Kenshi -20years later- 作:さわやふみ
その集団が視界に入った瞬間、空気の質が変わった。
サムライ装束。統率された足並み。鉄と血の匂いをまとった行軍。ひと目で都市連合の正規軍だと分かる。そして、その先頭に立つ巨躯――紫色の肌を持つハイブ人。
知らぬ者はいない。
名を聞くだけで都市の裏路地が静まり返る、巨悪の象徴。
イズミの喉がひりつく。
なぜ、ここに。
ホーリーネーション軍を退けたばかりのノーファクションは、勝利とは名ばかりの有様だった。外門は砕け、防衛塔は黒煙を上げ、兵は傷を抱え、血の匂いがまだ乾ききっていない。
そこへ、この大軍。
援軍――その可能性が脳裏をよぎる。だが即座に否定される。
この兵力は「助ける」規模ではない。
「刈り取る」規模だ。
「内門城壁にボウガン部隊を展開! シェク3人は内門を固めろ。その他は食堂へ!」
ローグの声が響いた。
強く、迷いがない。
それだけで皆が動き出す。だがイズミには分かる。
その指示は明確に“戦闘態勢”だった。
胸の奥が冷たく沈む。
都市連合軍は外門前で整然と停止し、ひとりの侍が前に出る。将校――いや、あの佇まいはもっと上だ。
「ホーリーネーションは撃退したのだな。しかし予想通り、落城寸前ではないか」
満足げな声。
瓦礫と負傷兵を眺めるその目は、獲物の弱り具合を測る肉食獣のそれだった。
ローグが外門前に立つ。背中が広い。
「……何の用だ? 援軍は頼んでいない」
「ああ、失礼した。私はミフネという。特憲隊長から警告は聞いていただろう? 猶予期限が過ぎたのでね。返答次第では潰しに来た」
潰しに来た。
その言葉が、頭の奥で鈍く反響する。
都市連合は味方ではなかったのか。
皇帝テングと会談し、物資流通の協定を結んだはずだ。領内を自由に行き来し、支部も持っている。
それでも、こうして来る。
(……都市連合は、敵だった?)
それとも――。
ローグは予期していたのか。
「お前たちが期待しているような軍事技術などここにはないと言っているだろう」
「それが最後の回答ということでいいかね?」
「傲慢なやり方はいずれ身を滅ぼすとノーブルサークルに伝えておいてくれ」
「……やれやれ。君は世渡りが上手くなかったようだな。では、ロード・オオタの指令の下、貴様らを粛清する」
粛清。
その瞬間、イズミの中で何かが静かに崩れた。
誰も口にしない。
だが全員の胸に同じ予感が落ちていた。
「突撃せよ!」
相手はこちらの準備が整うのを待ってはくれなかった。
槍衾が一斉に迫る。
その先頭に、ひとり立つローグ。
次の瞬間、彼は空へ跳んでいた。
重力を裏切るような跳躍。落下と回転の力を乗せた大剣が、空気を裂く。
胴が裂け、四肢が飛ぶ。血飛沫が霧となる。
人の体格で出せる威力ではない。
侍たちが一瞬、固まる。
その隙をローグは逃さない。
怒りが、剣筋に乗っている。
イズミは知っている。
北方遠征で見た、浮浪忍者頭領モールの『無想剣舞』。
だが、今のローグは違う。
美しさよりも荒々しさ。
計算よりも激情。
全身を返り血で染め、阿修羅のように突き進む。
「囲んで同時にかかれ!」
だが囲えない。
風のように抜け、斬り、また消える。
そして――ミフネへと近づく。
「ボウガン隊! 味方ごと撃て!」
都市連合のエリート狙撃兵が展開する。
これを見たローグは接近が難しいと踏んだのか、再び外門まで下がる。
ボウガン部隊が遠巻きにローグを射殺しようと順次射撃を開始し、ボルトの一本が彼の肩に突き刺さった。
「……っ!!」
イズミの心臓が跳ねる。
ローグは後退し、内門の中へ移動した。城壁での迎撃に切り替えた形だ。
そしてシェク三人衆が立ち塞がる。
「ここは任せろ」
「すまない。オロンはどうした?」
「重傷だ」
「そうか。申し訳ないが少し時間を稼いでくれ」
ローグはふらりとよろめき、その場に膝をついた。
足元にはぽたり、ぽたりと血が落ちていた。
イズミはこの状況に気負わされていたが、ハッと思い出したように彼の元へ駆け寄っていく。
「治療する!動かないで!」
見ると、矢傷だけではなく、細かな裂傷が無数に走っている。
こんな状態で、あれだけ動いていたのか。
「イズミ⋯⋯少しだけルイを貸してくれ」
騒動に驚き、半べそをかいているルイ。
小さな手が震え、何が起きているのか分からずにいる。
ローグはしばらく、その顔をじっと見つめていた。
まるで、その姿を心に焼き付けるかのように。
やがて、ふっと肩の力を抜く。
「ルイちゃーん、イズミと少し外で待っててね〜」
いつもの調子。
胸が締めつけられる。
ああ、この人は。
覚悟している。
「ルミはいるか」
「ここよ」
振り向くと、ルミが血のついた槍を握ったまま立っていた。
「時間を稼ぐ。手はず通りに」
その声は静かだった。
だが、決意だけは鋼のように固い。
ルミは一瞬だけ目を伏せる。
「……わかった。あとでね」
その短い言葉に、様々な感情が詰まっていた。
ローグは少しだけ笑った。
「……ああ。たくさんカニを飼う約束が果たせなくて、ごめんね」
ルミの眉がわずかに揺れる。
二人はしばらく見つめ合っていた。
そして、そっとルイの頬に手を当てる。
言葉はない。
だが、そこには確かなものがあった。
長い時間を共に戦い、生き延びてきた者だけが持つ絆。
それは誰にも踏み込めない、静かな領域だった。
イズミは、子供ながらに理解してしまった。
――これは、今生の別れだ。
その空気を切り裂くように、内門から轟音が響いた。
ドンッ!!
巨大な影が宙を舞い、地面に叩きつけられる。
「巨躯のレーンが飛ばされた!?」
拠点内がどよめきに包まれる。
破壊された内門に、血色の悪い手がかかった。
軋む音を立てながら、狭い門をくぐり抜けてくる巨体。
紫色の肌のハイブ人。
その右手には――メイトウのデザートサーベル。
姿を現した瞬間、空気の質が変わった。
冷たい。
重い。
まるで、空間そのものが沈み込んだかのようだった。
「グルルル……アイゴアが殺す」
領内に入り込んできたその者はサメのような目で辺りを見渡すとローグを見つけて顔を止めた。
ドンッ!!
地面が爆ぜる。
凄まじい踏み込みで、一直線に突進してくる。
「アイゴアか⋯⋯!!」
イズミは動けなかった。
呼吸をするたび、肺に流れ込む空気が鉛に変わる。
膝が震え、指先が冷たくなる。
これは戦う相手ではない。
立ちはだかる“災厄”だ。
(まずい)
イズミはルイを見る。
彼女は大声で泣いていた。
ローグは――?
いない。
次の瞬間、イズミの視界に映ったのは、
アイゴアの足元へ大剣を斬りつけようとしている背中だった。
恐怖に呑まれない。
ほんの刹那で動き出す胆力。
その胆力に、イズミは何度救われただろう。
――彼なら。
――ローグなら。
そんな期待を抱かずにはいられない。
二人がすれ違う。
ギャリギャリッ!!
金属同士が擦れる鈍い音。
アイゴアがデザートサーベルを咄嗟に当て、防いだのだ。
どうやら興味はローグだけらしい。
背中は完全にこちらへ向いている。
そして次の瞬間。
二人の斬り合いが始まった。
稲妻のような斬撃。
それを紙一重で避けながら、ローグの大剣が遠心力を乗せて唸る。
突然始まった最高峰の戦い。
誰もが呆然としていた。
その時だった。
「早く食堂へ移動しろ!!」
ローグの怒号が響く。
あまりにもローグらしくない声だった。
張り詰めた形相。
それだけで、皆が悟る。
――本当に、時間がない。
突破された内門から侍たちが雪崩れ込んでくる。
拠点の中は、すでに乱戦だった。
イズミはルイを背負う。
だが戦闘の壁が行く手を塞いでいる。
「こっちよ!」
ルミが腕を引いた。
そして大身槍を構え、立ちはだかる侍へ渾身の突きを繰り出す。
だが野太刀に弾かれる。
「私が隙を作るから、その間に駆け抜けなさい!」
「一緒に――」
「背中にルイを背負って、あの鎧の間を斬れないわ!」
イズミは言葉に詰まる。
「いくよ!」
ルミが踏み込む。
その瞬間――
侍の首が宙を舞った。
ローグの大剣だった。
彼はアイゴアと戦いながら、仲間の撤退を援護していたのだ。
嵐のように大剣が唸る。
アイゴアの斬撃を避けながら、計算された軌道で侍だけを斬り払っていく。
神業だった。
都市連合軍の進撃が止まる。
その隙に、イズミたちは走った。
背後で続く剣戟。
ローグの竜巻のような剣舞が、巨躯のアイゴアさえ飲み込もうとしていた。
都市連合最強のソルジャーが、一つの組織の青年頭領に押されている事実に侍たちの表情には焦りが見え始める。
「ええい! 避けながら展開しろ!」
侍軍曹が怒鳴る。
だが侍たちの足は重かった。
誰もが見てしまったのだ。
ローグの戦いぶりを。
そして、誰もが理解していた。
――この男は、ここで死ぬつもりなのだと。
その背中を見ながら、イズミは歯を食いしばった。
涙が出そうになる。
だが走る。
走るしかなかった。
(お願い……)
勝ってほしい。
生きてほしい。
それだけだ。
もう振り返らない。
振り返れば、足が止まる。
背後で、金属が激しくぶつかり合う音が鳴り続けていた。