episode 8
“美鈴さんは本当によく気がつきますね”
似たようなことを本当によく言われる。
「ありがとう。助かったわ」
お嬢様の機嫌を陰で伝えればお付きに言われ。
「察すれば美徳よね」
読書をしている魔法使いに書置きをすれば言われ。
「あなたは退屈しないわ」
地下に籠りがちの吸血鬼をあやせばこう言われ。
近しい者にも、初めて会う者にも、大概似たようなことを言われる。
その言葉には尊敬、安堵、自虐等々が含まれるが、残念なことに私の胸に喜びをもたらしてくれたことはない。もたらされるものは常に疑問だ。
メイド長にお嬢様の機嫌の如何を伝えるのは彼女が時折主人の意向を曲解しており、それは主人の不興を買うから。図書館に書置きを置いていくのは、あの魔法使いは読書を中断されることを何より嫌うから。地下の吸血鬼をあやすのは他の従者が接すると大方彼女の気分を害するからである。
私は不思議で仕方がない。なぜ他人の機嫌を損なうような無意味なことを皆平然と行うのだろう。目の前にある小石に気付いたら転ばぬように避けて通るのは当然である。肉食獣のうろつく森には入らない。暴れる馬は宥めて落ち着かせる。他人の機嫌が悪くなる要因を排除するのもその一環でしかない。何事にも流れというものがあり、それに沿って動かなければ進まないのが世の常だ。感情的になった者には理性が働かない。それは意志疎通の断絶であり、その者に何かしらの影響を与えようとするのは流れに逆流することである。目的地が目の前にあっても、その間に川の激流が走っているのならそこには大きな壁があるのだ。目先に惑わされて足を進め、川の奔流に体を奪われてから、川があることに激怒する。極めて愚かしいことこの上ない。
「そうは思いませんか?」
「それは用向きを伝えに来た主人を差し置いて話すことなのか?」
我が悪魔の館の主人、小さき悪魔に伝えてみる。
「差し置くなんてとんでもない。私が独り言を垂れていたらお嬢様がいらっしゃったのです」
「主を目にした途端に貴様は独り言を垂れるのか」
「挨拶をするのは礼儀です」
「無知無教養を晒す振る舞いは礼儀ではない」
「モノローグは挨拶みたいなものでしょう」
「紙の上ではな。私たちは地の上に立っている」
昼間であるのに珍しく紅魔館の門前へと足を運んだお嬢様はこれまた珍しくお一人で日傘を持たれていた。
うーん…。
「私はいつ寝てればよいでしょう?」
「今日はそっちじゃない」
「おや」
逢引の手引きではないのか。うら若い少女が我が館の門をびくびくと通り過ぎる気配を感じながら寝たふりをするのは妙な感覚がするものでどうにもなれない。
「ふむ…。少しは弄りがいが出来てきたんじゃないか?お前も」
「それは上々です。ですがお嬢様の目的とは異なるのでは?」
おそらくお嬢様、レミリア・スカーレットは館の潤滑油、住民同士の緩衝材としての役割を私に所望している。私は実務を担うべきであって愛玩動物は他にいる。
「それが面白いんだろうが。何事も目的通りにいったらおままごとだよ」
主人は愉快そうに笑っていた。
「それで?意味が分からないんだったか?」
「あ、乗ってくれるんですね」
「部下の悩み事を聞けんような狭量ではないからな」
お嬢様はゆっくりと歩いて私の前で優雅にターンした。はたから見ればお子様が遊んでいるようだが、その瞳を見れば大半の人間は凍り付くだろうな。それぐらい主人の瞳には力がある。
「結論をいうとだな。お前が他人に対してまったく興味を持っていないからだよ」
「はぁ。興味ですか」
「ああ。そうだとも。“他人の機嫌に気が付かない”というのはだな、期待の裏返しに他ならない」
期待ねぇ。
「お前の言う通り、道端に石ころが転がっていれば誰だってよけるだろう。だが相手が人間であるとき、大抵の人間はまず期待をするんだよ。彼ならばこうしてくれる。彼女ならばああしてくれる。そのフィルターの下で行動を組み立てる。だからその予測が外れると裏切られた気がして怒るんだな」
「自分勝手ですねぇ」
「馬鹿を言うな。これは愛嬌と言うんだ」
お嬢様は器が大きすぎて全く理解できない。
「つまるところ、期待によって現実と理想にずれが生じるわけだ。そのずれが大きくなった結果、盲目になるし、感情的になるわけだが」
人差し指を私に向けた。
「お前にはそれがない」
「そうでしょうか?」
「期待していないから、相手の行動を正確に測れる。他人対して何かをしてほしいという願望がないからよく気が付く。岡目八目だったか?この国の言葉では」
岡目八目。物事は当事者ではなく、第三者が見たほうが良し悪しを正確に理解できるという諺だったと思う。
「どうでもいい物の方が上手くいくし、よく分かる。現実をそのままのスケールで意識に落とし込むことができるからな。要するに…」
彼女は悪魔的な笑みを浮かべて、蔑むように言った。
「お前はこの館の誰にも興味がないんだよ」
「……そうですかねぇ」
お嬢様は私の言葉を聞いて溜息を吐いた。
「つまらんやつだな。動揺しろよ」
「例えば、どんな風でしょう?」
「“そ、そんなことありませんよ!私は紅魔館の皆を家族のように思っています!”とか」
迫真の演技だ。迫真に迫り過ぎて両手を使ってしまっている。つまり日傘が役割を果たしていない。
ああ。主人の髪から煙が出ている。日光よ、自重しろ。
「…そんなこと、私が言うと思います?」
「全く思わん」
「でしょう?」
自信満々に言わないでほしい。
「大体私がそんなこと言ったら、お嬢様は私を殺すでしょう」
「だろうな」
つまり殺すための誘導尋問か。
「貴様が聞いてきたから答えただけだ。どうでもいいからうまく扱える。お前には分かるだろう」
「そうですねぇ」
彼女の弁を聞けばそういうことになる。お嬢様がそうだと仰るのならばそういうことなのだろう。
「そういえばお嬢様の用向きって何です?」
彼女は呆れた表情を浮かべた。
「遅い。聞くのが遅すぎる。そもそも私が来ずともお前が参上すべきだ」
「私は門番ですからね。客人が現れてから御用を拝聴するのが仕事ですよ」
「駄目だ。時間を止めてでも私の足元で頭を垂れろ」
「無茶苦茶言いますね」
「道理を説いてるんだ」
何をおっしゃっているのやら。
「しばらく夜は中だ」
「へ?」
唐突だな。
「館の中ですか?私がやることあります?」
おそらく私とメイドが十人束になって仕事に取り掛かるより、メイド長一人のほうが正確で迅速な仕事が可能だ。私が入る余地は現状皆無。彼女の仕事を増やしたいなら別だが。
「あるぞ。大量にな」
「メイド長は体調でも崩されたので?」
「あいつはクビにした」
「ああ。そうですか」
いつかやるとは思っていた。
私の表情が気に入らないのか、お嬢様は鼻を鳴らして私のそばを通り過ぎた。
「今日の晩からだ」
それだけ言うと門をくぐって館へと戻っていった。
また今日もえらく突然だった。メイド長が不在かぁ。しばらくお嬢様の機嫌は下降の一途をたどるだろうな。自覚してやっているのなら質が悪い。
少し頭を悩ませたが、すぐにやめた。悩めば悩むほどお嬢様を楽しませるだけだ。従者としては正しいだろうが、意味があるかは疑わしい。日が落ちてきたら館の中に入るとしよう。
──どうでもいいからうまく扱える。お前には分かるだろ?
そうおっしゃったお嬢様の表情は蔑みに似ていたが自嘲的でもあった。どうでもいいからうまく扱える。それが事実ならこの館を滞りなく回すお嬢様はどうなのだろうか。彼女は従者も、館も、財産もすべてをうまく扱っているように見えるけれど。それは、この館の全てをどうでも良いと思っていると言い換えることもできるわけで…
「ああ。うまく扱えていないものが一つあったか」
地下に籠るあの少女。
お嬢様が上手く扱えていない唯一のもの。
「つまりこれは、愛情表現なのかな………?」
自分の妹と最も密にコミュニケーションをとる従者に自分の価値の優先順位を伝える。それは妹に“よろしく言っといてくれ”という主人なりのお願い………か?
「うーん………これは酷い」
言われた以上伝えないわけにもいくまいが、あの子は姉の話題が出ると機嫌を損ねる。八目先で私の左腕が吹っ飛ぶな、これは。
岡目八目とはよく言ったものだ。
でも美鈴は優しいと思います。