真剣で私に恋しなさい!S ~無冠の弓聖~   作:霜焼雪

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黒檀

 

 

 

 東西交流戦の舞台となっている現代工業の城、九鬼財閥から提供された川神の観光名所である工場地帯は、はた目からでは分からない複雑な構成をしている。一見ただパイプの上を練り歩き、作業員が通るような足場が確保された部分で戦っているようにも思えるが、その実三割ほどの生徒は工場地帯の地下において戦闘を進めている。特に肉弾戦闘に特化した単独兵は地下での乱闘を主流としている。上層で戦っているのは、少数で固まっている狙撃班、戦況を確かめるべく高台に位置する参謀、実力者を筆頭とした大人数の制圧部隊だ。

 

 つまり、人気の少ない地下に逃げ込み隠れていれば、狙撃を受けることもなく数の暴力に襲われる可能性が減少すると言うことになる。

 

 それを知ってか知らずか、中れば気絶では済まないような狙撃から必死に退避するため、下へ下へと駆け抜ける一人の少女。

 

 

 

「ひぇええええええええええええええええええええええええっ!? あんなん聞いてねぇっすよぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」

 

 

 

 ひんやりとした白銀の刃を首筋に充てられるような直接的な恐怖、それから必死に逃れようと我武者羅に走るは藤巴織鶴。その恐怖は飢えた狼の様にいつまでも織鶴に追随し、彼女に逃れられない焦燥と恐怖を与え続ける。

 

 時には脳漿を掻き乱す様に螺旋階段を駆け下り、時には乱戦に巻き込まれないように細い通路で身を小さくしながら奥へと進んでいった。弓も矢も慎重には扱われているものの、織鶴の焦りに充てられてか僅かに窮屈そうに身を小さくしているように見える。

 

 

 

「――――ぶはぁーっ……!!」

 

 

 

 人気の少ない地下の中でもさらに人気のない、戦場から離れた場所に出たところで織鶴の肺から溜め込んでいた空気が一気に排出された。

 

 ガシャッ! と音を立てて弓と矢を壁に添え、織鶴も壁に体重を預けるように腕を付いて息を整え始めた。動物が舌を出してハッハッと喘ぐように荒い息遣いのまま、額や鼻を伝って落ちる汗の雫を眺めている。コンクリートで整備された煤色(すすいろ)の床が、血痕の様に飛び散った汗を吸収して色を濃くする。何滴も何滴も落ちる汗水は幾度となく吸収され、次第にコンクリートに吸い込まれることなく湿り気を残し始める。

 

 汗で生じた水溜りが光を反射するまで成長し、織鶴の疲弊した表情までもを映し出す。

 

 

 

「……上手く、いった、んすか、ね……」

 

 

 

 敵の異常な射による爆発から一心不乱に逃げ出し、パイプの檻を離れて地下までやってきたものの、未だに敵の狙撃による破壊力が織鶴の脳から離れようとしない。

 

 あと数秒真っ白な世界からの退場が遅れていたのならば、織鶴は否応なしに戦場から退場させられていたことだろう。

 

 

 

「確認、してる、暇ぁー……? そんなん、あるわけ、ねぇっ……!」

 

 

 

 「作戦は上手くいきましたか?」と誰かに質問された訳でもないのに、いないはずの面接官にでも苛立ちながら毒突くように言葉を荒くする織鶴。天神館の弓兵部隊を壊滅にまで追い込んだ結果、自身も追い込まれて心身共に疲労に浸されていたが故の乱暴な口調か。

 

 

 

「ぜぇっ……! すまね、っす……!」

 

 

 

 立った一度声を上げて息を吐き出した瞬間、途端に態度が豹変する。先程力任せに壁に添えてしまったことを申し訳なさそうに謝罪した。

 

 逃げ込んだ仙人掌のように矢が詰め込まれた矢立箱と、出番の有無で啀み合っているように絡んでいる弓の位置を綺麗に整列させて、織鶴は体重を壁に預けて一息ついた。

 

 すると突然、織鶴の脚がポッキリと折れた様に体が沈んだ。身体の筋肉全てが仕事を投げ出したように弛緩し、ズルズルと道着を壁に擦りつけたながら座り込んでしまったのだ。今まで溜まっていた疲労、慣れない環境での集中、あわやリタイアしていたであろう猛攻、全てが織鶴の力を奪いとったのだろう。

 

 左手をついて立ち上がろうとするも、どうにも力が入らない。ガクガクと膝が笑って反抗し、織鶴を立たせようとしない。筋肉やら関節といったような織鶴の駆動を任されている身体の全てが、これ以上の運動は行わないとストライキを起こしている。

 

 

 

 ――――こんちくしょー……!

 

 

 

 ガチガチと歯を擦りあわせる程に力を入れるが、遂には左腕すらも力が抜けて床に落下する。

 

 

 

 ――――……ゆーこと効かねーっす。こりゃあ休憩が必要っすかねー……。

 

 

 

 無茶をさせすぎた、させられすぎた。織鶴は息を弾ませながら疲労感に支配された自分の身体が動かない理由をようやく理解する。彼女は今この場から動く事を諦め、体重を完全に床と壁に預け切ろうとした。

 

 

 

 ――――これだけはっ……!!

 

 

 

 その直前、ギュッと目を閉じて歯を剥き出しに、残っている力を振り絞るように体を動かし始めた。

 

 織鶴は精一杯体に鞭打って震える体で正座をする。歯を食いしばりながらぶるぶると震えの止まらない左手を用い、右手に取り付けられた(ゆがけ)をゆっくりと外した。それを小豆色の小袋に仕舞い、自分の髪を縛っていた布を解いて、ようやく力を抜ききった。

 

 弓道において、弽を付けたままの休憩など許されない。弽を外してようやく他の行動に移ることが許される。戦場での弓道という矛盾した行動での判断が曖昧なところと言うこともあり、逃走中は弓を引く可能性も考慮して付けたままの行動であった。しかし、役目をある程度達成し急速に専念するのであれば、弽は外し収納しなければならなかった。

 

 

 

「はふぅ…………」

 

 

 

 大きく息を吐いたのと同時に、織鶴は肩がゆっくりと撫で下ろされたのを実感する。足袋の踵部分に取り付けられたジッパーを解放して足も無防備にさらけ出し、袴が図らずめくれ上がって膝や腿が顕になる。はだけた道着を身に纏い、汗を首筋に滲ませ、辛そうに息を整えているその様は実に扇情的だ。

 

 淑女の嗜みとは到底思えない姿で疲労に喘ぐ織鶴は、官能小説の表紙を飾っていてもおかしくはないだろう。これを無意識でやっているのだから尚更質が悪い。

 

 

 

「あっ、つぅ……」

 

 

 

 道着の下に着こんでいる肌着の襟を震える手で掴んで伸ばし、籠っていた熱を追い出して空気の循環を図る。もわっ、と首元から浮き上がった蒸気に眼鏡が濡れる。乱れ放題だった髪も次第に水分を帯び始めて束となり、烏の濡羽色を体現させる艶を映し出し、それこそ官能世界の濡場のような蠱惑的な空気を生み出した。

 

 首に張り付く髪一束、緩み潤んで煌めく瞳、艶を見せる脚の柔肌、どれもこれもが男の中の獣を沸き立たせる要因と成り得る。

 

 さて、この様子は当然の如く、誰も見ていないと分かっているからこその態度である。言うなれば、家の中は下着だけで過ごしている、と言ったようなリラックス状態だと言えよう。

 

 そこに、敵がやって来ることなど思いもせず。

 

 

 

 

 

「これは驚いたね。こんな所で誘ってくれる女がいるとは」

 

 

 

 

 

 ゾクリ、と織鶴の熱が急激に冷え始めた。背中に肌着を張り付けていた汗が冷水のように冷え、そこを団扇で扇がれた様な悪寒。熱を覚ましたはずなのに残る気味の悪さ、後味の悪さ。

 

 織鶴は未だに力が入り切らない身体を必死に動かし、首をその声の主に向けた。

 

 

 

「こう、伝統武術の道着を来てやる行為ってのは背徳感とスリルがあっていいもんだと思わないか?」

 

 

 

 

 

 ――――龍、造寺っ……!?

 

 

 

 

 

 この戦いに参加する前、予め渡されておいた敵将のリストにあったこの男の顔を、京に対していいところを見せようとする織鶴が間違えるはずがなかった。

 

 配布されたリストの中で最も注意すべきだとされた天神館の強者集団、西方十勇士。その中で最も武術の心得がないものの、女を幾百人食物にしたと嘯かれる広告塔。人気アーティストグループエグゾエルのメンバー、龍造寺隆正。

 

 

 

「俺の事は知ってるみたいだね。そんな顔だ。まあ広告塔の役割をしてるもんだから、露骨に知らないって態度されたらされたで困ってたが」

 

 

 

 コツ、コツ、と靴の音が地下に響く。この戦争において全く似つかわしくない、カジュアルさを出した黒茶のジョージブーツがキラリと光る。相当靴底が硬いのだろう、地下に反響する足音が大きく実に耳障りで、敵にわざと居場所を知らせてしまっているようだ。

 

 しかし、彼にとっての敵も、彼にとっての味方もこの場にはいない。人気ないところを、織鶴はわざわざ選んだのだから。

 

 

 

「これなら俺でも倒せるかな?」

 

 

 

 そう言いながら織鶴に近寄る隆正だが、その声に敵意は全く感じられない。むしろ逆の好意に近いものを織鶴は感じ取ってしまっていた。能面を張り付けたような笑顔ではなく、本能のままに下心に従った下衆な微笑み。織鶴の神経系から毛細血管まで凍りつくような薄気味悪さが織鶴を襲う。

 

 

 

「倒すというより、服従させるってのが正しいがね」

 

 

 

 織鶴の本能は正常に機能していたようだ。隆正が声を発した瞬間に彼女を襲った悪寒は、明確な危険信号としての役割を十分に果たしていたのだ。それも、命の危機ではなく貞操の危機に対する者。雌雄間における自尊心が穢される恐れがあるとの通達。

 

 

 

「さっき恐ろしいブスから何とか逃げてきたばかりでね。口直し、させて欲しいんだ」

 

 

 

 織鶴は何とか体を動かしてはだけていた服装を正し、隆正を鋭い眼光で睨み付ける。その視線に僅かに怯えた様に見せるが、明らかにおどけたような隆正の態度は織鶴の神経を逆なでする。

 

 

 

「流石にここじゃ派手にやらないよ。精々、マーキング程度だ」

 

 

 

 マーキングという言い回しそのものに肌を粟立たせる織鶴。目の前にいる性欲の権化、女を服従させることを生業にしているような桁違いの遊び人に、彼女の女としての部分が拒絶反応を示す。

 

 

 

「大丈夫。初めはどんな女もそんな反応だが、二分で蕩ける」

 

 

 

 しかし、織鶴の態度なぞ全くのお構いなし。隆正は歩み寄る速度を速め、彼女の瞳を己の体で覆い尽くそうとする。

 

 

 

「じ、冗談は、よしこちゃーん、っすよ……?」

 

 

 

 ははは、と笑ってみせる織鶴だが、その笑いに籠っている感情は恐怖に近いものだろう。襲い来る「男」という恐怖を否定するように、現実を認めないように笑うその姿は隆正の目にはどのように映っているのだろうか。

 

 隆正の口角がさらに上がった以上、織鶴の姿に何かしらの興奮を覚えているのかもしれない。

 

 

 

「大丈夫大丈夫、軽いリップサービスだから」

 

「ひぅっ――――!」

 

 

 

 壁から離れて体の前面を床に擦りつけるようにして逃げの姿勢を取った織鶴に、隆正は歩く速度をさらに上げて近づいていく。

 

 何とかして逃げようとする織鶴に、慈愛と愛欲に満ち満ちた笑顔を向けたまま近寄り続ける隆正。這いずってでも逃げようとする彼女の肩をつかみ、グイッと引き寄せようとする様は強姦魔のそれだが、彼はそれで何人もの女を落としてきた実績があった。

 

 

 

「それじゃあ、失礼して」

 

「や、やぁっ……!?」

 

 

 

 隆正を何とか跳ね除けようと両手を振るう織鶴の姿は、やはり強姦されようとされる被害者のそれだ。

 

 隆正の実績を知らぬ者から見れば、いや、例え知っていようが、仲間を食物にされようとする場面に遭遇したら、武勇や知力に関係なく体が動いてしまうだろう。

 

 

 

 

 

「不沈艦っ……!ラリア、っとぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおらぁっ!!」

 

 

 

 

 

「どうらぁっ!?」

 

 

 

 ぬるりと織鶴と隆正を遮る様に突き出された丸太のような剛腕が、隆正の首元を抉り吹き飛ばして地面に叩きつけた。

 

 その反動で二転、三転。隆正は頭やら腰やらを盛大に地面に打ち付けながらごろんごろんと転がり、ご自慢の笑顔は悲痛に歪んだものに塗り替えられていた。その強烈な痛みが一瞬だったのか、既に隆正の意識は失われてしまっているようだ。

 

 

 

「お鶴、大丈夫か?」

 

 

 

 織鶴の前に大きな掌が差し出される。

 

 

 

「……が――――し、島津、くん……?」

 

「おうよ」

 

 

 

 織鶴は目尻に涙を浮かべながらその手をとった。そのままグイッと引き上げられ、織鶴の身体は筋骨隆々とした男の腕に収まった。

 

 織鶴が顔を上げると、心配そうに顔を覗き込む見知った男子生徒、島津岳人の顔が飛び込んできた。

 

 

 

「わひゃあ!?」

 

「おっと、おいおい暴れんなって」

 

 

 

 思わず岳人から離れようと胸板を押し出す様に手を動かしたが、織鶴の思った以上に岳人の拘束が強い上に自身の力が無くなっていることを失念しており、岳人からすれば隆正に襲われたことで精神的に落ち付いていない程度にしか感じ取れないことだろう。

 

 

 

「変態男はもういねーって」

 

「そ、そりゃこの上なく感謝するべき状況なんすけどっ」

 

 

 

 混乱に支配された織鶴の脳内はぐるぐると視界を混濁させ、まともに岳人の顔すら見ることができない。真っ赤に染まって震える全身を抑え、普段はしないような内股で太腿をもじもじとさせて擦りあわせている。

 

 

 

「何だよ、もう少し殴っといた方がいいか? それなら手遅れだと思うぜ」

 

「い、いや、自分はもー充分満ぞ――――手遅れ?」

 

 

 

 岳人の言葉にほんの少しだけ織鶴の思考回路が冷やされる。それを確認することはせず、岳人は織鶴の背後、倒れている隆正のさらに奥の通路を指さした。

 

 織鶴はその指先をなぞる様に地下の奥を見据える。すると、光の届かない暗闇から地鳴りのような足音がドドドドドドドッ! と近づいてくるのが彼女の耳に届いた。その足音の主は、まるで獲物に狙いを定めた肉食獣の様に一心不乱に織鶴たちの下へ駆け抜け、姿を現し、

 

 

 

「追いついたっつーのっ!! 観念しやがれイッケメェーン!!」

 

 

 

 と叫んで倒れている龍造寺の腹に飛び乗った。

 

 その際に「ぐえっ!」という蛙が圧迫されたような汚い悲鳴が聞こえたが、一切の抵抗を見せないところから、どうやらまだ意識は戻っていないようだ。

 

 

 

「は、羽黒?」

 

「ア? オメーお鶴じゃん!」

 

 

 

 龍造寺の唇を奪う、と言うよりは貪りつくそうとしていた来訪者の名を呼んだ。

 

 日で焼いた以上に全身を褐色にメイクし、脱色した髪の毛にふわりとかかったウェーブ。唇のグロスとマニキュアは脱色して金色に染まった髪に合わせるように、砂金のような刈安色(かりやすいろ)に塗りたくられていた。

 

 二一世紀に入ると同時に衰退の一途を辿って行ったヤマンバスタイル、その最上位とも言えるバチグロと称される黒檀(こくたん)の肌を貫き通す少女を、織鶴はよく知っていた。

 

 

 

 ――――一体どんな迫り方をしたんすかね、羽黒の奴。

 

 

 

 ヒールレスラーの力と技を受け継ぐタフネスガール、熱いベーゼは東洋の神秘毒霧の味、二年F組最恐の肉食女子、羽黒黒子。

 

 

 

 ――――龍造寺、死ぬ気で逃げてきたと見たっす。

 

 

 

 先程女として最も大事なものを奪われかけた筈なのに、織鶴は苦笑しながら龍造寺に哀れみの視線を送っていた。

 

 

 

「何だよお鶴、アタイからイケメン横取り系?」

 

「そんなんいらねーっす。どうぞ、思う存分」

 

「言われなくてもオラァァァッ!!」

 

 

 

 織鶴との会話を途中で区切り、羽黒の唇が龍造寺の唇と重ねられた。それを見ていた織鶴の脳内に「ぶちゅうううううっ!!」という汚らしい擬音語(オノマトペ)が浮かび上がった。

 

 しかし、織鶴の耳に「ぐじゅるるるるるぅうううううううう!!」と、おおよそ接吻で聞こえるはずのない音が届いた。羽黒の口から得体の知れない何かが、龍造寺の口内へと移っていく。無理やり舌を絡ませられて気絶しているからなのか、龍造寺の喉仏が激しく上下している。

 

 

 

「…………目も当てらんねーっす……」

 

 

 

 ――――精々、命があることだけは祈っておいてやるっす。

 

 

 

「それよりお鶴。お前何もされてねぇよな?」

 

 

 

 龍造寺と羽黒との熱い口づけから目を逸らすと、岳人が心配そうに織鶴の両肩を掴んだ。

 

 

 

「そ、そりゃあ勿論。島津君が助けてくれたおかげで」

 

「その割には服が乱れて――――」

 

 

 

 その言葉に、織鶴の思考が数秒間機能を停止させてしまう。

 

 潤滑油の通っていない錆だらけ鉄弁、川神学園弓道場の鉄扉を彷彿とさせる鈍い動きで首を曲げて視線を落とした。道着が向けて肌着が露呈し、薄らと汗で透けた下着が浮かび上がっている。よくよく見れば、袴もまともに履けていない。

 

 

 

「きゃあっ!?」

 

 

 

 両手で必死に胸元を画し、溶けてしまうのではないかと思わせる程に顔を真っ赤に染める。

 

 

 

「きゃあ?」

 

 

 

 岳人はそんな変化に一切気が付いていないように織鶴を支え続けていた。

 

 あられもない姿を晒してしまったという羞恥心の叫びを無意識で受け流し、「何でそんな声を上げているんだ?」と言わんばかりに小首を傾げている。その態度は、織鶴も持ち合わせている女性としての自尊心を躊躇なく傷つけた。

 

 

 

「見んなぁ!!」

 

「へぶっ!!」

 

 

 

 自尊心に刻み込まれた痛みを右手に乗せて、力任せに平手を岳人の頬に叩きこんだ。その反動で岳人は数歩後退してしまい、織鶴は岳人の胸から離れることに成功する。

 

 恥ずかしさと怒りで混濁して息を荒げてしまっている織鶴は、頬を抑えて顔を歪めている岳人をじっと睨みつけていた。

 

 

 

「き、気安く乙女の柔肌を見るとは何事っすか!!」

 

「わ、悪かった……! すまん……! おー、いってぇ……」

 

 

 

 そう言って左頬を摩って見せる岳人だが、あくまで予想以上の痛みが襲っただけなのだろう、一分もせずに痛みを忘れた様に腕を組んで平然としていた。

 

 

 

「……何でそんなあっさり……」

 

 

 

 一方、(はた)いた張本人である織鶴は岳人に体の前面を見せないように背を向け、情けなく乱れてしまった道着の皺を伸ばしながらきつく襟元を締めていた。

 

 袴と道着を脱がないままで修正できる範囲で整え直し終わると、織鶴は自身の胸元に視線を落とした。体のラインを浮かび上がらせるように体に密着する肌着が織鶴のただでさえ少ない胸を圧迫し、さらに道着の厚みがそれを覆いこんでしまい平らになっている。

 

 ギリリッ、と織鶴の口内から歯が軋む不快な音が響く。

 

 

 

「何だよ、胸でも打ったか?」

 

「死にさらせっす!!」

 

 

 

 ポン、と肩を叩いて逆鱗に触れるような言葉を放った岳人の腹部に拳が突き刺さった。織鶴の振り向き様のボディーブローが綺麗に腹筋へ打ち込まれる。

 

 

 

「おっ?」

 

「……いってぇー!!」

 

 

 

 しかし、岳人はただ驚いたような声を上げただけで、実際に痛覚に悲鳴を上げたのは殴った本人だった。

 

 

 

「へっ、殴り慣れてねぇのに俺様の鉄板腹に拳を向ける、自殺行為だぜ? そこそこの威力だったがな、俺の筋肉は打ち破れねぇ! 見ろ! この制服の上から分かる腹筋、ワンサイズ上のズボンでも隠し切れないはちきれんばかりの太腿! フンハハハハ!」

 

 

 

 両手を上げ後頭部に添え腹筋と脚を強調する、さながらボディービルダーのポージングのような体勢で織鶴に自身の身体の素晴らしさを説く岳人。

 

 

 

「だりゃあ!!」

 

「へぶっ!?」

 

 

 

 豪快に笑う岳人の顔面を再び平手が襲った。一発目の突発的な平手とは違う、腕全体をしならせて全く同じ個所に怒りを乗せて振りぬいた掌は、岳人の頬に綺麗な茜色の紅葉を刻み込んだ。

 

 

 

「が、顔面は卑怯だろ……!」

 

 

 

 先程とは違い、同じ場所(左頬)を摩る岳人の目尻には涙が浮かんでいる。痛みの引き切らない患部への鞭のような平手、加えて笑っていられるほどの油断を突かれたことが余程痛かったのだろう。

 

 

 

「ちくしょー、滅茶苦茶痛ぇーっす……。よく皆あーもボカスカ殴れるっすね」

 

 

 

 しかし、痛みを感じているのは岳人だけではなかった。自らの二度の平手打ちと拳の一撃で、織鶴の右手は野球の硬球を素手で取ったようにヒリヒリと、扉に手を挟んでしまったようにズキズキと、表面と内側から襲い来る痛みに苦しんでいた。

 

 

 

「そこも慣れだろ。お鶴が何回も弓引いてんのと一緒だって」

 

「慣れたくねーっすね、人を殴るの」

 

 

 

 そうか? と岳人は小首を傾げた。あたかも人を殴り慣れているような、殴ることこそが男子としての通過点であると言わんばかりに、極めて当たり前だと思っているようだ。勿論、男子の通例とは言えないものを女子である織鶴が理解できるはずはなく、

 

 

 

 ――――ヤンチャっすねー。

 

 

 

 と、ガキ大将のような幼少時代を過ごしてきたのだろうと予想し、目尻を下げてえくぼを見せた。

 

 

 

「さてと、それじゃ自分は――――」

 

 

 

 自分は戦場に戻る、という旨を伝えて立ち上がろうとした織鶴だったが、立ち上がろうとした瞬間に膝が再びポッキリと折れ、伝えようとした言葉も途切れてしまった。立ち上がろうとしたところで体重をかけていた片膝に力が入らなくなったことで体勢も崩れ、右側に倒れ込んでしまいそうになる。

 

 

 

「おっと」

 

 

 

 それを岳人が優しく受け止めた。平手打ちでようやく抜け出した胸板に、織鶴は再び吸い込まれるように収まってしまった。

 

 

 

「………………さ、支えはもう大丈夫っすよ?」

 

「……そんなフラフラで何言ってんだ」

 

「あ、あと数分で絶好調まで持っていけるっす! ほら、今もこんなに!」

 

 

 

 岳人の胸から自分を引き離し、腕力も戻っていることをアピールした。岳人に心配させまいと、支えなしでも立ったり歩いたりできることを見せつける。

 

 

 

「……はぁ……。強がってんなって……っと、ほれ」

 

 

 

 しかし、岳人はそれを見て安心をするどころか、呆れた様に大きく溜め息を吐いた。子供が親に心配かけまいと虚勢を張っている様にも見える空元気、その姿に何を思ってか、彼は突然屈んで織鶴に背中を向けた。

 

 

 

「……何のつもりっすか?」

 

「負ぶってやっから。どこまで連れて行けばいい?」

 

 

 

 瞬間、織鶴の思考が再び仕事を放棄した。

 

 

 

「はい?」

 

「疲れてんだろ? ちょっと休めよ、運んでやるっての」

 

「い、いやいやそんな、迷惑かけられないっす!」

 

「戦闘慣れしてなくて疲れてんの、俺様にも丸分かりだぜ。遠慮すんな」

 

 

 

 むぐ、と声を詰まらせた。事実を言い当てられて反論ができないでいる。岳人に対する新しい言い訳を探そうと頭を働かせるも、困惑や焦燥により思考が停滞し、どうしても言葉が導き出せずに慌てていた。今その感情に任せたまま口を開けば、支離滅裂な言葉がポン、と飛び出してしまいそうだ。

 

 

 

「で、でも! 島津くんも疲れてる筈っす!」

 

「女が男に遠慮してんなって」

 

「……むー……!」

 

 

 

 必死になって口から出した、言葉としての体裁を保ってのいい訳もあっさりと弾かれてしまった。

 

 

 

「これ以上文句言うなら、無理やり持ち上げて医療班まで運ぶぞ?」

 

 

 

 そう言って岳人は立ち上がり、織鶴の顔を睨む様に目を細めた。

 

 

 

 ――――お姫様抱っこになるんすかね。その場合。

 

 

 

 物語の世界から飛び出した王子が王女を抱える姿に意識を奪われつつあると、ガシャァン! と大きな音が地下全体に広がっていくように反響し、織鶴の意識を現実に引き戻した。

 

 その発信源を見ると、織鶴に使われることのなかった弓が不機嫌そうに横たわっていた。

 

 

 

「あーもー! 自分の身は大事に扱えっす!」

 

 

 

 思い描いていた光景全てをかき消して倒れた弓の下へ駆け出した。先程までの疲れを隠すような空元気すらも演技だったように、疲労全てを忘れて弓と矢を再び綺麗に立て直そうとする。

 

 

 

 ――――コイツを使ってやるには、もう少し回復しないとまずいっすね……。好意を利用するみたいで、すっごい気が引けるんすけど……。

 

 

 

 そう考えて十秒弱、何かを決意したように弓を立て直すのを中断し弓二本を両肩にかけて矢立箱を右手にギュッと握りしめて岳人の前に立った。

 

 

 

「………………わ、分かったっす。お、お願い、するっす」

 

 

 

 か細い声でそう呟き、頭をゆっくりと下げた。

 

 織鶴が頭を下げてお願いすることが意外だったのか、岳人は目を丸くし口を半開きにして硬直した数秒後、ニカッと笑って再び腰を下げた。

 

 織鶴はその背中にゆっくりと体を押し付け、岳人の太い首に両手を回して飛び乗った。岳人は背中に大きく負荷がかかったことを確認すると、両手で織鶴の腰に手を添えた。

 

 

 

「そんじゃあ行くぞっ!」

 

「わぁっ……!」

 

 

 

 織鶴のふわりと体が持ち上げられ、今まで見ていた視界が一変する。三〇センチ程高くなっただけで、新しい土地に訪れた不安と期待が体の中を駆け巡る。

 

 立ち上がって織鶴のバランスを確保すると、彼女が持ってきた矢立箱を左手に握りしめてバランスが取れているかを確認する。織鶴が両手を首に回していることと、彼女自身の進退が軽く小柄であることが功を奏し、岳人の右腕だけで十分に支えられた。

 

 

 

「んで、どこまで行きゃいい?」

 

「……そう、っすね……。出来れば、あの高台の足もとに……」

 

 

 

 ――――ふぉおおおお……。おっきくて、ゴツゴツして、安心するっすね……。

 

 

 

「確り掴まってろよ。肉弾列車の出発だぜ!」

 

「えっ――――わぁ!?」

 

 

 

 織鶴が岳人の背中の感触をおっかなびっくり体全体で密着して感じ取っていると、岳人の身体が勢いよく地下を駆け抜けていった。織鶴が振り落とされないように両腕にさらに力を入れると、密着する感覚がより強くなっていく。

 

 

 

 ――――ふぉおおおお……!

 

 

 

 織鶴の顔が真っ赤になっていることなど意に介さず、肉弾列車は地下をかけていく。

 

 

 

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