Kenshi -20years later- 作:さわやふみ
翌朝
ルイは呼びかけられる声で目を覚ました。
「ルイさん! ルイさんっ! 急ぎ会議室へ来てください!」
慌ただしく飛び込んできたマニの部下は、顔面から血の気が引いていた。
ただ事ではない。
だが、何が起きたのかは聞くまでもなかった。
――ヘフトだ。
サッドニールが口にした、イズミが進めていた最後の計画。
それが現実になったのだろう。
ヘフトに集結していたノーブルサークル。
そして、その街そのものを巻き込む破滅。
時間差で、その報せが浮浪忍者村に届いたのだ。
ルイは胸の奥に重たい鉛を抱えたまま会議室へ向かった。
扉を開ける。
中ではマニを中心に幹部たちが集まり、地図や報告書を囲んで騒然としていた。
誰もが険しい顔をしている。
ルイの姿を見つけた瞬間、マニが椅子を蹴るように立ち上がった。
「ルイ! ヘフトの件で何か知っていることはないか!?」
鋭い視線。
隠し事を許さない眼差しだった。
ルイは小さく息を吐く。
「……はい。おそらく何が起きたのか分かります」
その返答だけで十分だった。
マニの表情がわずかに歪む。
「まさか……ノーファクション……いや」
彼女は首を振った。
「イズミがやったのか?」
マニの問いかけでルイのほうも確信する。
やはりイズミは鉄蜘蛛を使ってヘフトに集まっていたノーブルサークルを一網打尽にしたのだ。
ヘフトの住民を巻き込んで。
「全滅したのですか⋯⋯?」
声が震えた。
マニは重々しく頷く。
「ああ。ヘフトは血の海だそうだ」
会議室が静まり返る。
「あの女⋯⋯ノーブルサークルに取り入るために潜入しただけかと思っていたが、凄まじい事をやってのけたな」
マニは賛辞とも非難とも取れる言葉を言い放った。端から見れば復讐のために罪のない民衆も巻き込んだことは前代未聞の所業に見えただろう。
だがルイには分かっていた。イズミは復讐だけを見ていたわけではない。
ノーファクションの未来を守ったのだ。仲間たちが再び狙われないように。
ルイたちが明日も生きられるように。自分だけが血塗られた道を歩いた。
誰よりも汚れ役を引き受けた。
たった一人で。
イズミお姉ちゃん
胸の奥で、忘れていた記憶が溢れ出す。
幼い頃。
優しく頭を撫でてくれた手。
一緒に笑った日々。陽だまりのような笑顔。
そして。
ミズイとして貴族社会に潜り込み、冷酷な策士を演じていた時の鋭い眼差し。
二つの顔が重なっていく。
どちらも本物だった。
どちらもイズミだった。
――あの時。
最後にバストで会った時。
もし。
もしあの場で思い出していれば。自分が彼女を呼び止めていれば。
違う未来があったのだろうか。
一緒に笑い合って。静かな家で暮らして。
そんな当たり前の人生もあったのだろうか。
なぜ。なぜ私なんかのために。そこまで命を懸けたのですか。
なぜ一人で背負ったのですか。なぜ復讐を選んだのですか。
私はただ――
あなたに生きていてほしかった。
気付けば拳を握り締めていた。爪が掌に食い込む。
それでも痛みは感じなかった。
胸の方が遥かに痛かったからだ。
「イズミは……」
震える声が漏れる。
「私たちの未来のために……苦渋の決断をしました」
絞り出すような言葉だった。言わなければならなかった。
誰かに伝えたかった。彼女がどれほど孤独だったのか。どれほど苦しかったのか。
たった一人で敵地に潜り込み。二十年もの歳月をかけて戦い続けたことを。
自分だけでもその想像すらし得ない状況を理解していたかった。
マニはしばらく黙っていた。そして静かに頷く。
「……だろうな」
否定しなかった。責めもしなかった。
「私は別に責めるつもりはない」
彼女は腕を組む。
「ノーブルサークルは既に腐り切っていた。自浄作用も失い、滅びる運命だった」
その視線が世界地図へ落ちる。
「誰かがやらなければならなかったんだろう」
ルイは何も言えなかった。
イズミを肯定してほしいわけではない。
だが、否定されたくもなかった。
だからその言葉だけで十分だった。
しかし。
マニの顔はすぐに現実へ戻る。
「問題はここからだ」
指が地図を叩く。
「ホーリーネーションが動く」
会議室の空気が再び張り詰めた。
「都市連合の中枢が機能停止した今、奴らがこの機会を見逃すはずがない」
世界最大の国家。都市連合。その心臓部が失われた。それは単なる政変ではない。世界秩序の崩壊を意味する。
「都市連合が崩れればホーリーネーションが世界を牛耳る」
マニは断言した。
「それだけは阻止しなければならない」
ルイは顔を上げる。
「……どうするんですか?」
「シェク王国と共闘する」
即答だった。
南の荒涼とした台地に領土を持つシェク王国は資源や規模こそ少ないものの、その勇猛な戦士たちに支えられ3大国の一角を担っている。ホーリーネーション領まで出向いて領土拡大を狙うほどの野心はないものの黙っているはずはなかった。影響力が増した浮浪忍者の声も聞いてくれることだろう。
「我々が南北から圧力をかける。奴らに自由な侵攻はさせない」
ルイは地図を見つめた。そして改めて理解する。
イズミがどれほど先を見ていたのか。
ハウラーメイズ攻略。
バスト大戦。
ノーブルサークル殲滅。
どれも単発ではない。全てが繋がっている。
世界の均衡すら計算に入れた布石。
二十年。
その長すぎる歳月を費やして。
彼女は世界そのものを盤上に乗せていた。
「……本当に」
ルイは呟いた。
「凄い人だったんですね」
遠い昔。
一緒に遊んでくれた優しい姉。
その面影が胸の中で微笑んでいた。
けれど今は分かる。あの笑顔の奥に。
いつも拭えない悲しみがあったことを。
誰にも言えない使命を抱え。
思い出すら催眠により封印して。
他人としてルイと接し続けなければならなかったイズミの気持ちを思うと胸が締め付けられた。
「というわけで我々は少しでも戦力が欲しいところではあるが、やはりお前を雇うことは出来ない」
「……はい」
理由は分かっていた。
モールの技を受け継ぐ者が、皆の前で無様な姿をさらすわけにはいかない。
戦えない者を象徴として祭り上げれば、浮浪忍者そのものの威信が揺らぐ。
マニはそこで話を切り替えた。
「それと昨夜、お前の後を追うように仲間がここへ辿り着いた」
「向こうの部屋で待っている。……都市連合の手の者もいるようだ」
「都市連合?」
「行ってこい」
ルイは首を傾げながら部屋を移った。
扉を開けた瞬間、思わず足が止まる。
「トゥーラ! ニール!」
懐かしい顔。
そして――
「……その人は?」
トゥーラの表情は固い。
それも当然だった。
部屋の中央に座っていた男は、かつてハウラーメイズ遠征で共に戦ったギシュバ8人衆の一人。
「よう。久しぶりだな」
男は気軽に片手を上げる。
「クジョウだ。覚えてるか?」
「……うん」
忘れるはずがない。
アウロラ。
ハーモトー。
ハウラーメイズ遠征の厳しい修行の日々。
若さだけを武器に必死で食らいついていた頃。
苦しかった。だが、かけがえのない時間だった。
その記憶が蘇るからこそ、胸が痛む。
トゥーラも同じなのだろう。
懐かしさよりも、失ったものの大きさが先に込み上げているようだった。
クジョウは神妙な顔つきになる。
「都市連合で起きてることは知ってるな?」
「……ああ」
やはりヘフトにおける鉄蜘蛛暴走の件であろう。またたく間に世界へ伝わっていてもおかしくはない。クジョウも何らかの経路で知らされたのだ。
「ノーブルサークルは壊滅した。物流も止まり、国境地帯の治安も悪化している」
ルイは相槌することもなく聞き流した。一時的にそのような状態になることは想定できたからだ。クジョウはそのまま説明を続ける。
「1番懸念していたホーリーネーションは反応を見せつつもまだ動く気配はない。そもそも奴らはいま自分の国の統治でいっぱいかもしれん。シェクと浮浪忍者が牽制してくれそうだしな」
都市連合寄りの物言い。
当然だ。
ギシュバも遠征隊も都市連合の人間だった。
ルイは冷めた目を向ける。
「あんた、都市連合の使者として来たんだろ?」
クジョウが視線を向けた。
「収監所を襲ったのは私たちだ。都市連合から見れば敵だよ?」
「知ってるさ」
クジョウはあっさり答えた。
「
「!」
ルイの目が見開かれる。
イズミ。
いや。
ミズイの本名。
それを知っている。
それだけで、この男がただ者ではないことが分かった。
トゥーラもニールも警戒を強める。
「……あんた何者?」
クジョウは少しの躊躇もなく答えた。
「俺は特憲だ」
空気が凍った。
全員の顔色が変わる。
ガチャッ――
誰かの手が剣の柄を掴んだ。
ルイの目にも殺意が宿る。
特憲。
今まで何度も立ちはだかり、仲間の命を奪ってきた敵。そして何よりその素性をこれまで隠していたことが尚更、不信感と敵愾心を煽った。
「……なんだと?」
低い声だった。怒りを押し殺した声。
クジョウも空気を察したのか、両手を上げた。
「待て待て。皇帝派の特憲だ。あんたらの敵じゃねぇ」
「敵じゃない?」
ルイの声が荒くなる。
「ふざけるな! 派閥なんて知るか!」
拳が震えていた。
「お前ら特憲が何人殺したと思ってる!」
「……」
「目的を言え!」
一触即発。
サッドニールですら真っ直ぐクジョウを見据えていた。
「テングJrはイズミと共闘関係にあったことは知っている。皇帝派のサスケも我々に協力してくれていた。ただしそれらは一蓮托生だったわけでもない。そもそも君が本当に皇帝派なのか証明できていない。サスケは君が皇帝派だと認識していなかったぞ」
クジョウは苦笑した。
「事情があってな。知ってるのはテングJr皇帝とレディー・メリンだけだ」
その瞬間。
ルイの感情が爆発した。
「だから何だよ!」
全員が振り向く。
「派閥が違うから何だっていうんだ!」
ルイはクジョウを睨みつける。
「お前もアウロラさんを騙してたってことだろ!!」
クジョウの表情が曇る。
「あの時、俺だって命懸けで戦ってた」
「じゃあ!」
ルイは一歩踏み出した。
「ニムロッドがスパイだって知ってたのか!」
飛びかかりそうな殺気。
トゥーラが息を呑む。
クジョウも目を逸らさなかった。
「……いや。いるとは聞いていた。だが名前までは知らなかった」
「本当だな?」
ルイの剣幕にクジョウも少したじろぐ。
「本当だ。まさかアウロラが死ぬなんて思ってもいなかった」
「⋯⋯」
空気が冷たくなっている中、サッドニールが言葉を挟む。
「君が皇帝派である証明は出来ないのか?」
「あ、ああ。そうだったな。今回、俺が来た目的を話すことで証明になるはずだ」
「言ってみたまえ」
クジョウは改まって周りを見渡すと静かに切り出した。
「ヘフトにおける鉄蜘蛛暴走を事前に回避すべく皇帝は視察の名目でハウラーメイズに退避していた。しかしどうやらバードに監禁されたようなのだ。救出に力を貸してもらいたい」
「な⋯⋯」
突然の申し出に頭の整理が追いつかない。
皇帝がヘフトで起きる事を予知していたのだとしたらイズミが事前に知らせていたことになり、共闘の話も事実なのだと理解できる。そしてその情報をノーブルサークルに漏らしていないクジョウは別派閥ではないことになる。
ただ、分からないのはバードの動きだ。
「バードは生きているのか。しかしなんで皇帝を監禁する必要がある?」
クジョウは苦い顔で答えた。
「分からん。ただ、アイゴアを含む全立会人を連れてハウラーメイズを占拠したのは事実だ」
「なんで?そんなことする必要が⋯⋯」
「奴はノーブルサークルが壊滅することを察知していた可能性がある。だからヘフトに戻らず、影響力が大きい皇帝を抑えにいったのかもしれない」
その名を聞いただけで、ルイの胸が冷える。
バード。倒したい男。
だが、もう関わりたくもない男。
戦えば、また誰かが死ぬ。
その恐怖が、心を縛っていた。
それに正直、思想や派閥はどうでもよかった。権力争いをするなら勝手にすればいい。永遠に殺し合っていればいいのだ。
そんなルイの様子にクジョウも気がつく。
「興味なさそうだな」
クジョウが苦笑する。
「皇帝が死ねば都市連合は終わる。世界は混沌に呑まれるぞ」
「大げさね」
トゥーラが割り込む。
「権力者が変わるだけでしょう?」
「違う」
クジョウは首を振った。
「バードには統治のための人脈がない。都市連合は分裂する。そしてバストの時みたいに、一つずつホーリーネーションに潰される」
しかし。
ルイの心は動かなかった。
怖かった。戦えば、また失う。
アウロラのように。
ピアのように。
イズミのように。
もう誰も死んでほしくなかった。
「やる気がないなら、せめてカンだけでも貸してくれ。ショーバタイ勢だけじゃ人数が足りない」
「カン?」
ルイは眉をひそめた。
「あいつならワールドエンドにいたでしょ。頼めばいいじゃん」
「頼んだ」
クジョウは肩をすくめる。
「だが、頭領のお前が許可しないと動かないってさ」
「なんでだよ……戦いが好きなんだから勝手に行けばいいのに」
ルイは頭を抱えた。
「じゃあ許可でいいな」
「……待って」
嫌な予感がした。
「まさかアイゴアにぶつける気?」
「そうなる。カンしかいない」
「駄目だ!許可できない!」
ルイは即座に叫んだ。
「はぁ?」
クジョウが目を丸くする。
「嫌がらせか?」
「違う!」
ルイは強く首を振る。
「カンでも勝てない!今のアイゴアには!」
部屋が静まり返る。
「私は見てきた。二人の戦いを。今のアイゴアは……カンを超えてる」
サッドニールも頷いた。
「ルイの見立ては正しい。バーンの記録によれば、アイゴアの最大CPは103」
「……103?」
全員が絶句する。
百超え。そんな領域の存在など、誰も聞いたことがない。
それは戦いではない。
死刑宣告だ。
それでもクジョウは諦めなかった。
「なら全員でかかる。ボウガン隊も投入する。時間がない。決めてくれ」
その時。沈黙を守っていたトゥーラが口を開いた。
「人に頼む態度じゃないわね」
空気が変わる。
「イズミが共闘していたから?だから私たちも協力しろ?虫が良すぎるわ」
奴隷として生きた日々。
特憲に仲間を殺された記憶。
彼女の中には消えない憎しみがある。
「困った時だけ助けろ?そんな都合のいい話、誰が納得すると思うの?」
部屋が静まり返る。
すると。
それまで飄々としていたクジョウの顔から笑みが消えた。
目を細める。
そして静かに――
口を開いた。