Kenshi -20years later- 作:さわやふみ
ローグが仕掛けたホーリーネーション勢への奇襲は、冷静な判断と周到な準備によって、ほとんど完璧に噛み合っていた。
事前に籠城を選び、物資を蓄え、傭兵までも城内に配していたことが、敵の思考を縛っていた。彼らの意識は攻城戦一色であり、背後から刃が迫る可能性など、想定の外に追いやられていたのだ。その油断こそが、致命傷だった。
ローグは、普段なら決して選ばない大剣を振るっていた。重く、癖のあるその刃を、まるで己の延長であるかのように操り、次々とホーリーネーションの兵を薙ぎ倒していく。返り血に濡れた顔には、鬼気迫る表情が張り付いていた。
――努力で届かぬ武器はない。
それが、この男の在り方だった。日常では飄々と冗談を飛ばし、赤子をあやすときには驚くほど柔らかな笑みを浮かべる男。その導火線に、ホーリーネーションは自ら火をつけてしまったのだ。
やがて、ローグに正面から挑む者はいなくなった。逃げ惑う兵の波を越え、彼は上級審問官セタと、その取り巻きの前に立つ。
「貴様がローグか。なるほど……バストの領主に似ておるな」
セタの呟きは、記憶の底から何かを掬い上げるようだった。ローグの内で、怒りの炎はなお消えていない。
「……お前は、バストでの殺戮に関わっていたのか?」
「関わっていた、などという生易しい話ではない。指揮を執っていた一人だよ。小さくて覚えておらんかもしれんが――貴様の父を処刑したのは、私だ」
城壁の向こうで、夕焼けがじわじわと広がっていく。その会話の断片は、壁上にいるイズミたちの耳にも届いていた。
「……まさか……ローグは、バストの……?」
数年前、都市連合領だったバストはホーリーネーションの侵攻によって壊滅した。領主は殺され、市民の多くがリバース鉱山へと奴隷鉱夫として連行された。
ローグは浮浪忍者村の出身だと語っていたが、生粋の忍者ではないとも聞いている。過去については、ほとんど口を閉ざしていた。
もし彼が、浮浪忍者の支援を受けて鉱山から脱走したバスト市民の一人だったのだとすれば――ホーリーネーションが彼を執拗に追う理由は、すべて繋がる。
砂嵐が風に舞い、その音だけがやけに大きく耳に残った。
イズミの指は、気づかぬうちに小刻みに震えていた。隣のルミは瞬きすら忘れ、時間から切り離された人形のように立ち尽くしている。後方のホッブスは、息をすることさえ忘れたかのように口を半開きにし、喉の奥で何かを押し殺していた。
誰も、言葉を発することができなかった。
「それで? 脱走した俺を、今さら見逃せなくなったってわけか?」
ローグの声は低く、しかし奇妙なほど静かだった。
「言っておくが、俺はお前たちに構っている暇はない。このまま退くなら、敵対するつもりはない」
憎むべき仇を前にしても、彼は対話を選んだ。だがセタは、その誠実さを嘲るように笑う。
「くくく……挟み撃ちが成功して浮かれているようだな。しかし、お前に選択権はない。それに、バストの生き残りを放置するわけにもいかん」
「……なら、終わらせる」
「貴様はリバースに送らず、殺しておくべきだったな。まあいい、ここで死ね」
セタは背負っていたパラディンクロスを手に取った。ホーリーネーションという大国において、事実上No.2に君臨する男。その地位を支えているのは、政治力だけではない。
異端を武力で断罪してきた剣士としての実力――それこそが、彼を上級審問官たらしめていた。
一方、ローグの戦闘力はCP85。ノーファクション内でバーンに次ぐ数値だった。セタは80前半と推定されている。数値だけ見れば、勝敗は読めない。
だがそれは、あくまで物理演算の世界の話だ。精神領域をも取り込んだ無限の太刀を習得したローグの剣は、数式の枠を超えていた。
――無限の太刀 伍の型 環封発冥。
冥土へ封じるがごとく、相手の力を削ぎ、無力化するための型。
「貴様の――」
セタが言葉を発しかけた、その瞬間。
彼の右腕は、パラディンクロスごと宙を舞っていた。
ローグはすでに大剣を捨て、脇に差した太刀を抜き放っていた。得物の変更、予想外の踏み込み、抜刀の速度。そのすべてが、セタの計算を狂わせる。
気づいた時には、ローグは彼の横を駆け抜けていた。
剣聖アークが遺した幻の剣技『無限の太刀』。伍の型以降を初見で見切ることは、ほぼ不可能に等しい。
あまりにも一瞬の決着に、誰もが言葉を失った。セタ自身ですら、何が起きたのか理解できていなかった。
「ぬ……ぐ……ぬおおお!?」
片腕を失い、セタは無様に地へ倒れ込む。ローグは追撃せず、静かに告げた。
「止血しろ。戦いは終わりだ」
その声音には、勝者の高揚はなかった。ただ淡々と、事実だけを告げている。 セタの顔は羞恥と激痛で紅潮し、脂汗が滲んでいた。だが左手はなおも脇の長剣へ伸びようとする。敗北を認めることが、彼の存在そのものを否定することに等しいのだろう。
その時、一人の高位パラディンが静かに歩み寄った。
「セタ様。まずは止血を。それに状況は良くありません。これ以上の損耗は無益です。ここは彼の提案を受け、出直しましょう」
「何を……たわけたことを……」
語気だけは強かったが、言葉は最後まで続かなかった。意識が途切れ、巨体がぐらりと傾く。
高位パラディンは手際よく腕の付け根を縛り上げる。その脈動を確かめ、完全に意識を失っていると判断した瞬間、男の空気が変わった。
「……はい、お疲れさん。んじゃ、俺が大将代理ってことでいいよな?」
周囲のパラディンたちは混乱し、返事もできない。男はそれを確認すると、軽い足取りでローグへ向き直る。
「あんた、強ぇなぁ。今の……無限の太刀だろ? アークの。どこで覚えた?」
年若く見える声音。しかしその瞳の奥には、単なる好奇心とは別の光があった。剣を知る者の目だ。
「高位パラディンだな。これ以上は無意味だと分かるはずだ。決定権があるなら、退け」
ローグは感情を乗せない。怒りも誇りも、すべて奥に押し込めている。
「もちろん、そうさせてもらいますよ。ただ……いつか、あんたとは本気でやりたいね」
「……機会があればな」
「よし、和睦成立! 全軍撤退だ!」
あまりにも軽い号令だった。だがそれは確実に戦場を終わらせる。
ホーリーネーション勢は長蛇をなして退いていく。その背を見送りながら、ノーファクションの面々は徐々に現実を飲み込み始めた。
勝った。 あの三大国の一角を、退けたのだ。
生き残った者たちはその様子を見て徐々に勝利を実感し始める。もう2度と日常が戻ってこないと思っていた者もいただろう。
座り込み泣き崩れる者もいた。歓声の雄たけびを上げ、抱き合いながらお互いを讃え合っていた。それほどこの結果は番狂わせに近い内容であった。
だが、その中心に立つローグだけは、勝利の輪から一歩外れていた。
イズミはそれに気づく。 彼の顔は、まだ戦いの只中にあるように強張っていた。視線は遠く、撤退する軍勢のさらに向こうを見ている。
「ローグ……!」
思わず城壁から声をかける。
振り向いたローグは、ほんの一瞬だけ、いつもの柔らかな笑みを作った。そして軽く手を振る。 だがその笑みは、どこか作為的だった。
次の瞬間には、彼はシェク王国と浮浪忍者の援軍のもとへ駆けていく。 いつもなら、ふざけた仕草の一つでもして皆を笑わせるはずなのに。
短いやり取りの後、援軍はもてなしも受けずに撤退していった。
ざわめきが広がる。 危険を冒して駆けつけた友好勢力を、何の礼もなく帰すなど異例だ。
場外が落ち着きを取り戻してくるとローグはすぐに戻ってきた。そして開口一番、予想だにしない事を口にする。
「恐らく
言葉は短く、断定的だった。
一同は呆然とする。 つい先ほどまで存亡を賭けて戦っていたのだ。体は限界に近い。負傷者もいる。 それなのに――撤退?
足に傷を負い立てない者もいた。さらに『引き払う』という事はこの地を放棄するということであり、慣れ親しんだ場所を手放す事となる。
皆、聞き間違えたのではないかと思うほど訝しげにしていた。イズミもその内の1人であった。
「次ってなんだよ!? 第2波か? だったらなんで援軍を返したんだ!」
問いは正論だった。 だがローグは首を振るだけだ。
「説明は後だ。ウィンワンはいるか!」
「ここだ!一体どうしたっていうんだよ」
変わり者で皆から嫌煙されているウィンワンでさえその雰囲気にのまれてソワソワしている。
「都市連合支部のハムート達のところに行って、すぐに拠点を引き払うよう伝えてきてくれ!」
「向こうもかよ!?」
「お前は荷物がなくて身軽だろ?今すぐ行ってくれ!”無限の書”だけは忘れるなよ!」
「ええ?あれを持ち歩けってのかよ。結構分厚くて重いんだぞ!」
「いいから早くしろ!
この一言で一気にメンバー内に緊張が走る。都市連合は貿易相手国であり、皇帝テングと協議し物流を担ってもいた。
いわゆる友好国に近い存在である。その領内にいる仲間が危険に晒されているという理由が全く思いつかない。
しかし、ローグがこのシチュエーションで誤った判断をするとも思えない。メンバーは状況を呑み込めないまま退避の支度を行い始めた。
長年丹精込めてしかけてきた農地や溜め込んできた物資を横目に、持ち運べる最低限の資材に絞って準備を続ける。
怪我や病気で動けない者は担げる状態にして外で待機させる。イズミにとって気がかりは他にもあった。
「ローグ!あの施設はどうすんの!?」
科学技術担当として任されていた研究設備だ。そこには遠方から持ち帰った古代の技術の設計情報などが蓄積されていた。
「破壊して抹消する!いざという時の遠隔操作は可能だな?」
「ああ、問題ない。ここには何も残さないってことだね」
「そうだ。奴らには渡さない」
“奴ら”。
その正体を、誰も知らない。 だがローグの焦燥は本物だった。
――そして。
運命の女神は、微笑まなかった。
退避完了まで、あと僅か。 その時、地平線の向こうに黒い影が現れる。
その時のローグの表情を今でも覚えている。
かつて諦めることを知らずひたすら目標に向かってまい進し続けているこの男が唯一この時だけ最後に見せた表情は悲痛なまでに無念と絶望を織り混ぜていた。
勝利の残響が消える前に、次なる脅威はすぐそこまで迫っていた。