真剣で私に恋しなさい!S ~無冠の弓聖~   作:霜焼雪

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萌黄

 

 

 

 宇佐浩美は弓兵の血を引く弓術使いである。

 

 彼女の家計を遡っていくと、平安から戦国にかけて優秀な弓兵のを務めた兵士の一族に辿り着く。しかし、何代何十代と血を薄める交配を進めたせいか、彼女には特殊な異能は宿っていない。一射で貿易専用の大船を打ち壊したり、どこかの伝説よろしく雷を纏った光速の矢を放つこともできない。

 

 浩美が受け継いだのは、技術と心情だ。

 

 物心つく前から、浩美は弓具に囲まれて育ってきた。悪しきものを払うとされる鮮麗なる弦の音、重く鋭い足踏みで軋む床の喘ぎ、太鼓のように音を立ててお色直しをする的の歓喜の笑い。弓道に纏わる様々な音を子守唄とし、彼女は一種の洗脳に近い教育を受けてきた。

 

 幼稚舎から小学校に上がる頃には、浩美の頭の中は弓に支配されていたと言っても過言ではないだろう。この頃の少女なら、テレビの中の魔法少女やファンシーな洋服に興味が行くのが通例だろう。しかし、彼女はこの頃夢中になっていたのは将来の自分の弓具の品定めだったという。

 

 弓具の都合上、現代では小さな体の頃から弓を扱うことは出来ない、と明言されていないものの、弓道における一種の規則とされている。しかし、そのための体作りや精神鍛錬の話は別だ。

 

 女性の成長は早いとされていることもあり、例に漏れず浩美もほどなく身長の伸びが九歳の時にはほとんど止まってしまった。幼い頃からの体作りのせいか、それともこの家系の遺伝の問題なのだろうか、浩美の身長は最終的に一四〇センチ前後で留まってしまった。

 

 小さな身長は特に弓を引くことに関する不利とはならぬものの、彼女のコンプレックスとなってしまっていた。ままならぬものだと思いつつ、なんとか受け入れたのは随分と先のことになる。

 

 小学校一年生の時点で既にある種の達観した立ち振る舞いを見せていた。しかし、達観と言ってしまうととても小学生には似つかわしくないため、大人びていたとでも言い換えるべきか。周囲のクラスメイトの様子を、一歩下がったスタンスで見ているようだったのだ。

 

 クラスメイトをどのように見ていたのかは分からない。少なくとも、自分とは違うと感じていたことは確かだろう。

 

 浩美の十歳の誕生日がやってきた。彼女はこれ以上成長しないだろうと親に判断され、弓を手に取り射場に立った。

 

 弓を引くための基礎、筋肉の動かし方、力の抜き方、一通りの説明をされて浩美は弓道場に解き放たれた。文字通り、指導(リード)のない状態で解き放たれた。体で覚えろと言わんばかりに弓を引かせられるようになったのだ。

 

 失敗は多かった。失敗ばかりだった。

 

 射型の基礎は教えてもらえたものの、それ以降射型に対する注意は一切なかった。技を盗めと言うのか、失敗を積み重ねて学べというのか、絶対的な師の不在という過酷な状況下、浩美に課された課題は大きかった。

 

 正しい射型がもたらす最大の恩恵は美しさでも正確さだけでもなく、己の身の安全だ。弦を放つ瞬間に少しでも力の入れ具合を間違えれば、手痛い代償を受けることとなる。

 

 弾けた弦が左腕の血管を破裂させたり、耳の裏をあっさりと切り裂いたりと痛々しいものが多い。さらには、様々な不幸が重なった事故としての最悪の場合、失明すらも考えられる。その事故を未然に防ぐべく射型の正しい形を教わるのだが、その射型の教えが不足している浩美は何度も何度も傷ついた。

 

 弓の強さ自体が弱かったのが不幸中の幸いか、外部への出血は一切なかった。しかし、彼女の体は痛みという恐怖に支配されていく。弦が弾けて腕と顔を傷つけ、鋭く瞬間的に走る痛みと、鈍く残る蚯蚓(みみず)腫れの痛みの組み合わせは小学生には耐え難いものであろう。矢を発しては激痛に泣く、熾烈なものだ。

 

 そんな過酷な訓練を続けていると、次第に浩美の体が何かを覚え始めた。弓を引く動作すべてが途端に滑らかになったのだ。痛みを回避するための最善の行動を、彼女の意識とは無関係にやってのけたのだ。

 

 弓道としては褒められた形ではない。右肘は下がり、肩の力は均一でなく、状態は反りすぎている。

 

 それでも、中たる。

 

 何本も何本も、中たるのだ。

 

 

 

 ――――我々の流派は褒められたものではない。弓術の中でも異端とされている。しかし、こんな教育しか私は知らないんだ。

 

 

 

 その境地に至った浩美に、父が涙ながらに語った。

 

 射型など二の次三の次、確実に的を射抜く全射必中の弓術、紀伊派(きいは)大和宇佐流(やまとうさりゅう)の射法であると告げられた。速く、多く、確実に敵を射殺すための武術であると。

 

 それからは弓術に関する知識や技術、奥義や秘伝に至るまで、手のひらを返したように懇切丁寧に指導し始めた。浩美が痛みを乗り越えられる精神を持った不屈の戦士となれる可能性が、弓に対するひたむきな気持ちが証明されたからだ。

 

 代々浩美の家では、弓術家となる資格を見出すための試練が幼い頃から与えられるらしい。浩美が自分で弓を引くための最適解を導き出すまでがその試練であり、浩美はそれを見事突破した。

 

 この日、彼女の弓道人生は幕を閉じた。

 

 新たに始まる弓術人生に身を投じることとなる。

 

 

 

 ◇ ◆ ◇

 

 

 

「構え」

 

 

 

 紗代の指示を仰ぎながら弓を引く浩美を始めとした弓道部員たち。その射型は汚いなどというものではない。隣で弓を引いている紗代の射型の美しさと比較され、コントラストが際立ち両者を映えさせる。

 

 紗代の射型は弓道の基礎が書かれた教本に描かれている通り、きっちりきっちり正確無比に弓を引いていく優等生的なもの。弓に関して何も知らない人間ならこの形を当然のように思うことだろうが、学生の時点で教本を忠実に模倣しようとする精神自体珍しいもので、その再現率は極めて高い。正に、他の学生とは一線を画している。

 

 ゆっくりと弓が体の正面からふわりと持ち上げられ、左手が押し込むように開かれる。そのまま両肩を均一に広げて口元に矢が着いたところで引きがとまる。美しい規範的な射だ。

 

 一方の浩美の射型は、それはそれは酷いものだった。紗代のペースに合わせる気が無いのか、弦を未だに引いていない。素早く引いて素早く放つつもりなのだろう。しかし、それ以前に酷いのは待機する構えである。弓道の基礎の重心作りとは違い、左前方に体重がかかっている。異端児とはよく言ったものだ。

 

 弓を持ち上げる際も正面から起こさない。自身の左前方から斜めに、天高く放つつもりなのかと疑問を持ってしまうほど傾けて弓を引いた。この引き方は射法として存在しないこともないが、あまりにも極端すぎるのだ。

 

 二人の矢が完全に止まった瞬間に合わせるように他の弓道部員も体制を整えた。この統制され具合は学生としては異常な程だ。流石は武術特化の学園、天神館の弓道部と言ったところか。

 

 

 

 ――――三秒。

 

 

 

 紗代は右手を解き放ち矢を発するタイミングを、矢が完全に口元についてから五秒きっかりと決めている。それ以上もそれ以下もなく、右手が覚えている五秒を脳内でカウントしながらその時を待っている。

 

 右手が震える。早く解き放たせてくれと暴れる猛獣のような、もう一人の欲望と言う自分を抑えつけていた紗代。あと一秒足らずで放ってやるからと自身に言い聞かせていたその時、異変が起きる。

 

 紗代の視界の右隅、パイプが複雑に絡み合って影を生み出している空間で何かが、ギラリと鈍い光を輝かせた。錆び付いた金属の光ではない。使い古して光沢が失われかけた金属の淡い輝きのようだ。

 

 次いで、工場地帯を闇夜から浮かび上がらせている照明が映し出したのは、その鈍い光を放つ金属に触れている人肌だ。ほっそりとした人の指だ。爪は長すぎず短すぎず、圧迫され血が止まってしまっている砥粉(とのこ)色の指先が金属と並行に伸びて――――

 

 

 

 それを見た、見てしまった。

 

 

 

 ――――しまった。

 

 

 

 標的である敵軍の強力な部隊のことなど忘却してしまったように、ちらりと視界に入り込んできた程度の何かに紗代の心は「奪われた」のだ。「盗まれてしまった」のだ。

 

 拙い、紗世がそう思った瞬間にガィン!と何かが弾けたような音が響いた。

 

 亜麻色(あまいろ)の柄に取り付けられていた鈍色(にびいろ)の金属が飛び出し、紗代の額を打ち抜いた。その一射で意識を持っていかれた紗代の体が崩れ落ち、両手の力が失われて弓が天高く矢を飛ばしてしまった。

 

 矢は伸びる。天高く上げられ、敵襲を告げる狼煙のような役割を果たす。

 

 

 

「へっ……?」

 

 

 

 号令をかける前に倒れた司令塔の姿を見て、浩美はすっとんきょうな声を上げてしまう。紗代の頭に突き立っている矢、それを見てようやく状況を理解した浩美は即座に矢をしまい体面を地面につけるように体を伏せた。無抵抗に横たわってしまった紗代を壁として、どこから来たか分からない敵襲に備える。

 

 残っていた弓道部員も浩美の動きを見て体を伏せたり屈んだりと、紗代を気絶させた攻撃から身を守る体勢を取る。

 

 

 

 ――――なんやこれ、なんで紗代があっさり狙撃されてんねん!?

 

 

 

 状況を理解したと言っても焦りは収まらない。精神的な要因だけで呼吸が荒くなってきた浩美は、匍匐前進するようにゆっくりと這って移動し、新たに芽吹いた若葉で作られたような萌黄(もえぎ)のケースに治まった携帯電話を何とか手にとり、通話状態のまま転がっていたことを確認して瞬間的に叫ぶ。

 

 

 

「隠れろ優希(ゆうき)!! 急所守れ!! 同業者に狙われてんでぇ!!」

 

 

 

 即座に身を伏せてしまったため、第二部隊の様子を窺えないまま命令した浩美。全滅は避けたいとしたが故の通達だったが、数十秒経っても返答がない。

 

 先に向こうが全滅させられた、最悪の事態が浩美の脳裏をよぎる。

 

 

 

『…………さ、紗代ちゃん! 大丈夫ですか!?』

 

「!」

 

 

 

 浩美の暗い予想を吹き飛ばす様に、ようやく仲間の声が返ってきた。

 

 

 

 ――――いやぁ……。焦るわ、ほんま。

 

 

 

 喜びを押さえながらも確認のために返答をする。

 

 

 

「ウチや! 浩美や!」

 

『浩美ちゃん?』

 

「その声、(はるか)やな? 優希は無事か!?」

 

 

 

 どうやら第二部隊の部隊長からの連絡ではなかったようだ。分隊長の安否を確認するが、返答に覇気がない。それだけで結果が分かってしまう。

 

 

 

『……優希ちゃんは、紗代ちゃんからの追撃の連絡がないのがおかしい、って言って、優希ちゃんが双眼鏡でそっちを見ようとしてたんだけど……。紗代ちゃんが倒れてるのを見つけた瞬間に後頭部に一本……』

 

「……射抜かれたんか、優希も」

 

 

 

 ギリッ、と浩美の奥歯が悲鳴を上げる。

 

 

 

『みんな警戒はしてるんだけど、そっちよりこっちのが高台でしょ? だから私が代表探してるんだけど……』

 

 

 

 その通達に、悔しさに奥歯を噛み締めていた顎の力がすっと弛み、遂にはぽかんと開口したまま口が塞がらなくなっていた。

 

 

 

「…………さ、探してる? ちょい待ち……。まさか自分、立って探してるー、なんて言わへんよな?」

 

『え? でも、立たなきゃ探せないよ?』

 

「アホ! 敵が複数人おったらどないすんねん!」

 

『あ、見つけたよ!』

 

「喜んどる場合か! とっとと隠れんかいボケェ!!」

 

 

 

 浩美たち天神館弓兵部隊からは位置が分からず、逆に位置が割れてしまっている敵に対して身を晒す、言うなれば自殺行為にも等しい愚行をとった遥激しく叱責する。

 

 が、叱責された当人である遥と呼ばれた少女は大きな危機感がないのか、それとも危機感に身を焦がした斥候のような立ち振る舞いをしているのか、電話の向こうから浩美の耳に荒い息遣いと笑い声が聞こえてくる。

 

 

 

『ふっ、ふぅ……。隠れたよー。あ、そっちから見て二時の方向かな。その当たりに弓道着の子が一人いたよ』

 

 

 

 それでいて口調はのらりくらりとしたような、今まで狙われていたかもしれないという危機感を感じさせないもの。聞いているだけの浩美に妙な疲労感が襲いかかる。

 

 

 

「……はぁ、ほんまかいな……。そっちに高台あらへんやんけ」

 

 

 

 見間違いと違うんか? 呆れたようにそう口にした浩美。

 

 

 

『思うんだけどね? 向こうが弓術に長けていたら、低い姿勢からの狙撃になれてると思わない?』

 

 

 

 浩美ちゃんもそうでしょ? 確信めいた言葉を発する遥。

 

 

 

「……ない、と言いきれへんな。ウチのこと棚に上げとうない」

 

 

 

 弓術使いという職業柄、浩美にも低い姿勢からの射法に心得がある。高台にいる狙撃班、唯一人馬に乗り指揮をする将、それを狙う役を担うこともある弓兵だ。高い方を狙うというのはあり得ない話ではない。

 

 浩美自身、その高低差からの射撃を会得しているからこそ、否定などできないのだ。

 

 同業者、つまりは敵も弓兵である、という予測が台頭してきた。川神学園に弓術使いがいるという話を聞いていたこともあり、浩美は予測していた自体の中で最も危険視していた状況下に追いやられている、そう自覚する。

 

 どうしたものか、と頭を悩ませもやもやとしてきたところで、思い切り頭を掻き毟る浩美。

 

 

 

「かーっ! 本当に同業者かいな、堪らんなーっ!」

 

 

 

 ――――興奮しすぎで漏らしそうやで。

 

 

 

『……ふふっ。さて、どうする? 的確に部隊の頭だけ潰された訳だけど?』

 

 

 

 浩美の感極まったような叫びを聞いて、微笑んだように息を漏らした遥が浩美に訊ねた。

 

 その質問は愚問だ、と言わんばかりにニカッ、と笑った浩美は少しだけ体を起こし、遥が見つけたと言う道着の怨敵の様子を窺おうとする。決して立ち上がったりはせず、伏せたまま腕で体を持ち上げた程度だ。

 

 

 

「紗代の後釜はウチがやる。まあ文句は言われへんやろ。これでも弓道部最強の肩書き背負ってんねん」

 

『的中率だけね』

 

「喧しいわ」

 

 

 

 少しだけ不愉快になった浩美は、ビシッ、と携帯電話の声を送る送話器に指を弾き充てる。当然の如く相手側には大きな炸裂音が響く。「ぎゃっ!?」と大よそ乙女が発してはいけないような声が浩美の持つ携帯電話から響き渡った。

 

 

 

『ちょっと! こっちはスピーカー機能解除してるんだよ!?』

 

「そんなん知らんわ。ほんで、そっちこそ誰がやんねん」

 

『むぅ……。こっちは私がやるよ』

 

「……ま、妥当やろ」

 

『ひどい! 食らえ!』

 

 

 

 暴言まで吐かれた腹いせに遥も電話を指で弾いたのだろう。ビシィッ! とスピーカー浩美の持つ携帯電話が悲鳴を上げたが、浩美はそれを耳に付けていないので全く被害を被っていなかった。

 

 数秒間を置き、浩美は話を再開する。

 

 

 

「そっちは残り四人やろ? ほんなら自分で問題ないわ。いちいち喧嘩もせーへんやろ」

 

『……それはそうなんだけどね。まあ見せてあげましょう。私が「紅き稲妻(ルビー・ライトニング)」と呼ばれている真の意味を!』

 

 

 

 ――――傷ましい異名を叫ばんでもええやんけ……。

 

 

 

「張り切りすぎてシクんなやー?」

 

『そっちも、「轟雅射(カウントレス)」の力を存分に――――』

 

「おいコラ! その名前で呼ぶなや!」

 

 

 

 遥の痛々しい名乗りを苦笑しながら聞いていた浩美に飛び火、さらに痛々しい二つ名をスピーカーで呼ばれて他の弓道部員の生暖かい視線が浩美をチクチクと甚振る。

 

 あまりの恥ずかしさにピリピリと背中や腕がかゆくなってしまったのか、浩美は両手で盛大に体中を掻き毟りだす。

 

 

 

『そう? いいじゃない、異端児っぽくて』

 

「はぁ? なんで異端児なことを誇らなあかんねや!」

 

 

 

 とても指揮官を失った兵士による作戦会議とは思えない内容が数分間白熱し、ようやく収まり始めた頃に遥がギリリ、と(ゆがけ)の摩擦音を響かせた。

 

 

 

『やられたのが紗代ちゃんと優希ちゃんでまだよかったかな。相手が異常なら、こっちの異常さが残ってよかったね』

 

「全くや。ウチと遥を筆頭に、弓道の範疇じゃ語りきれん異能を見せつけたる」

 

『じゃあ検討祈るね。こっからは――――』

 

「――――ああ、命令はせん。生きて帰ってこい」

 

 

 

 ピッ、という電子音と共に通話が切られた。

 

 

 

「皆、ええな?」

 

 

 

 残された弓道部員の面々を集めた浩美。全員屈んだり伏せたりと、決して下から狙われないような体勢で集合する。

 

 

 

「紗代と優希がやられた。「教奔(きょうほん)」と「(くろがね)」とか嘯かれとる二人がや。両部隊とも、指揮官がおらんくなったのは確かに由々しき事態。せやけどな、ウチらがまだ残っとるのに敗戦ムード、ってのはちゃんちゃらおかしいやろ?」

 

 

 

 ググッ、と身を乗り出して弓道部員の戦意を煽る。僅かに燃えている火種に勢いよく風をしたから送り込んでやっている。

 

 

 

「力自慢の男子、射形自慢の女子、桁外れの弓術使い共」

 

 

 

 一人一人指差ししながら鋭い視線を向ける。危機感の足りていない、必要とされていることを自覚していない者を優先して指摘するように。

 

 

 

「天下五弓「ありき」の弓道部なんて言われて、悔しかったやろ?」

 

 

 

 浩美は天下五弓の顔を思い出し、握り拳を固く固く作り上げる。その拳で握り潰したい辛酸を嘗めさせられた苦難の日々を思い出し、怒りと喜びの入り混じった複雑な表情を浮かべている。

 

 天下五弓が悪いという訳ではないものの、天神館の誇る天下五弓の鼻に付く男(ナルシスト)も握りつぶしたいものにリストアップされてしまっている。こればかりはどうしようもなく、羨みと煩いが怒りに交じった人間特有の感情からもたらされたものだ。

 

 

 

「ようやっと、ようやっと機会が来よったで」

 

 

 

 一転、不敵な笑みを浮かべた浩美を見た他の弓道部員も感染してしまったように、同様の意味合いを含んだ表情を浮かべた。

 

 ある者は口を開いて出した舌で唇を潤し、ある者は歯を剥き出しにして口角を吊り上げる。

 

 

 

「ここまで耐え忍んだ甲斐があったってもんや、なあ? こないな大舞台でウチらの実力見せつけられるねんで?」

 

 

 

 舞台は整った、両手を広げて浩美はそう陳ずる。

 

 彼女らの足もとで繰り広げられる闘争は西と東の代表選、いわば現代に蘇った応仁の乱、関ヶ原の戦いとも言える日本全土を巻き込んだ東西大戦。実績や実力を知らしめるのにこれ以上の舞台など存在しない。

 

 

 

「これは紗代の敵討ちであると同時に、弓道部員(ウチら)の名誉挽回なんや!」

 

 

 

 ――――ほんまに名誉挽回したかったんは紗代やけど、それはウチが引き継いだる!

 

 

 

「恐れんな、気張れ! 敵が送り込んできた狙撃手、あっちゅーまにいてこましたろうや!!」

 

 

 

 うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!

 

 怒号、咆哮、雄叫、絶叫。様々な思いが混濁した叫び声が音の渦となり、彼らが握りしめる弓に張られた弦が武者震いに苛まれる。矢の羽も微細に震え、まるで生き物のように羽ばたかんとしている。

 

 準備はできた。覚悟もできた。

 

 天神館弓道部の威信をかけた狙撃戦が開始されようとしていた。

 

 

 

 

 

 ――――第二部隊部隊長代理、徳永(とくなが)遥の脱落など露知らず。

 

 

 

 

 

 ◇ ◆ ◇

 

 

 

「騒ぐのもいい加減にした方がいーっすよ」

 

 

 

 弓を肩に掛けながら呟く弓道少女、藤巴織鶴。

 

 僅かながらに苛立ちの籠ったその瞳は、天神館弓道部第二部隊が待機していた高台に向けられている。パイプが編み込まれるように絡み合った一角から、四〇〇字詰めの原稿用紙程度の隙間を縫って、織鶴の冷たい眼光が彼らを射抜いていた。

 

 正確には、既に頭部を射抜かれて脱落しているのだが。

 

 

 

「星野さんとやらには、結構期待してるんすけどねー」

 

 

 

 ――――どれだけ「届いている」のか。

 

 

 

 織鶴は自ら一番に倒した人間が(くだん)の星野紗代とは気が付かないまま、皮肉にも取れる期待の言葉を口にしていた。

 

 期待を解かぬままに準備をしようと弓を肩から外し、矢を二本握ろうとしたところで手が止まった。

 

 

 

「えーっと……」

 

 

 

 トン、トン、と矢の弦にはめる部分である(はず)を指先で軽く叩きながら数を数えていた織鶴だが、二〇本を越えたところでようやく気が付く。矢立箱(やたてばこ)と呼ばれる木でできた箱から飛び出す矢の羽が密集し、さながら仙人掌(サボテン)のように爆発した矢の詰まった様子を見て、

 

 

 

「……何本あるんすか、これ」

 

 

 

 ははは、と乾いた笑いが零れた。二〇、三〇では済まないような矢の群衆。羽を擦り合わせ犇めきざわつく矢の様子に、流石の織鶴も若干引き気味だ。

 

 

 

「矢の無駄遣いしたくないなー、とは思っていたんすけど、これは……」

 

 

 

 ――――支給本数おかしいっすよね。

 

 

 

 ポリポリ、と後頭部を掻いて軽く溜め息を吐いた。

 

 

 

「…………矢の本数は置いておいて、本隊の方を殲滅するとするっす」

 

 

 

 右手で勢いよく矢を取り出し、グッと握りしめて本隊がいる高台を見据えようとする。決して工場地帯を照らす光が自分の身体に降りかからぬよう、細心の注意を払って移動する。ぴょこぴょこ、といった可愛らしい効果音が似合うような小刻みな移動。パイプの隙間から最も高台が見える位置を模索する。

 

 しかし、そうそううまくパイプの隙間など見つかりはしない。

 

 

 

「…………分隊は角度的に狙えたんすけど、屈まれると厳しいもんす」

 

 

 

 高台が見えない訳ではないが、矢が通る隙間といえるような大きさではなかった。すだれを通して景色を覗いているような感覚だ。

 

 ここから矢通すことは物理的にまず不可能だろう。

 

 暗闇が織鶴を隠し続けている以上、こういった障害がでることは予測できた。勿論、この場所を指定した織鶴自身も推測できなかった訳ではない。先程無防備に体を晒していた紗代を射抜いたことで安堵してしまっていたことが失態だった。

 

 

 

「……えー? もう「コイツ」の出番すか?」

 

 

 

 織鶴の視線が高台から一張の弓に移った。

 

 墨汁にどっぷりと浸されたような檳榔子染(びんろうじぞめ)の艶を帯びた身体に、肌に色白さを描き出す化粧品のような胡粉(ごふん)の籐が節々に巻かれて装飾されたそれは、不満そうに弦を震わせている。

 

 

 

「…………いやいやいやいや、落ちつくっす自分。切り札、ってかこれ使ったら「終わっちゃう」っすよ……」

 

 

 

 ――――自分が、っすけど。

 

 

 

 馬鹿な考えを浮かべた頭をブンブンと勢いよく横に振り、雑念を取り払うと同時に意識を明瞭にする。

 

 その行動から自分が使われないということが分かったのか、立てかけられた弓はパタリと体を傾け、側面をパイプにくっつけるように身を預け拗ね始めた。

 

 

 

「……あーもー。ほらほら、機嫌直すっす」

 

 

 

 お強請りを聞いてもらえず拗ねてしまった子供をあやす母親のように、織鶴は弓の身体とも言える束を優しく撫でてやる。傍から見れば奇人変人の行動だが、織鶴は至って真剣だ。

 

 弓が何とか機嫌を取り戻したと織鶴が判断し、優しく弓をパイプに立てかけ、先程まで使っていた弓と矢を取り出し高台を見据える。

 

 

 

「角度と距離的に届く気がしないっすけど、やれるだけやったるっす」

 

 

 

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