(―――、メリークリスマス。)
ぼんやりとした、一つ向こうの視界の先。優しく笑う男性と、女性の姿が見える。
見覚えのある顔。オトウサンとオカアサンという人間だ。
周りを見回すと、ベッドの手すりや周囲を囲むカーテンに、色とりどりの紙テープでささやかな飾りつけがなされている。
寝てばかりで少し硬くなった体をベッドから起こし、二人からの拍手に包まれながら鮮やかな色の包み紙に入ったプレゼントを開けた。
(―――、本当にこんなものでよかったのか?)
(そうよねぇ。もっとほら、お人形とかゲームとか)
ううん、これがいいの。ありがとう。オトウサン、オカアサン。
自分ではない自分の声が響き、自分ではない自分がにっこりと笑う。
その様子に、二人も顔を見合わせて笑った。
無機質な病室の天井に、三人の笑い声が響き渡った。
あれ? でもこいつ本当は――――
■ ■ ■
ふと、ダルイゼンは眠りから覚めた。
仰いだ視界の先にあるのは病室の天井ではなく、延々と広がる沼から舞い上がる瘴気で錆のような色に染まった、ビョーゲンキングダムの廃退した空だ。
眠気の余韻を覚ますようにあくびをしながら、今しがた見ていた夢の内容を反芻する。
最近よく見る夢だ。……いや、正確には、以前から同じような夢は見ていたが、「何」の夢なのかを自覚するようになって、記憶に留まりやすくなった、というべきだろうか。
今のは間違いなく自分自身の記憶ではなく、キュアグレース――花寺のどかの体内に潜んでいた頃の、彼女から見た光景だ。
彼女の中に巣食っていた頃に見たものを、すべて覚えているわけではない。が、時折こうして、その記憶の断片を夢として見ることがある。
不愉快そうに顔を歪ませながら、ダルイゼンは上体を起こした。
地球の暦では、今日は12月の下旬、クリスマスイブの日……らしい。だからと言って、タイムリーにこんな夢を見るとは、地球の空気にだいぶ毒されているのかもしれない。
馬鹿馬鹿しい。クリスマスなんて、自分たちビョーゲンズには一切関係な――
「キングビョーゲン様~! 今日はクリスマスイブですぅ~! いい子にしていたアタクシ、シンドイーネにぃ、愛という名のプレゼントをふんだんにお与えくださいまし~! ほらほら、こうしてクリスマスツリーも立てちゃいましたー!」
「シンドイーネ! お前、ただでさえここは足場が少ないんだから、こんな邪魔なもの立てるんじゃあない! そもそも、このもみの木は何なんだ? まさか盗んできたのか?」
「失礼ねグアイワル! そんなアコギな真似、このシンドイーネ様がするわけないでしょ! ちゃんと山から切り倒してきたわよ!」
「一人で!? というか、それはそれで窃盗じゃないのか……?」
――関係ないと言ったら、関係ないのだ。
ダルイゼンは、離れたところで繰り広げられるいつも通りの喧噪を聞かなかったことにして、「仕事」のため地球へと飛び立った。
「……まったく、ビョーゲンズが人間のイベントで浮かれるなんて」
呆れた顔で髪をかき上げながら、ダルイゼンは周囲を見渡した。
何も考えずに地球に転移したら、見覚えのある景色の場所に辿り着いていた。
すこやか中学校――花寺のどかたちが通う学校、そのグラウンドの外れにある林の中だった。以前にも、ここの校庭に生えた大樹を蝕んだことがあるが、進化してから来るのは初めてだ。
「まあいいや、ここで標的を探すか」
ダルイゼンは、見晴らしのよさそうな部室棟の屋根へ飛び移り、辺りの様子を探ろうとする……が、ちょうど放課後の時間なのか、授業を終えた生徒たちが、帰路に着いたり部活に赴いたりと、ぞろぞろと外に出てきている。さすがにここは目立ちすぎる、騒ぎになったら面倒だ。
「なら、逆に……」
連絡通路から、校舎の二階へと入り込む。人けのすっかり無くなった廊下から、適当な教室の中の様子を伺う。生徒は全員室内から引き払っていた。
ちょうどいい。冬の寒さも凌げるし、ここから帰宅する生徒の様子を伺おう。
教室の後ろを横切って窓際に立ち、窓ガラス越しに校庭にいる生徒や教員の様子を探る。
蝕む人間は、誰でもいいというわけではない。強いギガビョーゲンを生み出すためには、その培地となる人間にもそれなりに体力や筋力といった基礎が必要だ。
かと言って、あまりに抵抗力の強い人間にナノビョーゲンを植え付けようとしても、うまく育たなかったり、最悪抑え込まれてしまいギガビョーゲンを生み出せず、無駄打ちになってしまう可能性もある。
ダルイゼンたちテラビョーゲンには、自分たちの病魔に対する相手の人間の抵抗力を、感覚的にではあるが見分ける能力がある。
本人の身体能力に秀でたものがあり、かつ病気に対する免疫が低い、という一見矛盾した条件だ。この二つには、実際にはそこまで相関がない、というのがダルイゼンの見立てだが、
「……いないな、ちょうどいい人間」
見渡した限り、ダルイゼンの御眼鏡に適う人間は、校庭を行き交う生徒や教師の中にはいなかった。
プリキュアたちも力をつけてきている。生半可な素体では意味がない。
もう一度探してみるかと、校門の方に目を移した時、見知った顔を目にした。
キュアグレース――花寺のどかだ。
その顔には薄く笑みが浮かび、心なしか浮足立っているように見える。思えば、今日は道行く生徒全員がそんな感じだ。
「クリスマス、だからかね……」
そんなに楽しいものなのか、とダルイゼンは肩をすくめる。
花寺のどかの背中が、校門の門柱の裏へと過ぎ去っていくのを見届けると、ダルイゼンは他に視点を移した。
校庭の隅々にまで目を凝らす。すると、部室棟の方から、またしても見覚えのある顔が出てくるのが見えた。
あれはキュアフォンテーヌ、名前は確か……、そうだ、沢泉ちゆだ。
素体の能力としては申し分ない。が、ナノビョーゲンが取りつく隙もなさそうだ。首尾よく取りついたところで、プリキュアの力がワクチンとして働き、ケダリーと同じように未成熟のまま終わるのが関の山だろう。
彼女の周りにいる他の部員にも、適性のある者はいなさそうだった。
……結局、めぼしい人間を見つけることはできなかった。
成果ゼロ。がらんとした教室の光景が、手応えのない虚しさを加速させる。
だが、こういう日もある。諦めてビョーゲンキングダムに戻ろうか――そんなことを考えていた矢先だった。
突如、背後の教室のドアが、がららと乾いた音を立てて勢いよく開いた。
突然のことにぎょっとして振り返るとそこには、
「はぁっ、はぁ……。ダルイゼン、そこで、何してるの……っ!」
「キュアグレース……、どうしてここに」
先程、家に帰ったはずの花寺のどかが、息を切らせながら立っていた。確かにさっき、学校の敷地外まで出ていたはずだ。
「帰ろうとしたら、あなたが教室にいるのがたまたま見えたから、急いで走って……げほっげほっ」
「……よく見つけたね。で、わざわざここまで必死に走ってきたってわけ?」
息も絶え絶えの様子で、うん、とか、そう、とか返事にならない返事をするのどか。しかし、彼女のダルイゼンを見据える目は、彼を捉えたまま離れない。
「そいつはご苦労様。何をしてただなんて、答えるまでもない。オレたちのやることはただ一つ……地球を蝕むこと。そのための獲物を探していたところさ」
「だったら、わたしのやる事もただ一つ。それをお手当すること、だよ」
「ヒーリングアニマルも連れずに、か?」
ダルイゼンの指摘にのどかは、はっと気付きうろたえ始める。本当に、勢いだけで駆け付けてしまったようだ。
それでも、彼女は数歩前に踏み出し、毅然とした表情を崩さず、ダルイゼンに向かって言葉を投げかける。
「今日はクリスマスイブなの。みんな楽しみにしているのに、それを邪魔するようなことはしないで!」
「そうかい。ま、オレたちビョーゲンズにとっちゃ、クリスマスなんて関係ないから」
「……そうなの? 昨日、シンドイーネがこっちに来た時、メガビョーゲンにもみの木を引っこ抜かせてたから『そんなことしちゃダメ!』ってめちゃくちゃ叱っといたんだけど……」
「…………」
あいつ、そんなことをしていたのか。キングビョーゲンに密告してやろうか。
微妙にテンポを崩されてしまったダルイゼンだったが、窓枠にもたれかかり、実際の釣果は棚に上げて、したり顔でのたまう。
「ま、そういうことなら、今日は蝕まないでおいてあげるよ。それがオレからの、クリスマスプレゼントってことで」
「あれ、意外と素直……ていうか、そういうのはプレゼントって言わない……。そもそもあなた、クリスマスって何か知ってるの?」
のどかの言葉に、ダルイゼンは少し眉を吊り上げる。
「……馬鹿にしてんの?」
「し、してないよ! だって、あなたたちがどこまで地球の常識を知ってるかなんて知らないし……」
微妙に委縮するのどかに、ダルイゼンはひとつため息をつき、
「知ってるよ。12月24日に、みんなでお祝いしてプレゼントもらうんだろ? 折り紙とかさ」
何を馬鹿みたいな質問を、とばかりに呆れ顔で説明するダルイゼン。
しかし、彼女の反応は予想もしないものだった。
「……どうして、知ってるの?」
彼の言葉に、何故かのどかの表情はこわばり、先程までの威勢も無くして立ち尽くしてしまった。想像もしていなかった反応に、ダルイゼンは眉をひそめた。
そのまま俯いてしまったのどかは、「そっか、知ってるんだ……」と、スクールバッグの紐をきゅっと抱き、教室の床に向かってつぶやいた。
「何、そのリアクション。オレ何か、変な事言った? クリスマスなんてそういうもんでしょ」
「……ううん、そこじゃなくてね」
少しむっとしながら尋ねるダルイゼンに、のどかは苦笑しながら答える。
「普通はね、クリスマスプレゼントっていうのは、たぶんもっと、いい物をもらうんだよ。お人形とか、ゲームとかね。折り紙、なんてお願いする子、あまりいないんじゃないかな」
でもお前は、と口を挟もうとしてやめた。
「あの時わたしも、着せ替え人形が欲しかった……。でもあの頃、わたしも入院したばかりで、お母さん、わたしの看病のために仕事やめちゃったし。入院代、結構かかってたみたいだし、だから……」
少し震えた声で続けるのどかに、そういうことか、と納得しつつも、ダルイゼンは薄く笑みを浮かべながらいつもの調子で言葉を返す。
「何それ、数年越しの恨み言?」
「……そう、なのかな。そう聞こえたのならごめん」
皮肉のつもりで返したつもりだったのに謝られてしまい、またも面食らう。
しかし、実際のどかの表情や言葉には、ダルイゼンの事を責めようなどといった、そんな毒気は感じられなかった。
「でも、あの時あなたは、わたしの中でただ生きようとしていただけで、わたしを苦しめたいと思って取り付いたわけじゃないんだよね」
「……どうかな」
微妙に歯切れの悪い言葉を返してしまう。……まただ、花寺のどかと話していると、いつもこうして調子を狂わされる。
そんな彼の様子を知ってか知らずか、のどかはダルイゼンの言葉に怒りも笑いもせず、窓の向こう、沈み始めた夕日を見つめながら続ける。
「だからそれは、もういいの。それに、あの時わたしは、折り紙でも十分、嬉しかった。……でも夜になって、でも本当は、って考えちゃう自分が嫌で」
のどかの言葉に、まるで夢を見ているときのように、古い記憶の断片が脳内をちらついた。
そんなものは今、思い出さなくていい。
暗い病室。孤独に冷えた空気の中、頬を伝う何かの感触なんて。
「誰にも言えなかった……。でも、ダルイゼン、あなたは」
まっすぐ自分を見つめるその瞳に、ダルイゼンは何も返さなかった。
そんな、過去の感傷に興味はない。
ただ、そんなものは知らないと、否定する気にもならなかった。
数秒、しかし、戦いのときよりも息が詰まるような感覚。
二人の間に訪れた静寂を静かに破ったのは、花寺のどかの靴音だった。
変身もしていない彼女に、何も臆することはない。しかし、なぜか隙を見せてはいけないような気がして、ダルイゼンはこちらに歩み寄ってくる彼女の姿から目を離せなかった。
「はい」
敵を前にしてあまりにも無防備であることを一切気にする様子もなく、ダルイゼンの目の前に立ったのどかは、スクールバッグから何かを取り出し、差し出した。
「……何、これ」
「何って、折り紙だよ」
のどかの言う通り、フィルムに包まれた紙の束のパッケージには、50枚入りの折り紙と書かれている。
「実はね、不満に思いつつも、折り紙作り始めちゃったら結構ハマっちゃって! 入院中の趣味の一つだったんだ。それ以来、毎年クリスマスは自分で作った折り紙でデコレーションするのがお決まりになったの。ほら」
言いつつ、のどかはスクールバッグの口を大きく広げて見せる。中には、サンタの顔やクリスマスツリー、プレゼントボックスやらを象った折り紙たちがひしめいていた。
「今日もお昼休みに作ってたんだよ。……その机でね」
のどかは、二人のすぐ脇にある机に目を落とした。ここは彼女の教室だったのか。
「……それで?」
「これ、新品だけど余っちゃったの。だから、あげる」
「いや、受け取るわけないだろ。馬鹿でしょ」
「馬鹿じゃありません! いいから!」
のどかは、ダルイゼンの胸に無理矢理折り紙を押し付ける。対するダルイゼンも、勢いに負けてそれを受け取ってしまう。
「今日くらいは地球を蝕むのやめて、それで遊んでみたら? 意外と楽しいよ? 折り方も中に書いてあるから」
無垢な笑顔でそう言うと、のどかはそっと一つ後ずさり、そのまま教室のドアへと駆けていった。敵であるダルイゼンを放置して。
おい、と言葉をかける間もなく、彼女はドアを閉め、本当に去っていってしまった。
再び静寂の戻った教室の片隅に、一人ぽつんと残ったダルイゼンは、受け取った折り紙の束に目を落とす。
「……本当に、こんなもので帰ると思ってるのか」
ダルイゼンは再び、夕日の差し込む窓の方へと振り返る。
夕日の色に染まり始めた校庭には、すでに生徒の影はほとんど見えなかった。
このまま花寺のどかの言う通りになるのは癪だ。別に、この学校にこだわる理由なんてない。人間なんてそこら中にごまんといるのだから、街の中へ再び探しに行けばいい。
……そのはずなのに。
「……馬鹿馬鹿しい」
それは、誰に向けた言葉なのか、自分でもよくわからなかった。
折り紙と、傍らに佇むのどかの机を重ねるように見つめた後、ダルイゼンは静かに教室を去った。
彼女が去り教室のドアが閉まる間際、その向こうから小さく聞こえた「メリークリスマス」というのどかの言葉が、いつまでも耳から離れなかった。
□ □ □
「あら、のどかだわ」
「おーい、のどかっちー! 今日はちゆちーも早上がりなんだってー! せっかくだし一緒に帰らない―? ……って、どしたの? のどかっち。なんかフクザツな顔してるけど……」
「ちゆちゃん、ひなたちゃん……。あれ、何て言うんだっけ。敵の助けになる事をするのって。『敵に紙を送る』、だっけ?」
「……果たし状かしら?」
「何すかのどかっち、そのあたしみたいなボケ。聖なる夜のキャラ殺しっすか」
■ ■ ■
「何ぃ? キュアグレースにもらっただとぉ?」
ビョーゲンキングダムに帰ってきて早々。折り紙を手にしているのをグアイワルとシンドイーネに見つかった。微妙にサイズがあるので、とっさにコートのポケットに隠せなかったのだ。
「敵からプレゼントを頂戴するだなんて、哀れられたものねぇ。キングビョーゲン様にチクってやろうかしら」
「そんなことしたら、メガビョーゲン使ってもみの木取ってきたこともチクるから」
「な、なんで知ってるのよ!」
狼狽えるシンドイーネを尻目に立ち去ろうとするダルイゼンの手から、グアイワルは折り紙をひったくる。
「ふん、ま、こんなチャチな紙きれなど、プレゼントのうちに入らんだろう。プリキュア様からの施しといったところか」
「……そう思うなら、それでいいんじゃない」
相手にするのもめんどくさい、とばかりに、そこらの岩を背にしてダルイゼンは座り込む。
「あらでも、ここに書かれてる折り鶴って確か、病人の快復を祈って折られるものでしょ? それをアタシたちビョーゲンズに折らせようだなんて、キュアグレースもずいぶん皮肉が効いてるわねぇ」
「ていうか勝手に開けてるし……。はぁ、もう好きにしてよ」
まったく、とんだクリスマスプレゼントもあったものだ。
……それでもまあ、地球を蝕むビョーゲンズが、どんなささやかな物だろうとクリスマスプレゼントなどというものをもらえるとは。その事実だけは面白いかなと、ダルイゼンはくすんだ空を見上げくすりと笑った。
「ちょっとグアイワル! その金ピカと銀ピカの紙はシンドイーネ様のものだって言ってんでしょ、勝手に使わないでよ!」
「そんな事いったい誰が決めた! だいたい、そういうセリフはまともに鶴の一つでも折れるようになってから言え! なんだその不細工で無様な折り鶴は。不器用にも程がある!」
「きぃぃ~~っ! 逆にそっちは何よその喉笛に突き刺さりそうなほど鋭く尖った折り鶴は! 気持ち悪っ!」
「何を言う、こんなもの手順書通りに0.01ミリの狂いもなく作れば簡単だろうが!」
「そもそも何なのよ、この折り方の手順8! 『折ったところを広げて折り筋に合わせてつぶすように内側に折る』!? 日本語成立してんのこれ!?」
「…………うるさい」
ダルイゼンは、胡坐の上で頬杖をつきながら、目の前で繰り広げられる口論をただひたすら乾いた目で見つめている。
結局、敵から塩を送られたわけでも、施しを受けたわけでも、皮肉を込められたわけでもなく、こうしてこちらのストレスや内紛を誘発するための、キュアグレースの作戦だったのではないか。
そんなことを考えながら放り投げたダルイゼンの傍らに、手順8で放棄され、ただ幾何学的な折り目がついただけのピンク色の折り紙が、虚しい音を立てて舞い落ちたのだった。
おわり