具体的に言えば、生鮮食品を買うのが街への買い出しの主な目的だ。たくさん買って、冷凍庫に保存し、ちまちまと1ヶ月かけて食べるのである。スーパーまではホテルから歩いて5分もかからない。ロランは買うものを頭の中で暗唱しながらスーパーに向かった。
時折すれ違う人がスーツを着た人より作業着のような薄汚れた服を着ている人の方が多いことに気づいた。そういった人はほとんどが街の裏の鉱山で働く労働者なのだが、明らかに普段よりは多い。ハイム家の噂となにか関係しているのだろうか。前から歩いてくる中年の男もそうだろう。酒を飲んでいるのか千鳥足で、頬が赤らんでいる。髪も服もやつれていて…
「おいっ!」
男は突然声を上げた。ロランは思わず自分が絡まれたのだと思い、一瞬硬直したが、どうも独り言のようだ。その後も何かぶつぶつと言っている。
あたりの通行人は空気のようにその男を無視して横を通り越すが、ロランはすれ違いざまで不用意にもその男の方を見てしまった。運悪くその時ちょうど男が顔を上げ、目があってしまった。
「おい。おまえ。なんだ…何見てんだよ。てめえ…ヒックッ…おい。」
ロランはすぐに目をそらして少し速歩きで横を通り過ぎようとしたが、間接視野から男が消えたタイミングで、自分の腕が生暖かいゴツゴツとしたものにがっつりと掴まれた。ロランは反射的に振り払おうと腕を振ったが、酔っていても鉱夫の腕力は鉱夫の腕力ようだ。ロランはため息を吐かずにはいられなかった。
「おい。てめえ何見てん…だ。てめえ…ヒックッ。」
意識が朦朧として視線すら定まっていない男は、ロランの腕を引き寄せ、触れてしまいそうなほど顔を顔に近寄せてきた。ロランはすぐに顔をそむけたが、酒臭さのなかに胃酸の匂いが混じった、いかにもな臭気が鼻に刺さる。
「あの…急いでるんで…僕…」
ロランはこう言いながらもしきりに手を振り払おうと試みた。もう片方の手で、男の指を一本ずつ剥がしていこうともしたが、無理だった。異常な握力である。男は独り言のような罵詈雑言を呟いている。初めは運が悪かった程度にしか考えていなかったが、次第に言葉が通じない、猛獣にでも出会ったかような恐ろしさがこみ上げてきた。
酒男を振払おうとじたばたしていると、横目に一人男が近づいてくるのが見えた。
「大変だな。少年。」
その男は少し笑みを浮かべながら近づいてきた。同じく鉱夫らしい身なりをしているが、酒男とは違って整った印象を受ける。大丈夫か?とロランの肩に手をかけた後、ロランの腕を酒男の手からいとも簡単に引き離してみせた。突然の介入にきょとんとする酒男に座って休めと声をかけ、歩道の端に座らせた。
「悪いな。大変なのさ。俺たちも。」
そう言って男は戻ってきた。
「突然暇を出されて給料も出ないんだぜ、誰だって不安で酒に溺れたくなるもんさ。先が真っ暗なんだよ。俺ら鉱夫は。」
男は遠くを見つめていた。彼にはどこかやりきれなさのようなものが漂っている。ロランはこの男に昼からずっと神経を逆なでしていた話題を切り出した。
「…ハイム家が引き上げるから、こう、なっちゃてるんですかか。」
男は目を細めた。
「さあな。俺らがクビにされたってのはほんとだ。だけどな…おかしなことにまだ鉄は残っているんだ。たくさん。あと30年分はある。だから誰もリストラなんて思ってもいなかった。」
男は話を続けた。
「君らがどうなるかはわからない。ただハイム家がどっか行っちまうってんなら、君だってうかうかしてらんないだろうな。」
男はまた肩に手をかけてきた。
「気をつけろよ。少年。世間はそう甘くないぜ。」
こう言い残して男は去っていった。
なかなか男の言葉は脳裏にこびりついて離れなかったが、ロランは気を取り直してスーパーに向かった。もう日はほとんど暮れていた。街灯が点灯し始め、街ゆく人に夜の始まりを知らせていた。買うものを思い出しながら歩いていると、ふと、何か引っかかる感覚を覚えた。何かの違和感を感じた。正確には、もものあたりにあるはずの感覚が無いことを感じたのだ。
その正体はすぐにわかった。財布がない。