真剣で私に恋しなさい!S ~無冠の弓聖~   作:霜焼雪

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朱殷

 

 

 

 休み明けの月曜日、すっかり東西交流戦の余韻も失せた川神学園。時間の経過が熱を冷ましたということもあるが、交流戦直後に世界に発信された九鬼の放送によって、東西交流戦は瞬く間に過去のものとなってしまったのだ。

 

 武士道プラン、クローン人間。かつて日本を舞台に名を馳せた偉人たちを、再び現世に蘇らせようという神をも恐れぬ計画が公表された。

 

 その検体である三人の学生、源義経、武蔵坊弁慶、そして那須与一。

 

 西国の十勇士たち率いる天神館との戦いの熱を、過去の武士(もののふ)たちと戦えるという熱が塗りつぶしてしまっていた。

 

 しかし、そういうことに強い関心があるわけでもなく、加えて今それどころではない者にとっては、転入生が来て学園が騒がしい程度のこと。

 

 剣戟の音、歓声、それ以外はいつもと変わらない昼休み。だというのに、藤巴織鶴は弓を引くときにさえ覚えない緊張に身を縛られていた。

 

 

 

「し、島津くん。ちょいといいっすかね」

 

「ん? どうしたよ」

 

 

 

 月曜日に発売される週刊少年ジャソプを片手に時間をつぶしていた島津岳人に、織鶴は何か決心したように話しかけた。

 

 

 

「いや、ちょいとお願いごとがありまして……」

 

「お願いだぁ? 面倒なことじゃないだろうな?」

 

 

 

 美女からの頼みごとなら一切の滞りなく受け入れるような下心の権化が渋る。それはつまり、織鶴を恋愛対象として、性的な好奇心の獲物として捉えていないということになる。

 

 

 

 ――――いらぁ。

 

 

 

 バキリ、織鶴と岳人のことを見つめていた少女の右手から、小気味の良い破壊音が響いた。凶器にもなりうる鋭利な切断面は、耐えに耐えた鉛筆の努力を示すものであり、且つ親指一本にそこまでの力をため込んだ彼女の怒りを表している。

 

 

 

「ごめん大和、鉛筆折れちゃった。貸して」

 

 

 

 淡々と、勿忘草(わすれなぐさ)に染まった頭髪の少女、椎名京は隣にいる最愛の少年に次の生贄を求めた。

 

 

 

「お、おう」

 

 

 

 ここまで怒気に満ち満ちた京を初めて見たのか、普段のおとなしい彼女ばかり見ていた少年、直江大和は恐る恐る鉛筆を渡した。できるだけ使い古した、折られても支障の出ないようなものを。

 

 それを受け取った京は鉛筆の臭いを嗅ぎ、鉛筆を撫でまわして形を把握すると、きっちりと密閉できる袋の中にしまいこんだ。

 

 

 

「えっ、しまうの?」

 

「しまうよ?」

 

「……そっかぁ……」

 

 

 

 開封した牛乳を冷蔵庫に入れることは常識だと諭されたかのように、大和は京に一切の反論をすることを許されなかった。ただただ、自分が差し出した鉛筆が厳重に袋にしまわれ、鞄に収納されたことを見つめることしかできなかった。

 

 

 

「ま、まあ、面倒ではないと思うんすけど……」

 

「本当だろうな? まあ言ってみろよ」

 

 

 

 ――――雑っ……! 圧倒的におざなりっ……!

 

 

 

 大和の鉛筆への尽きぬ興味を追いやって二人の会話に意識を戻すと、岳人は片手間に織鶴を扱うような傲岸な態度をとっていた。

 

 京は甘く見ていた。島津岳人と言う男が意識していない女子に対する態度と言うものがあまりにも手抜きであると、今ようやく気が付いたのだ。

 

 

 

「は、はい。えー……あのですね、今度の日曜日に付き合って欲しいところがありまして……」

 

「お、何だ何だ? 俺の筋肉に適した力仕事かな何かか?」

 

「島津くんにしか頼めない、と言う意味では強ち間違ってもないんすけど……」

 

「まあいいけどよ。付き合うんだから、何かしら奢ってくれたりすんのか? 昼飯とか」

 

 

 

 ベキッ、ゴキッ!

 

 鉛筆のへし折れる音など大したことものではなかった、そう感じさせるほど強烈な音が教室に響き渡った。今この音に気が付かなかったのは、極度の緊張に襲われている織鶴と、その音の発信源を視界に入れていない岳人のみ。残りの生徒たちは、あらゆるものをぺしゃんこにしてしまいそうな握力を披露している京の手を見て戦慄していた。

 

 

 

「ごめん大和、筆箱折れちゃった。諸々貸して」

 

「ふっ、ふでっ!? それ金属製のやつだろ!? てか赤黒いインクが酷く見える!!」

 

 

 

 使い切ってもらうという志半ばに命を筆箱ごと絶たれたボールペンのインクが混ざり、空気に晒されどろりとした血液を彷彿とさせる朱殷(しゅあん)の液体が精製され、人を一人殺めたような血塗れの腕を京の腕に映し出した。

 

 二年F組の教室の空気が数度冷えてもなお、島津岳人の愚行は止まらない。

 

 

 

「そ、それはもちろん! お昼ご飯くらいなら喜んで! あ、でもお高いのはちょっと……」

 

「あー、気にすんな。そこらへんのファミレスでいいって」

 

 

 

 バキッ。

 

 

 

「ごめん大和、篠笛折れちゃった。貸して」

 

「なんで篠笛握ってんだよ……。もうくれてやるよ……。好きに使えよ俺の篠笛……」

 

「俺の篠笛?」

 

「おいこら下半身を凝視するな」

 

 

 

 ――――はっ、いけないいけない、それどころじゃなかった。

 

 

 

「じ、じゃあ正確な日時はおって連絡させてもらうっす。出来れば全日頂きたいんすけど……」

 

「おう、いいぜ。どうせ退屈しそうだったからな」

 

「ど、どうもっす!」

 

 

 

 ――――予想以上に深刻だった……! 脈があるとかないとか、そういう次元にいるかどうかすら怪しい……!

 

 

 

「……卓代ちゃんの方が脈ありそうだね……」

 

「何か不穏な発言が聞こえたんだけど!?」

 

 

 

 ◇

 

 

 

「やった! やったっすよ京! 見事デートの約束を取り付けぇええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!? どーしたんすかその血塗れの右手ぇ!? 人一人貫き手でどってぱらに穴開けて殺してきたんすかぁ!?」

 

 

 

 デートの約束を取り付けたと思わしき会話から十分後、インク血塗れになったような右腕を洗わないまま仁王立ちしていた京の姿に織鶴は絶叫する。

 

 

 

「これはボールペンのインクだから安心していい。私自身、殺意には塗れているけど……」

 

 

 

 拳を作ったり開いたりすると、ぱきぱき、と音を立ててインクの殻が剥がれ落ちていく。

 

 

 

「そ、それなら……安心出来るんすかね……?」

 

 

 

 血ではないと分かったものの、幾分かおぞましいものを感じ取ってしまったようで、織鶴はまだ京の誰かに対する殺意に怯えていた。

 

 

 

「ガクトには今度、肉汁プロテインの中に例のソースを混ぜておこう」

 

「にっ、肉汁プロテイン!? なんすかその聞いただけで吐き気を催すコラボレーションはっ……!?」

 

 

 

 自分の思い人の好物に戦慄する織鶴。

 

 

 

「肉汁プロテイン、肉汁プロテイン……ということは、魚醤フラペチーノ……!?」

 

「どういうことなの。何でインスピレーション受けてるの? そんな発想思いつかないで」

 

 

 

 じろり、と京が僅かに蔑みの意味合いのこもったような視線を送る。恐怖と嘔吐感を同時に催すような単語を呟いた織鶴は叱られたようにばつの悪い顔をしていた。

 

 「衝撃的だろうけど、一先ず置いておいて」と京は脱線しかけた話の流れを修正する。

 

 

 

「Xデーまで一週間を切りました。残り六日であの火を見るより明らかな絶望的状況を打破しなくちゃいけません」

 

「……言う程絶望的っすか? 個人的にはスムーズに話が進んだかと――――」

 

「委員長並みの対応されてて何を満足そうに!」

 

 

 

 ぐわっ! と鬼気迫る表情で叱責する。普段から声を荒げることのない彼女の珍しい大声に、織鶴は目を丸くしていた。

 

 織鶴の京との付き合いはまだ一年、と言えどもされど一年。加えて、織鶴と京の間には奇妙な関係性がある。それを考慮したうえで織鶴は痛感する。

 

 

 

 ――――まだまだ知らない顔が多いっすねぇ……。

 

 

 

「何をヘラヘラしてるの!」

 

「えっへへ、ごめん」

 

「もう……そんなんじゃだめだよ……?」

 

 

 

 ――――そっすね、もっといろんな京を知らないと。

 

 

 

「精進するっす」

 

「……? 答えになってないような……」

 

「ま、まあまあ。あれで満足しちゃだめってことなら、自分磨きをしなくちゃ……っすね?」

 

 

 

 何やら納得のいっていないような京だったが、自分磨きと言う単語に反応したからか、再び織鶴に詰め寄った。

 

 

 

「おっとぉ?」

 

「そう、自分磨き。それが足りない。今の今までただの弓道馬鹿で自分磨きを忘れる。そのせいで中学男子に間違えられたんだよ?」

 

「いやぁ……それほどでも……」

 

「微塵も褒めてないよ?」

 

「それくらい、ほんとーに、ただの弓道馬鹿だったっすからね……。照れなきゃやってらんねーって奴っす」

 

「私も弓ばかりだったけど、自分磨きに関してはうるさいからね」

 

 

 

 「その点に関しては教育できる」と胸を張る京。

 

 彼女の美貌は愛という目標に向かって突き進んだが故の努力の賜物とも言える。固より素材としては一級品であったが、それを腐らせずに磨き上げているのが椎名京という女。素材はそこそこあっても思春期に腐らせている織鶴とは意識が真逆の存在だった。

 

 それが故に、師事するにはこれ以上ない逸材である、と織鶴は確信を持つ。

 

 

 

「じゃあ早速今日から特訓だね」

 

「……あのー」

 

「なに?」

 

「具体的に何をするんすか? 全く中身を聞かされてないんすけども……」

 

 

 

 女子らしさからかけ離れている自信のあった織鶴は、どこからどこまで直さなくてはいけないかわからなかった。

 

 

 

「女子力鍛えるんだよ」

 

「じ、ジョシリョク?」

 

 

 

 疑問符に溺れかけている織鶴に京は改善点を上げていく。

 

 

 

「私服、もさい!」

 

「うっ!?」

 

「髪型、無頓着!」

 

「ひえっ!」

 

「口癖、後輩!」

 

「こ、後輩って……」

 

「総括して、超ズボラ」

 

 

 

 「まだまだ直すべきところはある」と、織鶴にとって気の遠くなりそうな事実が付きつけられた。

 

 

 

「この一週間に渡って行われる藤巴織鶴改造計画かつ恋愛成就計画……それを成功させるには! 口癖、髪型、私服、その他諸々すべてを仕上げなければいけない!」

 

 

 

 修正は織鶴の思っていた範疇を越えた、全身も全身に行われることとなった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「…………はぁ」

 

 

 

 キュッキュッ、雑巾と矢が擦れる音が響く。

 

 織鶴は京と別れてすぐに道場へ向かった。理由は様々だが、一番の理由は心を落ち着けることだろう。同じ弓道部の京は「準備があるから」という織鶴にとって不穏にとれる言葉を残して学園を去って行ったため、部活に参加しているのは織鶴だけであった。元々自由参加の京を引きとめることなど織鶴にはできなかったが、今日ほど織鶴が彼女を引き留めたかった日はないだろう。

 

 京の計画に少々怯え気味の織鶴だが、部活に参加していても弓を執ってはいなかった。

 

 弓道に対する熱を少しでも自分磨きに当てる、という方法が分からなかったためか、織鶴は備品磨きに精を出していた。的は新品に近づけるように削られ、鏃も筈も手際よく新品のものに取り換えられていく。その行為にどれほどの腕力と体力が必要か、それを痛感している弓道部員たちは道場外の織鶴に再び戦慄する。

 

 織鶴が新入部員をふるいにかけた際に伝説となった「鬼鶴」という異名が、備品磨きの鬼という意味を携え道場内に再来した。

 

 

 

「何も、助っ人なんか呼ばなくても……」

 

 

 

 そんな仲間内の動揺など露知らず、織鶴は淡々と作業をこなしながらため息交じりに独り言つ。

 

 

 

 ――――大丈夫。これを成功させるため、助っ人に協力を仰いだから。

 

 

 

 自分が想像していたものよりも大がかりで、少数ながらも複数の精鋭で行われる今回の作戦とやらの規模に、織鶴は呆れと焦りに揉みこまれていた。

 

 

 

「……覚悟、決めなきゃ……」

 

 

 

 しかし、彼女にも女としてのプライドは、ちっぽけなものだが確かに存在していた。

 

 味方をしてくれている協力者たちに雁首揃えて「意識されていない」と言われてしまえば、流石の織鶴も女性として反抗心を覚える。勿論、サポーターたちに対する反抗心ではなく、無自覚な思い人に対するもの。

 

 ふと、自分の髪を触る。

 

 山嵐が人間の姿となったらこんなものだろう、と考えながら自分の髪の乱雑さに呆れかえる。この十数年間全く手入れをしていなかった頭髪に謝罪をする形で計画は実行に移される。

 

 

 

「とりあえず明日っすか……何時からかメモしておかないと……」

 

 

 

 もう泥も十分に落ちた矢をひたすらに磨き続けながら、しばらく呆としていた織鶴。

 

 そんな彼女の意識をはっきりとさせたのは、聞きなれない摩擦音だった。

 

 

 

 ――――ん?

 

 

 

 弦が弓と擦れる音だ。しかし、それに聞き覚えがないというのは奇妙な話だった。

 

 矢場弓子ら三年生、椎名京ら二年生の癖のようなものは一年間かけて「慣れている」からだ。特に調子の悪い時、弦の張り方を変えた時などは手に取るように分かるほどに耳に馴染みがあった。

 

 引き分けにおいての音、離れにおいての音、射法八節の動作の音とは存外聞き取れるもの。個人差などあって当然のものだ。

 

 露骨に音が変わる、いわゆる射を失敗した時の弦音など、泡立てに失敗してぬるく溶けたホイップクリームのような気味の悪さがある。しかし、これは失敗したものではないのは確かだった。

 

 洗練。織鶴の頭に純粋な感嘆の思いがよぎる。弓道部員の中でここまで「最終地点」に近い音を出せる射を会得していたものがいただろうか、と織鶴は自分自身に問いかける。

 

 

 

 ――――京に肉薄……? いや、ひょっとすると……。

 

 

 

 織鶴のその射に対する評価は特上。淀みのない山奥の清流が容易にイメージできる澄んだ弦音は、この弓道部ではほとんどの人間が到達できない域だ。

 

 川神学園弓道部でこの域に辿り着いているのは、藤巴織鶴と椎名京のただ二名。足を踏み入れているのが矢場弓子を含めた二人の三年生。

 

 そして、織鶴の指導を受けている武蔵小杉が後に続く。

 

 

 

 ――――武蔵は「まだ」ここに至るには早い……。じゃあ、一体誰が……?

 

 

 

 その答えは次の瞬間にやってきた。

 

 

 

 

 

 ボンッ!! とタイヤでも弾け飛ぶような音が(あずち)から響いた。

 

 

 

 

 

 的は的枠ごと粉砕され、垜は削岩機でも押し当てられたかのように罅割れ瓦解した。ぼろぼろと崩れ落ちていく垜を茫然と見ていた織鶴に、道場から声がかけられる。

 

 

 

「垜も古いらしいな。折角だ、数日かけて業者に直してもらえ。既に学園の許可はとっているからな。金も気にするなとのことだ」

 

 

 

 悪魔の角を象ったような(ゆはず)に、毒々しい印象のある古代紫(こだいむらさき)を帯びる胴。伝承上の武器を連想させるほど禍々しい弓を下ろした少年は笑って見せた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「こうして顔を合わせるのは初めてだな。異端者よ」

 

 

 

 垜を破壊されてしばらくの間茫然としていた弓道部の面々は、突然のことに驚きながら何とも言えない怒りに顔を歪ませていた。その矛先となっていた少年のことは学園生ならば誰でも知っていた。

 

 源平合戦の伝説のクローン人間、那須与一。

 

 射殺すような視線に襲われながらも、与一は何事もないように平然としていた。彼の視線の先には、誰よりも怒りの感情を抱いている織鶴の姿があった。

 

 備品磨きの鬼から道場整備の鬼へ戻った織鶴の気配に、トラウマをつつかれ震えあがった一年生。

 

 織鶴が拳を握りしめて今にも襲いかかろうとしたところに、弓道部の顧問である小島教員が到着した。肩で息をするほど全力で走ってきたようだった。

 

 

 

 ――――私が伝えるよう頼んだ。まさか誰にも伝えず、挙句の果てにコイツ一人でやるとは思いもしなかったがな。

 

 

 

 小島教員の謝罪のような説明に織鶴の怒りは僅かに収まるも、少年はその火を絶やさぬように燃料を投下した。

 

 

 

 ――――そこな「無冠の弓聖」。弓術家として話がある。

 

 

 

 「無冠の弓聖」と呼ばれることに激しい嫌悪感を抱いた織鶴は、ざわざわと髪を騒がせるほど怒りに打ち震え、少年の後を着いて行った。

 

 

 

「意外に素直についてきたな。もう少し嫌がるような印象だったが」

 

 

 

 ――――話が終わったら、話が何であれ一発殴る。

 

 

 

「嫌々も嫌々っすよ。何を好き好んで私の対極にいる人間に喜んでついていく必要があるんすかね」

 

「同感だな。お前との付き合いは一筋縄ではいかないだろう」

 

「……じゃあ互いにシカトしましょうよ。そうすればみんなハッピーっすね」

 

「お前も分かっているだろう。一筋縄では行かないにしろ、この触れ合いは必定であるとな」

 

「……んー……」

 

 

 

 話を始めていくと、織鶴の肌が僅かに粟立ち始める。

 

 

 

「……その中二臭い喋り方はどーにかならんもんすか?」

 

「…………ふん。やはりこれを理解し合えるのはもう一人の特異点だけか……まあいい」

 

「特異点?」

 

「くくっ。いや、何でもない」

 

「その嘲笑うような表情やめてくんねーっすか。苛々がやばいっす」

 

 

 

 理解できないことを憐れむような小馬鹿にするような微笑に、勃然と怒りを高ぶらせていく織鶴。いつ額の血管が限界を迎えてもおかしくないような状態だった。

 

 それを見て僅かに思慮したのか、笑うことを止めて話題を元に戻す。

 

 

 

「ともかくだ。俺とお前は存在を知ってしまった以上、言葉を交わさなくてはならない。射を交わさなくてはならない。分かるだろう?」

 

「それが必然だと……そうぶっちゃけやがるんすね。流石オカルトチックな弓術使いは言うことが違うっす」

 

「ふん、どちらがオカルトか分からんがな」

 

 

 

 挑発気味に言葉を返した織鶴に、鼻を鳴らした反撃が炸裂する。織鶴の理性は既に爆発寸前である。

 

 

 

「…………弓道は克己の最たる武道っす。神頼みしてる時点でどっちがオカルト寄りかは明白だと思うんすけどねー?」

 

「射型が完成すれば必ず当たる? 暗闇の中で継ぎ矢をする? お笑い草だ。術を否定した精神論者め」

 

 

 

 しかし、どうやら与一にも責めの言葉は刺さるようで、次第に表情に余裕がなくなり言葉の感覚が狭まっていた。互いに罵り合い、殴り合いに発展してしまいそうな限界の空気。

 

 

 

「……これのどこに有意義なところがあるんでしょうねー? 必然性の感じられない不毛な言い争いと違いますかねー?」

 

「まあそう言うだろうとは思っていた。現に俺も侮辱されている気分でな」

 

 

 

 「だがしかし」と与一は言葉を紡ぐ。

 

 

 

「衝突こそ必然であり、必要なことだ。運命づけられた、な」

 

 

 

 ――――この中二病患者め。運命、なんてロマンチックな言葉を気軽に使いやがる。

 

 

 

「はん。それこそお笑い草っすよ。衝突して研鑽の一つや二つの意味合いがあればいいんでしょうけど、今行ってるのはそんな崇高なことじゃねー。単なる貶し貶されの醜いもんす」

 

 

 

 吐き気を催すほどの嫌悪感を、織鶴は容赦なく与一にぶつけていた。早くこの話し合いを終わらせたいと、二度と関わりたくないと言っているのとほぼ同義であった。

 

 しかし、与一も耐えている。ぐっと奥歯を噛みしめながら織鶴の前に立ちつくしている。嫌悪感のぶつけ合いの果てに得られるものがあると信じているようだった。

 

 

 

「…………確かにそう聞こえるかもしれないが、俺とお前に関しては違う。分かるだろう?」

 

 

 

 単なる貶しあいと侮蔑された罵り合いを、与一は有意義だと語る。オリジナルを侮辱されてもなお投げ出さないその姿勢に、織鶴も動揺を抑えきれず押し黙ってしまう。

 

 

 

「無言は肯定の意とさせてもらおうか。片や弓術の伝説、片や弓道の深淵。俺たちは「不純」であってはならないということだ。分かっているから黙ったんだろう?」

 

「……ごもっとも」

 

 

 

 初めて与一の言葉を打ち返さず、一度受け止めた織鶴。それほどまでに、否定しがたい事実であったのか。

 

 

 

「「不純」であってはない俺たちだ。だからこそ、俺たちの衝突は意味をなす。正確には衝突してからの反発か。互いの領域(テリトリー)を再認識し、純粋なものに濾過させるためのな」

 

「それが今、自分ら二人に必要だと宣うんすか、那須与一。誰よりもアンタがそれを言っちゃあならんでしょうに。自分が今「不純」になりかけてると言ってるようなもんすよ」

 

 

 

 与一はその言葉に大きくため息を吐いた。今まで以上に馬鹿にし、侮辱する視線を向けている。

 

 

 

「何か勘違いしているようだからはっきり言わせてもらおうか。互いにとは言ったが、俺のことに関してはついでもついでに過ぎん。既に最終工程まで終えて出荷できる状態まで持っていった自動車を再び解体し、再度確認して組み立てているようなものだ。チェック程度に過ぎん。それに比べて貴様はどうだ。弓道の範囲に収まっているからといって、弓術に近づけようとした。収束させようとした。同一に至れないと分かっていながらな」

 

「……それがいけないことのように言うんすね」

 

「領域侵害だ。迎撃する構えも辞さん。お前には反省の意を示してもらわないといけない」

 

 

 

 「誠意を示せ」と与一は告げた。酷く横暴な話である。織鶴の弓を執る姿勢が、矢を放つ態度が、自分の弓道に対する理念が不都合だからと理由づけ、弓術の伝説は謝れと命令しているのだ。はたから見れば、いちゃもんをつけているように映ったことだろう。

 

 しかし、織鶴はその物言いに何も言い返すことはできなかった。

 

 武道の神髄の一つとも言える脱力や、弓道において最終地点とされる姿を否定された時は真っ向から食ってかかった。だが、それは弓術が弓道を貶めるような物言いであり、正当性の欠片もない突発的な暴言であったからだ。

 

 だからこそ、正当性のある与一の言葉は受け入れる他なかったのだ。

 

 弓道と弓術は似て非なるもの、同一視してはいけないものという教訓。それは織鶴自身が散々持論として掲げたものであり、「天下五弓を降りる理由」であったのだ。織鶴自身の信条と合致してしまった以上、正当性があると認めざるを得ない。

 

 しかし、織鶴はそれを近づけようとした。停戦協定を結んでいる隣国の境界線に、戦車が隊列を組んで突撃しているようなもの。

 

 椎名京はそれを否定しなかったが、肯定もしなかった。一歩織鶴が弓術の世界に入り込んでしまったら、恐らく彼女は織鶴を見限るだろう。弓道の範囲内であるならば黙認していただけである。

 

 だが、那須与一はさらに敏感だった。境界線に近づいた時点で警鐘を鳴らし、準戦争態勢に突入したのだ。

 

 

 

「弓術に近づくな。これは俺のためだけの話ではない。お前自身に不利なことが起きないように警告してやっているんだ。「中てに行く射」なんぞ、弓道を「不純」にするだけだからな」

 

 

 

 弓術に近づくな、その言葉が痛く突き刺さる。それはつまり、弓術から離れることで誠意を示せという意味がある、織鶴はそう判断し、憤慨する。

 

 

 

「……京と付き合うのをやめろとか……お前、まさかそこまで言う気はないっすよね?」

 

「真っ先に浮かぶのがそれか……。安心しろ、交友関係にどうこう言う程邪魔しいな男じゃない」

 

「じゃあ、何をしろと。どうやって誠意を示せと――――」

 

 

 

 

 

 

「あの弓を渡せ。あれはお前が持っていいものではない」

 

 

 

 

 

 

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