「ねえ!魔理沙!」
「なんだぁ!」
「これ!本当に大丈夫なの!」
「わからん!」
私たちは魔理沙の箒に乗って、妖怪の山の上空を飛んでいた。山の上空はあまりに強い風で少しでも気を抜けば体を飛ばされそうになる。私は安全のために腰に縄を巻き付けて魔理沙の体とつなげている。のだが……
「箒ごと飛ばされそうじゃない⁉」
「人を乗せてこの辺りを飛ぶのは初めてなんだ!しっかり捕まっとけ!」
風が強すぎてゴーグルがなければ目も開けられないだろう。この強風は妖怪の山に近づいてから始まった。魔理沙によると、この風は天狗たちが張っている結界らしい。風の結界を設け、上空を飛ぶものが不用意に山に入ってこないようにしているのだとか。翼をもつ烏天狗のような天狗達はこのような強風に煽られても平気で飛べるのだからどうかしている。
「咲夜!そろそろ結界を抜けるぞ!振り飛ばされるなよ!」
「ええ!」
一際強い風が吹いた。その直後いきなり圧力が抜ける。風がなくなったせいだろう。体勢を崩しそうになり、慌てて彼女の体に抱きつく。
「抜けたぞ、咲夜。ここが妖怪の山だ」
魔理沙に言われてあたりを見渡す。そこには予想だにしない光景が広がっていた。
「ここが…?」
木々や崖から飛び出してきたような家屋が多数存在し、黒い線のようなものが木々を渡してつなげられている。斜面を上ると切り立った断崖と大きな滝があり、そこの断崖から非常に大きな木の葉のような物体が飛び出ていた。滝の上には一際大きな屋根が見えており、
上った先に大きな建造物があるのが推測できる。斜面の一部は木が伐採されていて球体場の建設物もある。烏天狗たちはそこら中を飛び回り、ところどころに貼ってある書面のようなものを見たり、木の上の小さな足場に立って話をしたり、何かを運んだりしていた。
「外見と全然違うじゃない。遠くから見たときはただの大きな山だったのに」
結界に入る前は青々とした山だったが、こんな建造物も飛び回る烏天狗たちもなにもなかったはずだ。
「あの結界は視覚を誤魔化す術が使われているんだとよ。私も初めて入った時は驚いたぜ」
「何で隠すのかしら?」
「情報の価値をわかってるんだ、あいつらは」
天狗の集落なんて初めて見たが、人里とは根本的な設計思想が違う。何のための建物かわからない建造物が多数あるし、そもそも入り口が見当たらないものの方が多い。別世界だ、ここは。
「世界に迷った気分だわ」
「迷うほどに世界は奥深くなる。幻想郷は広いだろ」
「全くね」
全方位が無知で囲まれるというのはなかなかに清々しい。魔理沙が嬉々としてこの郷を飛び回る理由が少し理解できた。
「この先に進むには天狗の付き添いが必要だが、約束の時間まではまだある。先に河童の谷に行くぞ」
「ええ」
「はて?魔理沙さんだけを呼んだつもりだったのですがね」
烏天狗は遠ざかっていく魔法使いを見て首をかしげる。
「これは……面白いことになりそうですねぇ」
谷の上空を飛行する。下には勢いの強い川が大きな音を立てながら流れている。河童はここまで激しい流れでも泳げるものなのだろうか。
疑問を覚えつつ座る姿勢を調整する。ずっと座って移動するのはお尻が痛くなってくると学んだ。
「河童の集落は川の上流のあの滝なんでしょ?一直線にいけないの?」
「基本的に結界の中は天狗の縄張りなんだ。好き勝手に動き回ったら面倒なことになる」
「ここは大丈夫なの?」
「山の河川は河童の縄張りだから天狗たちは何も言ってこない。河童には許可をもらってるから問題ないぜ」
「面倒なのね。世界が変わってもやってることは人間と大して変わらないわ」
「共存を諦めない姿勢だよ。血を流すよりよっぽどいいじゃねえか」
「関係が対等って条件があればね」
誰かと誰かが交われば優位性は必ず生まれるものだ。少なくとも外の世界はそうであった。
「まあな」
そうこう言っているうちに大きな滝の足元まで着いた。紅魔館の前門を軽く超える幅だ。紅魔館すらも飲み込んでしまえるかもしれない。
「谷を越えてしまったけど、河童の住処はどこにあるの?」
「この滝の中にある」
滝の中。言われて滝を見るが、落ちてくる水量が多すぎて滝の中になんて入れたものじゃない。無防備に突っ込めばおそらく首の骨が折れる。
「正規の入り口は滝の上の川底らしいがな」
魔理沙が手元で何かをいじる。暫くすると何かが滝の足元から上がってきた。
河童だ。河童が激流のなかを滝登りしている。私たちが飛んでいる高さまで登ってくるとこちらを見上げた。
「よろしく頼むぜー!」
魔理沙の叫び声に頷いた河童は滝の中に潜って消えた。暫くすると滝の水がわずかに動いていき奥の壁面が露出し始めた。三十秒ほどで水が二股に分かれて、人の肩幅程の空間ができた。奥の壁面には小さな空洞が見えている。
「これ、どうやってるの?」
「滅茶苦茶強力な磁石を使うと水が離れていくらしい。その原理を使って滝を分けてるって、にとりは言っていたが私にもよく分からん」
再び顔を出した河童が手招きをした。入れ、ということらしい。魔理沙はゆっくりと箒を進めていき、空洞に到達したところで私たちは箒から降りた。
「後ろに下がらないように」
そういわれた瞬間、私たちが入った空間が閉じた。壁面が隠し扉のようになっていたのか。すぐに足元が揺れ、体が軽くなったような感覚に襲われる。ただ真っ暗で何も見えない。
「私達を乗せた籠が下りてるだけだ」
降りてるだけと言われても、そもそも人を乗せて垂直方向に移動する籠など聞いたこともない。しばらく内臓が浮く感覚を感じていると物々しい音が聞こえた。浮遊感がなくなったと思ったら、目の前が急に明るくなった。反射的に手をかざす。明るさに慣れてきて見えたのは大量のパイプだった。パイプが大量に並んでいる。滝の中の洞窟なのだろうか。補強された洞窟の壁面にパイプがびっしり並んで繋がっている。
「これは、また別世界ね…」
「滝の内側に高炉がすっぽり収まってるからな。こうもなる」
前に言ってた鉄を作る炉だったか。ここまで大掛かりなものなのか。
視線を下すと洞窟の内部が妙に明るい理由が分かった。水が発光している。壁は見えない高さまでひたすらパイプがつながっているが、下は湖のようになっている。洞窟の中の湖でいくらかの河童たちが泳いでおり、水につかったパイプのバルブを閉めたり、水から顔を出して、壁面の河童に指示を出している者もいる。湖にはいくらかのアーチと大きな円状の足場が組まれており、そこを移動している河童もいる。よく見ればパイプに垂直に立っている者もいた。
ただ先程妖怪の山に入った時のような高揚感がない。洞窟の中だから閉塞感があるせいか?……違う。河童達の表情だ。天狗達と違って顔に生気がない。
「ようこそいらっしゃいました。霧雨さん」
少し歩くと河童に声をかけられた。全体的な線が丸く、声も柔らかなのでおそらく女性だと思う。
魔理沙は彼女を見て帽子を取り、頭を下げた。彼女がそうするということはこの河童はそれなりの立場にいるのだろう。私も魔理沙に倣って頭を下げた。
「ご無沙汰しています。族長」
女性が族長なのか。てっきり初老の男性を思い浮かべていた。
「頭を上げてください。霧雨さん。お世話になっている方に頭を下げられては私どもの品性が疑われてしまいます」
「それでは失礼して」
魔理沙が頭を上げたので私もそれに倣う。改めて女性を見ると成長した河童だった。背や腕が鱗で覆われていて、手足には水かきがある。肌が露出したお腹や胸には貴金属をまとった衣装を身につけており、素肌が見えるのは顔だけである。身につけた衣装でもわかるが、のぞかせる表情は凛としており彼女の顔を見るだけでなるほど族長だと納得できた。この辺りはお嬢様に似ている。長になるものには共通した覚悟があるのだろうと私は思っている。
「最近はいらっしゃいませんでしたね。天狗様のご命令ですか?」
「勘弁してください」
「冗談ですよ。商人とはそういうものですもの」
女性は綺麗な笑みを浮かべる。そしてこちらに目を向けた。
「霧雨さん?こちらの方は?」
「お伝えせずに連れてきてしまったこと、謝罪致します。何分連絡を取るのも一苦労ですので」
「いえ。構いませんよ」
「お言葉に甘えさせて頂きます。彼女の名前は十六夜咲夜と申します。訳あって今は私の店で雇っております。今日は顔見せのために連れて参りました」
「貴方が、あの」
族長と呼ばれた女性は手を口に当て、品よく驚いた。
…あの?まさか河童の族長にまで妙な噂が広まっているのではあるまいな。
「お初にお目にかかります。十六夜咲夜と申します。霧雨魔法店に勤めております。以後お見知りおきを」
「初めまして。私はこの谷河童たちの族長を務めております、河城はこ、と申します」
手を差し出されたので、意を受け取る。触れた彼女の手は非常に冷たかった。
「お噂はかねがね伺っておりますよ」
「え、えぇ。ありがとうございます」
何の噂を伺っているのですかと問い詰めたい。
「まさか紅魔の懐刀と言われる彼女を引き入れるなんて、よくスカーレット卿が承諾しましたね。相変わらず油断できません」
魔理沙は愛想笑いを浮かべた。
「成り行きですよ。私が何かしたわけではありません」
「そういうことにしておきましょう」
本当に紛れもなくただの成り行きです。
「応接間にご案内いたします」
族長は湖に架けられたアーチを歩いていくので私達は彼女の背に付いて行く。
それにしても客を案内するのは部下のやる仕事ではないのだろうか。一族の族長が態々やる必要はない気がするが、魔理沙はそれだけの客なのだろうか?
隣に目を見やる。
魔理沙ちょくちはょくあたりを観察している。私の疑問は汲み取ってもらえそうにない。
「全然河童がいませんね」
魔理沙が周りを見ながら言う。
「お恥ずかしながら木の葉畑の施工にほとんどの人員を持っていかれまして、残った人手は高炉の管理にいっぱいいっぱいな状態です」
「あの計画じゃそうもなるでしょう」
「手の空いている者が私しかいませんから、対応にご無礼があっても平にご容赦を」
「御冗談を。私どもが必要以上に恐縮してしまう以外は何もありません」
「うふふ。ほかの者の目もありませんからいつものようにして頂いて構いませんよ」
「そうか?そりゃ有難い。やっぱ堅苦しいのは疲れるわー」
いきなり失礼な口調に戻った。
今のは社交辞令でしょう。真に受ける奴があるか。
「魔理沙」
「いいんですよ」
族長はにこやかに笑う。
「この方が彼女は自然です。そもそも数が多いから立場を作るのであって、示しをつける相手がいなければ形式を守る必要もありません」
「…そうおっしゃるのであれば」
彼女は私の言いようをみてまた笑った。
「うふふ。十六夜さんは真面目でいらっしゃるのね」
「要領は良い方だと自負しておりますわ」
「私が言っているのは心の方です」
心?それこそ単純であると思うけれど。
歩いていくとアーチとアーチの間の円形の足場に来た。そこには中央に机といすが置いてあった。
「どうぞ、おかけください」
彼女はそこの椅子を指してそう言った。
応接…間?間というより広場だ。私の訝しそうな視線に気づいた魔理沙が小声でささやいた。
「河童には壁で空間を区切った“部屋”って概念がない。水の中で多くの時間を過ごしてきたからだと思うがな」
「そうなの」
「あとあんまり表情には出すな。族長はおおらかだが、細かいことにいちゃもんつけてくる奴もいる」
「…気を付けるわ」
何を話しているかおおよそ見当がつくのか族長の表情は苦笑いであった。
「急ごしらえの場所で申し訳ありません」
「重要なのはあんたと話ができるかだぜ」
魔理沙がいすに腰掛けたので私も一礼して着席する。
「さっそく本題に入らせてもらうが、今どうなってる?」
「先ほども申し上げた通り、木の葉畑の施工に人員の八割を割いています」
「八割?多すぎないか?多くても五割で事足りるはずだろ」
「それなのですが…」
木の葉畑?
族長は私の表情を見て、魔理沙に質問した。
「霧雨さん。十六夜さんはこちらの現状をご存知でしょうか?」
「いや、何も知らない。何分呼ばれたのが急だったもんでな」
「海姫様のことですからね…」
また新しい単語。海姫。
「十六夜さんともこれから長い付き合いになるでしょうから、説明しておきましょう」
「そうして頂けるとありがたいですわ」
状況が分からなければ考えようがない。
「大まかに説明いたします。妖怪の山は今、実質的に天狗が管理しています。最高位に天魔様が有らせられ、その下に幹部である大天狗様がいらっしゃいます。大天狗様の下に烏天狗や女天狗、白狼天狗が集い、その中で優秀なものは傘下である河童や山童などの他種族を管理する権限が与えられるという形になっています」
統領が天魔、幹部が大天狗、平の烏天狗、白狼天狗。河童はさらに下の下っ端扱いということか。
「組織図としては分かりやすいわね」
「細かく言えば色々ありますが、話が進まないので省略いたします」
頷き返す。重要なのは山がどう管理されているかではなく、私たちがなぜ来たかだ。
「昨今天狗の組織内で大規模な人事異動があったらしく、それに伴って我々にも新たな命令が下りました」
「命令?」
「はい。それが木の葉畑の建設です。十六夜さんは妖怪の山にどうやっていらっしゃいましたか?」
「魔理沙の箒の後ろに」
「でしたらご覧になったかもしれません。我々が拠点とするこの滝がある絶壁、その壁面に大きな葉のような建造物がありませんでしたか?」
葉のような建造物?…あった。滝に近づいたときは圧倒されて見渡さなかったが、最初に妖怪の山の内部に入った時、それらしきものが滝の近くにあるのを見た。
「たしかにあったわ」
「それが木の葉畑です。あの葉のような建造物の上に畑を作ります。我々を三年以内に三十棟建設しろと命令されています」
三十棟?
「遠目から確認しただけだから言い切れないのだけど、その木の葉畑、相当な大きさじゃなかったかしら?」
「そうですね…面積で言うならば人里で個人が管理している畑の四倍はあると思います」
「そうよね。それを一年で十棟というのは厳しすぎないかしら」
「…非常に厳しいと言わざるを得ないのが現状です。我々の腕はある程度伸びますし、特殊な靴もありますから高所での作業は問題ありません。しかし水を離れての施工ですので、皆に長時間労働させるわけにも参りません」
河童は頭の皿が乾くと絶命すると聞く。
「交代制で人員を配置することになりますが、そうすると建材である鉄骨を作るための製鉄が回らないのです。高炉を動かすにはそれなりの人手と知識が必要ですが、今は建造に掛かりきりですので」
「それで建造の人員をぎりぎりまで減らした結果、製鉄人員も建造人員も疲弊していると」
「お恥ずかしながら…」
「工期を伸ばしてもらうわけにはいかないのかしら?」
「事情はお伝えしたのですが、新しく就いた方にはご理解頂けないのです」
苦しそうに呟く族長。いくら河童の頭数が多くても、あんなもの、一年で二、三棟作れと言われたって厳しいはずだ。もちろん人里で家などを建てる際の建築期間をベースに考えているし、河童の技術も分からないからそれなりの誤差はあるだろうけど、それにしたって無茶ぶりが過ぎる。
「そもそもなぜ畑なの?妖怪に物質的な食事は必要ないでしょう?貴方たちがやっているような工業にでも使うの?」
「いえ、食用の穀物や野菜を育てると聞いております」
いよいよもって意味不明だ。無茶な日程で工事をさせ、部下を必要以上に憔悴さえ、挙句の果てに目的が不透明。こんなマネジメント、お嬢様が耳にされたら呆れかえるわね。
「天狗は馬鹿なの?」
「いえ、そんな…天魔様は聡明であらせられます」
他は信用できないと。
「その命令、無視するわけには」
「…」
「いかないわよね」
今の彼女の表情を見て、気軽なことを言えるほど無神経ではない。
「われわれ河童は力の弱い種族ですから、お山の社会からはじき出されたら皆でまとまって暮らせるかも怪しいのです」
彼女は悔しそうに唇をかんでいた。
「まるで嫌がらせね」
穴を掘らせ、掘った穴を埋めるという作業永遠と繰り返させる罰が外の世界にはあったが天狗が命じる作業はそれに似ている。
「奴らの目的は分かるがなぁ」
頭の後ろに手を組んだ魔理沙が呟いた。
「まぁ、いいや。はこさん、取り敢えず当面の問題解決はできそうだぜ」
河城さんの目を見開く。
「本当ですか⁉」
「ああ」
魔理沙は三角帽子の中に手をつっこみ、密封された白い粉末と黒い箱のようなものを取り出した。
「この粉末は高吸水性ポリマーで、こっちの箱は鉛蓄電池っていう」
「これは、いったい…?」
「簡単に説明するぞ。この粉末は体積の五十倍の水を吸収する。この黒い箱は長時間電気を使用できるし、使い終わっても電気を込めれば再利用できる」
河城さんの顔色が目に見えて変わる。そもそも河童だから血色は悪いけれど。
「この粉を頭の皿にかけて、水をぶっかけてやればそれなりの時間は乾燥しないだろ。それにこの箱があれば、電磁石のブーツも長時間利用できる。木の葉畑の裏側の作業ももっとスムーズになるはずだ」
「数はどのくらいありますか?」
「そんなにはない。箱が三十個と粉が一貫ぐらいだ。製造工程が複雑すぎてな。大分時間はかけたがあまり作れなかった」
河城さんはほっと息を吐いた。
「ありがとうございます。霧雨さん。これでしばらくは大丈夫だと思います」
「お礼はにとりに言ってやれ。こいつの設計も理論も全部あいつが組み立てたものだ。私はその通りにやっただけ。やっぱりにとりは天才だよ」
その言葉に河城さんは目を見開いた。。
「あの子は…元気ですか…?」
「心配すんな。たまに私の店に来て、暴れまわるくらいには元気だよ」
「そう、ですか………良かった」
彼女は疲れを残した笑みを浮かべゆっくりと息を吐いた。
にとり。私を襲った河童。あいつは河童の族長の娘だと魔理沙は言っていた。だから彼女の娘ということになるのだろうけど、会ってはいけないかのような、罪悪感を感じているようなそんな言い草だった。
どうにもおかしい。山に入ってきてから覚えていた妙な違和感が大きくなった。
ただ彼女の前でその話題を話すわけにもいかず、私は魔理沙が持ってきてものについて尋ねた。
「もしかして炉に掛かりきりだったのってあれのせいなの?」
「ん?ああ。あれな。そうだぜ。鉛なんて精錬する方法すら知らなかったからずいぶん苦労したよ」
魔理沙は溜息を吐いた。
「高温で銅とか銀とか、ビスマスとか色んなもの取り除かなくちゃいけないしよ。温度も三百五十度とか七百度とか細かい調整必要だし、複製八卦炉がでかくなる分、温度とか圧力を調整できるようにしとこうなんて思った過去の自分を褒めてやりたいよ。いや、待て。あの機能付けようって最初に言いだしたのにとりだったような…。あいつまさかこれを私にやらせるためにそうしたのか?んなわけないか」
「まぁ、貴方の苦労話はどうでもいいのだけど」
「ひでぇー」
「多々良先生の機嫌が悪かったものそれ?」
「多分な。あいつも純度の高い鉛を加工するなんてやったことなかったんじゃないか?あの日は四徹目って言ってたぞ。目が大分イッちまってたから笑えたな」
ふーん。そういうこと。
「魔理沙」
首元をつかんでこちらに近づける。
「な、なんだ?」
「そういうことがあるなら私にも言いなさい。協力できることは山ほどあるわ」
「咲夜には人里周りを頼んどいたろ。あれがなかったら私も三日も炉に掛かりきりなんてできなかったよ」
「それも含めてよ。それも含めて私にはできる能力があるのだから、もっと頼りなさい」
「お、おう。次からそうする…」
「よろしい」
彼女を離す。これでちょっとだけすっとした。
視線を河城さんに戻すと彼女は私達を見て、微笑んでいた。目が赤い。
「仲がよろしいのですね。お二人は」
二人で顔を見合わせる。
「友人なので」
どっちが答えたのかわからなかった。
河城さんはやはり少し笑った。
「十六夜さん、もしにとりに会ったらぜひ仲良くしてやって下さい」
「もちろんです」
「うふふ。よかった」
魔理沙が白い目で見ているのが分かる。いや、これは捉え方の問題である。十字固めもコーヒーを股間に垂らすのも普通の関係では行わない。あの河童と私は既に普通ではない関係にステップアップしているのだ。これはある種仲良くなったと言ってもいい。お嬢様曰く高次元の戦いのなかでは、相手の考えがまるで見えるかのように理解できることがあるらしい。つまりあのじゃれあいはそういう類のもので間違いない。
「霧雨さん。お支払いの薬品は既に下に保管してあります。管理の者の背に乗って湖を渡り、薬品庫まで行ってください」
河城さんの言葉に魔理沙は頷く。彼女の目にふざけた色が消える。
「取り扱いについていくつか伝えておくよ。あの黒い箱、中の液体は河童も天狗も、もちろん人間にも有害なものが入っているから絶対に破損させないでくれ。万が一破損して中の溶液がかかったらすぐに水で洗ってくれ」
「分かりました」
「あと水の中にも入れないでくれよ。あくまで使うのは木の葉畑の作業の時だけだ」
「はい。承知しました」
「詳しい注意事項は箇条書きにして書いたからこれを呼んでくれ」
帽子の中から冊子のようなものを取り出して魔理沙は河城さんに渡した。
「何から何までありがとうございます」
「私も貰うものは貰ってるから。いいよ、そういうのは」
魔理沙が椅子から立ち上がった。出発時間なのだろう。
「最後に一つだけ」
「何でしょうか」
「これはあくまで対症療法だ。根本的な解決にはなっていないからな。それを忘れないでくれ」
「…もちろん、承知しています」
§
部下の背に乗って去っていく二人の若者の背を追う。
十六夜咲夜。まだ分からないけれど、少なくとも噂通りの人間ではなさそうだった。霧雨さんや十六夜さんのような人があの子の傍にいてくれたら、あの子の力になってくれると思う。
「私は…何をやっているのかしらね…」
自分と年がかけ離れた若者に助けられ、状況は何一つ改善できず、それどころか見放した娘にまで助力をさせて、やっと皆の生活を保障する毎日。無様だ。半端な覚悟のせいで、私はたった一つの宝を失ったというのに。結局どちらも守れていない。
「ごめんね…にとり」
本当は天狗の家とか河童の食事とか、異文化コミュニケーション滅茶苦茶楽しんでたのにストーリーに絡まないせいですべてカットする羽目になった。許せん。
というかにとりさん、天才過ぎません?