Episode 1
「お前はクビだ」
くび。
「くび」という発音をする言葉は、私の知るところでは二つ。頭と胴をつなぐ部位。あるいは解雇。
バルコニーで紅茶を飲んでいたお嬢様は、美鈴の尋常ならざる忍耐と慎重と観察眼によって芸術作品と言わざるを得ないような美しさを保つ室内の庭園を眺めていた。(どの角度から見ても庭園の花々は違った表情をこちらに向けていて、その様相は枯山水のようだった。彼女の気の使いようが感じられて、感心した。庭師としての彼女は本当にすごいと思う。私には真似できない。兵法を学んでいる故か、生物がもつ美を際立たせる拍子を心得ているのだ。植物の持つ生命力だけでなく、私達がむける視線や呼吸も全て含めて庭園を完成させている。そんな気さえしてくる。改めて感慨に耽る)そんな折に仰ったものだから、私は発言の意味と意図を計りかねた。
前者はありうる。また突拍子も無いことをお考えになったのかもしれない。お嬢様の発言には人間の生活速度では考えることのできない過程をたどっていることがよくあった。その思考には長命ゆえに持つべき誇りが深く関わっているようなので意味を過不足なく理解できる者がいるとは思えない。
後者は尚更あり得る。お嬢様は飽き性だから、館に従事する侍従の一人や二人、気まぐれに追い出してしまっても驚くことはない。
私の疑問はこの思考のぴったり3秒後に解決した。
「猶予は20日間。それまでに業務の引き継ぎと身辺整理を完了させろ。」
どうやら後者だったようだ。
「それ以降、この館への居住、勤務、許可のない立ち入り、一切を禁ずる。」
それだけ言ったあとお嬢様はアールグレイの残ったティーカップを口へ運び、まるで何事もなかったかのように、厳かな雰囲気でティータイムに戻った。
「かしこまりました。」
私もまたお使いを命じられたメイドのように、感情の起伏なくそう答えた。
こうして私は人生で初めて解雇を経験した。
§
結局、私は解雇を奉じた当日に紅魔館を後にした。お嬢様に頂いた猶予を満了する事なく、館を出たのはご配慮を足蹴にしてしまったようで少しばかり心苦しい。しかしながら穴が開いて滞るような業務体制ではないし、引き継ぎは既に終えた。私がやることはといえば、メイドを統括させていた子に紅魔館を出る旨を告げることと風呂敷に包んでも膨らみが出ない程度の僅かな私物をまとめることだけだった。
最後に振り返った時、紅魔館はまるで別の何かのように聳えていた。あれだけ生活していたのにもう戻ってこないと思うと館が私には向ける顔は全くの別物だ。旅立ちくらい笑って見送れないものかと思ったが、それはそれで紅魔館らしくないのでやめた。
寄りたい場所も向かいたい土地もなかったが静かにしていたかったので宛もなく歩いて、日が落ちた時に火を焚いた。
ゆらゆら揺れる火を見て、ここに至って私はようやく解雇の理由を考え始めた。私は何が理由で解雇されたのだろうか?お嬢様の気まぐれ?妹様の機嫌を損なった?メイドの子達からの抗議?
色々考えたが無意味さに気づいて早々にやめた。というのも摂理に逆らうのは愚か者のする事だからだ。思うに妖怪は信仰によって成り立っている。現象が人々の信仰によって具現化したものだ。だから曖昧で脆い。だが、妖怪そのものが人々に影響を与えるとなると話は別である。自分を作り出した存在に影響を与えられるのなら、自分で自分を作り替えることができる。それができるのはこの世の創造者のみであるのだから、強大な妖怪、主に吸血鬼や鵺などはもはや摂理と言っていい。そうあって然るべきもので言葉で説明するものでは無い。存在が陳腐では無い。その在り方を受け止めることが説明になるそんな存在だ。だから彼らの行動は是非を考えるのでなく、それに応じた自分の行動を考えることが善である。
焚き火で身を温めながら夜空を仰ぐと目を細めるほどに明るい。星はこんなにも明るかったかと思ったが、それは単純に人の手で作られた魔法の光だった。
「誰かいるのか?」
声をかけてきた人間は逆光でシルエットしか確認できなかったが、特徴的な三角帽子の形が確認できたので誰かを問う必要はなかった。この郷であれをかぶる物好きは一名を除いてちょっと思いつかない。
「魔理沙」
右手に掲げた灯りの光量を絞り、見えた彼女の表情は鳩が豆鉄砲を食ったようと言える。
「咲夜か?何してんだ?こんなところで。」
「ソロキャンよ」
「そろきゃん?…なんだそれ?」
「野山に自分の居場所を作ることを言うらしいわ」
「ここは山じゃなくて丘だが」
「重要なのは私の居場所がここということよ」
「ここ?」
「そう。ここ」
「紅魔館は焚き火になったのか」
「私が浪人になったの」
「クビかよ。なんで?」
「摂理よ」
「は?」
何を言っているんだ、こいつは。という顔する。仕方がない。完全で瀟洒な従者と普通の魔法使いでは理解力に差がある。私は垢抜けているが、魔理沙はネジが抜けている。
「…まあなんにせよ、こんなところで寛ぐもんじゃないぜ」
魔理沙は丘の下を指さした。
「ここいらの植物は魔法の森の瘴気を吸ってる。長居すれば幻覚症状の一つや二つ出てもおかしくない」
「…そうなの。困ったわね」
「何かする予定だったのか?ここで」
「ここを寝床にするつもりだったのだけれど」
「馬鹿かよ」
「失礼ね。私は歴とした人間よ。」
私は馬でも鹿でもない。
「そういう貴方はこんなところで何をしていたの?」
「あぁ?私は魔法の触媒を探しにきたんだよ」
「魔法の森で探せばいいじゃない」
「あらかた探したが良いものが見つからない。この辺りは瘴気そのものが満ちてるわけじゃないから違った生態系だしもっと効率の良いものが見つかると思ってな」
そんな軽装で。危険な地帯と知っていてくるとは。
「頭おかしいんじゃないの?貴方」
「お前に言われたくねえ!」
怒るとは、ユーモアが抜けている。やはり頭のネジが足りないか。
「…ってそんな事はどうでもいいんだよ。」
「よくは無いわよ」
「いいってことにしとけ」
「分かったわ」
ネジが足りないのは仕様らしい。
「とにかくお前もこんなとこにいないで、早いとこ宿でも取れよ」
「…そうね」
「じゃあな」
離れていく魔理沙の背をみて優しいなと思う。態々危険を知らせて、忠告をしてくれる。彼女は言葉遣いこそ乱暴だが、人情味に溢れていると感じる。ひどく人間らしい。孤独な環境に相反する彼女の人間臭さは好ましいところだ。いや、孤独ゆえか。
と思っていたら離れていく背が途中で止まり、溜息をついて大股で戻ってきた。
「あら、忘れ物?」
「お前なぁ、ここで寝るつもりだろ」
「よく分かったわね」
「人の話聞いてなかったのかよ...」
「聞いてたわ」
「だとしたら尚更悪い」
彼女は何か思い違いをしているようだが、私は一晩中ここで寝るわけでは無い。一瞬だけだ。その一瞬を限界まで引き伸ばして、休息する。だから問題ない。一瞬ですら危険なら、ここにいること自体が既に手遅れだろう。
「人里で宿でも取れよ」
「逢う魔が時に、里が外部の人間を入れるかしら」
「…丘を降りてすぐ魔法の森がある。入ってしばらくすると家庭菜園拵えた立派なコテージが見えてくるはずだ。そこの主人はお節介大好きだから、事情を言えば泊めてもらえる」
「こんな時間にお邪魔するなんて失礼じゃない?」
「大丈夫だ。都会派の懐は広い。」
「すごいわね。都会派」
「すごいんだよ。人形ばかりなのは玉に瑕だがな」
「じゃあ、ダメね」
「はあ?なんでだよ?」
私にそっくりだからよ。あの無感情な目が責め立ててくるのよ。
「なんでもよ」
「お前なぁ」
「ありがとね」
「は?」
「心配してくれて」
「....ちげーよ。昨晩会った知り合いが骨だけになってたら寝覚めが悪いだろ」
「まぁ、なんとかするわよ」
この世界に居場所などない。それはどんな人間であっても同じだ。みな今の自分がいる場所が永遠であると錯覚しているだけで、私はそれから目が覚めただけだ。
「....分かったよ。こーさんだ。こーさん」
「降参?何がかしら?」
「お前の頑固さにだよ。」
私は頑固ではなく、洗練されているのだ。
「うちに来い。泊めてやるよ。ボロ小屋だけどな」
「そう?ありがとう」
「随分素直だな?」
「気遣う必要がないのよ、魔理沙だし」
「失礼がすぎる....」
「それに....」
嬉しかったのよ。
「.......それに、なんだよ?」
「貴方こそなんでここまでするのよ。こう言ってはなんだけど、他人の家の女でしょ?」
「言い方」
「事実じゃない?」
「ナンパじゃない。慈善事業だ。」
言い方。
「お前みたいな奴をな、昔見たことあるんだよ。だからだ。私がいい奴なわけじゃない」
「私みたいな奴?」
「捨てられた子犬みたいな奴だよ」
咲夜さんは天然。