Kenshi -20years later-   作:さわやふみ

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170.運命は動き出す

 

 ルミは思ったよりも、ずっと悪かった。全身の筋肉が痙攣し、呼吸困難にもなっており、破傷風の兆候が見られた。どこか清潔できちんとした施設で治療しないと危険な状況だった。

 

(危険だけどやはりウェイステーションに連れて行くしか⋯⋯)

 

なんとか合流地点に辿り着いたものの、治療道具が全くない状態であり一刻を争う状態であった。

 

そこに旅姿をして商人籠を背負った一行が到着する。

そして先頭にいたスケルトンが坦々と問いかけてきた。

 

「拠点が襲撃されたと聞いたが一体どういうことかね?」

 

イズミは虚ろな表情のまま、わずかだけ視線を向けた。

 

「……サッドニールか」

 

 声はひどく乾いていた。

 

「ホーリーネーションと都市連合が……立て続けに来た。持ちこたえられなかった……」

 

「なんと。あの2大国がそれぞれ攻めてきたというのか?なぜかね?」

 

「知らない⋯⋯」

 

「他の皆はどうした?道中の噂ではウェイステーションに避難していた仲間は捕らえられて処刑されたらしい」

 

「……っ!」

 

 一瞬、呼吸が止まった。

 

 耳鳴りがする。

 

「……じゃあ、みんな死んだよ」

 

 自分の声が、自分のものじゃないみたいだった。

 

「なに!ローグもか?本当なのか?」

 

「うるさいな!本当だよ!それよりルミを助ける方法を考えてくれないか!?」

 

イズミは坦々と状況確認をしてくるサッドニールにイライラして、つい声を荒らげてしまう。しかし、彼は気にする様子もなくルミを見る。

 

「むむ。この状態は破傷風菌に冒されているな。抗破傷風ヒト免疫グロブリンで毒素を中和し、抗菌薬で菌を殺す必要がある」

 

「そんなの分かってる!治療出来る方法を教えてくれよ!」

 

 叫ぶたびに喉が裂けそうになる。

 

「この周辺でそれが可能なのは……ウェイステーションしかない」

 

 わかりきっている答えだった。

 だからこそ、何も言い返せなかった。

 イズミはうつむいたまま、拳を握りしめる。爪が食い込んでも、痛みは感じなかった。

 

 その時――

 

「……イズミ」

 

 かすれた声が、空気を震わせた。

 はっと顔を上げる。

 ルミが、わずかに目を開けていた。

 

「ありがとう」

 

イズミは慌てて身を乗り出した。

 

「何言ってるの」

 

 すぐに身を乗り出す。必死に笑おうとしたが、顔がうまく動かない。

 

「大丈夫。すぐに――」

 

「ねえ、聞いてほしいことがあるの」

 

 その言葉に、イズミは口を閉じた。

 嫌な予感が、静かに胸を締めつける。

 

「……なに?包帯取り替える?」

 

「ピット地方に、行きたいの」

 

 一瞬、意味がわからなかった。

 

「え……? ピットって……一番東の? なんで――」

 

「最後は生まれ故郷に戻りたいの」

 

 “最後”という言葉が、鋭く胸に突き刺さる。

 イズミはそれを、必死に無視した。

 

「でも今は治療が先で――」

 

「それに危険な行程になるぞ。我々だけでは心もとない。既に行商チームの何人か離脱している」

 

サッドニールの同調にもルミは答えずに、横で寝静まっているルイの頬をなでながら懐から一冊の小さなノートを取り出した。

 色とりどりの付箋が貼られたノートだった。表紙には、クレヨンで描かれた拙い丸と線。2歳になったばかりの、ルイの落書きだ。

 

「ルイはね、朝はすごく機嫌が悪いの。でも、抱っこすると、すぐにご機嫌になるわ」

 

ノートをめくる指先が、少し震えている。

 

「ごはんは、野菜をよく煮込んだスープが好き。逆に、お肉はまだ苦手みたい。無理に食べさせなくていいから、小さく刻んで、少しずつ慣れさせてあげて。それと卵にアレルギーがあるの。ほんの少しでも口にすると、すぐに赤くなって、苦しそうに息をするから……必ず確認して」

 

「ル、ルミ。何⋯⋯言ってんの?」

 

「お昼寝の前は、この絵本。……ほら、表紙がもう少しで破れそうでしょ。何回も読んでって持ってくるの。読み終わると、必ず『もういっかい』って言うのよ」

 

胸の奥が締めつけられる。

 

「夜はね、手を握ってあげると安心するわ。私の手を探すの。……だから、もし泣いたら、ぎゅっと握ってあげて」

 

イズミは目を伏せ、唇を噛みしめた。

 

「どうして、こんな話を……」

 

言葉の途中で、喉が詰まった。視界が滲み、ルミの姿がぼやける。

 

「この子には、私がいなくても生きていける力をあげたいの。でも、今はまだ小さすぎる。だから……お願い。私の代わりに、この子のそばにいて」

 

沈黙が流れた。

 

「何言ってんのよ。ルミはこれからもルイと一緒に暮らすんだよ。私が代わりになんて変だよ」

 

イズミの目から、大粒の涙がこぼれ落ちる。

 

「ああ⋯⋯もっとあなた達と一緒にいたかったわ」

 

「いや、だから……」

 

「どうか、あなた達がカニに囲まれて幸せに暮らしていけますように⋯⋯私はいつも見守って⋯⋯」

 

そう言いながら、ルミは静かに目を閉じた。

そして手にあったノートがこぼれ落ちる。

 

「え⋯⋯ルミ?」

 

冷たい夜風が鋭い刃となって吹き抜けていく。

私はその手を握った。

 

「⋯⋯ルイがいるんだよ?いっちゃダメだよ⋯⋯戻ってきてよ⋯⋯」

 

かすれた声で呼びかけた。

返事はない。

ルミは目を閉じたまま、胸の上下もなくなっていた。それでもイズミは、まるでいつものように応えてもらえると信じて、言葉を紡ぎ続けた。

 

「覚えてる?あの日、私が何もかも失いかけてた時、強がっている私をあなたとローグが手を引いて仲間に加えてくれたこと」

 

ルミたちの言葉が胸の奥に確かに残っている。教えてもらった言葉も、背中で示してくれた強さも、すべてが今も生きている。

力強く歩き、朗らかに笑い、誰よりも気を許せた人。私はずっと彼女たちの背中を追いかけてきた。迷ったときは言葉をくれ、転んだときは黙って手を差し伸べてくれた。

 

「あの日から……私はあなた達のために私の技術を活かそうと思ったんだよ……」

 

――まだ、ここにいるはずだ。

――少し疲れて眠っているだけだ。

 

そう思い込もうとすればするほど、無情が現実を突きつけてくる。

 

喉が震えてうまく喋れない。

目の奥が熱くなり、視界が滲む。

返事のない沈黙が、重く胸にのしかかる。

答えをくれないルミの手を、両手で包み込む。

そのぬくもりが消えかけていることに気づきながらも、イズミは離そうとしなかった。

まるで、手を離した瞬間に、すべてを認めてしまう気がして――

それだけは、どうしても出来なかった。

 

 時間だけが流れ、音だけが遠ざかり、世界からルミの存在がそっと抜け落ちていく。

これまで慕い続けた人は、もう語りかけてはくれない。二度と戻ってはこない。

 

「こんなの⋯⋯!こんなのってあんまりだよ⋯⋯!」

 

イズミが嗚咽交じりで泣きじゃくっている間、横にいるスケルトンのサッドニールはその様子をじっと見ているようであった。この時、イズミは機械である彼を羨んだ。

 

感情がなければこんなに悲しい思いもしなくて済んだだろう。

胸の中を埋め尽くす憎悪の闇に支配されずに済んだだろう。

自分が壊れてしまわないよう一晩中泣くこともしないで済んだだろう。

 

 

 

 

 

 

どれだけ泣いたのか分からない。

気がつけば空が白み始めて、辺りには朝もやが出ていた。

 

 イズミたちはルミの亡骸を葬ると、彼女の故郷であるピッドをひたすら目指した。都市連合兵に出くわさないよう危険な地域を通ることにしたため過酷な旅路であった。その際、すれ違う行商から都市連合の不穏な話を耳にした。やはりノーファクション支部も襲撃で壊滅したようで迂回して正解であった。そして皇帝の崩御の噂。確かに何かが都市連合で起きているようであった。

 運が良かった事は道中で傭兵集団に出くわたことであった。法外な契約料金をふっかけられたが、道中の安全が最優先であるイズミたちにとっては地獄に仏の状況であった。そして彼らを雇い入れることで何とか無事にピッドまで辿り着くことが出来た。そこでルイとサッドニールと共に住処を建て、畑を耕し、カニを狩って暮らした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして一ヶ月が過ぎた

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜明け前の空は、まだ眠りの名残を抱いたまま、薄紫の靄をたたえていた。平和な海辺の丘は静まり返り、風に揺れる草の音だけが、まるでこの場所がまだ夢の続きを見ているかのように囁いている。

 イズミは小さな焚き火の前に立ち、すでに荷をまとめ終えていた。脇に差した剣の重みは、守るためではなく、奪われたものを取り戻すための重さだった。

 振り返れば、ルイとサッドニールが住む小さな小屋が建っている。ここにいればささやかな生活をしつつ、ルイの笑顔に傷ついた過去を少しずつ癒していくこともできただろう。だが胸の奥に刻まれた憎しみと後悔は、この穏やかな日々を裏切り者のように感じさせていた。

 

「⋯⋯ごめん」

 

誰にともなく呟いた声は、朝露に溶けて消えた。

そして背を向けて立ち去ろうとした時、後ろから呼びかけられる。

 

「やはり行くのか?イズミよ」

 

サッドニールだ。

 

「⋯⋯ああ。ルイのお世話を頼むね」

 

イズミは振り返らずに歩き出す。

 

「ルミは人間である君にルイと一緒にいてほしいと願っていたように見えたのだが」

 

その言葉は正しかった。否定する余地はどこにもなかった。それでもイズミは立ち止まらなかった。

視線を前に据え、わずかに顎を引き、足を一歩踏み出す。まるでその言葉が背中に触れなかったかのように。

鼓動が速い。喉がひりつく。呼吸の間隔が微妙に狂っているのを、自分だけは知っていた。胸の内では感情が荒れ狂い、絡み合って渦を巻いている。

だが、顔には出さない。

眉は動かさず、唇も結ばれたまま。

崩れそうな内側を抱えたまま、何もなかったふりをする。自分の弱さを、いま誰にも見せるわけにはいかなかった。

 

「⋯⋯人間だから。人間だから怒りが風化する前にやらなければいけないことがある。サッドニールはずっとルイがおばあちゃんになるまで見守り続けてくれ。支援物資は送るようにする」

 

「怒りか。君らしくないが、そこに人間の複雑さがあるのだろうな」

 

「あんたにもわかる時が来るかもしれないね。じゃあ頼んだよ」

 

背中越しに、なおも何か言われる気配がしたが、耳はそれを拒んだ。

サッドニールは引き留めてくれた。ここで共に生きようと、過去より未来を選べと。

 だがイズミの心は、すでに血に濡れた道の先を見据えていた。あの日奪われた仲間の顔が、夜ごと夢に現れ、決して赦しを与えてはくれなかったのだ。

 イズミは敷地を一歩踏み出す。この瞬間から彼らの築いた歪な安寧の向こう側で、確かに何かが変わり始めた。その兆しを、怒りという名の炎で、胸に刻みつけながら。

 

【挿絵表示】

 

背中に、ぬくもりが遠ざかっていくのを感じながら、一歩、また一歩と歩みを進める。

振り返らない。

振り返れば、心が揺れてしまうから。

 やがて朝日が山の稜線から顔を出し、イズミの影を長く地面に伸ばした。その影は、もはや平和な土地に生きる者のものではなかった。

それでも歩き続ける。

復讐の道が、どれほど孤独で、どれほど残酷なものであろうとも――

それこそが、自らに課した生き方なのだから。

 




過去編終わりです。
最後の締めに向けてしばらく休みます
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