いろいろあったが無事、ロランは買い出しを終えた。今までで最も疲れた買い出しだった。今日で街に来て3日目になる。いろいろあったが、予定通りといえば予定通りだ。ホテルのチェックアウトを済まし、車のドアを開けた。
その時だった。
「ロラン=セアックさんですか?」
背後から男の声が聞こえた。無意識に体に緊張が走る声だ。
「少し、お時間をいただけないでしょうか。」
いいえ、と言わせる気のない口調。振り向くと3人、長身の男が立っていた。スーツの上からでもわかる鍛え上げられた肉体。着然として微動だにしない表情。軍人だろうか。
返事をする間もないままロランは車に載せられた。ドアの内側に「アメリア連邦中央情報局ヴィシニティ局314」と記載がある。どうやら諜報部のようだ。一般市民の自分が、諜報部に半ば誘拐されている。映画の主人公のようだ。もしくは何かのドッキリ?状況が整理できないとはこのことだ。後部座席からは外の景色は見えない。
男に絡まれたときと財布を取り返したとき。その時は現実があった。それ故に不安だった。しかし今、この状況は突拍子もない出来事すぎて、現実感がない。今の感覚は、死んだ義理の両親が自分の部屋のエアコンの修理をしている夢を見たときに近い。とにかくロランは自分が置かれている状況を理解しようとした。
「僕…何をしたんですか?」
返事は無い。
「…どこへ行くんですか?」
やはり返事は無い。
しばらくして助手席の男が口を開いた。
「付きました。」
何か大きな建物の裏口のようだ。男たちは容疑者を連行するようにロランを誘導し、エレベーターに載せた。ボタンに階数表示がないので建物が何階建てかもわからない。フロアの説明も書いていない。特別な用途のエレベーターなのかもしれない。それこそ、犯人の連行のような。だとすれば拘置所だろうか。だとしたら、自分は容疑者?そんなはずはない。
降りさせられたのはかなり上の方の階だ。
ツーンと鼻に刺すような芳香剤の匂いがする。スーパーのトイレにあるような安いものでは無い。
誰にも合わないまま奥へ奥へと廊下を進み、最も奥にあると思われる部屋についた。
「どうぞ。」
男がドアを開けながら言った。ここから先に彼らは入らないようだ。
ロランは部屋へ一歩踏み出した。
十畳ほどの部屋だ。手前にソファーが縦に向かい合わせになっていて、その奥にはデスクがこちら向きに置かれている。そしてそのデスクには中年太りの男が座っている。
「ディラン=ハイムだ。ロラン=セアック君。」
ディラン=ハイム。彼こそがハイム家の家長、そしてここヴィシニティの市長だ。蓄えたひげが胡散臭くてビジネスマン風ではあるが、温和な雰囲気も持ち合わせている。なぜ自分はこの人に会っているのだろうか。
「唐突だがロラン君。君には責任があるんだ。自分のせいでは無くてもね。」
責任。何の事を言っているのかロランには見当もつかないが、責任という言葉には人を潰しうる重みがある。
「…責任…ですか。」
「そうだ。」
ディラン=ハイムは頷いた。
「…何の責任ですか。」
「その前に契約書にサインしてくれ。ロラン君。」
ディラン=ハイムはロランを見ながら、デスクの上に一枚の紙を差し出した。
一番上に「秘密保持契約書」と明記してある。
「ようは今から聞くことを他に話してはいけないということだ。もし話せば国家反逆罪として処罰される。」
ディラン=ハイムは表情を変えずに説明した。
国家反逆罪、息苦しい響きだ。
「サインをしなかったから…」
「いや、君はサインしなくてはならない。その義務がある。」
車に乗ってから常に一方向に流れ続ける要求にまた流されるのかと嫌気が差したが、今の自分はその流れに身を任すほかどうしようもないことを悟った。
走り書きのサインを見てディラン=ハイムは頷いた。
「君は機械工学を専攻していたね?」
「…はい…」
機械工学がどうしたというのだろうか。
「では話は早い。ヴィシニティ鉱山のモビルスーツをノックスの港まで動かしてくれないか?」
モビルスーツ?飲み屋の女将の話と関係があるのだろうか。ノックス港といえば、連邦有数の軍事拠点だ。新兵器の輸送?しかし、なぜ自分なのだろうか。
「なんで、僕なんでしょうか?」
ディラン=ハイムは表情を変えない。
「私に君の質問に答える義務はない。ただゆうなれば、君にはそのモビルスーツに乗る責任がある。それだけだ。」
少年を諭すような口調で説明した。
「このことは軍の上層部と私と君しか知らないことだ。書類にあったように、口外は禁物だよ。」
禁物も何もほとんど何も知らされていないので、全く状況はつかめない。モビルスーツを動かせば良い。ただそれだけのなのだろうか。困惑しているロランを窘めたあと、ディラン=ハイムは立ち上がった。
「もう軍の諜報部が待っている。時間はない。行こう。」
そう言って彼は部屋の左隅のドアに向かった。そんなところにドアがあったとは気付かなかった。彼に続いて奥へ進むと、エレベーターが扉を開いていた。中では詰め襟の軍服を着た大男が3人待機している。彼らが軍の諜報部なのだろう。
直ぐに地上に着いて車に乗り込んだ。3列の座席のジープのような車だ。先程と同じく外は全く見えない。
タイヤと道路との走行音のみが車内に響く。
「…思いの外時間がかかってね。ぎりぎりになってしまったんだ。忙しなくてすまないね。」
横に座るディラン=ハイムは曇ガラスを眺めている。
ところでなぜこの男も車に乗っているのだろうか。モビルスーツを動かすのに市長はいらない。確実に。ロランは時が経つに連れてよくわからなくなる状況に疲れ始めてきた。
一瞬車が石に躓いて跳ね上がった。体がふわりと浮いた瞬間、曇ガラスの向こう側から強烈な光が差し込んできた。燃えるような火。しかし温かさはない。冷酷な火だ。ロランは眩しさに目を細めた。