咲夜が出てから二時間ほど経った。あいつはまだ帰ってきていない。
「遅い」
咲夜なら例えコンディションが悪くても三十分もしないうちに帰ってきそうなものだ。
どうせ、表情を変えずに“待たせたわね”とか言って帰ってきて、抱えた天狗をまるで捕まえた魚のように放り出すに違いない。なのにもう二時間帰ってこない。自然と足が揺れる。
仕分けしている木版に書かれた内容は全く頭に入ってこなかった。
「大丈夫ですよ」
隣のはこさんも木版の仕分けを行っていたが、私の振舞いを見かねたのか手を止めて言った。
「なんせ十六夜さんは博麗であり、稗田であり、八雲様の式でもあるのでしょう?心配する要素がありません」
「あー、あれか」
“立てば博麗、座れば稗田、歩く姿は八雲藍”とか言う。文が言っていた。
「聞く限りじゃただの化け物だよな」
「ただの噂というわけでもなさそうですが」
本人は覚えがないと言っていたが、あれは認識の問題であると思う。レミリアの命令はこなして当然のものだったから、それがどんな高位の妖怪を相手にすることであれ、咲夜にとっては特筆することじゃなかった。そういうことだろう。
レミリアの性格からして命蓮寺あたりには喧嘩売っているんじゃないか。咲夜が自覚していないだけで。
「でも言い出した奴は多分、嫌味のつもりで言ったんだろうな」
「嫌味、ですか…?」
「うん」
博麗、稗田、八雲の式。それを戦闘能力、知恵、そして忠誠心、全てを兼ね備えているという表現と捉えてもいいだろう。誰もが欲しがる要素で、とても有用な人材になっている。
でもそれは使う側の存在にとってはだ。命令すれば何でもできる便利な道具。そう言っているように私には聞こえた。
「でもあいつの場合“私の忠誠心をあんな狐と等価にしないでほしいわね。私の忠誠は石ころより小っちゃいわ”とか言いそうだけど」
はこさんが吹いた。おお、初めて見た。周りの河童達も驚いたように見つめている。
「そ、そこは忠誠心の大きさで張り合うところではないのですか?」
「あいつはそんなことはしない。続きはこうだ。“密度が違うのよ。石ころサイズの忠誠に負ける狐。哀れね”」
「ええっと」
「つまり、お前のは見た目がでかい割に中身が伴っていない、そう言っているわけだ」
「アグレッシブですね…」
「自分を高く上げるだけじゃなくて、相手をこき下ろすところがミソだな」
キレッキレだからな。
「そんな品性のない返しはしないわ」
あ?
「哀れね、の一言で十分よ」
いつのまにか咲夜が立っていた。椛を左肩に抱えている。
「待たせたわね」
予想通り、椛を床に放り投げて、咲夜はそう言った。
「十六夜さん!」
はこさんが立ち上がる。
「無事でよかった……って血だらけではないですか⁉」
右腕が深くえぐれていた。血が止まっていない。
「その天狗に応急処置の道具を使ってしまって手持ちがなかったのよ。針と糸、頂けるかしら」
「え、ええ!すぐに!」
止血する道具を要求する咲夜はどこか投げやりで、面倒くさそうだったけど、何かすっきりしたような顔でもあった。
「疲れてるな」
「疲れたもの……ああ」
咲夜は何かに気付いたように黒い箱のようなものを取り出した。おい、今どっから出した。
「これ、貴女に渡すよう文屋から頼まれていたのよ。渡すの忘れてたわ」
こちらに差し出す。
「おう」
受け取ろうとして、その薄い箱を掴んだ左手の異変に気付く。
「お前、指、どうした」
白い布が強引に巻き付けられた左手には人差し指が欠けていた。
「油断した」
「…そうか」
「でも、色々捨てられてよかったわ」
咲夜が困ったように笑った。つられて笑う。
「ごめんなさい。魔理沙」
「いや、それを言うのはこっちだ」
多分、色々期待しすぎたのだと思う。
「私、おそらくだけど、あなたのこと、意外と嫌いだったわ」
「…そうかい」
「でも友達だと思う」
「そうか」
変な表情をしやがる。泣いてんのか、笑ってんのかはっきりしろ。福笑いだってそんな顔はしねえよ。
§
包帯でぐるぐる巻きにされている椛を見て、河童の何人かが青ざめる。
「て、天狗相手に切り結んだのか?」
そのうちの一人が私に尋ねた。
「それ以外にどうやって連れてくるの?」
「い、いや、刀持ちだぞ」
「刀を持ってようが、切ってればいつか倒れるわよ」
取って食うわけでもないのだし、そこまで震えないでほしい。
「十六夜伝説に新たな一ページの追加だな」
ふざけたことを言う友人のすねを割と本気で蹴る。
足を抱えて震える魔理沙に河城さんは苦笑いした。
「いずれにせよ、彼女が起きないことには何もできません。待つしかないですね」
そんな暢気なことを言う必要はない。
時間は有限だ。寝坊助の敗者にくれてやる時間は一秒もないのだ。
私は前に進み出て、仰向けに寝ている天狗の腹を思いっきり蹴った。
「おまっ⁉」
魔理沙や周りの河童が目をむく。
ごろごろと床を転がった天狗は、むせるように意識を取り戻した。四つん這いになり、咳き込んでいる。
完璧ね。
「ショートカット」
親指を立てる。
「いやっ、そういう問題か⁉今の⁉」
どいつもこいつも大げさね。
「人間じゃないのだし、死にやしないわよ」
腹を蹴ったからなんだというのだ。妹様に負けるたびにフランベルジュで腹をえぐられてきた私の身にもなれ。
ちなみにフランベルジュというのは刃が波打っている剣のことだ。刀身が揺らめく炎のように見えることから、フランス語の炎を意味するフランブワンにちなんで名付けられた。その刀身は肉を引き裂き、通常の刃よりも止血を困難にするため殺傷能力が高い。
端的に言うと滅茶苦茶痛い。炎で傷口をあぶられているような痛みを伴う。妹様は「炎の刀身なんてレーヴァテインみたいじゃない。それに、私と同じ名が入っている」と使う理由を偉そうに語っていたが、私をいたぶるために使っていただけだ。私を切りつけるたびに愉快に笑っていたから、間違いない。
「な、なんだ……⁉」
天狗が膝をつきながら周りを見渡す。そして自分を囲んでいる河童を見て驚いた。
反射的に刀を握ろうとしたが、腰に刺さっている刀は取り上げた。そこにはない。
ただ、彼女を見る河童たちの視線は、敵意というより同情のほうが近かった。私が蹴とばしたからだろうか。
「よう、椛。災難だったな」
おかしい。私は人間で、そいつは天狗だ。災難なのは私の方だろう。そいつに同情の余地はない。
「霧雨…?」
魔理沙を見て、隣に立っている私にも気づく。
「十六夜っ」
いや、敵意を向けられても困るのだけど。
「貴様、どういうつもりだ?」
……?
「どうもこうも。あの子を助けるためなら、なんでもするんでしょ」
天狗は訝しげに私を見る。あのときは意識がはっきりしていなかったし、覚えていないのかもしれない。覚えていなくても協力させるが。
幸い、記憶には残っていたようで暫くすると苦虫を嚙み潰したように、眉を寄せた。
「何を、させる気だ?」
「天狗の内部、首謀者、河城にとりの周辺、その辺りの情報を全て教えなさい」
天狗の眉間にしわが深く刻まれる。
「私に天狗を裏切れというのか?」
「そうなるかもしれないわね」
「ふざけるな!」
天狗が吠えた。
「私の立場には責任があるのだ!」
責任、ねえ。
私は吠えている犬に近づき、首元を掴んだ。
「責任だ、立場だって喚いて今になったんでしょうが。そんなものは貴女が負わなくなれば、誰かが勝手に背負うわよ。」
「何だと⁉」
「それが貴女たちの社会でしょ」
誰が消えても変わりがいるから、貴方たちは他者を粗末に扱えるんだわ。
「それは無責任と…」
「他人に対してどう責任を負うの?お金?立場?それで責任が負えてると?そんなものは思い上がりよ」
賠償、保障、それで納得するのなら責任がどうこう騒ぐなというものだ。
「起こった物事はなかったことにできない。その癖、他人に対して責任を負う?そちらの方がよっぽど無責任じゃない」
結局のところ自分の責任は自分にしか負えない。他人の責任を負う負わせるというのは机上の空論だ。
「だから、まあ、そんな吸血鬼に捨てられたメイドの価値ぐらいしかない矮小な価値観より優先すべき事があるのではないの、ってそういう話よ」
盲目になっていた点では私も同じだ。それが良い悪いはどうでもいいが、価値が皆無であることは疑いようのない事実だと、私もこいつもいい加減学ぶべきだ。
天狗の首元を放す。左右の眉が戦っているのかと思うほど、苦々しい表情が続いた。
「…………私は何をすればいい?」
そうこなくちゃね。
§
「にとりが意識不明⁉」
犬走の口から離された言葉は私達の雲行きを怪しくした。
一族の娘がただならぬ状態に置かれていると聞いて、河城さんは言うまでもなく、集まった河童たちの空気が険悪になる。
魔理沙が天狗に詰め寄る。
「どういうことだ?」
「にとりは襲撃の爆発に巻き込まれた」
河城さんの顔色に気付いた河童の一人が慌てて口を開く。
「お嬢の容態はどうなんだ」
「外傷は酷いが妖怪としての存在を脅かすまでじゃない。時期に目を覚ます」
妖怪は精神的な核を根本にしているが、外傷の刺激が強すぎてその核が揺らいでしまうことがまれにある。そうなると存在が消えてしまいかねない。
その可能性がないことを知って、張りつめた空気が少し弛緩する。
しかし彼女がそんな状態なら当然の疑問が一つ浮かぶ。
「意識不明なのに裁判は明日行うの?」
被疑者が意識のないまま裁判なんてできるはずがないのだが。
「逆だ。意識不明だからだ」
期待した返答の中では一番返ってきてほしくない答えだった。
「宮を襲撃したものが誰か分からない。だがそこに天狗とは違う異種族が一人いる。責任を取る気のない議会とメンツのためにけじめをつけたい大天狗衆としては、全ての罪を擦り付けて、見せしめとするための格好の的だろう」
犬走は忌々し気に唇をかんでいる。
「見せしめというのは具体的に何をされるの?」
「…天狗の法規の中でもっとも重い刑罰は封印刑だ」
「それは?」
「刑を受けるものを結界の中に封印し、精神の核が壊れるまで封印し続ける」
えげつない事をする。
「実質的な死刑ね。そんな刑罰を意識のない妖怪に下すわけ?」
「意識がないのなら刑を被せるための手続きは早く済む」
「罪を見定める為の裁判ではないの?」
犬走は首を横に振る
「まともに裁判をする気なら、勾留の翌日に裁判なんて行われるはずがない」
裁判は形だけで、見せしめの手続きに過ぎないというわけか。いい感じに腐ってる。
「襲撃者はこうなることが分かっていたんだ。いや、こうなるよう手引きしたのだと私は思っている」
それはつまり、下手人は天狗の内部事情に詳しく、責任をたらい回しにした挙句、他種族に押し付ける過程を予想できた人物というわけだ。
「そんなことができる奴は天狗しかいねえじゃねえか」
それもかなり高位の。
魔理沙の言葉を犬走は否定しなかった。むしろ肯定していた。
「だから、裁判でやりあうなんて不可能だとそう言っている」
「ああ?」
「ここまで影響を与えられるものが敵に回っているのだ。魔女裁判で勝つなど正気の沙汰ではない」
「だったらなんだ?おとなしく山から追い出されろって言うのか?」
「その前提で計画を立てたほうが建設的だ。こうなってしまった以上、にとりの刑罰を封印刑から追放刑に減刑させることに注力すべきだ。それならまだやりようはある」
河童たちは困惑している。昨日の今日で追放される覚悟をしておけなんて、土台無理な話だ。
私はなんだか頭が痛くなり、ため息をついた。
「天狗たちはその辺りよく分かっていないようだから、この際言っておくけど、力のないものが住処を失ったらそれはもう終わりなのよ」
生まれ持って、他者を圧倒できる力を持っている者には実感できないのだろう。
「流浪民を受け入れてくれる場所なんてないの。当てのない放浪を続けて、最後は全員行き倒れて終わりよ」
根無し草を拾うような気まぐれは、それこそ館を真っ赤に染める吸血鬼ぐらいしか持っていないのだ。
「もう瀬戸際なの。負けたら終わり。負ける前提で、なんて甘っちょろい事を言っている場合じゃないのよ」
犬走は言葉を詰まらせた。
前提は勝つだ。負けるために戦うなど話にならない。
「裁判はどう判決を決めるの?」
「…起訴した者の主張とされた側の自己弁護を聞いて、五百名の陪審員が投票で有罪と無罪を決める。有罪の場合、起訴した者とされた者がそれぞれ主張する刑罰のいずれを執行するか、陪審員の投票で決定する」
「裁判官はいないの?」
「裁判を進行するだけだ。天宮裁判は天狗の里全体の意思決定の場だ。全員を納得させるためには全員を参加させるのが手っ取り早い」
法規ではなく、感情で罪を決定させるのか。
「陪審員の選出は?」
「里の中から無作為に選ばれる。ただ今回は性急に事が進みすぎている。誰かしらの息がかかった者たちだろう」
ますます魔女裁判の様相を呈してきた。
「弁護人は?いないの?」
「原則いない」
おいおい。
「本当に裁判なの?」
「里全体の意思決定の場と言っただろ。天宮裁判は世論を治めるためのもので、行政に片足突っ込んでいるんだ。司法権の制御下にない」
もはやつるし上げ大会とでも言うべき何かだった。
「弁護人が付くにはどうするの?原則っていうことは例外的な条件があるんでしょ?」
「…一応だが、天魔様の許可があればつけられることにはなっている」
「それ、許可が下りたことあるの?」
「一度もない」
「クソね」
「だから言っただろう。この裁判が決定した時点で既に負けているんだ」
裁判で戦う選択肢がそもそも負けというのはいかがなものか。
裁判の様式を嘆く。その横で魔理沙が少し怒ったような表情である問いを口にした。
「というかよ、裁判ってことは訴えたやつがいるんだろ?にとりに責任をおっかぶせようとした奴が。そいつは誰なんだよ?」
河童たち敵意が増したような気がした。
それもそうだ。そもそも戦う相手が誰なのか確認していなかった。発端が天狗全体ということもないだろう。
天狗は少しだけためらったが、名前を口にした。
「…海姫様だ」
河城にとりが人質となる原因を作った人物。その人物が人質を消そうとしていた。
「海姫は天狗以外の山の妖怪を天狗社会に入れるために動いてるって、貴女言ってなかったかしら?矛盾してるわ」
犬走は眉を寄せる。
「そのはずだ…」
「むしろ真反対のことをしているように見えるけれど」
「……よくわからない」
直属の上司でしょ。自分の上司をよく分からないって何言ってるのよ、と問い詰めようかと思ったが辞めた。
私だってお嬢様がよく分からないままだ。多分、そのせいでこうなった。人のことは言えない。
それに今、犬走を糾弾したら陰険な雰囲気を放っている河童たちが爆発しそうだ。
何度目かも知れぬ溜息を吐く。
唯一の望みであった、海姫一派を懐柔して裁判の票にするという手段が使えなくなってしまった。そも海姫が裁判で争う相手なら、懐柔どころではない。
「こうなったら全面戦争しか道は」
「それは駄目だって言っただろ」
魔理沙が呆れた目でこちらを見る。
「大体、山から天狗を撲滅したら元も子もないだろ」
河童が何のために山にいるのか。それを考えたら確かにそうだが、ほかに方法が…
そこでふといつだったかの文屋の発言が脳裏をかすめた。
───決闘裁判ぐらいなら融通してくれるでしょう。
「ねえ、決闘裁判っていうのはできないの?」
犬走が眉を上げた。
「なぜそれを…」
「文屋が言ってたのを思い出して」
犬走は眉をしかめた。
「射命丸からどう聞いたか知らないが、決闘裁判というのは有罪が確定したものに加えられる刑罰の一つだ」
あの烏、知らぬ間に私たちを有罪確定にしようとしていた。ゴミめ。
「空で戦い、最初に地に着いたものが負け。負けたものの刑罰主張が棄却される…と言えば救済措置のように聞こえるかもしれないが、実際はただの見せしめだ」
「見せしめ?」
「天狗衆の不満を治めるために、再起不能になるまで相手を蹴鞠にする。天宮裁判の延長みたいなものだ。相手は飛ぶことすらもできない奴らばかりだからな。烏天狗のおもちゃにされて終わりだ」
野蛮すぎる。
私の視線をどう解釈したかはわからないが、犬走は溜息を吐いた。
「もともとはこの山を鬼が統治していた頃にできた決まりだ。鬼が暇つぶしに天狗にハンデをつけて作った決闘法らしいが、都合がいいので今も残っている」
もっと野蛮な奴らが元凶だった。
「いずれにせよ、やめておけ。痛めつけられるだけ損だ。そもそも代理人も付かない以上、戦う羽目になるのはにとりだ」
やはりダメか…。
深々と溜息を吐いた直後、なぜか急に静かになった魔理沙が口を開いた。
「その代理人ってのは、許可された弁護人ならなれるのか?」
魔理沙は黒い箱の中から何かを取り出してみていた。あの箱は確か射命丸から渡されたものだ。
「あ、ああ。そう聞いている」
魔理沙がにやりと笑った。
「これは、もしかしたら勝てるかもしれないぜ」
魔理沙がみていた何かをこちらに掲げた。それは羊皮紙で綴られた書類だった。
「弁護許可証…?天魔様の印が入っているだと⁉」
私の場合、嫌いだから友達なのかしら。