Kenshi -20years later- 作:さわやふみ
上級審問官セタがノーファクションの拠点前に姿を現すと、空気が目に見えて張りつめた。
彼は城壁を仰ぎ、大地を震わせるような声で名乗りを上げる。
「私はホーリーネーションの上級審問官、セタである!」
声そのものが刃だった。
聞く者の耳に届く以前に、胸の奥を殴りつけてくる重さがある。
イズミは無意識に歯を食いしばっていた。理屈ではなく、本能がこの男を「近づいてはならない存在」と告げている。
セタの周囲には、黒い澱のようなものがまとわりついているように見えた。
それが錯覚なのか、これまで積み重ねてきた殺戮の残滓なのか、イズミには分からない。ただ、この男が信念の名の下に数えきれない命を焼いてきたことだけは、疑いようがなかった。
続く演説は、聖なる炎だの裁きだの、聞き飽きた言葉の羅列だった。
イズミの意識はそこに留まらない。
——結局、やることは一つだ。
——勝って、生き残る。それだけ。
前線に並ばされている御使いたちも、同じことを考えているはずだった。
彼らの顔には信仰の熱よりも、生への執着が浮かんでいる。
最初に矢を受ける役目。逃げ場はない。
「突撃!」
号令と同時に、戦場が動いた。
まず歩哨と御使いが押し寄せてくる。
想定通りの展開だ。
イズミは外門外壁に据え付けられたクロスボウ砲台に立ち、照準を敵の群れへと向ける。
初撃は一斉射だ。
分かっている。分かっているはずなのに、照準の中で敵がどんどん大きくなるにつれ、喉の奥が乾いていく。
「まだだ! 慌てるな!」
怒声が飛ぶ。
だが、焦りは抑えきれなかった。
「撃てぇ!」
反射的に引鉄を引いた。
鈍い衝撃と共に、太いボルトが空を切る。
次の瞬間、それが標的の背後を抜けていくのが見えた。
——くそ。
——動いてる敵は、少し前だ。
頭では分かっていた。
だが、実戦の緊張がすべてを押し流していた。
ここからは各自の自由射撃に切り替わる。
さらに近づく敵に目を向けながら次弾を装填しようとするが、指が言うことをきかない。
周囲では既に二射目を放つ射手もいる。
「……っ!」
歯を食いしばり、無理やり装填を終える。
的を選ぶ余裕はない。城壁に張りつかれる前に撃たなければならない。
今度は迷わず引鉄を引いた。
ボルトは、一直線に飛んだ。
御使いの男の胸元に突き刺さる。
男の目が見開かれ、口元から血が零れ落ち、そのまま崩れ落ちた。
即死だった。
(……やった)
胸の奥に、小さな達成感が灯る。
だが、それはすぐに別の感情に飲み込まれた。
——人を、殺した。
獣を狩ったことはある。
生きるため、食べるために。
だが、人間は違う。
あの男にも、帰りを待つ誰かがいたかもしれない。
そう考えた瞬間、胃のあたりが冷たくなった。
「考えずに撃て!」
指揮者の声が、思考を叩き割る。
——そうだ。
——攻めてくる方が悪い。
——死にたくなければ、来なければいい。
言い聞かせるように、イズミは引鉄を引き続けた。
荒野は敵で埋め尽くされている。
狙いを定める意味は、もはやない。
隣では投石を顔面に受け、鼻血を流しながら撃ち続ける射手がいる。
阿鼻叫喚。
これが戦争なのだと、初めて理解した。
相手を殺らなければ自分もそこに転がる死体のように苦しみながら死んでいく。
恐怖を押し潰すため、身体は勝手に興奮物質を分泌し始める。
撃つ。装填する。撃つ。
単純な動作の繰り返しの中で、命が消えていく。
やがて、心が麻痺し殺しにも抵抗がなくなってきた頃。悲鳴のような報告が飛び込んできた。
「外門が破られた! 内門へ移動!」
心臓が跳ね上がる。
想定していたはずの事態が、現実になる。
拠点内へ侵入するには外門と内門を通ることになるが、その内の一つが破られたのだ。鉄の留め具が悲鳴を上げ埃が舞っている。
門の隙間から朝の光が刃のように差し込み都市連合の兵士たちは躊躇なく踏み込んでいる。槍が連なり、足並みは一つの鼓動のように揃っている。
兜の縁に日が反射し、隊列は城内の通りへと流れ込んできた。
無言で前の射手に続き移動する。
視界の端で、ホーリーネーションの兵が砂時計の砂のように門へ流れ込んでいくのが見えた。
内門への経路は人が5人並んで歩けるぐらいの幅であり、両側の城壁からボーガンを撃ちこめる形状になっていた。
さらに内門の前には一人大剣を抱えて仁王立ちしている者がいた。
その名は老将クランブル・ジョン。ノーファクション最高齢のこの男は自ら内門前の防衛を買って出ていた。
ジョンが防いでいる間にボーガン部隊がさらに相手を削る戦法である。ここが破られれば正真正銘、内部での乱戦となるため、事実上最大の防衛ラインであった。
正直、誰も期待していなかった。
この男はいつも大剣を背負っていたが、これまでそれを振るった姿を見た者は少なく、
大きく曲がった背と老齢からもはやまともに戦えない状態だと思われていたのだ。
だが次の瞬間、その認識は粉砕される。
彼はバキバキと骨の軋むような音を立てて大剣を掲げると、一気にホーリーネーション前衛陣に斬り込んだ。
肉と骨が宙を舞う。
ドチャドチャと鈍い音をたてて落下した。
これにはホーリーネーション側だけでなく、ノーファクション側も驚きに包まれた。
内門前の防衛を名乗り出た際も皆、半信半疑であり死ぬつもりなのだと考えたほどであった。
——嘘だろ。
思いもよらぬ人物の健闘にノーファクション側に歓声が上がる。
「どんどん来い⋯⋯!黄泉への道連れじゃ」
一瞬狼狽えたホーリーネーション側であったが歩哨の1人が動き始めたことで、つられて他の者も同時に襲いかかる。
しかし結果は同じであった。ギリギリと凄まじい歯ぎしりの音を立てながらジョンは第二波を吹き飛ばした。
ボトリと音を立てて落ちるパラディンの首を見て、前へ出る者はいなくなった。
その間にもボウガン部隊による射撃は続き、中で詰まったホーリーネーション部隊は次々に討ち取られていく。
狭い一本道を猛者が塞ぎ、一網打尽にする防衛戦の真髄が見事にハマり、一方的な防衛の型が完成すると思われた矢先、そこにいる全ての者に疑念がよぎる。
2撃目を放ったクランブル・ジョンがそのまま動かなくなったのだ。次に備えて構えるわけでなく下を向き静止しているのだ。
ノーファクションの者から見たら彼にとって限界を超えた動きであり、何か異変が起きたのでは、と直感できる。
事情を知らないホーリーネーション側は先ほどの殺戮を見て躊躇するのは無理もなかった。
しかし、さすがに停滞を嫌った歩哨が動き出す。
「何でもいい!武器を投擲しろ!」
我に返った者たちは一斉に落ちている武器や石を投げつけた。それでもジョンは動かなかった。
その内のいくつかがジョンの体に直撃すると彼はグラリと傾き倒れてしまった。既に絶命していたのである。
彼は自らの余命が少ないと悟り寿命が尽きる間際まで大剣を振るって、しばらくの間ホーリーネーションの攻城を止めたのだ。
その見事な散り様に敵の歩哨たちも少しの間、感嘆し止まっていた。そしてまた我に返り攻撃を再開する。
外門の時と同じように破壊を開始しているが、外門より弱い内門が破られるのは早いだろう。後ろにはシェク4人衆の3人が待機している。
この最終ライン崩壊と共に最後の拠点に走って撤退を開始しなければならない。正直な話、それだと間に合う自信がない。他の者がひくまでなるべくボウガンを撃って時間稼ぎもしなければならない。
イズミの気持ちは揺れていた。
(ここに留まればルミとの約束を守ってルイを助けられない)
すると隣にいた射手が声をかけてくる。
「おめぇは役目があんだろ?内門はすぐに破れる。もう行け」
「いや、でも」
「たまには大人の言うこと聞いとけー」
さらにホッブスの声が重なる。
「イズミ!こっちに来い!最終拠点で待機だ!」
ガンガンと内門が攻撃される音を聞きながらイズミは急いで階段を降り、内門の前を通る。
門は既に壊されかけており、ルカ、オロン、レーンが戦いの準備をしていた。
最終拠点である食堂に着くと、既にルイを抱えたルミが立っていた。
彼女はイズミを見つけると何も言わずに抱っこ紐でルイをくくり付け始めた。
「内門防衛⋯⋯無理そうかな?」
「突破されるでしょうね」
「ローグはまだ見つからないの?」
「あの人は必ず戻ってくるわ。それまでの辛抱よ」
とは言っても壊滅までの時間は刻一刻と迫っている。緊迫が伝わったのか背中に密着しているルイは泣いていた。
「大丈夫だよ。君は私が必ず守るから」
体を揺らしてあやしながら自分を奮い立たせる言葉をかける。すると内門のほうからひときわ大きな歓声が上がった。ついに破られたのだろうか、城内を守る守備兵も内門のほうへ集まりだした。
「見てくるわ。あなたはもう中に入ってなさい」
ルミも薙刀を持って内門走っていってしまった。イズミはこの時、強烈な胸騒ぎを感じる。
これが最後となり2度と会えなくなってしまうのではないかと。気がつけばイズミも駆け出していた。
「お、おい!イズミ!お前は行くなって!」
ホッブスも慌てて追いかけてきた。そして案の定、内門が破られシェク3人が防衛戦を始めていたのだ。
ホーリーネーション側もパラディンを投入し突破を計ってきている。シェクと鍔迫り合いに持ち込み、次第に内門の包囲網が解けてきているところにさらに高位パラディンが割って入る。
ノーファクションも傭兵等がこれを防いでいた。しかしそれも束の間。やがて城内は乱戦の様相を呈してきた。
「もうだめだ!食堂に退くぞ!」
ホッブスがイズミの手を取り引っ張り始めた。
「ルミは!?呼ばないと!」
「自分で判断するさ!さぁ来い!」
しかしイズミたちがそのまま食堂へ退避しようとしていた矢先。異変が起きる。
人数の戦力差が低いにも関わらずノーファクション側が押し返し始めたのだ。
いや、人数もいつの間にかこちらが優位になっていた。侵入してくるホーリーネーション勢が減ってきたのだ。
よく見ると城壁に上がっている射手部隊が歓声を上げている。
外側で何かが起きていることが分かり、イズミも急いで城壁の階段を駆け上がったがそこには驚くべき光景が広がっていた。
後方から斬り込む少数の影。シェクと浮浪忍者の少数集団がホーリーネーションの軍勢に後方から斬り込んでいたのだ。
そしてその先頭にはこれまで何度もノーファクションのメンバーに希望を与えてきた男ローグがいた。
その姿を見た瞬間、胸の奥で何かがほどけた。