Kenshi -20years later-   作:さわやふみ

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168.背負いし者

 怒りはすでに燃え尽き、残ったのは冷えた静寂。周囲の空気は張りつめ、近づく者に無言の警告を放つ。

 そこに立つ青年は、人でありながら人を超え、戦いそのものの残像となって、ただ沈黙を背負っていた。

 

 

 

 

 

 日が沈み、放たれた火により燃え盛る家屋が煌々と辺りを照らしている。逃げ遅れた城壁のボウガン部隊は侵入する都市連合の侍たちに討ち取られていく。食堂でバカ騒ぎしていた大男たち。通りかかるといつも声をかけてくれた農園担当の人たち。パンをおまけしてくれた食堂のおばさん。男女関係なく見知った人たちが次々と刃に倒れていく。

 その中でローグは自分の血なのか返り血なのか分からないほど全身血まみれのまま食堂の前で1人仁王立ちして、何者の侵入も拒んでいた。

 

 その光景をイズミは食堂の屋上からただ立ち尽くして見ていることしか出来なかった。声を張り上げることも、駆け寄ることもできず、視線だけが彼の背中に縫い止められている。

 ひとりで踏みとどまり、ひとりで抗うその姿は、風に逆らう灯火のように心細い。それでも彼は倒れず、膝が震えても剣を下ろさない。仲間の数だけあったはずの未来が、今は彼の肩にだけ重くのしかかっている。

 イズミの胸に去来するのは、祈りにも似た無力感だった。助けたいと願うほど、距離は残酷に広がっていく。彼の影が夕闇に溶けていくのを見つめながら、イズミは気づいていた――この戦いで最も深い傷を負っているのは、血を流す彼ではなく、見ているしかない自分なのだと。

 

ローグ。

 

あなたはもう頑張らなくていい。そこに立っていなくていいんだ。

あなたが目指していた人間社会を豊かにする目的は遠のいてしまったけど、多くの仲間を失ってしまったけど、またどこかで一からやり直せばいいんだ。ルミやルイのために今は生き残ることだけ考えていればいいんだ。

 イズミは階下を見やる。

 

「ルミ!負傷者の脱出はまだ!?外は⋯⋯外はもうローグだけだ⋯⋯!」

 

「⋯⋯まだよ!あと少し!」

 

イズミの悲痛な訴えに、健気にも声を張るルミの手は震えていた。当然だ。唯一の脱出路となっている閉め切った食堂の外で、ローグが1人で多数の敵と対峙しているのだ。老人などの非戦闘員や負傷者を誘導しながらも夫の無事を祈っているに違いない。

 

 時間は非情にも平等に与えられ、その間にも都市連合軍はローグを討ち取らんと取り囲み始めている。

 対するローグは肩を上下に大きく揺らしており、もはや体力の限界であることは誰の目から見ても明らかであった。大地に根付いたように刺さった大剣に力なくもたれかかり息は荒い。それでも前を見すえ近づく者に無言の圧力をかける。侍たちはそれに気負わされ接近を躊躇する。

 ただ、それが通じない者も当然いた。アイゴアである。掻き分けるように前に出てきた巨漢は最後の決着をつけるべくデザートサーベルを構えた。

 

【挿絵表示】

 

「はぁ⋯⋯はぁ⋯⋯アイゴアか⋯⋯。中々しんどくなってきたな」

 

「グルルルル⋯⋯殺す」

 

言葉が通じているのか分からない猛獣はただただ殺意の波動を纏い、サメのような目でローグを凝視していた。

 さらに向かい合う2人を囲うように商人風情の者たちもそれぞれの武器を構えて様子を伺っている。アイゴアを支援しつつ隙あればローグを討ち果たすつもりなのだろう。

 ローグは大剣から手を離し、脇に差している刀の柄に手を添えた。そして神経を研ぎ澄まし全方位に意識を集中する。

 本来ローグが最も得意とする得物は刀であった。

人より体格が軒並み優れているわけでもないこともあり、浮浪忍者村にて密かに無想剣舞の基本を教えてもらう。その後、ウィンワンの無限の書から努力の末に無限の太刀を極め、刀による剣技の極致へと辿り着いた。

 そしてローグがこの局面で選択した剣技は

 

奇しくも居合斬りであった。

 

 鞘から抜く動きそのものを斬撃とし必要最低限の動きで「準備動作」が存在せず、相手の反応時間を与えない。

 

 居合斬りの速度は腕の速さではなく鞘引きによって生まれる。右手は刀を抜きつつ刃筋を立てる。

左手は鞘を後方へ強く引く。この両手の逆方向の動きによって、刀身の相対速度が一気に上がる。そして鞘から刀身を抜ききる前に刃を弾くことで加速を加えるのだ。さらにローグはここに無想剣舞で会得した体幹による力の伝達を加える。腰の回転、丹田(下腹部)への重心集中、足裏から地面反力の受け取り。これらによって生じた力が、肩 、肘 、 手首 、刀へと途切れなく伝わり、神速の斬撃を生み出す。この初撃を凌げた者は見たことがない。

 しかし、居合斬りは初撃にのみ全ての動きを費やしている。多勢を相手にして効果が薄いのは素人のイズミにも理解できていた。間合いに入った最初の一人を斬ったとて、敵は動きを止めないだろう。

 

 アイゴアを斬らせまいとばかりに商人風情の男たちが身をていして動く。

しかしここからのローグの動きはまさに鬼神とも悪魔とも呼べた。対多数という状況におけるあり得ない選択に見えたこの型は現状のローグにとって最適解であった

 

 彼は鞘に手を添え、ただ静かに立っていた。呼吸は浅く、心は湖面のように澄み切っている。斬るために構えるのではない。来る者を迎え入れるために、そこに在る。

 最初に近づいたのは、足音の荒い男だった。恐れを怒りで塗り固めたような気配。男が一歩、間合いに踏み込んだ、その瞬間――

カチリ、と小さな音が闇に溶けた。

 刀はすでに鞘を離れ、次の瞬間にはまた収まっている。男は何が起きたのか理解できぬまま、力を失い、膝をついた。ローグは振り返らない。興味も、感慨もない。

 次に後方から近づいた者は、慎重だった。足運びは忍び、殺気を押し殺している。だが、殺意は重さを持つ。重さは空気を歪ませ、ローグの感覚に触れる。

半歩、近い。

一閃。

 今度は音すらなかった。ただ風が流れ、松明の火が揺れただけだ。2人目も影のように崩れ落ち、夜に吸い込まれていった。

 3人目、4人目。速さを誇る者、力を信じる者、策を弄する者。ほぼ同時に斬りかかり、誰もが「自分なら届く」と信じていた。

 だがローグにとって、順番は距離の誤差でしかなかった。

近づいた者から、ただ斬る。それだけの理。

刀は舞わない。振り回されもしない。

抜き、斬り、納める。

一呼吸のうちにすべてが終わる。

 疲労を回復しつつ彼の領域に入った者から順番に精密機械のように極限に切り詰めた動作で斬り取っていく。

 やがて、指揮官以外の商人風情の男たちは消え、近づく者はいなくなった。夜は再び静けさを保ち、松明の火も落ち着きを取り戻す。

 

「なんなんだこいつは⋯⋯」

 

嘆くのは無理もなかった。死体を築きただそこに立ち尽くす夜叉は平然と次の獲物を求めるだけであった。

 そうなると都市連合にとって最後の頼みの綱は猛獣アイゴアのみとなる。最大領土を誇る帝国が作り上げた最強の殺戮マシーン。逆にローグがこの者を倒せれば流れが大きく変わる事を意味している。

 ただ、その圧倒的な佇まいを形作っているたくましいガタイは武者鎧で包まれ、刀のような細い刃は身を通さない。対抗手段となる大剣は既にローグの手もとから遠く、さらに彼自身、尋常ではない脂汗を流しており体力の限界を物語っていた。

 

「ルミ!!扉を開けて!!!!」

 

イズミが叫んだと同時にアイゴアが飛び出す。右手にデザートサーベルを携え、振り下ろす。アイゴアが最強たる所以はその人の域を遥かに越えた筋力にある。その絶対的な暴力はこれまでも全ての敵対者を飲み込んできた。爆発とも思える踏み込みと振り下ろすだけの所作それだけであるが、圧倒的な力による間合いと斬撃は神速に並んでいた。

 疲労により限界が近づいていたローグがこれを避けるのは至難の業に見えた。

 

しかし極限状態の中、ローグは全ての剣技を活用する

 

無限の太刀 陸の型 理心天星

 

この世の全ての事象を予測し反応する

 

剣聖アークにより作り上げられた無限の太刀。その陸の型はこの世のあらゆる剣技に繋がっており、アイゴアの脚力と腕力から繰り出される斬撃軌道をも予測する究極の読心術だ。

 

ローグはよろめきながらも必要最低限の動きで真横に避ける。それでもアイゴアの剣圧は耳と肩の肉を削ぎ落とした。

だがローグは止まらなかった。

アイゴアの右腕の関節に寸分違わない角度で刀の刃を入れる。そして一気に引き下ろした。

アイゴアの太い腕はデザートサーベルを掴みながらゴトリと地面に落ちる。細身の刀で丸太のようなアイゴアの腕を落としたのだ。

 

いける。

倒せる。

 

イズミは息をするのも忘れ、両手を握りしめた。爪が食い込む痛みで、かろうじて現実に踏みとどまる。

「お願いだ……」

声にならない祈りが、喉の奥で震える。

ここまでどれだけの犠牲があっただろう。思い返す暇もなく、時間だけがやけにゆっくりと流れていく。

 

さらにローグは渾身の袈裟斬りをアイゴアの頭部へ繰り出す。切っ先が眉間をかすめ、血が宙に散った。

 

 

巨獣は

 

 

倒れない

 

 

ただ、片腕の欠損によりバランスを崩し狼狽している。体勢を整えたローグは再度、殺りにいくべく、必殺の構えを見せた。

 その瞬間、世界から音が消えた気がした。

 心臓の鼓動だけがやけに大きく、耳の奥で鳴り響く。

 

 

 

どうか、届いて。

どうか、倒れて。

 

 

 

祈ることしかできない自分の無力さを噛みしめながら、それでも目を逸らさずに見つめ続ける。

その一撃が、すべてを終わらせると信じて。

 

 

 

 

しかし

 

 

 

 

この戦いは初めから1対1の戦いではなかった。

 

 

 

 

意識外からの強襲。

音もなく迫った衝撃がローグの脇腹を貫く。

ボウガンのボルトが突き刺さっているのだ。

刃は深くは届いていないものの、確かな痛みと衝撃を感じたローグは踏み出しかけた足を止めた。

 

「今だ!一気にかかれ!将軍を守れ!」

 

そこからの出来事は深くイズミの脳裏に焼き付き、鮮明に記憶される瞬間となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

どうしてこうなった?

私たちが何をしたと言うのだ?

敵対したわけではない。迷惑をかけたわけでもない。ただただ必死に自分たちの領域で生きて来ただけだ。協力もしてきた。

それなのになぜ私たちは攻撃を受けなくてはならない?

 

 

壊れていく。自分の見知った場所が、平穏な世界が音を立てて崩れていく。

 

 都市連合はあるかも分からない軍事技術を求めて、我々を攻撃しに来た。

他者が力を持つ――その兆しだけで、彼らの目は濁る。既得権益にしがみつき他者が力を持つことを極度に恐れ僻む者たち。自分たちだけよければそれでいいという考えのもと、平気で他者を搾取し蹂躙する。奪うことにためらいはなく、踏みにじることに罪悪感もない。他者の痛みは、彼らにとってただの背景音なのだ。

 彼らはいつも、同じ場所に腰を下ろしている。

磨き上げられた椅子、使い古された権威、何度もなぞられて擦り切れた言葉。そのすべてにしがみつき、指の間から零れ落ちる未来を見ないふりをしている。恐怖と嫉妬が混ざり合い、腐臭のように漂う。自分たちが築いたと信じて疑わない城が、実は他人の骨の上に立っていることを、誰よりも分かっているのだ。

 

 

 

ーー許せない。

 

あんな奴ら⋯⋯皆殺しにしてやる

 

 

 

胸の奥で、何かがゆっくりと熱を帯び始める。

理不尽への違和感、説明のつかない不快感。だがそれは抑え込まれ、積もり、沈殿し、やがて言葉を持たない怒りへと変わっていく。

血の奥がざわめく。

呼吸がわずかに荒くなり、視界の輪郭が鋭くなる。張り付いた皮膚の下で蠢く醜悪な感情が、今にも破れ出そうとしている。

怒りはさらに燃料を与えられ、内側で轟音を立て始める。爆発ではない。むしろ、逃げ場のない圧力だ。骨の内側から押し広げられるような、静かで、重く、確実な力。

その瞬間、理解する。

この怒りは見過ごさないため、忘れないため、そして――いつか抗うために、ここにあるのだと。

唇を噛みしめ、目を逸らさない。

 

 

ローグが槍で突かれ刀で斬りふせられる様子を、イズミはこの目に焼きつける。

最後の最後まで怒りを風化させないために。

 

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