『魔導学院の惨劇。死体、死体、死体……。死体と人形の山。裏には、魔族の影が?』
レインがリリーを取り戻してから二日後の朝刊の見出し。過激なタイトル。あまりにショッキングな内容だからだろうあっという間に、王国中に、広がった。
強力な幻覚の魔法で、隠されていたこと。死霊術により死体が凌辱されていたこと。殺害された魔法使い達が皆、教室や部屋に吊るされたり、前庭など至るところに放置されていたりしたこと。生存者は誰一人いなかったこと。などなどと凄惨たる現場だったことが記されていた。しかし、新聞側としては、読者を引き寄せるための餌に過ぎないようで、それもそこそこに、魔族への恐怖心を煽り、殲滅の必要性を説いていた。
そうして、憶測や推測、恐怖や怒りが国中を飛び回り、見事に、戦争の火種になりつつあった。
……記事に、レインとリリーが名前一つ、足跡一つと載らなかったのは、幸運に他ならない。
閑話休題。
「……リリー。もう少しだ」
肩に、頭を預けたまま微動だとしないリリーに、声をかける。返答はない。肩にかかる熱のない重みは、鎧や剣などよりもずっと重く感じた。がたんごとんと馬車が揺れる。
故郷への道のりは、後半に差し掛かっていた。つい先日出たばかりなのに、随分と長い間離れていたように、レインは、感じていた。長期間帰る事がないなんて、頻繁にあるというのに。
「大変そうだねえ……。魔族に襲われたんだって?」
「ああ、まあね。軽症だったんだけど酷いのを見たみたいで……」
「それは、可哀想に……」
行商人らしい男は、気の毒そうな表情を浮かべると口を閉じた。
リリーが物を言わないのは、そういうことになっている。行者にも事前に伝えているし、他の乗客との世間話でさり気なく伝えた。彼女の現状を率直に伝えるのは、あまり良くないと思った。リリーの為でもあり、乗客の為でもある。
気味悪がられるに決まっている。自身の体験からレインは、違うものへの他人の反応を理解していた。
知らなければ気味悪がることもなく、気分も悪くならない。自分も相手もだ。
だからこれでいい――などと考えていたら乗っていた馬車が大きく揺れた。
「どうかしたか?」
「あ、いえ……検問が出来ていまして……」
「検問?」
キャビンから行者の男の隣へと上がったレインの視界に入ってきたのは、森に挟まれた街道へ同じように停車させられている馬車とその周囲をうろうろと回る兵士の姿が見えた。王国の紋章が鎧の肩と胸に見えた。
悪質な野盗では、なさそうだ。と思っていると若い男の兵士が一人、こちらに向かってきた。
「見ての通り、検問中だ。目的は?」
「お疲れさまです。運送です。荷物とお客様を街まで。ところでどうしてまた検問なんて?」
「少しな。まだ話せん。一応、中を見せてもらう。構わないな」
「え? ああ……」
ちらりとレインへ行者の視線が向けられた。大人しく頷いた。別に、後ろめたいことがあるわけでもない。早々に、行者の隣からリリーの元に戻った。
「勿論、構いません。どうぞどうぞ」
行者の声が聞こえた直後、キャビンのドアが開いた。「失礼」という言葉と共に、兵士が覗き込んできた――その時だった。
「ッ――!!」
「なんだ!?」
検問所の辺りで、炎が上がっていた。同時に吹き荒れた爆風に、馬車が揺れ、馬たちが騒ぎ立てる。何事かと眼を見張るレイン達の耳に飛び込んできたのは、衝撃の一言だった。
「魔族の襲撃だ――――!!」
さらなる爆音、爆風がその声を掻き消してしまった。入りかけだった兵士が剣を抜いた。
「ギッ!?」
が、その頭部へ何かが叩き込まれた。レインの目は、捉えていた。粗末な混紡だ。兜を脱いでいたのも有ってかがたんがたんと崩れ落ちて、兵士は、もう動かなかった。
馬車へと代わりに乗り込んできたのは、緑の体色と長い鼻と長い耳、黄色い眼球が目立つ6歳児ほどの大きさの魔物――ゴブリンだ。
「ガギガガッ!?!?!?!!」
これもまた断末魔を上げた。レインだ。いつの間にやら抜剣していて、低い天井を考慮し、放った突きがゴブリンの鼻をへし折り、剣先を脳漿に突き立てていた。ぐりっと捻り、引き抜くとゴブリンがばたんと倒れた。即死だ。
「行者、無事か!」
「え、ええ! なんとか!! 凌いでまぎっ」
ゴブリンの纏っているボロ布で血を拭ったレインの耳に届いた鈍い音。思わず舌を打つ。リリーの手を取るのと同時に、横目で見れば、混紡でやたらめったら殴打されて、跳ね回る行者の姿があった。耳につく笑い声が癇に障る。
「ひ、ひええええ!! た、助けて!!」
ゴブリン数体に、背負った大きな背嚢を引っ張られ、ひっくり返ったところを摺られていく行商人がじたばたと抵抗していた。溜息を堪えるより早く、剣先で肩紐を切り裂いた。荷物に押しつぶされれ、動けなくなったゴブリン数体の頭をひと薙で落とす。
「死にたくなければ置いていけ」
荒く息を零す行商人に、吐き捨てたレインは、リリーの手引いて、閉まったままのドアを蹴破った。キャビンから出てみると酷い惨状だった。そこら中に、ゴブリンやらボブゴブリンが居て、馬車の乗客や馬を殺して回ってる。兵士達も負けじと交戦しているが……。
「レッサーデーモンだと……?!」
下級といえど悪魔は、悪魔。ただの人間に、勝てるものではない。ものの見事に兵士たちが蹴散らされていた。数が多すぎる。今もまた一人の兵士がゴブリンに、リンチにされて、ミンチになった。
このまま放置すればすぐに全滅だろう。しかし、レインが戦線に加われば少しは、生き残りが出るかもしれない。なにせ彼女は、ドラゴンすら落したのだから。凶悪な魔法使いをその身だけで殺害したのだから。
けれど、それを選ぶには――、
「…………」
――握ったこの手を離す必要がある。黙りこくったままのリリーの瞳は、殺戮を映すがそれに何の感情を抱かない。
「……リリー、行くよ」
レインの優先事項は、変わらない。耳を塞ぎたくなるような断末魔と絶叫が聞こえた。それでも逃げることを選ぶ。もう離したくなかったから。また離したらもう二度と会えない気がしていた。
「ま、待ってく――」
枝葉と草を掻き分け、脇道に入ったレインとリリーを追いかけようとした行商人が消し炭になった。
なんてざまだ――レインは、風のように木々の合間を駆け抜けながら歯噛みする。
強くなるという誓いも、誰よりも強くなれるというリリーの言葉も何もかも無為になった。
「くそ……」
情けなくて、たまらなかった。
そんなレインに、追い打ちをかけるような光景がまるで、彼女を追い詰めるように現れた。真昼だというのに暗い森の中、木々の間から流れてくる煙の臭い。焼ける臭い。この臭いは、知っている。森を抜けたレインは、愕然とした表情を浮かべ足を止めた。
「……街が燃えている」
眼下一面が炎の海だった。見慣れた景色が、レインとリリーの故郷が灰になっていく。空が煙で埋まり、日も覗かない。港に泊まった船も皆、燃えていた。大地を海を世界を業火が彩っていた。
その中を闊歩するは、魔物の軍勢。嗜虐的な笑みを湛えたあらゆる種類の魔物が人々とその生活を蹂躙していた。抵抗は、もう無意味だった。押し寄せる波に、翻弄される砂粒が如く、人の命が消えていく。
「なんだよ、これ」
膝から崩れ落ちていた。こんなのレイン一人では、どうしようもない。炎がレインの瞳に焼き付く。もう二度と忘れられそうになかった。
「……母さん」
唯一無二の肉親。随分と迷惑をかけた。誰とも違う自分をこんなに大きくなるまで育っててくれた。叱ってくれた。守ってくれた。かけがえのない人。無事だろうか。生きているだろうか。
その時、頭上で、ばさばさと羽ばたく音がした。音の方へ視線をもたげるとサイロの使い魔が滞空していた。が、すぐに、翼を失い三枚の紙となって、ふらふらとレインの目の前に落ちてきた。込められていた魔力が切れたのだ。
手に取った紙には、伝言が記されていた。一番上のは、サイロからのものだった。
『この手紙を君が読んでいる時、私は、おそらく生きていないだろう』
切り出しから不穏だった。何より現状が真実味をもたせている。続きに、目を向ける。
『魔王軍の宣戦布告だ。どうやら行方不明だった魔族の姫が人間に殺害されたことが発端らしい。詳細は、分からない。しかし、この手紙を受け取ったなら分かるだろう。この街は、終わりだ。
私は、ここに残る。魔法使いとして、人を救う。身勝手なことかもしれないがきっとリリーもそれを私に望むと思う』
あまりの自分本位に、口にしそうになった罵詈雑言をレインは、次の言葉で、噛み殺すしかなかった。
『あの子を頼むよ、レイン』
――二枚目。これまた見知った字があった。
「母さん……」
『湿ったらしい話をするのも性に合わないので、簡潔に伝えるよ』
「らしい書き出しだな」
レインは、思わず吹き出し、苦笑を浮かべた。さばさばとした人だった。
『こっちは、こっちでどうにかする。レインは、レインで好きにしなさい。健やかに。リリーに優しくね。生きていればまた会いましょう』
「短い。これもらしいか」
父が死に、女手一つでレインを育て上げた母が強いのをレインは、知っていたからいつも通りだと呟いた。
三枚目へ。これもサイロからだった。空中で入れ替わったのだろう。
『王国の果て、大陸の最北端にあるという城に住まう白の魔女なら、リリーを元に戻せるかもしれない』
「白の、魔女……」
『あらゆる魔導、外法に、精通していると聞いた。北方でまことしやかに囁かれてる存在で、半分お伽噺だが一応、救われたという人間の手記が残っていた。いくらか精査もした。ある程度信用もできる。しかし、完全には、信用できない。完璧に詰める時間がなかった。すまない』
だが気力があるならば、まだ可能性にしがみつくなら。
『北へ、向かえ。最北端、果ての山脈へ向かえ』
「北、か……」
王国の北には、巨大な山脈地帯が広がっている。人の手が届かず、只々広く、年中雪の降り積もる荒涼した世界が続いているらしい。レイン自身、まだ踏み入れたことのない領域だ。人の知らぬ魔物が居るだろう。困難極める旅路になるだろう。
「リリー、行こう」
立ったまま微動だにしないリリーの手を取り、レインは、燃える街に背を向けた。もう止まれない。全てを蔑ろにしたレインの足は、戻れない場所に踏み込んだ。
+++
王国は、建国以来何度目かの戦火に燃えていた。無数の人が死に、無数の魔族が死んでいく。
魔族領は、王国の南方に広がっている。無数の魔族は、娘の死に怒り狂った魔王の指揮の元、死を恐れず突き進む。
人側もまた唐突な開戦に、戸惑いを浮かべながらも同胞の死に怒り狂い、剣を摂った。
大地が赤く濡れる。屍で埋まる。憎悪に、空が染まる。
――レインは、その流れの逆を進んでいた。
人混みを掻き分け、人の意思の向く方へ背中を向ける。リリーの手を引き、雪原を踏んだ。
燃える故郷から旅立ちから丁度、三ヶ月が経とうとしていた。
大陸の最北端には、まだ距離があるが王都の地図に載っている街では、この小山の頂上にある街が最北端となっている。ここから先は、未踏の地に、他ならない。
「やっぱ凄い雪……。こっちは、季節関係ないって、ホントだったんだな」
一応、今夏だったと思うけど。白い息を吐いたレインは、開け放った窓から感嘆を零す。銀色に染まった世界が彼方まで続いている。見上げれば透き通ったスカイブルー。綺麗なのは勿論だがただ自然な空に、少し感動を覚えていた。
王国の空は、今、昼夜問わず暗い。戦火の巻き上げる煙が空に帳を引いているからだ。日が差さないと人は気が滅入る。レインもそうだった。
「……あたしが行ったところで、劇的に何かが変わるわけじゃない」
戦争の話だ。レインは、冒険者ギルドでも凄腕、強者が該当するクラスAの判定を受けている。冒険者ギルドでもそう多くない。最高ランク、英雄と評されるクラスSに比べれば多少多いがそれでもだ。戦場を一変させることのできる戦力であるのは、間違いない。
だからこそレインの脳裏に、こびり着く後ろめたさ。
一匹でも多く魔族を殺せたのではないか。自分が行けば生かせた人が居るのではないのか。
いくつもの言葉がレインの中をぐるぐると回り……首を振って、振り払った。
「……あたしは、リリーを救うんだ」
そう決めたからここに来た。もう戻らない。振り向かない。過ぎたことだ。それにあたしより強い人間は、王国にも腐るほどいる。彼らがどうにかするだろう。
レインは、どうにかその思考を振り払った後、身震いをすると開け放ったままだった宿の窓を閉じた。すっかり体が冷えていた。
「あ、はは、ごめんね。寒かったでしょ?」
振り返ったレインは、ベッドに腰を掛けたリリーに笑いかけた。返事はない。ぼうっと視線を宙に向けたままだ。その隣に、レインは、腰をかける。ぎしりとベッドが軋んだ。
「ね、リリー。こっから先、今よりずっと寒くなるんだってさ。だから今の防寒具を更新しようと思うんだよ。凍死なんて、笑えないしね」
ぶらりと力なく下がったままのリリーの手をレインは、取って、握る。冷たい。冬よりも何よりも冷たく感じてしまって、レインの表情が微かに暗くなる。
……あたしが暗い顔なんてしてたらリリーに怒られちゃうよな。
そう思って、どうにか笑顔を浮かべて、掻き消した。
「リリーは、やっぱり可愛い方がいいか? でも寒いと嫌だよな。どっちも兼ねたやつ……あたしには、難しいな」
うーんでも可愛いものが好きなのって、五年前の知識だしな……。レインは、うーんと悩み込み。
「見て決めようか。あたしのも選んでよ、リリー。あたしは、そうだなー……」
そういえば服をデザインで選ぶのって、いつぶりだろう。選んだこと無いかもしれない……。そう考えるとレインは、少し楽しくなってきた。
楽しんでいる場合ではないのに、何故か楽しみ始めていた。綺麗な空を見て、陰鬱さが晴れたからか。抜け落ちた時間を埋めるように、子供のような笑みを浮かべたレインは、言葉を作る。
「やっぱり、かっこいいのがいいな。リリーは、どう思う?」
答えはない。レインは、肩を竦めるとリリーの手を離して、ベッドから立ち上がった。
「……え?」
いや、立ち上がらなかった。というより立ち上がれなかった。離した手が握られていた。
「リリー……?」
白魚のような指がレインの手をぎゅっと握って、離さない。瞳は、あいも変わらず。けれど、指だけが何かに反応したのか、ただの反射か、もしくはレインを感じ取ったのか動いていてた。元々、手を引っ張れば歩いたり、走ったりしていたから無反応だったわけではない。けれどこうやって、手を握り返す事は、今まで一度も無かった。
「リリー……!!」
感極まったレインは、リリーを抱きしめた。手を離したくなかったから不格好な抱きしめ方になってしまったが気にもとめない。只々、嬉しかった。視界が自然と潤んで、涙がレインの頬を伝う。
握り返す以上の反応はない。抱きしめ返すこともない。ただリリーがこうして反応してくれたことが堪らなく嬉しかった。
『先輩、のこと、それくらい、しか分からないんです、ね。僕、なら――「五月蝿い」――こわ、いな、ヒヒ』
――頭に響くくすくす笑いに、レインは、歯を砕けそうなまでに、噛み締めた。