Kenshi -20years later- 作:さわやふみ
「ぐっ……何だ、今のは……?」
片膝をついたバードが、震える手で腹部を押さえる。指の隙間から、赤黒い血がぽたり、ぽたりと地面へ滴り落ちた。
浅手ではない。
その場にいた誰の目にも、深く肉を断たれていることは明らかだった。対するトゥーラは静かに刀を下ろす。
呼吸は乱れていない。
怒りも、歓喜もない。
まるで湖面のように澄み切った表情。
そこには人間らしい感情すら希薄で、ただ無心だけがあった。
「無限の太刀……拾の型――夢幻」
「拾の型……だと……?」
バードの瞳が大きく見開かれる。
「なぜお前が……!」
「これは、あるノーファクションの男が生涯をかけて作り出したモノ⋯⋯生きた証よ」
トゥーラの声は静かだった。
「あなたのように盗み取った技じゃない。剣聖アークから正当に受け継がれた至宝」
「……ウィンワンか!! 」
「生前、彼に聞いたことがある。アークが教えている姿を熱心に見つめていた男がいたって」
トゥーラは真っ直ぐバードを見据える。
「まさかそれが、あなただったなんてね」
「奴は出来損ないだ……! 無限の太刀など扱えていなかった!」
「それでも彼は書として残した。そして私は、その先にある夢幻を垣間見ることができた」
バードの目に初めて焦りが宿る。
「そんなものが……残っていたのか……!」
「ええ。彼が残したものが、あなたを斬った」
トゥーラは淡々と言い放った。
「……その書はどこにある!」
「教えるわけないでしょう」
そして、ほんのわずかだけ目を細めた。
「何でも制御しようと考えを巡らせているあなたには、“無心”が何か、理解できないわ」
しかし、バードの耳には半分も届いていなかった。
「……くくく」
不意に、彼は笑った。
「無限の太刀が世に残ったか……」
口元を歪める。
「ならば、後でゆっくり聞き出せばいい」
「その傷でまだ戦うつもり?」
トゥーラが呆れたように眉をひそめる。
「言っておくけど、立会人程度じゃもうルイには勝てないわ」
それでもバードは余裕の態度を崩さない。
「聞こえるか?」
「……?」
「お前たちの敗北の鼓動が」
ズン……
ズン……
ズン……
地の底から響くような重低音。
まるで地獄の門を叩く巨人の足音。
その場の全員が息を呑む。
「……嘘だろ」
ルイの顔から血の気が引いていく。
「まさか……アイツ、こっちに……?」
ズンッ!!
太い杭が地面に突き刺さるような音。
やがて現れたのは、巨大な影。
背にメイトウのデザートサーベル。
右腕にはスケルトンの義手。
紫がかった外殻を持つ巨躯。
アイゴア。
ただ姿を現しただけで、周囲の空気が一変した。
立会人たちですら息を呑み、無意識に後ずさる。
「そうか……!あの笛で……呼んだのね!」
トゥーラの顔が青ざめる。
次の瞬間。
アイゴアの巨腕が雷鳴のように振り下ろされた。
「トゥーラ!!」
轟音。
間一髪で飛び退いたトゥーラだったが、砕け散った岩片が脚を切り裂く。
「くっ……!」
その隙に、バードが立ち上がった。
「最初からお前たちに勝ち目などなかった」
腹を押さえながら、それでも威厳を崩さない。
「もう帝国を掻き乱すのはやめろ」
「……何?」
「度が過ぎると思わないか?」
バードの目がルイを射抜く。
「ヘフトの惨事はイズミの仕業だろう。復讐とはいえ、何人の罪なき市民を殺した?」
ルイの唇が震える。
――それはお前たちが先に
言い返しかけて、飲み込んだ。
どれほど正当化しようと。
ヘフトで失われた命が戻ることはない。
「最後の機会だ」
バードは静かに言った。
「ここで降伏しろ。虐殺も不問にしてやる」
「……」
「帝国再建に力を貸せ。そして罪を償え」
その言葉は、ルイの胸を深く抉った。
誰もが笑って生きられる世界。
その先で生まれた大量の死。
それは紛れもなく、ノーファクションが背負う業だった。
しかし突然、場違いなほど気の抜けた声が響く。
「あー、僕の考えが決まったよ。隊長さん」
誰もが視線を向ける。
その中には、普段冷静なバードさえ含まれていた。
「……急に、どうしました?皇帝」
「うん」
テングJr皇帝は、まるで昼食の献立でも決めたかのような調子で頬に手を添える。
「僕はルイを支持することにする。やっぱり君とは相容れないみたいだ」
「正気ですか?」
バードが眉をひそめる。
「この状況で負け馬に賭けるようなものですよ」
「負け馬?」
皇帝は肩をすくめた。
「だって、やっぱりアイゴアは死ぬべきだろ?」
「……何?」
「というかね」
皇帝はさらりと言った。
「ヘフトのことは、僕が決断したことなんだ」
空気が凍りついた。
ルイも、トゥーラも、オラクルも。
そしてバードまでもが言葉を失う。
「今……なんと?」
「都市連合が変わるには、どうしても痛みが必要だと思ってね」
皇帝は苦笑する。
「イズミちゃんに無理言って協力してもらったんだ。だから、虐殺の業を背負うのはどちらかと言うと僕かな」
「……」
「もちろん、市民を巻き込まずにオオタたちを潰す方法は考えたさ。でも無理じゃね?って結論になった」
飄々とした口調のまま続ける。
「それで特憲の内紛から僕が始めることにした。アイゴアを表に引っ張り出したかったしね」
バードの顔から笑みが消える。
「では……カクノーシンやサスケの行動は……」
「ああ。全部、僕の指示」
皇帝は寂しそうに笑った。
「彼らを失ったのは痛かったよ。君、なかなかやるね」
「……はじめから私と敵対していたわけですか」
「そうなるかな」
「しかし、今さら明かしてどうするつもりです?」
バードの目が細くなる。
「ルイと共に死ぬつもりですか?」
「いやぁ」
テングJr皇帝は立ち上がった。
「君が自分の主観だけで正義を語るのが、どうにも気に入らなくてね」
その目から笑みが消える。
「君たち、ずっと裏から帝国を操っていたんだろ?」
「……」
「父を殺したのも特憲だ。もう確信してるよ」
バードが大きく笑った。
「ははははは!そこまで分かっていながら言うとは、やはり親子揃って愚かだ。傀儡なら傀儡らしく、その座を楽しんでいればよかったものを!」
「父親譲りでね。ちょっと志が高いんだ」
皇帝は薄く笑う。
そして、ルイを見る。
「おい、ルイ」
「え? あ、何?」
「イズミちゃんからの伝言だ」
皇帝はどこか嬉しそうだった。
「『過去からの憂いは私たちがあの世に持っていく。あなた達は気にせず人類の未来を切り開きなさい』……だってさ」
「イズミ……」
ルイの目が見開かれる。
「皇帝の僕を通して伝言って、ちょっと洒落てるだろ?」
皇帝は笑った。
「後は君が、最後に過去の遺物を取り除くだけだ。君達なら出来る」
その瞬間、ルイは理解した。
この男はただの飾りではない。
イズミが命を賭して信頼した、本物の皇帝なのだと。
「……皇帝からそんなこと言われると調子狂うよ」
ルイは苦笑した。
「でも、なんか気が楽になった」
デザートサーベルを握り直す。
「やってやるさ」
そのやり取りを見ていたバードの表情が変わる。
笑みが消え、冷たい怒気が滲んでいた。
「……もういいでしょう。やはり帝国は私が育てる。自らの手で歴史を変えてみせる」
「君も志が高いようだな」
テングJr皇帝が薄ら笑う。
「だが、目指す先が違ったようだ」
「ええ」
バードは静かに頷く。
「残念ですよ、皇帝」
「あなたとなら理想国家を築けると思っていたのですが」
そして。
「アイゴア将軍!この場にいる者は全員反逆者です!皆殺しにしてください」
「!」
ズン……
巨獣が動く。
スケルトンの義手に握られた巨大なデザートサーベルが再び唸りを上げた。
確かにこれは力のぶつかり合いではない。
まるで抗えぬ自然災害に挑むような感覚だった。
ルイはトゥーラを見る。
「……っ!」
足を負傷したトゥーラは顔面蒼白だった。
アイゴアから向けられる圧倒的な殺意。
初めて浴びる者なら無理もない。足も負傷しており、とてもではないが参戦は無理そうだ。
ルイ1人でやるしかない。
ただ、勝機はある。
無想剣舞は受け流す必要がない。
避け続ければいい。
一瞬でも隙があれば、刃は届く。
「ぐがあああああっ!!」
咆哮と共にアイゴアの攻撃が始まる。空気が振動し、大地が揺れる。当たれば即死につながる一閃が様々な角度から繰り出されてくる。
だが。見える。前よりも見える。
軌道が。癖が。予兆が。
瞬きのタイミングすら失敗を許されないこの状況で、前回戦った時よりも遥かに斬撃の軌道が見えるようになっている。アイゴアの所作から事前に攻撃予測も出来るようになっている。
ーーただ
速すぎる。反撃の隙がない。
避けることだけで精一杯だ。
慣れてきたら、接近して鎧の隙間を狙って忍者刀を刺したいが、コイツには天性の戦闘スキルがある。一見、無造作に斬り込んできているように見えるが、反撃がしづらいし、逃げ場も絞られている。
それに恐らく全てのバリエーションも見せていない。以前やってみせたフェイントも使っていない。
つまりまだ全力を出していない。
本気を出さずともいずれ自分を仕留められると考えている。
いわばこの舐められている間に、先に慣れて不意の一撃を入れる必要がある。むしろそこにしか勝機がなかった。
ルイは徐々に距離を縮めていく。
疲弊したように。苦しそうに。
ハムートが長老戦で見せたような、必死の姿を演じながら。
そして。
――ここだ。
アイゴアの背。鎧の隙間。数ミリ。
勝利への糸口。
ルイは飛び込んだ。
その瞬間。
ゾクッ――
不意に生じる背筋を冷たい指でなぞられたような感覚。心臓は速く脈打ち、鼓動が耳の奥で爆ぜる。
生物としての本能が、理屈より先に警鐘を鳴らしていた。
『その先は死』
実感は確信に近かった。このまま飛び込んだら
自分の胴体は両断される。そんな死の予感が全身を支配した。ルイは追撃を止め、反射的に飛び退いた。
次の瞬間。
ズバァァン!!
さっきまで自分がいた空間が真っ二つに裂けた。
空気すら両断されている。
あと一瞬遅れていれば、自分の身体も同じようになっていた。
(誘われていた……!)
アイゴアは待っていたのだ。
偽りの隙を見せ。獲物が食いつく瞬間を。
こちらが見いだした勝機は作り出された幻影だった。
重圧が増す。息が詰まる。喉が鳴る。
急に空気が重くなっていく。
空間そのものが、あの男を中心に歪んでいるような圧迫感だった。
喉が鳴る。
自分でも気づかぬうちに、生唾を飲み込んでいた。
本能が先に理解し始めていた。
――勝てない。
その四文字が脳を支配する。
ほんの少しでも勝機があると思い込んでいた。
しかしそれは幻想だった。
絶対的、圧倒的な格上の存在。
刃を向けようが、叫ぼうが、足掻こうが。
揺るがない。
恐怖。本能。敗北。
じり、と後ろ足が下がる。
心臓が強く跳ねる。
嫌な汗が背中を伝った。
アイゴアはまだ動かない。
怖い。
動かないからこそ怖かった。
もはや隙はない。
どこを見ても、崩せる形が存在しない。
踏み込めば殺されるという未来だけが、異様なほど鮮明に脳裏へ浮かぶ。
視線が合う。
たったそれだけで、肺が縮む。
捕食者に睨まれた小動物とは、きっとこういう気分なのだろう。
逃げろ。 近づくな。
本能が狂ったように警鐘を鳴らし始める。
「ルイ!逃げて!」
遠くでトゥーラの声が聞こえる。
しかし足が動かない。
そしてアイゴアが、一歩踏み出す。
そのたった一歩の大地の揺らぎで。
今まで積み上げてきた自信も、誇りも、覚悟も――音を立てて崩れ始めた。
自分はもうここまでだ。
そんな諦めに近い感覚が脳を支配し始めたいた。
しかし
そこに“希望”という言葉を連想する声が聞こえてくる。
「私も参戦させてもらうぞ」
凛とした声。
その一言だけで。
絶望に沈みかけていた心に、光が差した。
先の戦いでアイゴアを圧倒し、最強たる様を見せてくれた鋼鉄の兵士。その圧倒的な存在感はもう2度と見れないと思っていた。
「……!」
ルイが振り向く。
「バーン……!?」
いや。違う。
「ニール!!」
日を背負い。メイトウ杖を掲げ。
鋼鉄の身体を黄金色に輝かせながら。
一体のスケルトンが静かに立っていた。
かつてアイゴアを圧倒した最強の兵士。
誰もが二度と見ることはないと思っていた英雄。
その姿はまるで。
絶望の戦場に降臨した希望そのものだった。
あと3話で完結です!