Kenshi -20years later-   作:さわやふみ

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169.決別

「イズミ!お前が脱出する番だ!」

 

屋上に駆け上がってきたホッブスがイズミを引っ張った。

 

「ローグが⋯⋯ローグがぁ!うわあああん!」

 

いつもクールに振る舞うイズミの尋常ではない取り乱し方にホッブスは異常を悟り下を見おろした。

 

「う⋯⋯!あれは⋯⋯ローグ⋯⋯なのか?」

 

イズミは泣きじゃくり応えない。しかし、都市連合の人だかりの中心で槍や剣が突き立てられて倒れている者の容姿は、かつてノーファクションを立ち上げ我々を導いてきたボスに他ならない。

 これまでボロボロになっても不屈の根性を見せて立ち上がり皆を鼓舞し勇気づけて来た男は2度と蘇ることのない姿に成り果てていた。

 さらにアイゴアがよろめきながら左手にデザートサーベルを手に取り、ローグの身体に突き刺した。一度ではなく何度も何度も敗北の憎しみを消そうとするように。

 

「アイゴア将軍、あなたは片腕を失っているのです。治療しなければ死にますぞ!」

 

敵の指揮官ミフネも安全が確保されたと見るや近づいて来ていた。

 

「これ!将軍を急いで治療しろ!こいつのトドメは私がさしてやる」

 

倒れて動かないローグの身体にミフネは刀を突き刺した。勝敗が決している上で何の意味のない行為に食堂の屋上から見ていたホッブスは怒りのあまり思わず罵声を浴びせた。

 

「くそがぁ!!お前ら!八つ裂きにしてやる!」

 

それを見上げながらミフネは侍たちに食堂のドアを破るよう指示をだす。

 

「後はここだけだ。待っていろ、全員殺してやる」

 

周りの住居は火をかけられ黒煙をあげている。食堂にも同じようにしないのは軍事技術を入手するためか確実にこちらの人員の息の根を止めるためなのかもしれない。

 

「降りるぞ⋯⋯」

 

ホッブスは無理やりイズミの腕を掴み階段を降りていく。一階の食堂に来ると、突入路となる入口にはひっくり返した長机と食料棚を積み上げた即席のバリケードが配置され最後の戦いに備えた陣形が取られていた。中には足を負傷して動けない老人が分厚い石壁に背を預け震える手で剣を握りしめていた。   

 鍋やフライパンがぶら下がる調理場の奥では、負傷兵が歯を食いしばりながら包帯を巻いている。かつて温かな料理を生み出していたかまどは、今やゴミ捨て場として使われていた。

 外では敵兵の足音が規則正しく近づき、金属靴が床を蹴り飛ばす乾いた音が、死神の鼓動のように響いていた。

 

「……最後だな」

 

誰かが小さくつぶやいた。その声は、食堂の高い天井に吸い込まれて消えていく。

 

「イズミ⋯⋯外は?」

 

【挿絵表示】

 

「ルミ⋯⋯」

 

イズミの表情を見たルミは全てを悟ったようであった。だが彼女はうつむかなかった。頭領の妻として最後の砦である食堂を任された責任者として使命をまっとうするため。

 

イズミは理解している。

ルミはそんな一瞬で気持ちを整理出来るほどの心の強さを持っていない。

 ローグと出会ってからルイを育み、共に歩んできたかけがえのない時間は何ものにも変えられない大切な宝物であったはずだ。感傷に浸れずそれを兵士としての使命の前で押し殺すことはあまりも残酷な仕打ちだ。

 ルミは残っている者たちの前に立ち、静かに号令をかける。

 

「みんな武器をとって。イズミはルイを頼むわよ。先に負傷兵とご老人たちがいるから一緒に逃げて」

 

声は凛としていた。誰も、彼女の胸の奥で何かが音を立てて崩れ落ちたことに気づかない。

夫と交わした、ささやかな約束。平和な世界でカニをたくさん飼おうと決めて笑いあったあの夕暮れ。その記憶を、彼女は鎧の内側へと押し込める。

涙は流さない。

ここは戦場で、彼女は兵士だ。

焚き火の赤い光が、彼女の横顔を照らす。頬は引き締まり、瞳は前を見据えている。ホッブスが近づき、低い声で言った。

 

「……大丈夫か」

 

彼女は一瞬だけ目を伏せ、それから小さくうなずいた。

 

「問題ないわ。任務を果たすだけよ」

 

それが嘘であることを、彼女自身が一番よく知っていただろう。だが剣を手放すわけにはいかない。夫が守ろうとした人たちを、今度は自分が守るのだと、心に刻み込む。

 夜空に星が瞬き、やがて突撃の音が遠くで鳴り始めた。彼女は剣を抜き、兵たちの先に立つ。

その背中は、あまりにもまっすぐで、あまりにも孤独だった。

 

そして扉の向こうで、敵兵の怒号が響く。

 

「投稿しろ!大人しく解放すれば恩赦が貰えるかもしれんぞ!」

 

その言葉に、誰も応えなかった。ただ、剣を握りしめる指が、わずかに強く締まる。扉を開けても誰も生かしてもらえないのは分かっているのだ。

 

ルミはゆっくりと仲間たちを見渡した。疲労と恐怖に染まった顔の奥に、それでもなお消えない覚悟の火が宿っている。

 

次の瞬間、扉に激しい衝撃が走った。木片が飛び散り、バリケードが軋む音が鳴り響く。

かつて命をつなぐ食事を分け合った場所で、彼らは今、命そのものを賭けて戦いに身を投じることとなった。

 

「イズミ!!早く行きなさい!!」

 

「わ、分かった。後で、ね⋯⋯」

 

ルミの鬼気迫る怒号にイズミは選択する余地はなかった。言われるがままに脱出口の階段を降りて、背丈もない高さの暗い一本道の空洞をランタンの光を頼りにただひたすら這っていく。奥へと続く先の見えない闇は永遠に続いているのではないかと思わせるほど不安感と恐怖心を掻き立てる。それでも様々な感情が交錯しイズミを前に進ませる。

皆が刃に倒れていく様が脳裏に焼き付いて離れない。

皆平等に輝ける未来があった。最高の料理人を目指す者、医者を目指す者、剣技の高みを追求する者。理不尽に奪われた彼らの未来を思うと熱を帯びた感情が一気に喉元までせり上がってくる。

 

許せない。

心臓は戦太鼓のように鳴り響き、呼吸は浅く、荒くなる。周囲の音が遠のき、ただ自分の内側で燃え盛る感情だけが、異様なほど大きくなっていく。

 

頭の中では、言葉にならない叫びが渦を巻き、胸の奥で溜まり続けた悔しさや屈辱が、黒い炎となって噴き上がる。まるで長い間、心の底に押し込めていたものが、堰を切ったように溢れ出すかのようだった。

 それは嵐のように荒れ狂い、すべてを壊してしまいそうでありながら、同時に自分自身をも焼き尽くそうとしていた。

 ただ、この憎悪の波に飲まれようとするイズミを引き留める存在がいた。

これから未来がある者。

背中に託された小さな命だけは必ず守り切る。ルイの泣き声がイズミを引き戻し奮い立たせるのだ。

泥だらけになりながら、涙で視界を滲ませながらイズミはついに見えてきた星明かりの先に辿り着いた。

 

 頭を血で染まった包帯で巻かれた兵士にたぐり上げられた。瓦礫に埋もれた脱出口から這い出した瞬間、冷たい夜気が肺いっぱいに流れ込んだ。胸が焼けつくように痛み、喉の奥で金属の味がした。その場には老人や負傷兵あわせて5人ほどしかいなかった。

 息を整えながら、ゆっくりと背後を振り返る。

遠方の闇の中で、拠点は巨大な篝火のように燃え上がっていた。赤と橙の炎が夜空を引き裂き、黒煙がうねりながら天へ昇っていく。その光は、ここまで届くほど強く、まるで逃げ延びた者をあざ笑うかのように揺らめいていた。

爆ぜる音が、遅れて風に乗って届く。

腹の底に響く低い衝撃音とともに、火柱が一瞬だけ高く跳ね上がった。

 

――あそこには、すべてがあった。

仲間も、誓いも、日常も。

 

炎の向こう側に、かつての記憶が焼かれていくような錯覚に襲われる。胸の奥がじくりと痛み、唇を噛みしめた。

それでも、目を逸らすことはしなかった。

燃え落ちる拠点を、最後まで見届けるために。

やがて炎は遠くの星のように小さくなり、夜の闇に溶け込んでいく。

もう、戻る場所はない。

だが、生き延びた意味だけは、まだ燃えていた。

 

「お前で最後か?」

 

兵士からの質問は残酷だった。

 

「まだだ⋯⋯ルミたちが来る」

 

そのままその場で待つことにした。刻一刻と時は過ぎるが、後続が来る気配はない。

 

「だめだったんじゃ⋯⋯」

 

「見てくるからルイを頼む」

 

「危険だ!敵も脱出口に気づいているかもしれない」

 

「10分経っても私が戻って来なかったら行ってくれ」

 

「いやしかし⋯⋯」

 

負傷兵は泣きじゃくっているルイを見て困惑していた。自分では手に負えないと言わんばかりであった。それに夜に響く子供の泣き声は敵を呼ぶ。

 

「そうか、もういいよ、ここで解散してそれぞれ思うように逃げてくれ」

 

誰も反対することはなかった。皆、近くのテックハンターが管理するウェイステーションに身を寄せるとのことだった。イズミとルイはその場に取り残され、後続が脱出口から出てくるのをひたすら待った。そして一筋の光が穴からこぼれてくるの気がつく。

 

「⋯⋯!ルイ、ちょっと待ってて!」

 

やがて這いずる音とともに光が強くなってきた。

 

「あ!!」

 

姿を現したのはルミであった。綺麗だった長い髪は埃で汚れ、服は血に染まっていた。

 

「⋯⋯ルイに怪我はない?」

 

「ああ!大丈夫だよ!ルミは平気なの!?ホッブスは!?」

 

「彼が残って穴を塞いでくれたの⋯⋯。私はおめおめと生き延びてしまった」

 

「⋯⋯いいよ。いいんだよ!ルミはルイのためにも自分のためにも生きていいんだよ!」

 

ルミの身体は傷だらけであった。最後の最後まで責任者として奮戦していたのだろう。我が子のためにも戻ってきたこの人のことを責める者はいない。

 

「他のやつは先に逃げた。私たちも追手が来る前に行こう。近くにあるウェイステーションに行けば奴らも手を出せないはずだ」

 

「⋯⋯ローグは、都市連合の襲来を予感していたわ。彼らの真の目的は分からないけれど、私たちを徹底的に撲滅しようとしている。ウェイステーションは危険よ」

 

「くそ⋯⋯!あいつら!」

 

「これに備えてシェク行商担当だったサッドニールチームに手紙が届いているはず。彼らとの合流地点に向かいましょう」

 

イズミはルイを背負い、傷ついたルミに肩を貸しながら闇夜の中を進み始めた。

 

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