は少しばかりにやけたように半ば開き、目も虚ろげに開かれて活気というものが抜け落ちていた。これが女の子らしい格好でいたならば、風景画の一部として描かれても立派に溶け込み絵の一部となることができただろう。

 

 しかし、少女の身なりはお世辞でも可愛いと言えるようなものではなかった。安い生地で作られた大きめのジーンズに、袖が余ってしまっているトレーナー。上半身は真夜中の海のような鉄紺(てつこん)、下半身は新聞紙を焼いた後に飛び交う焼灰のような枯野色(かれのいろ)という暗めの配色。極めつけは全くと言っていいほど統一性のない毛先の向きに、分厚いレンズのメガネだ。体のラインは全くと言っていいほど見えず、野暮ったい輪郭が彼女を女の子らしさから遠ざけている。

 

 

 

「願書、出しに来ただけなのに……」

 

 

 

 はははは、と乾いた笑いが少女の口から這い出る。両膝とそれを抑える両腕の間には、大きめの封筒が挟まれていた。

 

 

 

「見知らぬ土地、おそるべし……」

 

 

 

 中学を卒業することを期に、出張しがちの両親の元を離れて本格的な一人暮らしをすることにした少女は、思い切って都会のある学園に進学することにした。元々は電機メーカーの社員寮であったマンションを改築して学生寮として提供していることもわかり、合格した後もこの学園ならばやって行けると両親の納得も得ていた。

 

 彼女は父から「弓術の色が強いから心しておきなさい」と釘を刺された後、「むしろこちらが染め上げてやるといい」と背中を押されている。その為に手に入れた願書を書き上げたところ、「願書は手渡しの方が縁起がいいのよ」という彼女の母の持論により、見たこともない学園に単身乗り込むことになったのだ。

 

 乗り慣れぬ新幹線に乗り、都会の旅客鉄道が地元のものの十倍以上の本数も走っていることに驚かされながらも、何とかホームを間違えることなく乗り換えに成功し、二時間以上の時間を掛けてここに至っている。

 

 しかし、学園には辿りつけていない。

 

 実のところ、多くの生徒が行き交う通学路には差し掛かっているため、少女は勘を頼りにしながらも着実に近づいているのだが、当然彼女はそれを知る由もない。完全に迷ったと落ち込んでいる。

 

 

 

「やっぱり、人に聞くのが早いんすかねぇ……はぁ……」

 

 

 

 慣れない土地で迷った旅行客の手段として、交番や郵便局に赴いて道を尋ねることがしばしば用いられる。コンビニエンスストアや飲食チェーン店、果ては薬局でもそう言ったことを尋ねる人間は必ずいる。

 

 地元の人間である可能性が高い人間に道を聞くということは、最終手段と思われがちでありながらもこれ以上ない最良の手段である。それは外国でも変わらず、特に自転車やオートバイなどに乗って旅をしている際は、同じ境遇、つまりは同じ自転車乗りや単車乗りに道を聞くことは、読み慣れぬ地図を眺めるよりも確実であるとされている。

 

 問題はそこに至るまでのハードルである。話しかけるのは常に初対面の人間。先に挙げた自転車乗りや単車乗りは仲間意識を持つことで知られ、そのあたりの壁というものは極めて薄い。同じ趣味の人間であると見て分かる、それだけでも充分なアドバンテージとなり得るからだ。

 

 しかし、少女はオートバイにも自転車にも跨っていない。加えて、人に聞くという考えが浮かんだのにもかかわらず、直ぐに実行することなく顔を両膝に埋めてさらに縮こまっている。話しかけることが苦手だと、体で表現しているようなものだった。

 

 

 

「ううう……」

 

 

 

 土手に座り込んでどれほどの時が経過したのだろうか。南中していた太陽が帰路につき、少女を焦らせてもおかしくない時間は失われている。

 

 

 

「……あの橋なら……」

 

 

 

 太陽の移ろぎに唆されたように、少女は立ち上がって大きな橋を目指すことにした。実の子供のように抱えていた封筒をナップザックにしまって立ち上がる。

 

 視界に入る橋の中では一際大きなそれは、例え夕暮れ時になっても太陽の茜色にも負けない猩々緋(しょうじょうひ)の体をしていた。

 

 

 

「……休日だと、流石に学生服は見当たらないっすね……」

 

 

 

 この橋ならば学生でも使っているだろうと期待していた少女だったが、どうにも私服の通行人しか見当たらない。休日ともなると、わざわざ制服で外出している学生は少ないようだ。加えて、川神学園という教育機関は奇妙な制度があり、金さえ払えば制服は着る必要もなく、体操着での登校さえ認められてしまっている。

 

 買収と自由が目分量で混ぜられた学園の実態など、入試前の少女は知ることもなく、その橋をとぼとぼと歩くことしかできなかった。

 

 

 

「もし、そこのお嬢さん? なにかお困りですかな?」

 

 

 

 今にも崩れ落ちそうな脆さを帯びた背中に声がかけられた。少女が振り返ると、そこには整えられた顎鬚をさすりながら微笑んでいる、トレンチコートを身に纏った男性の姿が。どこか、数十年前の探偵ドラマを彷彿とさせるようなコーディネートで決めている男は少女の言葉を待つ。

 

 

 

「え、あ……はい。道に迷って……」

 

「おお、それはいけない。よろしければ私が案内してあげましょうか?」

 

「い、いいんですか!?」

 

 

 

 男の申し出は少女にとって渡りに船だった。話しかけるという最も難度の高い段階をすっ飛ばしたことにより、少女の心に幸福と安堵が注がれ満たされていく。

 

 

 

「ただ、一つだけ私のわがままを聞いてくれるとありがたい」

 

「……? 我が儘、ですか?」

 

「なに、簡単なことだよ。これを持ってくれ」

 

 

 

 そう言って手渡されたのは、琥珀色のジェルが詰められた手のひらサイズの箱と、あぶらとり紙のような束になった薄いシート。一体何に使うものなのかがわからないまま、手渡された道具たちから視線を男に戻したその時、少女は自分の目を疑った。

 

 

 

 

 

「私の胸毛の脱毛に協力して頂きたい」

 

 

 

 

 

 白昼堂々、公衆の面前、あろうことか男はトレンチコートの前を開き、梅雨時を迎えて繁殖し始めた雑草のように生い茂った胸元を顕にしていたのだ。

 

 しかも、トレンチコートの下は靴下を除けば生まれたままの姿。当然の如く、少女の目にはその男の局部も映る。

 

 

 

「ひぎっ……!?」

 

「良ければ生えかわりの周期に合わせて会っていただけると有り難い」

 

「あっ、ひっ、い……いやぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!?」

 

 

 

 一目散に駆け出した少女。今すぐこの場を離れなければいけないと、彼女の細胞すべてが一致団結して警告している。

 

 少女は知らなかった。関東三県に渡って流れる一級河川多馬川の名を冠する多馬大橋は、地元住民でも警戒心を強めて渡っている橋であることを。露出狂のみならず、大衆には受け入れられない特殊な性癖を持つ犯罪者予備軍の開放の場となっているこの橋が「変態の橋」と呼ばれていることを。

 

 

 

「なんっ……な、なんなんっすかぁ!?」

 

 

 

 恐れ、叫び、逃げ惑う。まともに走ることすらできていない。

 

 

 

「はっはっはっ。まあまあお待ちなさい」

 

 

 

 コツコツ、と高級そうな革靴の底を打ちつけ、男は大きく足音を響かせながら少女の後を追っていく。歩いているようでいながら少女との距離は拡がらない。

 

 武の街川神では変態行為をする者でも基本能力が高い事実もあった。それも知らない少女からすれば恐怖以外の何物でもないだろう。目尻からは既に涙がこぼれ落ちている。

 

 

 

「あっ――――!?」

 

 

 

 涙で視界がしっかり確保できなかったからか、少女はなにかに足を躓かせて倒れ込んでしまった。当然、男がその好機を逃すはずはない。

 

 

 

「大丈夫かね? 私の胸毛を掴んで立ち上がるといい」

 

 

 

 両手を広げて胸元を強調し、今にも覆いかぶさらんとする男。じわりじわりとにじり寄る恐怖に、少女は竦み上がって動けないでいた。

 

 

 

 ――――誰か、助けてっ……!!

 

 

 

 力一杯両目を閉じ完全に固まってしまった少女は男のコートに包まれ――――

 

 

 

 

 

「不沈艦っ……!ラリア、っとぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおらぁっ!!」

 

 

 

 

 

 ――――突如、隆々とした太い腕が少女と男の間に割って入った。丸太のような剛腕は首を折らんばかりの勢いで男を地面に叩きつけ、反動で浮き上がったところを掴み取って振りかぶる。

 

 

 

「エレガントにっ……!投げるぅああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」

 

「うわひぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!?」

 

 

 

 モモンガのようにコートをはためかせ、男は多馬川向けて射出された。バサバサとコートが音を立てながら、男は放物線に逆らうことなく着水する。男が無事かどうかなど確認することもせず、

 

 

 

「おいガキ、大丈夫か?」

 

 

 

 黒紅(くろべに)のタンクトップの少年は少女に手を差し伸べた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

『……で、惚れちゃったの?』

 

「…………お恥ずかしながら。で、でも! その時のガクトくんは、ほんっとーに! かっこよかったんすよ!」

 

『力強いね……』

 

 

 

 相手の耳元から声が出ることなど忘れ、当時の思いを熱弁する織鶴。ほんの少しだけ、京の声が小さくなっている。

 

 

 

「いやもう、東西交流戦の時は危なかったっす。思わずガクトくんって言っちゃいそうで……」

 

『いいんじゃないかな、名前呼びでも』

 

「そ、それは早いっすよ! まだ付き合ってもないのに……」

 

『純と言うか……なんか操を立ててるよね。鶴ちゃん』

 

「名前呼びに慣れてないってのもあるんすけどね。呼ぶのも呼ばれるのも」

 

 

 

 そう漏らした織鶴だったが、しばらくの間京からの返事が返ってこなかった。何かやらかしたことがあったのだろうか、と自分がしゃべったことを思い返すが、彼女にその心当たりは全くない。

 

 そしてほんの一〇秒後、

 

 

 

『………………おりづる』

 

 

 

 異様なまでに扇情的に囁かれた。

 

 

 

「っ――――」

 

『どう?』

 

「…………やっ、やめてやめてやめて、電話越しでもこそばゆいっす」

 

 

 

 ――――電話越しでこれとは……! 直江大和、なぜ落ちない……!?

 

 

 

『でも、私のことは京って呼ぶようになったよね?』

 

「い、未だに慣れてないんすよ、これが……。言うたび言うたび、恥ずかしさで背中がピリピリと痺れるような感覚が……」

 

 

 

 その感覚に現在進行形で苛まれているからか、片方の手はしっかりと携帯電話を握りしめて、空いた手で背中をこれでもかと言わんばかりに掻き毟っている。

 

 

 

『……ところで、一目惚れというか吊り橋効果というか、惚れた後はどうしたの?』

 

 

 

 脱線しかけた話を元に戻した京。そのおかげで痺れが少しおさまったようで、織鶴の背中を掻き毟る手の速度が僅かに落ちる。

 

 

 

「いや、道案内までしっかりしてもらったんすよ」

 

『……それなら普通に発展しても良かったと思うんだけど』

 

「いやぁ……実はその、そこで失態をやらかしまして」

 

『失態?』

 

「失態も失態、大失態っす」

 

 

 

 思い出すだけで頭を抱えたくなるような失態なのだろう、がっくりと肩を落としていた。

 

 

 

「格好はズボラ、小さい体、妙に後輩じみた喋り方……。しばらく喋ってると、自分が中学男子に間違えられている事に気がついたっす」

 

『…………え?』

 

 

 

 信じられないものを見たような、考えられない行動をとられたような、驚きとも怒りとも断言できない複雑な色を持った京の声。その刺々しくも荒々しい声に、織鶴はしゅんとしたように身を縮こまらせてしまい、元々大きくもない声量もさらに抑えられた。

 

 

 

「……た、多分、向こうからしたら後輩の男子にしか見てないと思うんすよ。願書出すなんて事を一言も言わなかったもんすから、川神学園に兄弟がいる中学生が何かの用事でやってきた、とでも思ったんでしょーね。女っぽい叫び声も、女々しいやつだなって馬鹿にされたりもしたっすよ」

 

『……でも、今は同じクラスじゃない?』

 

「多分、委員長と同列の扱いっすよね。世話は焼くけど恋愛対象じゃない……所謂、向こうの父性が優先されてるんすよ」

 

『…………ふぅん』

 

「だから、今のままじゃ脈もへったくれもないんすよ」

 

 

 

 ――――言ってて悲しくなるっすねぇ。

 

 

 

『……それでいいの? 自分で諦める理由を言い聞かせてるようにも聞こえるんだけどさ?』

 

 

 

 銛のような鋭さを持った言葉に、喉が固結びにされたような詰まった声が織鶴から引き出された。その言葉にならない声が京に図星と伝えるには十分だったろう。

 

 

 

『今、しかめっ面でしょ?』

 

「…………おかげさまで」

 

 

 

 ――――いい友達を持ったもんす。自分にゃ勿体ねー。

 

 

 

「……当然、よくねーっすよ。でも、どーしたもんかって感じで……。こんな話、他人にしたのは京が初めてっすからね……」

 

『……意識してもらいたい?』

 

 

 

 どう言ったものか、そう考える織鶴の眉間のしわはさらに増えていた。どうすればこの想いを最大限伝えられるか、残された乙女の部分を織鶴はひねり出している。

 

 

 

「……完全に女を捨てたつもりはないんすよ、こんなガサツな格好でも。自分だって、女っす」

 

 

 

 結果、本質は女であると伝えることしかできなかった。

 

 しかし、電話は文面ではなく声が伝わる。その声に込められていた悔しさや歯がゆさ、気恥ずかしさや悲しさ、決して澄み渡った感情ではないがとても人間らしい感情に漬け込まれた声が京へ伝わる。

 

 矢筋よりもまっすぐに、松脂よりも粘っこい愛の戦士が、それを受け取れない筈があろうか。

 

 

 

『…………よし、作戦を考えた』

 

「え?」

 

『そのがさつさ、大いに利用しよう。あの無神経筋肉に思い知らせるには色々と叩き込まなきゃいけないことがあるから、一週間後の日曜日に勝負をかけよう』

 

「……えっ、えっ?な、なに、勝負って……」

 

 

 

 

 

『告白まで持っていくんだよ。決まってます』

 

 

 

 

 

 ここに、織鶴の恋愛を成就させる作戦が打ち立てられた。

 

 

 

 

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