それでも立ち向かった人達の証   作:ジィコ

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運命が解き放たれ、再び襲い来る絶望の伝説。
それでも立ち向かった人達の証。




プロローグ

「はぁ……」

 

 陰鬱とした夜の帳が下り、冴え渡った冷気が沈澱する部屋に重厚な溜め息が響いた。

 無駄に広い執務室には、安楽椅子に腰掛ける年老いた白髪の男以外、誰も居ない。平素なら慌ただしく周囲を駆け回る使用人も護衛の騎士も、今だけは姿を消している。

 男は静かに瞼を閉じ、暗闇の中で己の人生を振り返った。

 そして重々しく、呟く。

 

「……神よ、我が国家を、民を、どうかその慈悲と加護でお救いください……」

 

 男は、王だった。繁栄の絶頂を極め、その経済力と軍事力で大陸の全土を手中に治めた超大国、シュレイド王国を束ねる国王だった。

 肥沃な大地に恵まれ、健気で聡明な国民達が争いも無く平和に暮らす豊かな国家を、その手腕と威厳で統括する彼は民の信頼と忠誠を一身に担う存在だった。

 新兵器の開発による国力増強に注力し、版図を怪物達から退け安寧を齎す事に専念して玉座に就いたあの日から、既に五十年が経っていた。

 かつては豪華絢爛で煌びやかな装飾に固めた身も、今では背骨も曲がり、持病の腰痛に悩まされる日々を送っていた。

 だがそれでも国王は衣装を脱がなかった。民からの期待に応える為。

 

——そして、滅亡の危機に瀕する国家の威厳を最期まで貫く為。

 

「ああ……神よ、神よ……」

 

 背中を丸め。嗚咽混じりに彼は祈りの言葉を呟く。だが、その詔もその災厄の前では無意味だった。

 

「何故我々に、左様な試練をお与えになるのですか……」

 

 執務室の中央に堂々と鎮座する黒檀の机の上、がらんとしたそこに無造作に開かれた羊皮紙に刻まれた、黒い龍のスケッチ。

 紫黒に染まる重殻と厚鱗に包まれた強靭な肉体、全てを睥睨し威圧する一対の邪眼の上に屹立する四本の剛角。

 赤熱する胸部からせり上がり吐き出される灼熱の業火は、一瞬にして彼の眼前を死の焦土に帰すのだろう。

 巨大な剛翼は青空を埋め尽くし、大地に絶望の陰影を落とし込む。

 直視する事すら憚る禍々しい邪気が、紙面から滲み出してくるようにも思える。

 このスケッチを伝書鳩で送ってきた研究班は既に壊滅した。所々ふやけた紙に、王は彼等の勇気を想起するのだった。

 そしてそんなスケッチの真下には、汚い走り書きでこう記されていた。

 

『ミラボレアス』

 

 古より甦った漆黒の伝説が牙を剥き、愚かで矮小な人類を滅ぼさんと翼を広げる。解き放たれた運命を封じ込める手段は無い。

 

 終焉の日は、あと三日後まで迫っていた。

 

 

 

 

 

「火竜隊は大砲の整備を急げ! 雷狼竜隊はバリスタの弾の搬送、迅竜隊は撃竜槍の設営作業を引き続き行え!」

 

 高台に登った指揮官の明朗な指示が喧騒の中に響き渡る。その声を兵士達は耳から耳へと流し、各々の作業に集中していた。

 最新鋭の装備に身を包んだ彼等の兜の隙間から覗く顔は、一様にして蒼白だった。

 身体は最悪の事態を想定して動くが、頭では状況を理解出来ていない。そんな矛盾に彼等は困惑していた。

  

「はぁっ、はぁっ……」

 

 幾重にも重なった木箱を抱えて疾駆する青年、トールもその一人だった。

 真新しい装備に身を固めた彼も自分自身が抱く諦観や絶望に打ちひしがれながらも、必死に己の任務を全うしていた。

 

「トール、大丈夫か?」

 

 そんな彼に声を掛ける兵士が一人。

 少しだけ歩調を緩めて声の主を見ると、頭一つ分高い位置にある顔が心配そうに歪んでいた。

 

「レイゼンさん……僕は大丈夫です」

 

 所定の位置まで運び終わった木箱を地面に下ろしながら、トールは素っ気なく言い放った。

 レイゼンはトールと同じ雷狼竜隊に所属する兵士だった。

 一歳上の彼はトールと同じ、シュレイド王国軍制定の装備に身を包み、背中越しに丁寧に整備された『マテンロウ』の白い穂先が覗いている。

 シュレイド一と謳われる槍の才能を持つ彼もまたトールと同じく木箱を胸に抱えていた。 

 新品の木箱の中に整頓されているのは、調達されたばかりのバリスタの弾だった。

 綺麗な垂直に切り出された強靭な木の棒の上に鉄製の鋭利な刃先が付き、それが怪物の肉体を貫通してダメージを与えるという仕組みだ。

 移動式速射バリスタとは異なり単発装填で連射性こそ劣るものの、一気に撃ち出した後の装填にさほど時間が掛からない為、移動式速射バリスタが開発された後でも重宝されているのだ。

 この砦には合計三十基のバリスタが設置されており、その分潤沢な量の弾が必要になる。

 四十人構成の雷狼竜隊の兵士を総動員しても、その弾の運搬とバリスタの整備には多くの時間が掛かる。

 恐らく任務に当たっている兵士全員が焦りを感じているだろう。

 

「今、弾は何発用意されたんでしょうか」

「この砦だけで千発分以上だな。王都周辺の木々を根こそぎ切り倒して拵えた数だ」

「……この戦いが終わったら、どうなるんですか? 木々を全て伐採したら、冬場に使う薪が不足して……」

「トール」

 

 有無を言わさぬ威圧感を帯びた先輩の声に、彼の肩がビクリと跳ね上がる。

 

「未来の事をあれこれ考える前に、今は目の前の事にだけ集中しろ、とにかく手を動かせ。分かったな?」

 

 トールはコクコクと壊れた機械人形のように無機的に頷いた。

 レイゼンも理解しているのだろう。今から自分達が対峙する怪物が無敵の存在である事を。

 バリスタを何発撃ち込んでも、大砲の砲撃を浴びせても、脇腹を撃龍槍の穂先で貫いても、決して絶命には至らない。

 人類がこの世界に存在する限り、彼の望みが成就される日まで永遠に蘇生を続ける、邪悪なる運命。

 

「それに、いざアレが来たら沢山の兵器、俺のマテンロウやお前の『オヴィリオン』で対抗すればいいだろ」

 

 レイゼンは肩を竦め、トールの背中に輝く漆黒の大剣、いや、太刀に視線を向けた。

 太刀と呼称するにはあまりにも長過ぎる刀身は黒い金属で錬成され、その鋭く洗練された刃先から噴き出す特殊な黒いエネルギーはは、飛竜や古龍に対して非常に有効な一撃を放つ。

 学者連中が『龍属性』と呼ぶその雷光は、あの黒い伝説にも有効だと言われているが、残念ながら詳しい効果は報告されていない。

 黒い伝説に刃を向けて生還した者が誰一人存在しないからだ。

 オヴィリオン、その銘を持つ太刀がいかにこの防衛戦で活躍出来るか、トールには想像出来なかった。

 周囲を見渡すと、他の兵士達も『龍絶一門』や『エピタフブレード』といった龍属性を宿す武器を佩刀している。いずれも強力な龍属性を持つ一級品の装備だ。

 

「それにこの『ガーディアンシリーズ』が俺達を守ってくれている。お前もカスタマイズはしているんだろ?」

「はい。装飾品と護石で砲撃手としての能力と龍属性の威力を上げています」

 

 彼等が身に纏う王国軍制定の鎧、通称『ガーディアンシリーズ』は各々自由な装飾品を付けられ改造が施されており、バリスタや大砲の性能を高めている者や、神への祈禱を捧げ、その加護を受け賜る者など、その強化は多種多様に渡っている。

 ルートも装飾品で兵器による砲撃の威力を高め、護石を用いて龍属性の威力を底上げしている。

 必然的に手数が多い太刀にとって、属性攻撃強化の恩恵は大きい。今回も龍属性攻撃に期待して、破龍の護石を首に掛けて来ているのだ。

 ルートの言葉を聞いたレイゼンは満足げに頷く。

 

「いい選択だな」

「レイゼンさんは、どんなスキルを付けているんですか?」

「俺はガード性能を最大限まで高めてる。黒龍の熾烈な攻撃を防ぎ切る自信は無えけど、保険として付けてるんだ」

 

 彼がガーディアンスーツの襟を緩めると、その首元に怪物の牙や爪で装飾した燻んだ灰色の珠玉が覗いた。

 最大限まで強化された鉄壁の護石だ。

 

「それに加えて強壁珠を付けてる。どんな化け物の猛攻だろうと、完璧に護ってやる。何かあったら俺の背中に飛び込んで来い」

「ははは、時が来ればお世話になります」

「おうよ!」

 

 幾分が傷が多いガーディアンヘルムで防御した顔に屈託の無い満面の笑顔が滲み出す。

 強引に吊り上げた強張った顔に、思わずトールは閉口した。

 よく観察すると、レイゼンの両肩は微かに震え、呼吸も心無しか荒い。いつもは頼もしく思える、その幅広の背中が普段より小さく見えた。

 誰だって怖いのだ。トールも、レイゼンも、他の兵士達も、指揮官も。迫り来る災厄に誰もが恐れ慄いている。顔を蒼白に染め、身体を震わせ、音を立てて奥歯を噛み鳴らす。

 今すぐにでも踵を返し、武装と抵抗を放棄し、愛する家族と共に終焉を迎えたい。誰もが心の底からそう願っている。

 だがそれでも立ち向かわなければならない。

 剛勇を奮い、快哉を高らかに上げ、眼前に凛然と聳え立つ滅亡の象徴へ銀の刃を振り下ろす。

 分厚い壁を幾度も蹴り続けるように、無駄だとは理解していても、無知蒙昧を演じて底無しの努力を続ける。

 それが使命という物だ。

 

「俺達なら大丈夫だ。きっと、大丈夫。だから、全力で立ち向かうぞ。家族を、民を、王を護る為にな」

「…………はいっ」

 

 トールが力強く頷いたその時、砦内に怒号にも似た快活な声が響いた。

 

「雷狼竜隊、総員弾の搬送が終了次第東門の撃竜針の整備に向かえ!」

 

 声の主はトール達が所属する雷狼竜隊の隊長だった。ガーディアンシリーズの上に、雷狼竜の碧い竜鱗を模したマントを羽織っている。狙撃の名手として名を馳せた彼も、その彫りの深い顔を蒼白に染め上げていた。

 彼の指示に、ルートは首を傾げた。

 

「撃竜針? あれは古龍じゃなくて王都に近付く小型の怪物を蹴散らす為の設備ですよね?どう考えたって黒龍相手じゃ太刀打ち出来ないのに……」

「ある物は全て使い切るつもりなんだろ……今更なりふり構ってる余裕も無えし。効果が僅かでも、積み重ねたら立派なダメージ源になるからよ」

 

 レイゼンは両頬をピシャリと叩くと、真剣な表情を浮かべた。

 

「さてと、精々足掻こうぜ。伝説の黒龍とやらによ」

 

 その言葉に頷いたトールは、レイゼンと共に隊長の元へ駆け出した。

 

 

〜〜〜〜〜

 

 

「相棒、どうしたんですか?」

 

 分厚い防寒着を身に纏った編纂者がいつものように資料を読むべく食事場に足を踏み入れた時、彼女の定位置には既に先客がいた。

 それは一人のハンターだった。

 五期団、延いては新大陸調査団随一の実力を誇り、つい先日、御伽噺に謳われる最強の古龍達、『破壊の象徴』と『伝説の黒龍』を討伐した真の英雄。

 将来何千年にも渡って脈々と語り継がれるであろう活躍を残した彼は『伝説の黒龍』の亡骸から剥ぎ取った素材で作成した黒い防具を纏い、背中にはそれと同じ素材で鍛えた太刀が鈍く輝いていた。

 彼は顔を上げると、静かに微笑んで右手を挙げた。

 編纂者が彼が読んでいた資料を覗き込むと、そこには達筆な文字が幾重にも並んでいた。それに彼女は既視感を覚えた。

 

「あれ? その資料ってもしかして……シュレイド城の?」

 

 彼は深々と頷き、その資料、黒龍討伐後のシュレイド城探索で発見された物品のリストを編纂者の眼前に突き出した。

 

「これを、見てくれ」

 

 そして彼はページの右端に小さく描かれたスケッチを指差した。

 それはシュレイド城の片隅、瓦礫の隙間に挟み込まれ隠れていた一振りの太刀の図解だった。

 

「この太刀は……?」

 

 編纂者はその太刀の異様な形状に目を奪われた。

 大剣のように太く、扁平で起伏の無い刀身は未知の黒い金属で形成され、その中心を縦断する紅色の一本線はエネルギーが凝縮されており、対象を斬り付けると同時に強力な龍属性を放出するらしい。

 そして彼女はハッと息を飲む。彼女はそれを実際に自分の目で見た事があるのだ。

 

「相棒、コレって……」

「ああ。俺が黒龍討伐の時に使った太刀、メメントノスの強化前、オヴィリオンだ」

 

 編纂者が絶句している間にも、彼は静かに言葉を紡ぐ。

 

「俺は錆び付いて風化していたあれを現大陸で発見し、大地の結晶で研磨した。それに様々な素材を注ぎ込んで鍛え上げたのだが、ここまで保存状態が完璧な物は珍しい……」

 

 普段は寡黙で何を考えているか分からない彼は、珍しく饒舌に語っていく。その荘厳な声に、編纂者は口を開けたまま耳を傾けていた。

 

「——千年前あの王都が滅んだ時も、強化前とはいえ俺と同じ武器を使っていた人間がいたのか、感慨深い」

 

 彼は拳を握り締めると、顔を上げて目を細めた。

 

「かつて祖国を護り散った彼の仇討ちを、俺達は成したんだな」 

「……相棒」

 

 遠い目で虚空を見つめるハンターを、編纂者は静かに眺めていた。

 

 

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