「レイン。何ぼーっとしてるの?」
「え、あっ……いや、別に……なんでもない」
「ふーん、そっ。じゃあ、そこのゴミ、外に出しといて」
「え? ああ、分かった」
ぼうっと窓の外を眺めていたレインは、母の指先にある木屑だとかのゴミをまとめた籠を見て、腰を上げた。
窓の向こうから分厚い雲からちらりと白いものが降り始めていた。雪だ。地面につけばすぐ溶けてしまうような儚げな雪がひらひらと空を舞っている。
「雪、降り出したね」
「雪? ああ、どうりで寒いと思った。一応、気をつけていきなさい」
「うん、そうする」
レインに言われて、外を見やった母の声に肯定を返すとコートに腕を通し、籠を手にとった。
リビングからドア一枚挟んだ一階への階段に出ると急に寒くなった。レインは、足早に階段を下り、一階の店舗に出た。レインの家では、一階にある雑貨屋店舗の裏口から出たところに、穴を掘り、ゴミをそこに捨てていた。
「よっと。……いや、何やってんだよ」
「別に……」
その裏口のドアを開けたところ、一人、先客が居た。呆れ顔のレインの前で、三角座りをしたリリーがいた。鼻に、指先。目元まで真っ赤にして、鼻を啜るリリーは、ぷいっとレインから視線を外した。
「なんじゃそりゃ」
小さく笑みを浮かべたレインは、籠を置いて、スコップを手にとった。いつも埋めている場所の隣に、スコップを差し入れて、掘り起こす。いつもやっていることだから手慣れたものだ。あっという間に、穴が一つできあがる。
「喧嘩か?」
「……魔法、勉強してただけなのに」
「黙って勉強してたからだろ。魔法って、結構危険なんだろ? この前だって、部屋爆破してたじゃん。いやーあれは、びびった」
「あ、あれは、別に私は、悪くないから。……次は、へまなんてしないもん」
失敗してんじゃん。という言葉をレインは、口走りそうになったがなんとか飲み干した。自分が爆発させられることを理解していた。
「お前、魔法に関しては、やたら頑固だな。ほんと」
「いいじゃない。早く立派な魔法使いになりたいの。だったら勉強しなきゃ」
「ふーん、なるほどね。これでよしと」
ゴミと掘った穴の処理を終わらせるとレインは、ぱっぱと手をはたいた。
「とりあえず、家入っていきなよ。雪、かなり降ってきたし。……これは積もるかもしれないな」
既に、屋根や草木の上には、雪が残りつつあった。風も冷たく、痛いほど。早く部屋に戻りたいなとレインは、思った。
「雪、積もるんだ」
「まあちょくちょくね。今日、寒いし、明日積もるかもね」
「へえ……」
「見たこと無いの? 積もったの」
「あるよ。昔、王都に住んでた時は、よく積もってた。寒いし、図書館も行けなくて嫌だったけど」
リリーは、そう不満そうに言う。そういえばここに来るまで、友達は、居なかったとか言ってたな。レインは、「へぇ」と肩に乗せていたスコップを地面に突き刺した。
「じゃあ、あれだ。明日、積もったら雪だるま作ろうよ」
「寒いよ」
ふーっとリリーは、かじかんだ手に、息を吹きかけた。
「たまには、いいじゃん。作ったことないでしょ、雪だるま」
「ある」
「小さいのでしょ。大きいのは、作ったこと無いんじゃない?」
レイン自身、そう大きなのを作ったことはない。この港街は、雪が積もっても昼には、溶け切ってしまうくらいしか積もらない。
でもまあ、出来ないことはないだろうと考えていた。
「……積もったらね」
観念したように言ったリリーに、してやったりとレインは、にやっと笑った。
「よし! じゃ、とりあえず中に入ろうぜ。いい加減寒い」
「あ、うん。……お邪魔します」
「今日の晩飯、シチューだってさ」
「晩御飯まで、お邪魔する気ないよ? おばさんに迷惑でしょ」
「そんな気は、使わなくていいよ」
「うお、びっくりした」
階段を登っていると母と鉢合わせしたレインは、驚愕の声を上げた。
「遅いと思ったらリリーと話してたのね。シチュー、多めに作ってるから大丈夫。後で、サイロさんにも持ってたげなさい」
「え、あ……ありがとう、ございます」
「いいのよ」
微笑んだ母は、踵を返すと「さっむい……」などと手で腕を擦りながら階段を登っていった。
「ほらな?」
「そうだね」
レインのウィンクに、リリーもまた微笑した。
それから結論から言うと雪は、積もらなかった。朝起きてみればいつもより寒々しい風が吹くくらいで、特に変わらない街並みが広がっていた。いつもの丘の上には、向かわずレインの部屋に、二人は居た。ベッドと机、服のかかったハンガーラック。棚には、あまり女の子らしくはない外で手に入れた戦利品などが飾られていた。
「積もらなかったね」
「またいつか雪が積もった時、作ろうぜ雪だるま」
ベッドの上から外を眺めるリリーの声色がどこか残念そうに聞こえたからレインは、そう言った。
「……そうだね。約束だよ?」
「ああ、約束だ」
レインは、にかりと歯を出して笑う――するとぱきりと固まった。レインもリリーも窓の外で舞っていた木の葉も羽ばたく寸前の小鳥も。皆一様に、動きを止めていた。
「――ああ、こんな約束をしたな」
部屋の隅、にかりと笑うレインよりずっと成長したレインは、二人のやりとりを見て、ぽつり呟いた。
「夢、か」
直後、目が覚めたレインが見ていたのは、見慣れた部屋ではなくて、知らない天井だった。
分厚く柔らかな羽毛の感触とシルクの手触りが気持ちのいい掛ふとん、硬さと柔らかさを両立したマットレス。総合して上等なベッドからレインは、体を持ち上げた。
「リリーとの夢を見てばっかりだ」
ははっと苦笑を零した後、レインは、周囲を見渡す。ここは、どこだろう。
ぱっと見た限りで言うなら、かなり上等な部屋だ。ドラゴンを殺した際に泊まったスイートルームよりも広い部屋。真ん中に、今まで、レインが寝ていた天蓋付きの大きなベッド。床は、模様の入った絨毯が敷き詰められている。レインは、立ってみて気づいたが触り心地がとてもいい。
四人がけのソファと一人がけソファの前にある暖炉では、炎が小さく火花をたてている。天井を見れば豪奢なシャンデリア。光源は、火ではなく埋め込まれた宝石が光っていた。
ベッドの反対側に引かれているのがカーテンなのに気づいたレインは、ぺたぺたと歩み寄って、カーテンに触れ――るか触れないかの内に、しゃっと開いた。
「……まだ夢を見ているのか?」
目を擦ってみた――変わらない。頬を軽く抓った――痛い。反対も抓った――痛い。……どうやら夢ではないらしい。
「なんだよ、これ」
カーテンの向こう側からもくもくと上がる
「温泉だ。主、知らないか?」
「っ!」
突然の声に、思わず構える。しかし、剣呑な様子はなかった。湯けむりの奥から声は、していた。じっとレインは、声の方を見つめる。一向に、影一つ見えない。
「そう構えるな」呆れた声がする。レインもゆっくりと手を下ろした。「ほれ、湯に入れ。そのままだと風邪引くぞ」
どうしたものか。レインは、一糸まとわぬ姿で、腕を組んだ。このまま言いなりになる? 言いなりにならず逃げる? いや、無理だ。そもそもこの部屋に、外へ通じているのは、ここしかない。他には、窓もドアもない。
「そうそう、それでいい」
レインは、渋々、窓のから声の方へと踏み入れた。足裏が薄く張った湯に触れる。暖かく、心地いい。ふと後ろを見ると通ってきた窓が消えていた。やはり大人しく従うしか無いらしい。
「主、湯船に入る前にちゃんと体を流せ。そこに桶があるだろう」
「桶? これか」
疑問符を浮かべたもののすぐに解消したのは、湯船との仕切りに、いつの間にか桶があった。言われたままお湯をすくい、体にかける。
ふっと昔、リリーと読んだ話が思い浮かぶ。
食堂に入った後、身だしなみを整えさせられているかと思ったら、魔物の料理の下処理をさせられていたという話だ。魔物がこんなことをするはずがないと一笑に付したが……。
「……これは、どうなんだろうな」
湯船に足を沈めて、レインは、呟いた。
「こっちに来い。いい加減、話しづらい」
湯けむりの向こうで、手招きが見えた。シルエットは、細く長い。緩やかな曲線――女だ。手招きする手指もしなやかで細く見えた。まだはっきりと視認できてはいない。
ここまで来たら行くしか無いな……。レインは、意を決して、歩を進めた。
「まったく、手間を掛けさせるな」
「……貴女が私を助けてくださったのですか?」
「ぎこちない敬語は、やめろ」
長い銀髪をあられもなく湯船に濡らし、浮かべた女性が湯船に浸かっていた。
どう見ても人間の容姿ではなかった。人外的な美貌。あまりに均等な黄金比がそこにあった。小さな顔、つんと張りのある乳房、細い腰、引き締まった臀部から太もも。雪のような肌は、赤く火照っている。細くきりりとした眉とツリ目がちで、ルビーより赤く透き通った瞳。桜色の唇は、うっすらと笑みを浮かべている。
成人した女のようで、年端も行かぬ少女にもレインには、見えた。故に、確信した。
「あんたが、白の魔女か」
「人間は、そう呼ぶらしいな」
「人間じゃないのか?」
「逆に訊くが人間に見えたか? 違うか? だから決め打ちで、白の魔女と呼んだ。そうだろう?」
「……その通りだ」
「ふふ、そうだろうとも。俺の予想は、いつも正しい。どういう人間が俺に会えか聞いて来たか? 聞いてきたよな? 俺の話を知らずに来るはずがない。善と悪を見定め、善なるものに施しを悪なるものに報いを……。なーんて話だ。
どう思う? 本当だと思うか?」
「違うのか?」
よく喋るな。目の前の女があまりに饒舌だからレインは、答える一方になってしまう。ただ辺に口を挟んで、刺激するよりは良いと考えていた。だから相槌を打つ。
「違うさ」
湯船に浮かぶ桶からとっくりを取るとおちょこに傾けた。あれは、なんだろう。怪訝なレインの見つめる先で、白の魔女は、とっくりを口元で傾け、「ぷはー!」と美味そうに呑み干した。
「俺が救うのは、いつだって望みを持つ人間だ」
「毎回、あたしの時のように聞いているのか?」
「聞けたらな。大体、口を開けない。そもそも面白げなものは、少ない。ここ数百年で、一人二人だ」
手記の男が一人目。二人目があたしか。この白の魔女というものがどういう性格なのかを少しだけレインは、理解し始めていた。
「死ぬ寸前に、他人を助けてくれと言ったのは、少なくない。だがあんな状態のものを持ってきたのは、初めてかもしれない」
運がいいな。と白の魔女は、笑う。反射的に拳に、力を込めたがレインは、どうにか抑え込んだ。
「……助けたということは、願いを叶えてくれるのか?」
「ま、そんなところだ。よかったな」
何とも知らぬ肉を箸で摘んで、白の魔女は、またおちょこを口に運ぶと「くぅ~~! たまらない……!」と随分嬉しげに、綺麗な顔を綻ばせた。
「じゃあ、今すぐ……!!」
「そんなに急くな。最近の魔族は、結構いけるな。食事変えたのか?」
「待てるわけ……いや、待って。魔族食べてるの?」
「ああ、珍味だ。焼酎に合うんだよ。一口どうだ」
「え、遠慮しておくよ……」
ざぶざぶと詰めた距離をレインは、ゆっくりと後ろに下がって元に戻した。魔女は、魔族を食うのか……。しかもなんの魔族だ? ゴブリン? オーク? ハーピー? 分からない。完全に調理されていて原型を留めていなかった。
流石に、アンデッドではないよな……? レインは、内心戦々恐々としつつゆっくりと腰を下ろした。胸の上まで湯が来る。結構深いな、ここ。
「……温かい」
浸かってみると心地よさが分かった。熱が皮膚と肉を通って、体の中心まで届く感覚。肩から力も抜けるし、溜息混じりの息も出る。一瞬で、気が緩んでしまった。ぎゅっと固めていたものが解けそうになってしまいそうだった。レインをここまで歩かせたものがぽろぽろと崩れ落ちそうになる。それは、いけないとなんとか気を張った。
「温泉は、一度嵌るともうダメだ。俺も数千年単位でハマってる」
規模がおかしい。レインは、色々言いたかったが口を噤んだ。分からなくもないが。
「酒が切れたか……。仕方ない」
――しばしの沈黙を破ったのは、意外にも白の魔女だった。
酒だったのかよ、それ。レインは、今更ながら一口貰えばいいと思い――取り消した。魔族を食う魔女だ。酒も何でできているかわかったものじゃない。うつらうつらとする思考をレインは、顔を湯で洗って、一緒に流した
「お前の願いの話をしよう」
ああ、最初に言っておくが、と口を開きかけたレインを制して、白の魔女は、言葉を続けた。
「俺は、別に万能の願望機ではない。魔女として、できる範囲のことをする。死者の蘇生などはできないし、時を止めろだとか時を戻せだとかもできない。ある程度常識に沿って欲しい」
「魔女の常識なんて知らない」
「ま、そうだろうね」白の魔女は、口端を歪め、肩を竦めた。「お前の願いの見当は、ついている」
促すような視線に、レインは、生唾を呑んだ。口が渇いた。心臓の高鳴りが五月蝿い。胃を掴まれたような感覚で、不快。とてつもなく緊張していた。
当然だろう。昔のように、笑って、怒って、泣く。あの子を、リリーを取り戻したい一心で、レインは、ここまでやってきた。今、それが叶うかもしれないのだ。
「――あの子を、リリーを元に、人間に戻してくれ」
レインは、湯船で、大きく頭を下げた。跪きたかったが場所が場所だったからできる限り、誠意が伝わるようにした結果だった。
「なんだってする。なんだって差し出す。だから、お願いします」
「…………お前の言う、リリーという者だが」
先までの白の魔女の様子と一変した歯切れの悪い切り出しだった。
「
「――――どちら?」
どちら? どちら? どういう意味だ? 下げた頭を戻すと白の魔女と視線がぶつかった。冗談を言っているようには、思えない表情をしていた。
「どちらも、何も、リリーは、一人しか……。あたしは、一人しか連れてきていない……。リリー、しか……」
「ところで、リリーとは、人間か?」
「人間だ! あんな体になっても、魂だけでもあの子は、人間だ! 否定なんてさせない……!!」
「ただの確認だ。ああ、なるほどな。そういうことか。理解したよ」
「何を……?」
「お前の勘違いだ。最初から、前提から間違っているんだよ。お前は」
「……一体、何を言いたいんだ」
白の魔女は、無言で、人差し指をすっと持ち上げた。その先端に、浮かぶものを見たレインは、今度こそ
「返せ」
「阿呆が」
何かがレインと白の魔女の間に立ち塞がっていた。壁とでも言おうか。何はともあれ突き破ろうと広げられたレインの指は、柔軟にして堅牢な壁に阻まれていた。ぐにゃりと湾曲し、レインの指を包むようにして、通さない。
「返せ」
血走らせた瞳を大きく広げた鬼気迫るレインは、繰り返す。白の魔女もまた「阿呆め」と繰り返した。
「――これは、お前の言うリリーではない」
「そんなの信じられるわけ……!」
「言うと思ったよ。だから信じられるようにする」
白の魔女の指先で、くるんと水銀色の魂が詰められた小瓶が回る――壁が軋んだ。白の魔女は、内心、馬鹿力がと呟いた。
「人間の魂の質量は、知っているか? ああいい。言わなくていい。21gだ。魔導に足を踏み入れたものなら常識の一つに、数える。普通は、知らない」
何を言いたい。何を言う気だ。一体、何を言う気なんだ。レインは、取り返すべく指に力を込める。警鐘が聞こえた。言わせるなとどこかで誰かが叫んでいる。聞いてはならないことだと。
「人形と瓶で合わせ、21g。そういう計算でお前は、ここまでやってきた。そうだな? そうだろうな」
やれやれと白の魔女は、首を振り、言った。
「この瓶の中身は、22gある」
「そんなはず無い! サイロさんが、リリーの父親がそんな嘘をつくわけがないだろうッ!!」
怒りの発露と共に、音もなく壁が砕けた。ぞんと鉤爪の指が白の魔女に、届く。寸前、二枚目の壁が立ち塞がった。
「馬鹿でも看破できる嘘をついて何がしたい!!」
「嘘? 嘘などつくものか。下らん。意味がない」
不愉快そうに、白の魔女は、言葉を作る。
「
白の魔女は、死神の鎌同然であるレインの指を目の前にして、動じず言葉を投げかけた。怒りに燃えるレインとあくまで、静謐な白の魔女の赤い瞳が視線がぶつかった。
そんなことあるわけがない。今のいままで、肌見放さず持っていた。すり替える機会なんて、ここに来る前と――――あ。
「……ソフィア」
呟いたレインの瞳からふっと怒りが消えた。ゆっくりと指から力が抜けていく。その顔は、蒼白に染まっていく。瞳は、動揺に揺れていた。