無惨との最終決戦にうっかり紛れ込んでしまったヘタレモブ隊士の話 作:Amisuru
心折杯参加作品でした。
「――煉獄というのは、天国にも地獄にも辿り着けなかった死人の魂を清める場所なのだそうだ」
いつだったか、あの人の屋敷にお邪魔する機会があった時のことだ。客間で雑談に興じている最中、そんなことを言われた。
聖人でもない限り、一生のうちに誰もが多少は罪を犯してしまうもの。地獄に落ちるほどの大罪でもない、ささやかな穢れを抱えて命を落とした者は、煉獄の炎に焼かれることで魂を浄化され、その後に天国へと至ることになるのだという。
「誰から聞いたんですか、そんな話」
「俺の母だ! 母上からは、俺が俺として生きていく上で大切なことを幾つも教わった!」
「そりゃまあ、羨ましい限りですね」
皮肉めいた言葉を返してから、すぐにしまったと思った。煉獄杏寿郎の母親は既にこの世の者ではないと俺は知っていたのに、ついつい僻むような返答になってしまった。尤も親を亡くしているのは俺も同じなのだが、それにしたって羨ましいという言い方は違うだろう。気を悪くされても仕方がない。
「ああ! 自慢の母上だ!」
逆だった。本当、言われたことを素直に受け取るよなこの人は……まあ、こちらの捻くれ具合が伝わらなかったようで安心したけれども。
両親に愛されていなかった訳ではない、と思う。虐げられた記憶はないし、飯も充分に食わせてもらった。早く自分も大人になって、育ての恩を返さなければならないと思える程度には、大切にしてもらっていた――筈だ。
しかし改めて思い返してみると、煉獄さんのように『俺が俺として生きていく上で大切なこと』なんてものを授かった憶えは、何もない。そういう人生論めいた話を両親から聞かされたことは、一度としてなかった。
もう少し俺が成長するまで生きていたのなら、或いはそういう話もしてくれたのかもしれない。けれど、九歳だ。九歳で俺は両親を亡くした。頭も心も育ち切っていない餓鬼に小難しい話はまだ早いと、両親はそう思っていたのかもしれない。
かもしれない、だ。全部。
二人纏めて鬼に喰われた今となっては、もう。
「……『幾つも』って言いましたけど、他にはどんなこと言ってたんですか、お母様は」
「ふむ? そうだな――」
そのせいか、つい気になってしまった。柱きっての人格者として隊士の皆に慕われ、憧れの存在として扱われている男、煉獄杏寿郎。その人間性の礎となったであろう母親の教えとは一体、どういうものなのかと。
煉獄さんは顎に手を当てて、記憶を辿るように虚空へと視線を巡らせ――
「『――なぜ自分が人よりも強く生まれたのか、わかりますか』」
普段の騒々しい口調が嘘のような、粛々とした声色で語り出した。
「『弱き人を助けるためです。生まれついて人よりも多くの才に恵まれた者は、その力を世のため人のために使わねばなりません。天から賜りし力で人を傷つけること、私腹を肥やすことは許されません』」
恵まれた才能を自分のためではなく、世のため人のために。
煉獄杏寿郎はある意味、鬼殺隊士の中でも異端者だ。鬼に身内を奪われた者、人生を狂わされた者が大半の鬼殺隊にあって、彼にはそういう陰惨な背景が存在していない。先祖代々炎柱を務めてきた煉獄家の嫡男であるからという、一種の義務感によって彼は戦っている。
「『弱き人を助けることは、強く生まれた者の責務です。責任を持って果たさなければならない使命なのです。決して忘れることなきように――』と! このように言われたな!」
「……一字一句丸々覚えたんですか?」
「『決して忘れることなきように』だからな!」
「そういう意味で言った訳じゃないと思うんですけど……」
その答えがきっと、この言葉なのだろう。責務。責任を持って果たさなければならない使命、か。
正直な話――俺にはまるで、理解が出来ない考え方だ。自分の才能を自分のために利用して何が悪いのだろうか? 自分の人生なのに、自分に与えられたものなのに、何故それを他人に施すことを強いられなければならないのか? そんな利己的な考えが、次から次へと浮かんできてしまう。
……それに。
こんなことを口にするのは、故人に対しても煉獄さんに対しても失礼だとは思うのだが――
「……なんていうか、
煉獄瑠火の教えはまるで、煉獄杏寿郎に科せられた
ところが。
この人の母も母なら、息子も息子であった。
「重いな!
「……なんですか、それは。普通は逆でしょう、重たいものなんて放り出してしまえばいいって、そう思ったことはないんですか?」
今にして思えば、つくづく性根の腐り切った台詞だ。こんな台詞を柱相手に口にしてしまう人間だから、肝心な時に務めを果たせず、惨めに逃げ出す羽目になったのだろうと、今では思う。
そんな俺を軽く戒めるかの如く、あの人はいつもの調子でこう切り返してきた。
「それもそうだな! では少年、君が俺の代わりに炎柱を務めるというのはどうだろうか!」
「はァ!? いやいや、無理! 無理ですって! 俺の階級知ってますか? 辛ですよ辛、下から三番目! 鬼だって五十どころかその半分すら倒せてないし、十二鬼月を斬るなんて夢のまた夢――」
「だろうな! ――だからこそ、俺が背負うのだ。少年」
今度こそ俺は、二の句が継げなくなってしまった。
そう――誰かが背負わなければならない。この世に鬼が生きている限り、人を喰らう化け物共が蔓延っている限り、誰かがそれを祓わなければならない。別にいいじゃないか、自分には何の関係もない、放っておけばいい――そんなことを言える奴はただの幸せ者だ。大切なものを誰かに奪われたことのない、恵まれた人生を過ごしてきた奴だ。心底羨ましいよ、本当に。
……そうだ。俺は鬼を赦せない。両親を俺から奪っていった、畜生共のことを赦せない。だから俺は鬼殺隊士になった。刀を取り、育手に鍛えられ、鬼と戦う日々へと身を投じたのだ。
「……もう一つ、訊いてもいいですかね」
「ああ構わんぞ! どんと来い、少年!」
なればこそ。
なればこそ俺は、『自分に代わって柱を務められるか』というこの人の問いかけに、『はい! やります!』と頷ける自分でなければ、いけなかったんじゃないだろうか。
「――
俺には才能がなかった。正確に言えば、中途半端な才能を持って生まれてきてしまった。
皆無という訳ではなかった筈だ。日輪刀の色が変わったということは、最低限の剣才はあったという証明にはなる。けれども、それ止まりだった。全集中の常中は未だに身に付いていないし、刀に呼吸を纏わせることも出来ていない。華々しい活躍を続ける柱たちに比べれば遥かに劣る、
いっそのこと、色なんて変わらなければ良かったのだ。あの初めて手にした日輪刀の鮮やかな赫色が、俺に夢を見せてしまったのだ。
その勘違いを捨てきれないまま、未だに俺は、惨めったらしく鬼殺隊士を続けているけれど。
両親の仇は討ちたい。強くもなりたい。けれども一向に強くなれる気配もない、半端者の俺は。
一体、どういう心構えで、生きていけばいいのだろうか。
「難しい問いだな!」
本当にそう思っているのか怪しい普段通りの大声で、煉獄さんは応えた。
「……難しいですか、やっぱり」
「実はかつて、千寿郎――俺の弟にも似たような問いかけをされたことがある! どれだけ稽古をつけても日輪刀の色が変わらないことに悩んでいてな、このまま剣士になることが叶わなければ、自分は一体どうすればいいのか――そんな悩みを打ち明けられたことがあるのだ」
「弟さんには、なんて?」
「どんな道を歩んでもお前は立派な人間になる! 兄は弟を信じている! ――そう言って励ましたものだが、君に同じ答えを返すのは説得力がないと判断した! 故に悩んでいる!」
「……それはまあ、確かに」
アンタが俺の何を知っているんだとばかりに、糞みたいな反発をする自分の姿が容易に浮かんでくる。第一、俺には自分が立派な人間になれる未来など、これっぽっちも想像がつかない。
というか煉獄さん、悩んでいるのか。悩んでくれるのか、こんな甘ったれた問いかけに。四の五の言ってる暇があったら血反吐を吐くくらい鍛え直せ、くらいのことは言われてもおかしくないと思っていたのだが。いや、結構そういうとこあるだろ、鬼殺隊って。
「――それでもやはり、俺はこう言おう! いいか少年、
明後日の方向に視線を向けながら思考に耽っていた煉獄さんが、不意にこちらを真っ直ぐに見据えて、語り始めた。
「弱いということは無力という意味ではない! 人に比べて身体の弱かった母が俺に人生の指針を示してくれたように、心持ち次第で成し得ることというのは幾らでもある筈だ! 少年、君が己を弱き者だと思っているのなら、
「……自分なりの、精一杯……」
それは――なんていうか、どうなのだろうか。
俺の精一杯なんて、煉獄さんや柱たちのそれと比べたら、塵屑も同然のようなしょうもないものだと思うのだけれど。
……いや、そんな風にして誰かと比べるのを止めろと、この人は言っているのか。
確かに、俺の心が沈んでいく時というのは、常に誰かと自分を比べている時のことだったように思う。周りにはこんなにも出来る奴らがいるというのに、どうして俺は――そんな風に自分を責め立てて、腐って、否定して。
誰も俺のことを追い詰めてなどいないのに、独りで勝手に沈んでいって、這い上がれなくなる。そんな思考に蓋をして、俺は俺なりに頑張ろうと、そう言い聞かせながら生きていけば――確かに今よりも多少、心は軽くなるだろうと思う。
なのだろう、が。
「納得がいかない、という顔だな!」
「……いえ。正しいことを言われているのだと思うんですけど、なんていうか……胸のこの辺が、もやもやします」
脈打つ心臓を抑えるように手を添える。煉獄さんはそんな俺の動作をじっと眺めてから、一言。
「――やはり君も、
心なしか満足そうに、そんなことを、口にした。
「……は?」
「その靄というのは、君の中にある炎が燻っていることの顕れだろう! 君は自分を弱き者だと思っているようだが、その一方で自分の弱さを認めたくないとも思っているのだろう! 二律背反というやつだな!」
「そう……なんですかね?」
燻っている。てんで実感が湧かない。俺の中にそんな、火を点けられる何かが眠っているとは、とても思えない。そんなものがあるなら、俺はもっと自分を変えることに必死になれている筈だ。
口先ばかりで、願望ばかりで、てんで中身が伴っていない――
……そんなものを、炎と呼んでもいいのだろうか?
「――本当に今の自分を変えたいと思っているのなら、
静かな語り口だった。母親の言葉を借りていた時と同じような、教えを説く者の声をしていた。
「君の中にあるその炎は、吹けば飛ぶような
「……いつもの『心を燃やせ』ってやつですか? そんなしょっぱい炎、燃やしたところでたかが知れてると思いますけどね」
「君は不始末で大火を起こしてしまう類の男だな!」
「はい?」
意味がわからん。そう思って彼の顔をジト目で眺めてみると、煉獄杏寿郎は普段の呵々大笑たるそれとは違う、悪戯じみた含み笑いをうっすらと浮かべて。
「――初めは
いつだったか。本当に、いつだったか。
あの人は、そんなことを、言っていたのだった。
「――――…………」
蝶屋敷のとある一室。竈門炭治郎が療養に使っている部屋へと招かれた俺は、寝台に腰掛けた彼の口から、あの人の最期の戦いがどんなものだったのかを、伝え聞いた。
下弦の壱を葬った直後、突如として姿を現した上弦の参。煉獄杏寿郎はそれに単身立ち向かい、夜明けが来るまで戦い抜いた。致命傷を負った身で尚、鬼の身体を掴んで離さず、朝焼けの下に滅しようとした。壮絶なる、散り様だったと。
「猗窩座――上弦の参は、煉獄さんに何度も言っていました。死んでしまうぞ杏寿郎、言え、鬼になると言え――それでも、煉獄さんは猗窩座の誘いを跳ね除けたんです。君と俺とでは物事の価値基準が違う、俺は如何なる理由があっても鬼にはならない……って」
「……そうだろうな」
鬼になる。罪無き人の命を喰らう、畜生道へと堕ちていく。奴らの生き方は、煉獄瑠火の教えに真っ向から反しているものだ。そんな存在に、あの人が成り果てる筈もない。
煉獄さんは守り抜いた。竈門炭治郎を、無限列車の乗客たちを、誰一人として死なせなかった。あの人は本当に、責務を果たしたのだ。強く生まれた者として、己の心を燃やし尽くして。
「――
「……?」
母親の教えに恥じない、強き者としてこの世を去った煉獄杏寿郎と。
あの人の教えを忘れて、弱き者として生き永らえてしまったこの俺。
違っていた。
本当に、何もかもが、違い過ぎた。
煉獄さん。
俺、駄目だったんですよ。
折れてしまったんです。絶やしてしまったんです、心の炎を。
他人と自分を比べるなって、弱い自分なりの精一杯をやれって、あなたは言ってましたけど。
どうしたって、比べてしまうに、決まっているんだ。
――そんなにも立派に、鮮烈に、輝いておいて。
憧れない訳が、ないじゃないか。畜生。
「――
そんな俺の胸中を、見透かしたように。
竈門炭治郎がまじまじと、俺の顔を覗き込んでいた。
「……そう見えるか?」
「いえ、その――なんていうか、そういう匂いがして」
「お兄ちゃんは鼻が利くんですよ」
そう言って話に入ってくるのは竈門禰豆子だ。彼女も煉獄さんの話に興味があったようで、俺の隣に椅子を並べて炭治郎の語りに耳を傾けていたのだ。
「人の匂いを嗅ぐと、その人が何を考えているのか、どういう人なのかが何となくわかるんです。犬みたいでかわいいでしょう?」
「俺は可愛くないぞ! むん!」
「この流れで鼻息荒くされると余計に犬っぽく見えてくるなおまえ……」
男らしさを主張したかったのかもしれないが、完全に逆効果であった。
それにしても――匂い、か。我妻の『音』と似たような感覚なのだろうか。どっちも五感だし。確か竈門兄と我妻は同期で仲が良かったと記憶しているが、似たような異能を持つ者同士の共感というか、そういうものもあったんだろうか。特に興味はないけれども。
……怒っている。
確かに俺は、怒っているのかもしれない。
煉獄さんに対してじゃない。あの人の教えを忘れてしまった、不甲斐ない自分自身に腹が立つ。己のことを情けない、惨めだと思う負の感情に加えて、
あの時の俺には――鬼殺隊の制服を脱ぎ捨て、責務を全うすることなく逃げ出そうとした時の俺には、欠片も存在していなかった感情だ。
けれど。
愈史郎に捕まって、我妻善逸に共感を抱いて、冨岡義勇の髪を切って。
あの時よりも、少しだけ――自分以外の誰かのことを、考えられるようになって。
そうしたら、気付いたら、
折れてしまった自分のことを、燃やせなかった心のことを、悔めるようになっていたのだ。
煉獄。
俺がこれまで触れ合ってきた者達はまるで、
鬼殺隊士としての務めを全うする訳でもなければ、鬼へと堕ちきる訳でもなかった
今度こそ。
今度こそ、この炎を、俺は消さずに守り抜いていきたい。
鬼達との命の奪い合いに比べたら、遥かにささやかで、ちっぽけな戦いかもしれないけれど。
そう、信じている。
「……なあ、竈門炭治郎」
「どうしてあなたは俺を姓名で呼ぶんですか? あなたの姓名も教えてもらっていいですか?」
「名字で呼んだら妹の方と区別がつかないだろ。かといって下の名前で呼ぶほど親しい仲でもない――茂生だよ。茂生大志郎」
「俺は別に気にしませんよ大志郎さん!」
「ちょっとお兄ちゃんと名前が似てますね大志郎さん」
「これ見よがしに名前で呼ぶな。……嫌いなんだよ、自分の名前」
大志郎。『大きな志』だなんて言えば聞こえはいいが、気持ちばかりで中身が伴っていなければ何の意味もないと、そんな風に思っていた。ともすれば、俺の捻くれた性根は、この名前への反発から生まれたものなのかもしれない――というのは流石に、こじつけが過ぎるだろうけども。
――ああ、でも。良い名前じゃないかって、あの人はそう言っていたっけな。『大志か! かの札幌農学校初代教頭、クラーク氏の残したとされる言葉だな!
……そうか。
きっと俺は、この名前のことも、そう思っていたんだろうな。
「……本当に、今でもまだ、嫌いですか?」
「そこまで行くと最早怖えよ、おまえの鼻」
「!?」
がーん……と衝撃を受けたように固まる竈門炭治郎。そんな兄の様子を見てくすくす笑っている竈門禰豆子。何てことのない兄妹同士のほんの一幕が、何故だか無性に微笑ましく見えて。
今更ながら――俺にも妹がいたら、
……そうだな。俺も手に入れよう、自分以外の大切なものを。護るべきものを。妹は無理でも、妻とか子供とか、そういうものを。
こんな願望、今までほんの一度だって、抱いたことがなかったけれど。
大志を、抱いてみよう。
「……そんなおまえの自慢の鼻で、確かめてほしいことがある」
そのためにも。
俺はこの男に、竈門炭治郎に、白状しなければならない。
俺が犯した、煉獄に至るきっかけとなった罪を、告白しなければならないのだ。
「――最後の戦いがあったあの日、俺はおまえと鬼舞辻無惨の会話を聞いていた」
「……?」
「無惨はおまえにこう言ったよな。鬼殺隊はしつこい、うんざりする、身内が殺されたから何だというのか――おまえ達は生き残ったのだから、それで充分だろう、と」
その言葉を口にした瞬間。
竈門炭治郎の目に、あの夜と同じ強い怒りが宿ったのを、俺は見逃さなかった。
ああ――やはり。
こいつが誰よりも、あの人に近い。
その炎が恐ろしかった。こいつの目に見据えられて焼き尽くされることが、あの日の俺は怖くて仕方がなかった。だから折れた。鬼舞辻無惨の力ではなく、こいつの高潔なる精神こそが、俺の心をへし折ったものの正体だった。
その炎と、もう一度、真正面から向き合うのだ。
そうしない限り、俺は一生、大志を抱くことなんて出来やしない。
「――俺はあの日、無惨の言うことに、
だから。
あの日の穢れを、折れた心を、逃げてしまった俺の魂を。
焼き尽くしてくれ、竈門炭治郎。
「自分一人が生き残れたら、それでいいと思った。両親を鬼に殺されたのに、鬼の生みの親である無惨を前にしても、仇を討つことが出来なかった。柱が無惨に殺されそうになった時、身代わりに飛び出すことも出来なかった。そうして、そのまま、逃げ出そうとさえしたんだ。何もかもを放り投げて、命を懸けて戦っている皆のことさえも、知ったことじゃないと思って――」
「…………」
「――あの日のおまえの言葉がずっと、耳に残って離れないんだ。存在してはいけない生き物――おまえがそう称した無惨の主張に、俺はあの時、同調したんだ。なら――俺もまた、そういうものになってしまうんじゃないか? なあ、どう思う?」
「大志郎さん……」
竈門禰豆子が俺の名を呼ぶ。何を思って口にしたのかはわからない。軽蔑されたのか、或いは憐れまれたのか、それとも――わからない。俺には竈門炭治郎のような鼻も、我妻善逸のような耳もない。他人が自分のことをどう思っているのかなんて、読み取る力は俺にはない。
きっと、そういう力のない者が、鬼へと堕ちてしまうんだろう。他人がどう思っているかなんて気にも留めない、自分のことしか考えられない生き物。
存在しては、いけない、生き物。
――果たして、今の俺は。
竈門炭治郎の目に、
――最初に匂いを嗅いだときは、
火というよりも、煙のような焦げ臭さ。弱々しく、濛々としていて、今にも消えてしまいそうな灰色の男。そんな印象を、竈門炭治郎は茂生大志郎に抱いていた。
けれど、今。
この人の心は、燃えている。
今の自分は人間だと、全力で主張するように、力強い眼差しで炭治郎を見据えている。
刃を突きつけられているようだと、思った。この問いかけはきっと、大志郎なりの戦いなのだ。全てを投げ出し、逃げ出そうとしたかつての自分に、けじめをつけるための。
それならば――炭治郎もまた、この問いかけから逃げることなど赦されない。
だから、応えよう。
この人の心に住み着いた、後悔という名の鬼を今、斬り捨てよう。
これが竈門炭治郎の、生涯最後の、鬼狩りだ。
「大丈夫ですよ。わざわざ確かめたりしなくたって、大志郎さんは人間です。だから――どうか、正しいと思う道を進んでください。大志郎さんを悪く言う人がいたら、俺が頭突きします」
「それは止めた方がいいよお兄ちゃん」
「なんでそこでおまえが水を差すんだ禰豆子!?」
「知らないの? お兄ちゃんの頭ってすっごく固いんだよ? 普通の人が頭突きなんてされたら頭が割れちゃうよ。鬼だった頃の私も危うくそうなるところだったんだから」
「お兄ちゃん禰豆子に頭突きした覚えなんかないぞ!?」
「……ははっ」
その時。
炭治郎と禰豆子のやり取りを眺めていた茂生大志郎が、堪え切れないと言わんばかりに、笑い声を漏らした。
そんな彼の、何の屈託もない笑顔を見て、炭治郎は思った。
――うん。
やっぱりもう、この人は、大丈夫だ。
心の炎が消えてしまいそうになる瞬間。そんな場面は、炭治郎にも幾らだってあった。鬼に家族を殺されたとき。どうか妹を殺さないでくださいと、冨岡義勇に頭を下げたとき。半年経っても岩が斬れずに、錆兎に打ちのめされたとき。折れた肋が痛くて痛くて堪らなかったとき。そして――
――自分の弱さを、無力さを、思い知ったとき。
だから。
竈門炭治郎は、茂生大志郎のことを、
「兄妹水入らずの邪魔して、悪かったな。――ありがとう、もう行くよ」
「――大志郎さん!」
そんな人に。
何かを繋ぎたいと、思った。
ひょっとしたら、余計なお世話なのかもしれない。自分がわざわざ後押ししなくても、この人は既に煉獄さんから自分と同じものを貰っている。心を燃やせという、己を鼓舞するための言葉を、知っている。
だから――これ以上は、
「……もしもまた挫けそうになった時は、俺が今から叫ぶ言葉を、思い出してみて下さい」
「……叫ぶのか?」
「はい。叫びます」
それでも。
一度は逃げ出してしまったと、心が折れてしまったと、後悔を口にしたあなただからこそ。
すう――と息を吸い込んで、肺に空気を流し込む。瓢箪を割った時のように、丹田に意識を集中させる。
そして。
竈門炭治郎は、その言葉を、唱えた。
「頑張れ大志郎頑張れ! あなたの心に火は点いた! 貴方はできる人だ!!」
「――――」
「そして今日も! これからも! ――
一度は折れた心でも。消えてしまった炎でも。
「あなたが挫けることは絶対にない!!」
だから。
あなたはきっと、大丈夫です。茂生大志郎さん。
「……折れてはいても挫けないって、言葉遊びも甚だしいな」
「うぐっ……!?」
想像以上に素の突っ込みが返ってきて、それこそ心が折れそうになる炭治郎。
や……やはり無理があったか……そりゃそうだよな、元は心じゃなくて骨の話だもんな、折れていてもって……だけどこう、何ていうか、
――などと、しどろもどろになっていた炭治郎の額を、大志郎の人差し指がバチンと弾いた。
「痛え!!」
悲鳴を上げたのは大志郎の方であった。
「大丈夫ですか!? どうして俺はいま額を弾かれたんですか!?」
「クソ、本当にめちゃくちゃ固え――大丈夫ですかじゃねえよ、人を励まそうとした傍からこんな突っ込みでしょげてんじゃねえよって、そういう意味で一発入れたんだよ……あー痛え、これ本当に折れたかもしれん」
「大丈夫ですか!?」
「
身を乗り出しかけた炭治郎を制止するように、茂生大志郎はひらひらと手を振り、踵を返した。今までの彼とはどこか異なる、飄々とした仕草だった。
「折れたくらいじゃ挫けないって、言ってくれたもんな。おまえが」
「……!」
――通じていた。
竈門炭治郎の言葉を、茂生大志郎はしっかりと、背負い込んでくれたのだ。
「……頑張るよ、俺。自分に何が出来るのか、何がしたいのかも、よくわかってないけど――」
部屋の扉に手を掛ける直前、大志郎は一度、こちらを振り返って。
「――何度だって、心を燃やして、頑張ってみる」
最後は少し、照れ臭そうにはにかんで。
茂生大志郎は、竈門炭治郎の前から、去っていった。
――さてと。
これから先、どうしようか。『正しいと思う道を進んでください』と、炭治郎は言っていたが――今までずっと剣を振ることしかしてこなかった人間が、急にそれ以外の道を歩むとなると中々難しい。他の隊士たちは一体、どのような未来予想図を描いているのだろう? その辺りも炭治郎に相談しておけば――
……いや、そうか。
余りにも色濃く浮き出ていたから逆に忘れてしまっていたが、竈門炭治郎もまた、短命の痣を持つ者なのだ。
それなのに、あいつときたら、よくもまあ――
……そんな暗さを微塵も見せずに、人の背中を押してみせやがって。
本当に、凄いやつだよ、おまえは。
「……頑張ろう」
そうだ。
そんなやつが、『貴方はできる人だ』なんて、言ってくれたんだから。
辛くったって、悲しくったって、落ち込んでなんかいられない。
あいつの言葉に恥じない自分に、ならなくっちゃいけないんだ、俺も。
……なるほどね。
少しだけ、あなたの気持ちが理解出来たような気がするよ。煉獄さん。
人に何かを託される、繋いでいくっていうのは――こういうことなんだな、きっと。
「……随分とまあ、吹っ切れた顔になったものだな」
「あ」
竈門兄妹の持ち部屋を出て少し歩いた途端、見知った顔に出会った。と言っても、ほんの二日前に顔を合わせたばかりの相手なのだが。
愈史郎だ。足元に飼い猫を侍らせて、廊下の壁に背中を預けて腕を組んでいた。こいつが日中に出歩いているのは珍しい。いや、珍しいと言ってもほんの二日前に以下略。
……というか、そうだ。先のことを考えるよりも前に、今の俺はこいつの小間使いを務めているのだった。怪我人だってまだ大勢この屋敷に詰めているというのに、浮足立って自分のことばかりを考えて、全然成長していないじゃないか茂生大志郎。反省しろ反省。後悔は程々にするにしても反省だけはきちっとしろ。
「悪い。ちょっと野暮用を済ませてた」
「
「……聞いてたのか?」
「『聞こえてきた』だ、馬鹿が。誰がおまえらの会話なんぞに聞き耳を立てるものか」
それもそうだ。というか確かに、あの時の炭治郎の声は馬鹿みたいに大きかったな。今頃、神崎アオイあたりが部屋へと押し入って『静かになさってください!!』と炭治郎を叱りつけていてもおかしくはない。それとも今は猪の世話で忙しいかな。確か今、彼女の主な受け持ちは嘴平伊之助だった筈だから。
「――で、おまえはこんな廊下の端っこで何やってんだ? ここら辺は窓が無いから平気だけど、まだおまえが出歩くには早い時間だろ」
「……今日にでも屋敷を発とうと思ってな。あの兄妹にはそれなりに縁があるから、最後に顔だけでも見ておこうかと思ったんだが――どこぞの先客のせいで気勢を削がれた。大人しく夜に時間を改める」
「あれ、もう出て行くのか? まだ全然治り切ってない奴が殆どだぞ」
「誰が完治するまで面倒を見るなんて言った。……処置を施さなければ助からなそうな奴には全員手を付けた。後は屋敷の娘たちだけでも何とかなるだろう」
「ふーん……?」
……なんだろう。本当にそれだけだろうか? 何処か投げやりな感じに見えるのは俺の気のせいなんだろうか。
炭治郎とか我妻だったら、こいつが何を考えてるのか
――だからこれは、てんで的外れな直観なのかもしれないけれど。
何となく、今のこいつを一人にしては、いけないような気がした。
「――なあ。おまえはこれから先、どうするんだ?」
「……馬鹿か? 屋敷を発つと言ったばかりだろう、歩きもせずに記憶を飛ばすな、鳥以下頭め」
「本当に口わっるいなこいつ……! そうじゃねえよ、屋敷を出た後のことだよ! 何かやりたいこととかないのかよ?」
「……知るか」
「いや、知るかっておまえ」
「どうでもいい。……俺が生き続ける理由など、最早この世には何もないんだ。茶々丸に住処でも用意してやったら、その後は――」
……その後は? 続く言葉を待っていたのだが、愈史郎はそれっきり口を噤んでしまった。何も考えていないのか、或いはもう、
生きろよ、と俺は言おうとした。けれどその後に、こうも思った。
愈史郎は一体、
愈史郎は鬼だ。たとえ心は人間であっても、体質は限りなく不老に近い不死だ。太陽の光を浴びない限り、こいつが命を落とすことなどあり得ない。それは即ち、愈史郎は自身が望む限り、永遠に生き続けることが可能だということを意味している。
逆に言えば――こいつが自分の人生を終わらせるには、
……そうだな。
それは流石に、早急に過ぎる結論か。
生きる理由がないというなら、用意してやればいいだけの話だ。終わりにするかどうかを決めるのは、それからだって遅くはないだろう。
あいつなら――炭治郎ならもっと、違う理由を思いつけるのかもしれないが。
せっかくだから俺は、もう少しだけ、我儘な理由でこいつを引き留めさせてもらう。
――ふてぶてしくもそんなことを言って、俺を人間に繋ぎ止めやがった野郎に。
それと同じくらいの図々しさで、言ってやるのだ。
「――やることないんだったらさ、一つ頼まれてくんないかな」
「……何?」
「俺、もっと本格的に、人の手当ての仕方とかを学んでみたいと思うんだよ」
「……医者でも目指すつもりなのか? 俺は
「まあそう言わずにさ、ちょっとした暇潰しだと思って」
「その程度の期間でまともな腕が身に付くとでも思っているのか? 素人が一から学ぼうと思ったら数年、或いは十数年――」
「それでも、
あっけらかんと言い放つと、流石の愈史郎も絶句した。そりゃそうだよな、自分で言ってて厚かましいにも程があるって思うし。
でもな、愈史郎。これだけは覚えておけよ。
人をこの世に繋ぎ止めたからには、
「な? いいだろ? ちょっとした寄り道だと思ってさ、付き合ってくれよ。数年か十数年くらい」
「ふざけるな。冗談じゃない、誰がおまえのような醜――」
心底嫌そうに顔を顰めていた愈史郎が、不意に目をぱちくりとさせて、何かを見定めるように俺の顔をじろじろと眺めてくる。
「……何だよ。また人のこと、醜男とか何とか言うつもりか?」
「――いや」
愈史郎は深々と溜息を吐き、徐に足元の猫を抱き上げて。
明後日の方向を向きながら、一言。
……まあ、別にいいか。平凡だろうが、何だろうが。
約一ヶ月お付き合いいただき、大変ありがとうございました。
ひょっとしたら活動報告なりに後書き的なものを上げるかもしれませんが、本編についてはこれにて完結とさせていただきます。
来週からは普通のワートリ書きに戻ります。本作がお気に召しましたら、宜しければそちらの方もご覧いただければ幸いに存じます。
お疲れ様でした。