Kenshi -20years later- 作:さわやふみ
チャド、ジュード
私はいま稀に見ない強敵を目の前にしている。この感覚は恐らく南東のアッシュランドに行った時以来だ。
至高の戦いを求めていた昔の自分であれば血が沸き胸が踊っていたかもしれない。しかし今回は焦り……いや不安、恐怖を感じている。
ただ、これは死への恐怖ではない。
ジュード……。遠い昔、バストの戦場で最初に見かけた時は同情からお前を助けた。痩せ細り、泥だらけになったお前は子供ながら必死に生きようとしていた。この世界においてそのような境遇の子供は至る所にいたから珍しい事ではなかった。ただ、自分にすがってきた者にまで何もせず見過ごす気にはなれなかったのだ。
ノーファクションを失った上に妻子を持たず身寄りのなかった私にとって、懸命につくし前を向いて歩いているお前の存在はやがてかけがえのないものになっていった。私はこの残酷な世の中でも生きていけるよう我が子のように体を鍛え、武術を教えこんだ。
2人で生きていけるよう武術教室を開き、ささやかな収入も確保した。このまま平穏に人生が終わっても良いと思っていた。そんな中、ウィンワンから手紙が来て私はおおいに悩んだ。
しかしかつて救えなかった友の娘が生きていて支援を必要としている。ノーファクション壊滅に後ろめたさがあった自分にとって、行かない理由はなかった。
ジュードを巻き込んでここまで来てしまったが、もはやこれ以上自分と一緒にいると危険が及ぶ。そう判断して、嘘をつき彼をけなし突き放してまでワールドエンドへ別行動してもらった。
ジュードと悔いの残る別れをしたまま、彼を傷つけたまま逝くことへの罪悪感。それがチャドにとってこれから始まる生死をかけた戦いにのぞむのを躊躇させていた。
「迷いのある目だな。老齢となってもなお死が怖いか?」
気づくと目の前には大柄の男が立っている。身にまとう闘気と威圧感そして佇まいが物語っている。
「……おぬしが炎の守護者か」
「そうだ。よもや怖気づいたのではあるまいな。聞いていた拳聖の名と随分と乖離があるようだが」
「……」
チャドは応えなかったが、彼が言っていることは挑発でもなく事実であることを内心でも認めていた。
自分の指示のもとに戦争を始め、敵味方多くの命を奪ってきたにも関わらず、いざ自分の命を奪う力を有している者を目の前にして、初めて『死にたくない』という感情が心を支配していた。
生半可な覚悟では勝てない相手であることは分かっているにも関わらず、心が体についてこないのだ。
しかし
次の炎の守護者の言葉がチャドの眠っている過去の闘志に火をつけてくれることになる。
「気持ちは分からんでもない。これまでは半端な腕前で他者を蹂躙してきたのだろうが、そのような者が初めて格上を目の前にすると絶望感が一際目立ってしまうものだ。恥じることはない」
決して煽るために言っているわけではなく、これまで培ってきた経験と自信を元に話していたのだろう。しかし、これにより炎の守護者は開ける必要がなかったチャドの本性に触れることになる。武の追求者として無意識に互いの全力を引き出した戦いを望んだ結果だったのかもしれない。
「……ふふふ、まさかこの歳になって若輩者に励まされようとはな。そこまで言われてしまえば気持ちも吹っ切れるものよ」
チャドを取り巻く気配が変化する。
さきほどまでとは全く異なるチャドの雰囲気に炎の守護者も自分の目を疑っている。
「それが本来の貴様ということか……!さすがは拳聖。至高の戦いを興じようではないか!」
「ああ。今はただ昔を思い出し強者と戦う喜びにひたるとしよう」
喋ると同時にチャドはさらに闘気を開放する。
周りにいた侍たちはその目に見えない圧力に押されてチャドを囲うようにさらに自然と距離を置く。そしてこの常人には分からない気配は炎の守護者には伝わっているようであった。
「き、貴様……本当に実力を……」
すぐさまパラディンクロスを構え戦闘態勢に入る。意図せず相手の全力を引き出してしまったことに戸惑いつつも、揺るぎない自らへの自信が冷静に頭を切り替えさせたようだ。
このタイマンは長引くほど兵力が少ないホーリーネーション側が不利になる。カナエとタニガゼがその間に包みこんで削っていくからだ。だからこそ炎の守護者は早く決着をつけたいのだ。
チャドは当然この相手の心理を計算に入れていた。ゆえに先に仕掛けることはせず出方を伺う。重武器のパラディンクロスは一振りの間が大きいため、焦って攻撃してきた際は避けながらのカウンターを喰らわせることが出来る。アドバンテージがある分、気持ちも楽に戦うことが出来るのだ。
ジリジリと2人が間合いを詰めている間、想定通り徐々に都市連合部隊がホーリーネーション部隊を押し始める。その状況は肌でも感じることが出来た。
(カナエとタニガゼは良くやってくれているようだ。仮に炎の守護者と決着がつかなくても問題ないだろう)
闘志を燃やしつつも冷静な分析で戦局を見る。
結局はこの戦争に勝つことが目的である以上、炎の守護者撃破は必須ではなく、周りの状況を見ながら判断すればいいのだ。
このまま推移すれば都市連合の勝利は揺るぎないものであったが、ここで戦場が変化する。
後方に見えるホーリーネーション領の山から土煙がたち始めたのだ。これはホーリーネーションの砦である『オクランの拳』が動き始めたことを意味していた。
(……降りて来たか。ならば後続のロジャー・バートの部隊がさらにお前たちを挟み込む)
駆け下りてきたホーリーネーション兵はチャド部隊を後ろから挟撃し始める。チャドはこの様子を冷静に眺めていた。
ホーリーネーションにとっては周辺の兵力を足してもチャドの大隊には及ばない。ゆえに挟撃することで、活路が開けるのだ。しかし、これは後詰めのロジャー・バートによって対処が可能であり勝ち目は依然として都市連合にあった。
「拳聖よ。互いに時間がなくなってきたな。とはいえ貴様との戦いは一瞬の隙が命取りになる。刹那の時間も楽しもうじゃないか」
「何を言っている。時間がないのはお主だけであろう。私は配慮などするつもりはないぞ」
「くくく。我々のように強さに恵まれた者であっても大きな渦の中の1つの歯車でしかないのだ」
「……?お主は一体なにを……」
言いかけてチャドは押し黙る。
炎の守護者の何かを意図したような言動と余裕。そして負ければ存亡の危機が見えてくるホーリーネーションの立場において、上級審問官セタが真っ向から戦を仕掛けている違和感。
それは心の奥底にあったある懸念を彷彿させた。
「まさか……ロジャー・バートは来ないのか?」
言葉にして気づく事態の深刻さにチャドは唾を飲んだ。オクランの拳にいるホーリーネーションが来た場合はロジャー・バートが迎撃してチャド部隊を助ける手筈であった。しかし、彼らは未だに戦場に現れる気配がない。
ロンゲン派にはトレーダーズギルドのメンバー出身の者が多く、彼らは基本的に利益至上主義であった。その者たちが暗に望む状況は戦争の膠着と武器供給による安定した収益であることは想像に容易い。しかしこのままチャドがホーリーネーション部隊を粉砕した場合、戦力バランスは崩れ、都市連合の勝利に終わる。長く続いていた紛争状態が解消されてしまう可能性があるのだ。武器を売って財を成しているトレーダーズギルドにとってその状況は避けたいはずであった。よってロンゲン派が取り得る手段は……
「気づいたか。しかし都市連合の侍どもには同情するぞ。貴族の都合で使い捨てになったと知らずにここまで死にに出向いて来たのだからな。せめて最後は華々しく散るが良い」
炎の守護者の言い回しはロンゲン派であるロジャー・バートが何らかの密約をホーリーネーションと結びチャドを裏切った可能性を示唆していた。
しかしそれでもチャドは落ち着いていた。
まるでこの流れをある程度予想がついていたように。
「……同情する必要はない。我々は勝つ……」
「ふっ、そうか。では往生際の悪さを見せてみろ」
今度はチャドにタイムリミットという制限が加わって2人の戦いが再開することになった。都市連合のチャド部隊のみが挟撃を受けた場合、ホーリーネーションに利が見えてくるためだ。この状況をチャド大隊単独で打破するためには都市連合軍が崩れる前に目の前にいる炎の守護者を撃破し、前方のホーリーネーション部隊を撃破する必要があったのだ。
かと言って不用意に飛び込めば炎の守護者の腕力による高速の斬撃が繰り出されチャドの体は一刀両断される。その反面、パラディンクロスの間合いを掻い潜って懐にさえ入り込めればチャドに勝機が見いだせた。
そのような状況で彼が選択した手段は、可能な限りの接近であった。
炎の守護者は得物の切っ先をチャドに向ける形で正眼に構えている。しかしパラディンクロスは対スケルトンに特化した武器であり『突き』による攻撃は想定されていない。そのため剣先は平らであり斬撃専用の設計仕様だった。だからこそチャドは剣先が目の前につくほどギリギリまで炎の守護者に近づくことを選択出来た。そして対する炎の守護者は剣を振り上げてから振り下ろす2回のモーションが必要となるため、この距離であればチャドの正拳突きを繰り出すことが出来たのだ。
しかし、常識が通用しないのが達人同士の戦いである。
炎の守護者は平らな剣先で突きを繰り出したのだ。
「っ!!」
ほぼゼロ距離からの突きは人並み以上の反射神経を持つチャドであっても避けきれるものではない。瞬間的に首を倒して避けようとするが、平らな剣先がチャドの頬を削り取る。
鮮血が飛び散る中、それでもチャドは表情を変えずに左の拳でパラディンクロスの破壊にかかる。武術を極限まで極めた者はその鉄拳により金属を叩き折ることも可能なのだ。
ただそこは炎の守護者も戦闘を極めた戦士である。すぐさま真横の反対側に剣を流し、拳の直撃を回避する。さらに剣を殴られた衝撃を利用してそのまま一回転して横薙ぎを払ったのだ。
遠心力を利用したこの攻撃は衝撃波を起こし、辺りに砂埃をまき散らす。そして視覚不良と合わせて炎の守護者は回転により一瞬、視線が外れたことが仇になった。
チャドを見失ったのである。
達人同士の戦いにおいて相手の次手を動作発生前に読み切った場合、その優位性は発揮される。チャドは横薙ぎが来ることを事前に予想して前方空中にジャンプして視界から消えていたのだ。
炎の守護者がチャドを捉えるのにコンマ数秒をようしただけであったが、チャドが次の攻撃を繰り出すには充分な時間であった。
チャドはそのまま全力の飛び蹴りを炎の守護者の顔面に食らわせにいった。
決定的と思えるこの一打は確実に炎の守護者に入っていた。バキバキと骨が砕けるような鈍い音が聞こえてくる。
いかに屈強な体格を有していても頭部に食らった場合、炎の守護者と言えど無事では済まないため、勝負は決したかに思えた。
しかし、至高の戦いは両者の感覚を極限まで冴えわたらせていた。
炎の守護者も横薙ぎの瞬間、武術家の敏捷性を無意識に警戒し、事前に右手を構えてチャドの強烈な蹴りを受け切っていたのだ。
「……!」
さらに、ただ止めるだけでなく、チャドの左足をその大きな右手で掴んでいる。そして炎の守護者は無表情でそのままチャドを片腕一本で地面に叩きつけにかかったのだ。
その異常な握力でチャドの体は宙に振り上げられる。
このままだと固い岩場に叩きつけられる状況だが、チャドは瞬時に足をひねり、炎の守護者の掴みをはねのける。
これにより地面への直撃は避けられたが、それでもチャドの体は投げられる直前であったため、勢いで左肩から地面に着地してしまった。
ここまでの2人のやり取りはおよそ数秒程度の出来事であったが、人外であるかのようなそのやり取りを見ていた周りの者は言葉を失い絶句していた。