僕は欠けたビルに向かって、走った。
何人もの人が自分と反対方向に逃げていく中、その波を掻き分ける。
「まただ、今度は近いぞ!」
背後から声が聞こえると同時に轟音と突風が衝撃の余波となり、通りを襲う。
あまりの強さに飛ばされそうになるが、膝を付いて、堪えると数キロ先にヴィランの攻撃で破壊されるであろう民家が見えた。
「早く行かないと。」
僕は通りを走り抜けた。負傷したのがお母さんでない事を願いながら。
数十分走り続けて、ようやく目的地が近付きつつもそれに比例するように舗装されていた通りは無残にも抉られ、建物は所々に穴が空いていて、損傷していた。
「大丈夫、だよね...?」
息も上がり、今にも座り込む衝動に駆られながらも一抹の不安が止まることを許さず、足を踏み出す。
隆起した道を気を付けつつ進むと開けた場所に着いた。
目前には半径200メートルのクレーター状に広がった大穴がポッカリと空いていて、視界に何人ものヒーローや一般人が倒れていた。
その光景はさながら地獄の様相を呈していて、攻撃の激しさを物語っていた。
ふとその地獄に見覚えのあるコスチュームを視界に捉えた。
「お母さん!?」
もう考えなかった。
恐怖を感じる暇も無く、大穴に飛び込むと転がるように走り出す。
思ったより高さがあったせいで体中に擦り傷ができるが、無心でそこを目指した。
「お母さん!?......お母、さん?」
「誰、か....いる、の.....?」
母はいた。
お腹から血を流して、虚ろな目をこちらに向けている。
僕は目眩と吐き気を覚えて口を抑えた。
「あ、うっ......嘘だ、こんなの....」
「おや、こんな所に子供がいるとはね...まったくこの地区のヒーローはヴィランへの対応も避難誘導も雑だね。」
振り返ると顔の無い男が立っていた。
黒を基調としたスーツに顔下半分には機械的なマスクを付けている。
「ヒーロー、ですか?」
一縷の望みを願いながら問う。
「いや、ヴィランだよ。ここにいるヒーローは私が手を下したんだけど、偶然にも君の姿が見えて戻って来たんだよ。
...ああ、まだ彼女は生きているみたいだけどね。」
男はゆっくりと近づいてくる。
咄嗟に母を背に守るように立つと男は肩を竦めた。
「彼女ならもう手は出さないよ。用があるのは君の方だよ、君の個性が見たいんだ。
さっき、彼女をお母さんと呼んでたね?トルネイカの息子なら少し興味がある。」
「個性?...無いです、僕は無個性なので。」
そういうと男は失望したようにため息をつくと背を向ける。
「そうか、ではもう用はないよ....ああ、言い忘れたが彼女はもう助からないよ。
出血多量に臓器も大分損傷しているからもって20分かな?この地区の主なヒーローは軒並み私が始末したし、オールマイトも別地区で手一杯だろうし、助けは期待できないからね...平和の象徴が聞いて呆れるね、肝心な時にいないなんて本末転倒もいい所だ。」
「そんな.....」
お母さんが死ぬ。
そんな.....駄目だよ、駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目!!
カラン。
お母さんの手を握っているとすぐ横に棒状の物が落ちてきた。銀色の光沢を放つそれに反射的に手を伸ばす。
「ナイフ...?」
「せめて楽にしてあげるといい。少なくともこれ以上は苦しまずにすむよ。」
振り向くと男が見下ろすようにこちらを見ていた。
「楽、に...?」
「そうとも。彼女は今、とても苦しんでいる。まだ幼い君に理解できないかもしれないが、中々に苦しいものだよ?死の淵で希望の無い生という名の浮きにしがみつかされるのは存外残酷なのさ。」
意味が分からない。
けど、お母さんが苦しいなら楽にしてあげたい。本当に嫌だけど、大好きなお母さんの為に。
「どうしたら、いいの...?」
「簡単だよ、そのナイフで彼女の心臓に突き刺すんだ。心配しなくてもいい。痛みは一瞬、それで救われる。
場所はここだよ。」
男は僕の両手にナイフを下向きに握らせるとクレーンゲームのようにスライドさせる。
「さぁ、手を離すからしっかり握るんだ。そうだ....そしたら、力一杯振り下ろすといい。それで終わりだ。」
母の顔が見える。
手が無意識に震えて、涙が止まらない。
「お母さん....」
「こ...こは...危険...に、げて...」
眼下に見える母は耳が聞こえてないのだろうに、うわ言のように同じ事を呟いては危険を伝えようとしている。
その姿はヒーローとしての仕事を全うしようとしているように見えた。
その姿は弱々しく、自分の知っている母とは別人のようで僕は強く目を閉じる。
.....もう良いんだよ、お母さん。
「躊躇ってはいけないよ。
ほら、お母さんを救ってあげよう。」
男の言葉に引かれるように両手が下へ堕ちていく。
やがて手に伝わる初めての感覚に力が入り、お母さんに覆いかぶさったまま、動けなくなる。
お母さんの顔を見たくなくて、視線を逸らすと男が僕のすぐ横にいた。
不思議と顔が無い筈なのに何故か笑ったような、そんな気がして。
僕は腹が立った。
「っ!?これは...」
その瞬間だった。
男が大きく後ろに飛ばされたかと思うと僕の手から風が放たれ、男を切り裂いた。
「興味深いな、実に。それが君の個性か?」
男はそう言うと僕を、正確には僕の後ろを指さした。
「お母さん...?」
振り向くとそこには半透明の母が立っていた。